忘れ得ぬ人々
私は「私の履歴書」の執筆者たちがどうしても書き残して置きたい人物を集めてみました。
その人物は、畏敬の人であり、恩人であり、ライバルであり、感謝の人であり、惜別の人でもありました。
私たちが知っている有名人の意外な側面を執筆者たちが語ってくれています。
興味深いものばかりです。
読み方として、中項目の左側の人物は大部分、明治以降の有名人です。
しかし、具体的にどのような人物なのかわからない人もいると思います。
その人物の社会貢献や家族関係、人物像などは、インターネットでWikipedia検索していただくと、ご理解ができると思います。
また、右側の青文字の名前が「私の履歴書」の執筆者で、そこをクリックしていただくと、両者の興味深いエピソードが閲覧できます。
また、執筆者の実の親子、義理の親子、夫婦なども調べると、思いがけない人の名前も出てきました。
これらをみなさんの知見を入れて読んでいただけると、新しい発見やエピソードを見つけることができると思います。
ご興味のある人物からご覧ください。
01 日本の基礎を築いた人
01 日本の基礎を築いた人
1875年4月7日 – 1966年2月22日)は山口県生まれ。元弁護士、政治家(貴族院議員)。法学博士。宮内省、日本銀行、日本郵船、東京海上火災、三菱銀行、日本勧業銀行の各顧問弁護士に就任。1931年に貴族院勅選議員。そして、内閣顧問や行政査察使を同時に兼任した…
1880年(明治13年)11月6日 – 1967年(昭和42年)2月13日)は山口県生まれ。実業家、政治家。日産コンツェルン創始者。満州重工業開発株式会社総裁、貴族院議員、帝国石油株式会社社長、石油資源開発株式会社社長、参議院議員などを歴任した。1956年(昭和31年)、…
1903年1月28日 – 2000年8月27日)は徳島生まれ。実業家、経済学博士。東京銀行頭取を務めた。終戦後、GHQの命令により、横浜正金銀行改組室長に任命されて整理にあたり、東京銀行を創立した。1952年にサンフランシスコで行われた対日講和条約の調印では吉田…
1912年(明治45年)1月23日- 2000年(平成12年)11月26日)は長野県生まれ。政治家。自由民主党の衆議院議員(16期)。外務大臣(第83-84・99代)、経済企画庁長官(第23代)、国家公安委員会委員長(初代)、労働大臣(第8代)を歴任した。引退後は国際親善な…
1884年9月15日 – 1957年12月27日)は愛媛県生まれ。政治家。1955年、自由民主党結党時の防衛庁長官。自民党では河野一郎派の客分格であったが、後輩の風下に立つのは潔しとしなかったのか、かなり金銭的に無理をして「砂田派」(宜軒会)を立ち上げた。傘下に…
1898年(明治31年)12月5日 – 1976年(昭和51年)3月22日)は大阪府生まれ。男性オペラ歌手、声楽家(テノール)。戦前から戦後にかけて活躍した世界的オペラ歌手であり、藤原歌劇団の創設者。父親がスコットランド人で母親が日本人。日本にオペラ文化を根付か…
1883年〈明治16年〉1月1日 – 1959年〈昭和34年〉3月7日)は東京生まれ。政治家、弁護士。1912年(大正元年)に東京市会議員に当選。1915年(大正4年)に衆議院議員に当選して以来、政党政治家として活動。1954年(昭和29年)-1956年(昭和3…
1906年(明治39年)2月15日 – 2010年(平成22年)8月23日)は東京生まれ。官僚。初代財務官。初代アジア開発銀行総裁。1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコ平和条約を日本が締結した時、側面からサポートし、さらにIMF・世界銀行に日本を代表し…
1904年8月7日 – 1983年12月20日)は京都生まれ。医師、日本医師会会長、世界医師会会長を歴任した。太平洋戦争後の厚生行政に於いては各種審議会の委員を委嘱され、1961年(昭和36年)には全国一斉休診運動を強行するなど、厚生省の官僚との徹底的な対決をも…
1899年(明治32年)2月2日 – 1983年(昭和58年)5月6日)は三重県出身。日本の農業経済学者。農学博士。シュンペーターの革新論や企業者論を中軸に日本の資本主義や農業問題に独自の解明を行った『日本農業の展開過程』などで第二次世界大戦の終結までは主に学究…
外交官、外務省官僚としてポツダム宣言の翻訳を初め、日米安全保障条約、沖縄返還、日米繊維交渉など、戦後の日米交渉に深く関与した。プロ野球のコミッショナーとしては、時代の求めていたプロ野球と野球界の近代化に手腕を振るった。
1.外務省の人員削減 第二次大戦後、政…
1900年(明治33年)11月28日 – 1982年(昭和57年)5月23日)は岐阜生まれ。農民運動家、政治家。衆議院副議長。新潟3区では田中角栄の好敵手であった。田中は三宅(日農)支持者に食い込む形で勢力を拡大するが、三宅も根強い支持層で対抗した。ロッキード事…
1893年(明治26年)9月2日 – 1993年(平成5年)11月18日)は栃木県生まれ。実業家。日本銀行へ入行する。1942年(昭和17年)5月に日銀理事となり、1945年(昭和20年)10月に日銀副総裁に就任。しかし、国の外資事業の責任者であったことから、1…
1875年4月7日 – 1966年2月22日)は山口県生まれ。元弁護士、政治家(貴族院議員)。法学博士。宮内省、日本銀行、日本郵船、東京海上火災、三菱銀行、日本勧業銀行の各顧問弁護士に就任。1931年に貴族院勅選議員。そして、内閣顧問や行政査察使を同時に兼任した…
1892年10月5日 – 1984年2月15日)は東京市出身の実業家・文化人。欧米で住宅事情を学び、設立間もない田園都市株式会社に取締役として入社する。この会社は、田園調布や洗足田園都市の計画的で大規模な宅地開発を行い、その開発地区のための鉄道敷設・電力供給、多…
1896年(明治29年)11月21日 – 1988年(昭和63年)8月19日)は東京都生まれ。経済学者。東京大学名誉教授。日本経済史専攻。日本資本主義論争では労農派の論客として活躍。人民戦線事件に連座し、大学を追放される。戦後、大学復帰。1954年に「封建社会崩…
1883年〈明治16年〉1月24日 – 1971年〈昭和46年〉8月21日)は富山県生まれ。実業家、政治家。5回にわたり中国を訪問。1970年には、周恩来首相から日中貿易継続を許される企業の条件を示された。そこで、台湾に多くの投資を行い、援助している企業との取引…
1889年(明治22年)3月7日 – 1964年(昭和39年)4月26日)は滋賀県生まれ。実業家、財界人で、政治家でもあった。戦後は皇籍剥奪や華族の特権廃止・財産税などの負担で困窮した旧宮家や華族が都心部に所有していた邸宅地を買い取り、華族やその関係者をグループ…
1884年(明治17年)5月9日 – 1982年(昭和57年)2月9日)は、戦前昭和から戦後黎明期にかけての経済学者(専攻は経済原論および経済学史)、教育者、政治家、慶應義塾大学名誉博士。第1次吉田内閣の文部大臣等を歴任し、戦後の文化行政を指導して古典芸能の保護…
1875年(明治8年)12月1日 – 1971年(昭和46年)6月16日)は長崎県生まれ。明治末期から昭和にかけて長く日本の電力業界において活動した実業家である。石炭商などの事業を手掛けたのち明治末期から九州で電気事業の経営に関わり、1922年(大正11年)から…
1888年(明治21年)5月4日 – 1966年(昭和41年)5月11日)は東京生まれ。経済学者(経済学博士)。東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者となる。1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)まで慶應義塾長。父は慶…
1876年12月15日 – 1972年2月27日)は東京新宿生まれ。吉住勘四郎の子。幼名は長次郎。3代目(実兄)の養子となる。1889年12月に4代目を襲名。1902年に3代目杵屋六四郎(後の2代目稀音家浄観)とともに長唄研精会を組織し、新曲を発表、歌舞伎の附属…
1899年(明治32年)8月16日 – 1981年(昭和56年)11月18日)は東京生まれ。実業家。中部電力会長、中部経済連合会会長を務めた。1959年(昭和34年)に大同製鉄(現・大同特殊鋼)監査役となる。以後以下の役職を歴任した。大同学園(大同大学)理事 &…
02 世界に名を馳せた人
01 国際賞受賞者
02 世界に名を馳せた人
01 国際賞受賞者
1938年〈昭和13年〉4月1日 – 2015年〈平成27年〉7月15日)は愛知県生まれ。経済学者。専門は比較制度分析。1964年に東京大学大学院経済学研究科修士課程を修了すると渡米しミネソタ大学に留学。ジョン・チップマン教授の指導を受け、 1967年に同大博士…
1908年(明治41年)4月11日 – 1997年(平成9年)12月19日)は栃木県生まれ。弁理士、電子技術者、実業家。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。敗戦翌日に疎開先の長野県須坂町から上京し、2か月後の1945年(昭和20年)10月、東京・日本橋の旧白木…
1924年12月7日 – 2013年5月6日)は日本の演劇学者。演劇研究家・河竹繁俊の二男として東京に生れる。祖母(繁俊の養母)の糸女は幕末から明治にかけての歌舞伎狂言作者河竹黙阿弥の娘である。東京帝国大学理学部物理学科卒業、早稲田大学第一文学部演劇学科、同大学…
1926年〈大正15年〉9月19日 – 2020年〈令和2年〉11月12日)は愛知県生まれ。物理学者、ニュートリノ天文学を開拓した天文学者でもある。東京大学や東海大学にて教鞭を執った。1987年、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて太陽系外で…
1904年(明治37年)5月1日 – 1987年(昭和62年)2月9日)は東京生まれ。東洋学者、中国史学者。地質学者・小川琢治の次男。従前の文献学的な中国古代史の研究に対して、甲骨文字や金文に代表される出土資料に着目した研究方法を日本で初めて提唱した。戦後、中国…
1940年〈昭和15年〉2月7日 – 2021年〈令和3年〉7月23日)は愛知県生まれ。理論物理学者。専門は素粒子理論。京都大学基礎物理学研究所所長、日本学術会議会員を歴任した。2008年、「小林・益川理論」による物理学への貢献でノーベル物理学賞を受賞。京都大学…
1938年10月19日 – 2019年1月17日、大阪府吹田市生まれ。 理論物理学者、慶應義塾大学名誉教授。専門は物性理論、特に固体物理学。アモルファス研究で国際的に知られる。理学博士(京都大学)(1966年)。日本の女性科学者の草分けとして、一般向けの著書や発…
1940年〈昭和15年〉2月7日 – 2021年〈令和3年〉7月23日)は愛知県生まれ。理論物理学者。専門は素粒子理論。京都大学基礎物理学研究所所長、日本学術会議会員を歴任した。2008年、「小林・益川理論」による物理学への貢献でノーベル物理学賞を受賞。京都大学…
「私の履歴書」で登場したノーベル受賞者は、福井謙一(1983.3)、小柴昌俊(2003.2)、江崎玲於奈(2007.1)、野依良治(2008.9)益川敏英(2009.11)、下村脩(2010.7)、根岸英一(2012.10)、大村智(2016.8)、利根川進、に次いで10人…
1894年1月22日 – 1974年5月24日)は神奈川県生まれ。実業家、銀行家。元帝国銀行頭取、三井銀行社長、日本棋院総裁。1948年帝銀から第一銀行を分離、1954年三井銀行に行名が戻り同行社長に就任。その際、頭取を社長と改称。以後、会長、相談役を歴任し、三…
02 芸術家等
02 芸術家等
1929年10月20日 – )は米国生まれ。江戸時代の日本絵画を対象にするアメリカ合衆国の美術蒐集家。財団心遠館館長。京都嵯峨芸術大学芸術研究科客員教授。1953年にニューヨークの古美術店で伊藤若冲『葡萄図』に出会って以来、日本語を解さないながら自らの審美眼を頼…
1909年5月17日- 2001年11月8日)は高知県出身の漫画家、アニメーション作家。政治風刺漫画が主流だった1930年代日本の漫画界において、簡略な絵柄と明快なギャグによる欧米流の「ナンセンス漫画」を志向した若手グループ「新漫画派集団」を結成し、やがて戦中・戦後初期の漫…
1911年(明治44年)4月8日 – 1993年(平成5年)8月21日)は東京生まれ。歌手・声楽家・作曲家・指揮者。東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を首席で卒業。 東京音楽学校で培った正統な声楽技術・歌唱法・音楽理論と、ハイバリトンの音声を武器にテナーの…
1931年(昭和6年)7月23日 – )は大分県大分市出身。建築家・日本芸術院会員。一級建築士、アトリエ建築家。さまざまな現象へ分裂解体しつつあった世界の建築状況を整理し、改めて総合的な文化状況の中に位置づけ直し、全体的な見通しと批評言語を編纂した。この役割にお…
1931年1月28日 – 2011年7月26日)は大阪生まれ。小説家。星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれ、日本SF界を代表するSF作家でありながら戦後の日本を代表する小説家でもあった。広範囲で深い教養を備えた知識人であり、その活動範囲は幅広く膨大なジャ…
1916年9月4日 – 2008年9月7日)は、群馬県出身。戦後、大蔵省に復帰。銀行局長時代に金融効率化行政を手掛け、太陽銀行誕生に力を発揮、1969年8月から1971年6月にかけて大蔵事務次官を務めた。「大物事務次官」の要件とされる2年間の任期を全うする。同省…
この「履歴書」に登場した男優は、市川右太衛門、森繫久彌、長谷川一夫、東野英治郎、池部良、笠智衆、仲代達矢、加山雄三に次いで9番目である。全ての登場人物は、自分が主語で一人称記述であるが、例外は栗田淳一(日本石油)が自分を「淳」と呼び、山﨑氏も「努君」と三人称で呼び、客観的に…
1931年12月5日、茨城県生まれ。日本の大手映画会社間の五社協定ができる前の1953年にフリーになったおかげで、各映画会社の映画黄金期の多くの巨匠たちの作品に出演するという幸運に恵まれている。この多くの巨匠の様々な役に自身がキャスティングされたことについて、本人は個性のな…
1937年〈昭和12年〉4月11日 – )は神奈川県生まれ。俳優、シンガーソングライター。タレント業のほか、音楽家としてギタリスト・ピアニスト・ウクレレ奏者、画家としても活動している。父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。母方の高祖父は明…
日経「私の履歴書」に登場した男優は今まで12名いますが、彼のように国内外の映画の主演賞受け、かつ文化勲章も受けている人はいません。彼が「日本映画の黄金時代」 PHP新書(春日太一著)に映画や舞台の思いや内情を語ってくれています。私が知らない情報を下記に抽出しました。彼は日活…
作曲家でこの「履歴書」に登場したのは、山田耕筰、古賀政男、服部良一、吉田正、船村徹、遠藤実、團伊玖磨、小椋佳、服部克久、村井邦彦の諸氏に次いで氏は11番目である。しかし、いままでの作曲家とは随分イメージが違っていた。落語、読書、詩歌、演劇、映画、オペラなどに首を突っ込み、異…
1908年7月28日 – 2001年4月16日)は東京生まれ。実業家。住友銀行頭取・会長。関西経済同友会代表幹事、日仏クラブ世話人。頭取在任中、磯田一郎副頭取と共に経営危機に陥った安宅産業を伊藤忠商事に救済合併させたり、マツダやアサヒビールの再建に取り組んだ。日…
1912年8月16日 – 1997年6月19日)は東京生まれ。日本の鉄道官僚、第6代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1969年-1973年)。永井岩之丞の孫。作家・三島由紀夫の父・平岡梓は従兄にあたる。大学卒業後、鉄道省に入るが退職。敗戦後に鉄道界へ復帰。下山定則…
1917年(大正6年)1月20日 – 2001年(平成13年)3月31日)は東京生まれ。歌舞伎役者。先天性の左足脱臼が悪化して数年寝込み、大手術を行ってやっと歩けるようになったといわれる。そのため、歌右衛門の左足の動きは終世ぎこちなかった。生涯を通じて歌舞伎に専…
1936年6月27日 – )は兵庫県生まれ。美術家、グラフィックデザイナー、作家。幼少期に西脇でさまざまな超常現象を経験。死の世界に憧れを抱く。神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。1980年7月にニューヨーク近代美術館にて開催されたピカソ展に…
1925年(大正14年)8月30日- 2006年(平成18年)12月13日)は東京生まれ。日本の実業家。松竹社長・会長。1951年(昭和26年)1月の東京・歌舞伎座の再開と同時にその監事室に配属され、松竹創業者の一人である大谷竹次郎の下で、6代目中村歌右衛門襲名披露興行など…
この「履歴書」に登場した男優は、市川右太衛門、森繫久彌、長谷川一夫、東野英治郎、池部良、笠智衆、仲代達矢、加山雄三に次いで9番目である。全ての登場人物は、自分が主語で一人称記述であるが、例外は栗田淳一(日本石油)が自分を「淳」と呼び、山﨑氏も「努君」と三人称で呼び、客観的に…
1926年(大正15年)5月31日 – 2008年(平成20年)10月5日)は東京生まれ。政治家。参議院議員(5期)、参議院議長(第17・18代)、環境庁長官、埼玉県知事(第54・55・56代)、埼玉県議会議員(2期)、自由民主党参議院議員会長を歴任。三権の長経…
1922年〈大正11年〉3月8日 – 2015年〈平成27年〉11月30日)は大阪生まれ。漫画家、妖怪研究家、紙芝居作家。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から名付けた。1958年に漫画家デビュー。代表作とな…
マンガ家でこの「履歴書」に登場したのは、横山隆一(62歳:1971年12月)、田河水泡(89歳:1988年10月)、水木しげる(81歳:2003年8月)の3氏に次いで、里中氏(74歳)は4人目である。私の小学生時代は「サザエさん」「鉄腕アトム」「赤胴鈴之助」「巨人の星」「あ…
1932年4月3日 、大阪府生まれ。女優。宝塚入団時の成績は63人中9位。在団期間は短かったが、主演娘役として活躍した。在団中の1951年、東宝『寳塚夫人(宝塚夫人)』で映画デビューする。元々、宝塚在団中から新劇のファンであり、映画への誘いに抵抗がなかったという。1953年…
1926年〈大正15年〉9月15日 – 2006年〈平成18年〉5月30日)は東京生まれ。映画監督、脚本家、映画プロデューサー、日本映画学校(現・日本映画大学)の創設者。カンヌ国際映画祭で2度のグランプリを受賞した日本を代表する映画監督の一人。松竹、日活を経て、…
1909年11月29日 – 1977年3月21日 山口県下関生まれ。女優、映画監督。 1924年に松竹下賀茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の「元禄女」でデビュー。 その後、蒲田撮影所へ移籍し五所平之助監督「恥ずかしい夢」で好評を博した後は、生涯250本あまりの映画…
1905年(明治38年)11月1日 – 1996年(平成8年)3月25日)は東京生まれ。フランス文学者、慶應義塾長、日本芸術院会員。フランス文学者としては、ボードレール研究とコクトー、サルトル、カミュ等の20世紀文学の紹介で有名である。また、慶應の仏文科の基礎を…
1886.1.5(明治19)~ 1981.3.28(昭和56)は茨城県生まれ。大正・昭和期の実業家(戸田建設会長)。初代の戸田利兵衛が築いた戸田組を、’24横浜出張所を皮切りに、’31(S6)名古屋、’36大阪、’37釜石と出…
1916年9月4日 – 2008年9月7日)は、群馬県出身。戦後、大蔵省に復帰。銀行局長時代に金融効率化行政を手掛け、太陽銀行誕生に力を発揮、1969年8月から1971年6月にかけて大蔵事務次官を務めた。「大物事務次官」の要件とされる2年間の任期を全うする。同省…
「履歴書」女優の登場者は、東山千栄子、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、天津乙女、長門美保、春日野八千代、ミヤコ蝶々、山本富士子、山口淑子、宮城まり子、森光子、扇千景、香川京子、有馬稲子、佐久間良子に次いで彼女で17人目となる。有馬稲子は市川崑監督、佐久間良子は鶴田浩二との不…
03 実業家・他
03 実業家・他
1942年1月12日~2020年10月13日)岡山県生まれ。実業家。1966年 大学卒業後、会社の中核事業をデンプン加工業から、デンプンの研究・開発を重視するデンプン化学工業にシフトすると宣言。1970年 研究部門を独立させて「林原生物化学研究所」を設立。1988年 イン…
1883年〈明治16年〉4月21日 – 1965年〈昭和40年〉1月27日)は岩手県生まれ。柔道家。段位は講道館柔道十段。身長159 cm、体重55 kg。小柄な体型ながら空気投げなどの新技をあみ出し、1945年(昭和20年)最高位の十段を授けられ名人の称を受け…
1882年〈明治15年〉4月18日 – 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、日本の官僚・実業家。東京急行電鉄の事実上の創業者。官僚を9年務めた後に現在の東急東横線の前身である武蔵電気鉄道常務に就任。実質的な経営権を獲得し、池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川…
1930年1月12日 – 2020年12月13日 )は英国生まれ。日本の実業家。東京府(現・東京都)出身(出生地はイギリス)。三菱商事の社長・会長・特別顧問を歴任した。父・覚(さとる)は青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、そ…
1923年11月5日、兵庫県生まれ。小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として出生。異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇。父紅緑をルーツに、自身も含めハチローら異母兄弟および子孫たちに伝わる「佐藤家の荒ぶる血」を纏めた大河小説『血脈』を十数年かけて執筆し…
1931年2月12日 – )は兵庫県生まれ。実業家。ウシオ電機株式会社の設立者である。同社名誉相談役、取締役相談役、経済同友会特別顧問(終身幹事)、公益財団法人日本生産性本部会長(2003年から2014年)、名誉会長(2014年から2020年)などを務めた。19…
1903年3月7日 – 2005年7月19日)は島根県生まれ。実業家。 エネルギー商社、岩谷産業の創業者で名誉会長を務めた。1953年家庭用プロパンガスを日本で初めて市販。また1969年にはガスホースを使わないカセットボンベ式卓上型ガスコンロをやはり日本初の市販…
3月の日経「私の履歴書」は宮城まり子さんでした。女優では、東山千栄子、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、天津乙女、長門美保、春日野八千代、ミヤコ蝶々、山本富士子、(山口淑子)、宮城まり子、森光子、(扇千景)、香川京子、有馬稲子、佐久間良子、浅丘ルリ子、草笛光子の18人である。…
1931年10月3日 – )は東京生まれ。実業家、政治家。野村證券副社長、ローンスタージャパン会長、東京スター銀行会長、多数国間投資保証機関長官(初代)、参議院議員(1期)、経済企画庁長官(第49代)、参議院外務委員長等を歴任した。アジア人で史上初めてボストン証…
1908年(明治41年)4月11日 – 1997年(平成9年)12月19日)は栃木県生まれ。弁理士、電子技術者、実業家。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。敗戦翌日に疎開先の長野県須坂町から上京し、2か月後の1945年(昭和20年)10月、東京・日本橋の旧白木…
1898年〈明治31年〉7月9日 – 1980年〈昭和55年〉12月25日)は愛知県生まれ。実業家。トヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車営業部門)社長・会長・名誉会長、名古屋放送(現:名古屋テレビ放送)初代社長等を歴任した。トヨタ自動車系ディーラーの礎を一代で築き…
1907年11月25日-1995年12月13日)は三重県生まれ。実業家。トヨタ自動車販売取締役社長、取締役会長、トヨタ自動車相談役、顧問、名古屋商工会議所副会頭、学校法人関西学院理事長などを歴任。日本デザインセンター創設メンバーのひとり。1989年の世界デザイン博覧会では博…
1916年〈大正5年〉6月28日 – 2008年〈平成20年〉3月13日)は東京生まれ。実業家。梁瀬自動車株式会社社長、株式会社ヤナセ社長、日本経営者団体連盟常任理事などを歴任した。アメリカ車の販売に寄与したとして、2004年に日本人としては本田宗一郎や豊田英二…
1913年(大正2年)9月12日 – 2013年(平成25年)9月17日)は愛知県生まれ。実業家。豊田佐吉の甥。トヨタ自動車工業株式会社社長(第5代)、トヨタ自動車株式会社会長(初代)、同社名誉会長(初代)、同社最高顧問(初代)、社団法人日本自動車工業会会長(第…
明治33年(1900年)2月25日 – 昭和55年(1980年)10月15日)は高知県生まれ。昭和期の漢方復権に尽力した代表的な日本の医師。東洋医学の発展に貢献した業績により1978年に日本医師会より最高優功賞を日本で初めて受賞。漢方に傾倒したきっかけは、昭和2…
氏は、「知識経営の生みの親」として知られる。
1.「知識創造企業」理論 これは「経営に対し個人意思を分析の単位とする情報処理モデルを、組織の意思を分析単位とするモデルに発展させた」ものだった。これが「知識創造企業」理論であり、博士論文の「組織と企業」から出発し…
03 皇室の人
03 皇室の人
1936年12月3日 – )は大阪府生まれ。元サッカー選手、元日本代表監督。Jリーグ初代チェアマンを経て、第10代日本サッカー協会 (JFA) 会長を務めた。早稲田大学ア式蹴球部に所属し、日本代表として東南アジア方面に同行。当時イギリス領だった香港のクリケットの…
1904年5月21日 – 1996年1月10日)は東京生まれ。実業家、日本生命社長。最初は三井物産に入社、16年間勤務した。1944年、日本生命の取締役として転身した。株式会社であった日本生命が相互会社として1947年に再出発するに当たり専務となり、1948年、…
1903年(明治36年)5月30日 – 1975年(昭和50年)10月9日)は大分県生まれ。小説家、文芸評論家。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。三島由紀夫と林の出会いは、1947年(昭和22年)…
昭和天皇
1905年(明治38年)6月29日 – 1985年(昭和60年)9月29日)は、日本の官僚、歌人であり随筆家である。昭和天皇の侍従・侍従長を長く務めた。堂上華族の入江家出身。歌人・柳原白蓮の甥であり、元岩崎勝商事社長・岩崎勝太郎は相政の義弟にあたる。相政は父譲り…
1895年〈明治28年〉5月26日 – 1989年〈平成元年〉9月27日)は愛知県生まれ。哲学者。法政大学総長などを務めた。ジンメル、カントの翻訳や、文芸、美術、宗教、思想などの幅広い評論活動を行った。また宮沢賢治の研究家でもあり、自ら詩も書いた。賢治については…
1889年(明治22年)7月7日 – 1957年(昭和32年)2月20日)は熊本県生まれ。内務官僚、政治家。敗戦後は大日本政治会を母体とした政党・日本進歩党の結成に尽力するが、総裁の座を巡って町田と宇垣一成の何れかにするかで党内が揉めることになった。大麻は、町田総裁実現のた…
聖武天皇
1934年 – )は兵庫県生まれ。華厳宗の僧侶・イスラム学者。文学博士。 2004年から2007年まで第218世東大寺別当・華厳宗管長を務める。現在は東大寺長老。長年にわたり仏教者の立場から国内外でイスラム教との交流を重ねてきた。
宗教家で登場した…
大正2年(1913)10月7日―平成11年〈1999〉4月15日)大阪生まれ。実業家。父が創立した美津濃(現ミズノ)に昭和17年取締役としてはいり,44年社長,63年会長。世界にさきがけて炭素繊維をゴルフクラブに採用するなど商品開発に力をいれ,海外の営業・生産拠点づくりをす…
1898-1963 長崎県生まれ。昭和時代の医師。昭和8年癌(がん)研究会康楽病院(のちの癌研付属病院)の内科部長,32年院長となる。「がんの早期発見・早期治療」をかかげて検診,治療,啓発活動をおこなう。日本癌学会会長。「私の履歴書」には、一高の名物行事、その寮友や東大の学…
1882年(明治15年)1月15日 – 1966年(昭和41年)1月22日)は東京生まれ。歌人、実業家。漢学者・貴族院議員の川田甕江の三男。会社では住友商人として主に経理畑を歩み、「住友に川田あり」の評判を得ていた。1930年(昭和5年)に理事就任後、同年一足飛…
氏は昭和21年外務省にはいり,条約局長,官房長,メキシコ大使,外務審議官をへて,58年事務次官。60年アメリカ大使となり,日米経済摩擦問題に対処した。 氏の「私の履歴書」は、初日に自らを「職業外交官」と名乗っており、記述も無難な表現ばかりで、外務省先輩で「履歴書」に登場の…
1933年2月10日- )は東京生まれ。禅僧。臨済宗相国寺派管長。初名は有馬永頼。道号及び現在の戸籍名は賴底。法諱は承黙。大龍窟とも号する。久留米藩主有馬家(赤松氏流)の子孫。東京市中野区出身。幼稚園時代は明仁上皇の学友であった[2]。1933年、有馬本家当主でありまた中央…
1916年9月27日 – 2007年3月23日)は島根県松江市生まれ。分子生物学者。1949年江上不二夫、柴谷篤弘らと研究会を作り「核酸シンポジウム」を開催。フルブライトの資金で1953年から1955年までカリフォルニア大学に留学し、バクテリオファージの研究を開…
1904年 6月4日 – 1988年7月14日)は東京生まれ。水産学者・随筆家・作曲家。農林省水産研究所技官、次いで東京大学農学部水産学科教授として魚類に関する水産学方面の研究を広く行ったことだけでなく、皇太子時代の平成天皇に生物学をたびたび御進講している。生前…
04 思い出深い政治家
04 思い出深い政治家
氏は驚いたことに幕末黒船で日本に来航したロバート・ペリー総督の親戚筋に当たる人物でした。終戦後は日本に来て、主に沖縄で詳細な地図作りに従事したとあり、後に国防長官として普天間基地の返還を決断する際、このときの生活経験が役立ったと書かれている。日本人が書く「私の履歴書」と違い…
明治29年(1896年)2月2日 – 昭和50年(1975年)12月3日)は兵庫県生まれ。外交官、実業家、政治家、外交史研究家。法学博士。鹿島建設会長。鹿島建設「中興の祖」。参議院議員を18年間務める。第1次岸内閣の国務大臣北海道開発庁長官。戦前よりアジアの地域…
1921年6月8日 – 2008年1月27日)はインドネシアの軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。インドネシアは日本が降伏した2日後の1945年8月17日にスカルノにより独立を宣言し、ペタは8月19日付けで解散したが、降伏した日本に代わって植民地支配の復活を狙った…
1906年(明治39年)2月15日 – 2010年(平成22年)8月23日)は東京生まれ。官僚。初代財務官。初代アジア開発銀行総裁。1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコ平和条約を日本が締結した時、側面からサポートし、さらにIMF・世界銀行に日本を代表し…
1900年(明治33年)9月20日 – 1987年(昭和62年)3月8日)は鹿児島生まれ。ジャーナリスト、外交官。第一高等学校を卒業したのち、島津奨学資金の援助でフランス共和国のリヨン大学法学部へ留学し同校を卒業した。1923年(大正12年)からジュネーブに駐在…
1907年〈明治40年〉2月6日 – 2004年〈平成16年〉11月6日)は兵庫県生まれ。政治家。1986年7月の第106特別国会より、第65代衆議院議長に就任。自民党が絶対多数の300議席を有するもとで、大型間接税(売上税・消費税)導入をめぐる税制改正問題や、…
1932年2月28日 – )は東京生まれ。実業家。 三洋電機元社長。昭和31年父が創業した三洋電機に入社。管理部長などをへて,60年副社長。石油ファンヒーター事故の責任をとって辞任した叔父井植薫の後任として,61年社長に就任。東京三洋電機と合併し,非家電商品の比…
1885年2月7日 – 1964年2月24日)は大阪府高槻市で生まれる。政治家・実業家。農商務省水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)に入所。その後、メキシコ万博漁業に入社し、水産技師として勤務。1917年、東洋製罐を創立。1942年、満州重工業開発…
1925年11月15日 – 2014年6月26日)はアメリカ合衆国テネシー州の生まれ。政治家、連邦上院議員(テネシー州選出、1967年 – 1985年)。上院で少数党院内総務(1977年-1981年)、多数党院内総務(1981年 – 19…
外交官、外務省官僚としてポツダム宣言の翻訳を初め、日米安全保障条約、沖縄返還、日米繊維交渉など、戦後の日米交渉に深く関与した。プロ野球のコミッショナーとしては、時代の求めていたプロ野球と野球界の近代化に手腕を振るった。
1.外務省の人員削減 第二次大戦後、政…
1887年〈明治20年〉7月28日 – 1978年〈昭和53年〉5月30日)は和歌山県生まれ。弁護士、政治家。片山は、1947年に内閣総理大臣に就任し、1949年に総選挙で落選する。1952年(昭和27年)、第25回総選挙に右派社会党から立候補してトップ当選を果…
1938年〈昭和13年〉1月14日 – )は東京生まれ。政治家、陶芸家、茶人。第79代の内閣総理大臣(1993年-1994年)を務めた。朝日新聞記者を経て、政治家となり、参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、衆議院議員(2期)、日本新党代表(初代)、…
1889年(明治22年)8月18日 – 1981年(昭和56年)9月20日)は福岡生まれ。政治家。神戸高等商業学校、東京高等商業学校専攻部在学中は相撲選手として活躍。1928年(昭和3年)、朝日新聞勤務時代に合気道創始者植芝盛平に入門、朝日新聞社内に合気道を広め…
1882年〈明治15年〉4月18日 – 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、日本の官僚・実業家。東京急行電鉄の事実上の創業者。官僚を9年務めた後に現在の東急東横線の前身である武蔵電気鉄道常務に就任。実質的な経営権を獲得し、池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川…
1912年(明治45年)5月8日 – 2003年(平成15年)7月5日)は東京生まれ。政治家。中曽根の首相在任中は派閥会長の座を預かり、派内のまとめ役に徹した。1989年、リクルート事件に関与した疑いで、中曽根が離党後も、一時期派閥を預かった。その後も櫻内は中曽…
1903年3月27日 – 1981年11月20日)は長野県生まれ。編集者、随筆家、画家。岩波書店の創業者の女婿であり、同社会長を務めた。中谷宇吉郎、初代中村吉右衛門など文化人たちとの交遊は幅広く、生涯にわたり書画を描き「吉井画廊」などで個展を十数回催した。数多く…
1885年1月27日 – 1977年10月27日)は、岐阜県出身の日本画家。妻は荻江節の5代目荻江露友。青邨は大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名である。画壇・院展を代表する画家とし…
1895年〈明治28年〉4月5日 – 1984年〈昭和59年〉1月31日)は、日本の経営者。元宇部興産会長、元経済団体連合会常任理事、元日本経営者団体連盟常任理事、元経済企画庁経済審議会専門委員、元産業機械統制会理事技術部長。中安は「宇部市の経済発展のためには空…
1912年(明治45年)7月17日 – 2005年(平成17年)10月3日、満93歳没)は東京生まれ。旧肥後熊本藩主細川家の第17代当主。1940年(昭和15年)、第2次近衛内閣で首相秘書官に就任する。1943年(昭和18年)、昭和天皇の弟宮高松宮宣仁親王の御用…
1920年2月2日 – 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て博報堂代表取締役社長を務めた。1982年聖シルベステル騎士団長勲章、1993年日本宣伝賞大賞を受賞。1975年7月より博報堂代表取締役社長の福井純一が自ら副社長に…
1884年9月15日 – 1957年12月27日)は愛媛県生まれ。政治家。1955年、自由民主党結党時の防衛庁長官。自民党では河野一郎派の客分格であったが、後輩の風下に立つのは潔しとしなかったのか、かなり金銭的に無理をして「砂田派」(宜軒会)を立ち上げた。傘下に…
1895年〈明治28年〉4月24日 – 1979年〈昭和54年〉4月12日)は栃木県生まれ。政治家。1952年(昭和27年)、第25回衆議院議員総選挙で自由党から立候補し当選、政界復帰を果たす。1955年(昭和30年)、保守合同に伴い自由民主党に参加。同年、第3…
1904年(明治37年)12月25日 – 1976年(昭和51年)1月13日)は東京府生まれ。小説家。 明治大学教授として教鞭をとるかたわら、雑誌『行動』に参加して『ダイヴィング』(『行動』1934年10月)を発表、行動主義を宣言して注目された。多くの戯曲を書い…
1880年3月22日 – 1969年1月29日)は新潟県生まれ。実業家。出版会社金港堂などを経て、1908年(明治41年)に証券業の港屋商店代表者となる。1933年(昭和8年)10月に株式会社藍澤商店(現在の藍澤證券)を設立。1940年(昭和15年)に株価対策の…
明治12(1879)年11月29日~昭和41(1966)年5月27日熊本県生まれ。実業家。大蔵省を経て、明治39年三菱合資会社に入社。大正3年本社総務部副長となり、諸規則の明文化、社史編纂などによる資料の整備、定年制の確立などに力を尽した。6年専務理事代理、14年理事に就任…
1920年(大正9年)2月20日 – 2006年(平成18年)7月25日)は京都生まれ。裁判官。裁判官生活の3分の2を法服ではなく背広姿で過ごした人は、矢口以外にはなく、事務総長をはじめ、総務・人事・行政・民事・経理と7局のうち、5局までを経験した。普通は、この…
1876年12月15日 – 1972年2月27日)は東京新宿生まれ。吉住勘四郎の子。幼名は長次郎。3代目(実兄)の養子となる。1889年12月に4代目を襲名。1902年に3代目杵屋六四郎(後の2代目稀音家浄観)とともに長唄研精会を組織し、新曲を発表、歌舞伎の附属…
明治30(1897)年1月18日~平成2(1990)年2月26日は大分県生まれ。実業家。大正10年小野田セメント入社。川内工場長、平壌支社支配人などを経て、19年取締役、22年専務、23年社長に就任。41年取締役相談役、50年相談役。この間日本セメント協会長を務めるなどセメ…
1887年〈明治20年〉7月28日 – 1978年〈昭和53年〉5月30日)は和歌山県生まれ。弁護士、政治家。片山は、1947年に内閣総理大臣に就任し、1949年に総選挙で落選する。1952年(昭和27年)、第25回総選挙に右派社会党から立候補してトップ当選を果…
1883年〈明治16年〉1月1日 – 1959年〈昭和34年〉3月7日)は東京生まれ。政治家、弁護士。1912年(大正元年)に東京市会議員に当選。1915年(大正4年)に衆議院議員に当選して以来、政党政治家として活動。1954年(昭和29年)-1956年(昭和3…
1884年9月15日 – 1957年12月27日)は愛媛県生まれ。政治家。1955年、自由民主党結党時の防衛庁長官。自民党では河野一郎派の客分格であったが、後輩の風下に立つのは潔しとしなかったのか、かなり金銭的に無理をして「砂田派」(宜軒会)を立ち上げた。傘下に…
1926年(大正15年)4月3日 – 2013年(平成25年)1月30日)は岩手県生まれ。経済学者。慶應義塾大学名誉教授。政府税制調査会会長、内閣府規制改革担当顧問、慶應義塾大学教授を務める傍ら、鈴木善幸、中曾根康弘両政権時代には第2次臨時行政調査会に加わり、土…
氏はこの「履歴書」に登場した政治家では87番目であり、直近の森喜朗(2012年12月)以来5年ぶりの登場である。
1.政治信条(外交の失敗は一国が滅びる) 氏は父親が山口県徳山市の市長を4期、衆議院議員も2期務めて、「内政の失敗は一内閣が倒れれば足りるが、外交…
1926年(大正15年)4月3日 – 2013年(平成25年)1月30日)は岩手県生まれ。経済学者。慶應義塾大学名誉教授。政府税制調査会会長、内閣府規制改革担当顧問、慶應義塾大学教授を務める傍ら、鈴木善幸、中曾根康弘両政権時代には第2次臨時行政調査会に加わり、土…
1938年〈昭和13年〉1月14日 – )は東京生まれ。政治家、陶芸家、茶人。第79代の内閣総理大臣(1993年-1994年)を務めた。朝日新聞記者を経て、政治家となり、参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、衆議院議員(2期)、日本新党代表(初代)、…
氏はこの「私の履歴書」に自民党幹事長68歳で登場された。歴代の首相経験者は、片山哲(69歳)、石橋湛山(73)、鳩山一郎(72)、岸信介(63)、田中角栄(48)、中曽根康弘(74)、福田赳夫(88)村山富市(72)、細川護熙(72)、森喜朗(75)の11名のうち、田名角栄…
1928年11月30日 – 2014年9月20日 兵庫県生まれ。 政治家、法学者。衆議院議員(12期)、日本社会党委員長(第10代)、衆議院議長(第68代)、社会民主党党首(第2代)などを歴任した。 日本における女性初の衆議院議長、政党党首である。 趣味はパチン…
1897年(明治30年)4月16日 – 1989年(平成元年)9月22日)は岡山生まれ。実業家。太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年には、大東亜大臣となった旧知の青木一男に請われ大東亜省参事官となり日本に戻る。終戦後は日本人の引揚げに従事し、中華民国当局との交…
1911年3月22日 – 1986年3月10日)は岡山生まれ。政治家。第5次吉田内閣で労働政務次官を務め、第2次池田内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長に任命され、初入閣を果たした。第1次佐藤第1次改造内閣で総理府総務長官に任命され、2度目の入閣を果たす。総理府…
1889年(明治22年)8月18日 – 1981年(昭和56年)9月20日)は福岡生まれ。政治家。神戸高等商業学校、東京高等商業学校専攻部在学中は相撲選手として活躍。1928年(昭和3年)、朝日新聞勤務時代に合気道創始者植芝盛平に入門、朝日新聞社内に合気道を広め…
1919年〈大正8年〉10月8日 – 2007年〈平成19年〉6月28日)は東京生まれ。大蔵官僚、政治家。1945年(昭和20年)8月、東久邇宮内閣が発足すると、大平正芳と共に津島壽一蔵相秘書官となる。1949年(昭和24年)には池田勇人蔵相秘書官として、講和条…
1938年〈昭和13年〉1月14日 – )は東京生まれ。政治家、陶芸家、茶人。第79代の内閣総理大臣(1993年-1994年)を務めた。朝日新聞記者を経て、政治家となり、参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、衆議院議員(2期)、日本新党代表(初代)、…
1907年〈明治40年〉2月6日 – 2004年〈平成16年〉11月6日)は兵庫県生まれ。政治家。1986年7月の第106特別国会より、第65代衆議院議長に就任。自民党が絶対多数の300議席を有するもとで、大型間接税(売上税・消費税)導入をめぐる税制改正問題や、…
1905年(明治38年)10月3日 – 1972年(昭和47年)2月17日)、長野県生まれ。小説家。貧しい農家に生まれ、12歳の頃にロシア文学を読んだことがきっかけで作家になることを決心し、上諏訪町立諏訪高等女学校(現在の長野県諏訪二葉高等学校)に首席で入学。高…
1915年2月1日 – 2005年4月27日)は香川県生まれ。実業家。日本ハム創業者で元社長。1973年には旧制高松中(現・高松高校)の先輩である三原脩の勧めにより日拓ホームフライヤーズを買収し、公募で決定した新ニックネームをつけ「日本ハムファイターズ」としてプ…
1902年10月8日 – 1992年4月20日)は石川県生まれ。内科学者。東京大学名誉教授。1946年坂口康蔵の後任として44歳で東京帝国大学医学部(後東京大学医学部)医学科内科学第三講座教授。第二内科出身者が、第三内科の教授に就任することは異例であった。自律神…
1907年〈明治40年〉7月29日 – 1977年〈昭和52年〉5月22日)は岡山生まれ。政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(4期)、日本社会党書記長、日本社会党委員長代行、日本社会党副委員長、社会市民連合代表(初代)などを歴任した。江田は日本の革新系政治家…
1910年(明治43年)9月29日 – 1996年(平成8年)1月26日)は埼玉県生まれ。政治家。衆議院議員、埼玉県知事を歴任。埼玉県知事として「新・現実主義」を打ち出し、野党である自由民主党の意見も必要に応じて取り入れ、地方自治に保守も革新もないという立場を取…
事務系の官房副長官でこの「履歴書」で登場したのは、2015年3月登場の古川貞二郎氏に次いで二人目である。石原氏は7代の内閣(竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山)に仕え、7年3ヶ月に及んだ。(なお、古川氏は5代の内閣(村山、橋本、小渕、森、小泉)に仕え、在任期間は8年7…
通産省出身で「私の履歴書」に登場したのは、両角良彦氏に次いで2番目である。省庁別登場では大蔵9(河野一之、渡辺武、柏木雄介、谷村裕、澄田智、高木文雄、長岡實、金森久雄、近藤道生)、外務6(下田武三、牛場信彦、朝海浩一郎、松永信雄、行天豊雄、松浦晃一郎)、国鉄4(十河信二、島…
1919年(大正8年)4月6日 – 2006年(平成18年)2月14日)は東京生まれ。大蔵官僚。大蔵事務次官としては、主計局長を務めずに主税局長から昇格した。田中角栄の後ろ盾により、同じく福田赳夫の後ろ盾にあった時の主計局長で同期の橋口收との次官争いは、角福戦争…
1920年2月2日 – 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て博報堂代表取締役社長を務めた。1982年聖シルベステル騎士団長勲章、1993年日本宣伝賞大賞を受賞。1975年7月より博報堂代表取締役社長の福井純一が自ら副社長に…
1904年9月16日 – 1974年6月7日)は東京生まれ。医学者。専門は放射線医学。国立がんセンター総長を務めた。癌研究会附属病院の放射線科に入りがんの放射線治療にあたる。戦後茅誠司らの薦めで放射線医学総合研究所の二代目所長となる。久留勝の引きで国立がんセンタ…
外交官、外務省官僚としてポツダム宣言の翻訳を初め、日米安全保障条約、沖縄返還、日米繊維交渉など、戦後の日米交渉に深く関与した。プロ野球のコミッショナーとしては、時代の求めていたプロ野球と野球界の近代化に手腕を振るった。
1.外務省の人員削減 第二次大戦後、政…
1905年12月10日 – 1981年7月23日)は京都府生まれ。政治家、官僚。宏池会第二代会長。第58代衆議院議長。政界有数の読書家、教養人としても知られた。小学生時代に『太平記』を読破し、蔵書は和漢、欧米の原書など約4万冊と言われる。国会内書店で月400万~…
1912年1月1日 – 1998年9月14日)は岡山県生まれ。昭和期の労働運動家、元日本労働組合総評議会議長。元宇部窒素(現・宇部興産)企画課長。春闘方式を定着させた人物。1935年に大日本特許肥料(現・三菱レイヨン)に入社するも入社4年目に重役と喧嘩をし、宇部…
1926年〈大正15年〉5月30日 -)は東京生まれ。新聞記者、実業家。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。「ナベツネ」の通称で知られる。株式会社読売新聞社社長、球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長などを歴任した。日本プロ野…
1916年(大正5年)8月21日 – 1989年(平成元年)3月20日)は東京生まれ。実業家。東京急行電鉄社長・会長。日本商工会議所会頭。五島慶太の長男。死去するまで、グループ各社の会長もしくは相談役、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、小田急電鉄の取締役の他、松竹、…
1914年9月17日 – 1996年3月28日)は山梨県生まれ。政治家。同期当選には、竹下登・安倍晋太郎・倉成正らがおり、彼らと親交を深めた(特に竹下とは、自分の長男・康信と竹下の長女・一子を結婚させ親戚関係を結ぶまでになった)。1960年の日米安保条約改定に関…
1919年10月4日 – 2017年8月11日)は新潟県生まれ。官僚。1971年、第3次佐藤内閣時代に通産事務次官に就任。日米繊維交渉の輸出自主規制の是非にあたる。田中角栄通産大臣時代から、部下であった豊島格(資源エネルギー庁長官)らと共に、田中角栄、田中清玄ら…
1924年10月6日 – 2019年12月9日)は台湾生まれ。政治家。全駐労出身。日本社会党書記長・副委員長・委員長を歴任した。社会党は、与党に対し対案を提示することは「資本主義社会の是認に繋がる」として止めてしまっていた。石橋の目的は社会党を「何でも反対するこ…
1916年9月4日 – 2008年9月7日)は、群馬県出身。戦後、大蔵省に復帰。銀行局長時代に金融効率化行政を手掛け、太陽銀行誕生に力を発揮、1969年8月から1971年6月にかけて大蔵事務次官を務めた。「大物事務次官」の要件とされる2年間の任期を全うする。同省…
1914年8月9日 – 2005年9月19日)は、日本の内務・建設・警察・防衛・自治官僚、政治家。 政界人としては遅咲きながらも、自由民主党の重鎮・御意見番として国政を支えた。その辣腕ぶりから「カミソリ後藤田」の異名を取った。
1.結婚―本土決戦覚…
1917年-1997年)中国遼寧省蓋平県(現・蓋州市)生まれ。1939年東京工業大学付属予備部に留学、同大応用化学科に進み1943年に中退して帰国。中華人民共和国成立後の1952年日本からの最初の訪中代表団を接待する。以来、中国人民外交協会理事などを歴任。1963年中国日本…
1912年(明治45年)1月23日- 2000年(平成12年)11月26日)は長野県生まれ。政治家。自由民主党の衆議院議員(16期)。外務大臣(第83-84・99代)、経済企画庁長官(第23代)、国家公安委員会委員長(初代)、労働大臣(第8代)を歴任した。引退後は国際親善な…
1883年(明治16年)2月28日 – 1973年(昭和48年)3月29日)は鳥取県生まれ。実業家、財界人である。三井物産へ入社、 1920年(大正9年)王子製紙取締役に就任 、1942年(昭和17年)同社社長就任 、1951年(昭和26年)ラジオ東京(現・TB…
1889年(明治22年)2月1日 – 1976年(昭和51年)9月11日)は福岡県生まれ。実業家。 ブリヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)の創業者であり、1966年(昭和41年)8月1日に日産自動車と合併したプリンス自動車工業の育ての親(出資者)でもある。 また…
1884年〈明治17年〉9月25日 – 1973年〈昭和48年〉4月25日)は東京生まれ。ジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。戦前は『東洋経済新報』により、一貫して日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱え、戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張して政…
1891年(明治24年)3月28日 – (昭和56年)は香川県生まれ。労働運動家、政治家。1965年(昭和40年)の日韓国会では、自民党と共に基本条約を強行採決するという荒業を見せた。1966年(昭和41年)、社会党に「民社党は第2保守党だ」と批判されると、西村…
1883年〈明治16年〉1月24日 – 1971年〈昭和46年〉8月21日)は富山県生まれ。実業家、政治家。5回にわたり中国を訪問。1970年には、周恩来首相から日中貿易継続を許される企業の条件を示された。そこで、台湾に多くの投資を行い、援助している企業との取引…
1938年〈昭和13年〉1月14日 – )は東京生まれ。政治家、陶芸家、茶人。第79代の内閣総理大臣(1993年-1994年)を務めた。朝日新聞記者を経て、政治家となり、参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、衆議院議員(2期)、日本新党代表(初代)、…
外交官、外務省官僚としてポツダム宣言の翻訳を初め、日米安全保障条約、沖縄返還、日米繊維交渉など、戦後の日米交渉に深く関与した。プロ野球のコミッショナーとしては、時代の求めていたプロ野球と野球界の近代化に手腕を振るった。
1.外務省の人員削減 第二次大戦後、政…
明治20年〈1887年〉11月6日 – 昭和55年〈1980年〉1月3日)は岡山生まれ。弁護士、政治家。衆議院議員。元衆議院議長。戦前は普通選挙運動、婦人参政権、公娼廃止に熱心な自由主義的・進歩的な立場を貫き、戦時中も議会政治擁護の立場を変えなかった。戦後は山崎…
05 生活や心に潤いをもたせてくれた人
01 作曲家・指揮者・演奏家
05 生活や心に潤いをもたせてくれた人
01 作曲家・指揮者・演奏家
1908年(明治41年)7月9日 – 2001年(平成13年)12月29日)は神奈川県生まれ。大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた指揮者。戦後の引き揚げ後は、大阪音楽学校および大阪音楽高等学校に勤務しつつ、1947年(昭和22年)4月、…
氏は、小学生のころから音楽の才能を発揮したが、学校を卒業後は商人になるためと、昼は働き、夜は大阪市立実践商業学校(現天王寺商業高校)に通うという日々を送った。姉の勧めで、好きな音楽をやりながら給金がもらえる千日前の出雲屋少年音楽隊に一番の成績で入隊する。しかしその2年後に、…
最近になく面白くて痛快な「履歴書」でした。若いとき、指を大切にしなければならないピアニスト希望が、怪我の多いラグビーが好きでのめり込む。しかし、指の骨折でピアニストを諦めたとき、音楽が好きなら指揮者になれと勧めてもらった。桐朋学園で恩師の斎藤秀雄先生に指揮を教えてもらうが、…
1930年1月29日 – 2011年4月23日)は静岡県生まれ。実業家、声楽家(バリトン歌手)。実業家として、CBS・ソニーレコード株式会社社長(初代)、ソニー商事株式会社社長、東京商工会議所副会頭、ソニー株式会社社長・最高経営責任者(初代)・会長、社団法人経済…
これまで「私の履歴書」に登場した外国人は36名いるが、彼は37番目となり音楽家(指揮者)は初めてである。日本の指揮者では、朝比奈隆、小澤征爾、岩城宏之の3人が登場している。ムーティは「履歴書」で日本を褒めすぎ少し違和感を感じた。音楽に無知な私ですが、興味深かった記述箇所を列…
1927年6月15日 – 2003年11月1日)は京都生まれ。ドラム奏者。大連の父のバンドに参加したのち、1947年に引き揚げ。同年三木鶏郎バンドに参加。米軍クラブなどで演奏活動を始め、1949年、東松二郎とアズマニアンやレイモンド・コンデとゲイ・セプテットに参…
これまで「私の履歴書」に登場した外国人は36名いるが、彼は37番目となり音楽家(指揮者)は初めてである。日本の指揮者では、朝比奈隆、小澤征爾、岩城宏之の3人が登場している。ムーティは「履歴書」で日本を褒めすぎ少し違和感を感じた。音楽に無知な私ですが、興味深かった記述箇所を列…
1928年9月17日 – 2004年10月7日)は東京生まれ。日本のクラシック音楽のピアニスト。戦後の日本の音楽界を演奏者・教育者としてリードした。レパートリーと録音・演奏回数ともに余人の及ばない域に達しており、没年の翌年にも演奏会のスケジュールが入っていた。園…
1900年12月5日 – 1968年10月27日)は岡山生まれ。実業家・教育者。戦後、1950年(昭和25年)、太平住宅を創業、社長に就任する。同社は、3割の頭金のみで家を建てる方式を確立し、日本電建、殖産住宅相互と並ぶ「割賦三社」と呼ばれた。1953年(昭和2…
最近になく面白くて痛快な「履歴書」でした。若いとき、指を大切にしなければならないピアニスト希望が、怪我の多いラグビーが好きでのめり込む。しかし、指の骨折でピアニストを諦めたとき、音楽が好きなら指揮者になれと勧めてもらった。桐朋学園で恩師の斎藤秀雄先生に指揮を教えてもらうが、…
演奏家でこの「履歴書」に登場したのは、平岡養一(木琴)、辻久子(バイオリン)、ジョージ川口(ドラム)、渡辺貞夫(トランペット)、園田高広(ピアノ)、山下洋輔(ジャズ・ピアノ)に次いで、彼女が7人目である。
1.斎藤秀雄師の助言 彼女は指揮者でありチェロの名手で…
1903年7月17日 – 1997年11月13日)は茨城県生まれ。実業家。三井不動産の復興に尽力し、社長、会長職、初代不動産協会理事長を務めた。また、東京ディズニーランド、筑波研究学園都市の建設にも力を注いだ。三井銀行の小山五郎らと共に戦後解体された三井グループ…
1917年3月2日 – 1991年4月28日)は宮城県生まれ。教育者、専門は比較文化論。元学校法人桐朋学園理事長。948年桐朋学園に勤務し、桐朋女子部教務・事務主任、1960年桐朋幼稚園・桐朋小学校・桐朋女子中学校・高等学校の専任校長となり、通信簿廃止・入学時の…
1924年4月7日 – 2001年5月17日)は東京生まれ。作曲家、エッセイスト。実業家、学者、政治家であった男爵・團伊能の子として、東京・四谷で生まれ、原宿(現:渋谷区神宮前)で育った。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡…
1908年(明治41年)7月9日 – 2001年(平成13年)12月29日)は神奈川県生まれ。大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた指揮者。戦後の引き揚げ後は、大阪音楽学校および大阪音楽高等学校に勤務しつつ、1947年(昭和22年)4月、…
1897年(明治30年)4月28日 – 1978年(昭和53年)4月25日)は鹿児島県生まれ。洋画家。夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科…
1933年2月1日 – )は栃木県宇都宮市うまれ。サックス奏者・ミュージシャン・作曲家。「ナベサダ」の愛称でジャズ・フュージョンのサックスプレーヤー・フルート奏者として活動。父親は薩摩琵琶奏者。ビング・クロスビー主演の映画「ブルースの誕生」を観て、クラリネットを…
1892年〈明治25年〉1月15日 – 1970年〈昭和45年〉8月12日)は東京生まれ。詩人、作詞家、仏文学者。早稲田大学在学中に日夏耿之介らと同人誌『聖盃』(のち『仮面』と改題)を刊行。三木露風の『未来』にも同人として参加し、1919年(大正8年)に自費出版…
明治29年(1896)7月25日~- 1986年12月16日)は広島県生まれ。住友銀行頭取、大阪テレビ放送社長、朝日放送社長、ホテルプラザ社長を歴任した実業家。住友グループの社長会である白水会の名付け親でもある。息子・鈴木雍も住友銀行に入り、住友クレジット社長に。
…1942年2月26日 – )は東京生まれ。ジャズピアニスト、作曲家、エッセイスト、作家である。ひじで鍵盤を鳴らす独自の奏法を交えながら演奏する。他分野への進出、コラボレーションにも積極的であり、『ジャズ大名』『ファザーファッカー』『カンゾー先生』などの映画音楽を…
1890年11月23日 – 1974年8月12日)は兵庫県生まれ。ロシア文学者。卒業後、鉄道院に勤めるが文学への志が強く、辞職、雑誌編集者となる。24歳の時、新潮社にいた投書仲間の加藤武雄より「罪と罰」の翻訳依頼を受け、1914年、それまで内田魯庵の英語からの重…
1921年1月20日 – 1998年6月10日)は茨城県生まれ。国民歌謡作曲家。生涯作曲数は2400曲を超える。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛けた。また、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子…
02 作詞家
02 作詞家
1921年1月20日 – 1998年6月10日)は茨城県生まれ。国民歌謡作曲家。生涯作曲数は2400曲を超える。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛けた。また、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子…
氏は作曲家として、山田耕筰、古賀政男、服部良一、吉田正、船村徹、遠藤実、團伊玖磨、小椋佳、服部克久の諸氏に次いで10番目の「私の履歴書」登場である。私(吉田)と同世代の音楽家の活動やその舞台裏を語ってくれていたので楽しく読むことができた。
1.グループ・サウン…
03 歌手
03 歌手
1939年4月 – )はタイ生まれ。欧米またアジアの数十か国の企業数百社を傘下におさめ年間総売上高数兆円を数えるCP(チャロン・ポカペン)グループ(本社・タイ)の会長兼CEO。総計数百億香港ドルとも言われる一族全体の資産ゆえにタイきっての富豪として知られるほか、…
氏は音楽評論家としては、この「履歴書」で初登場である。映画評論家では淀川長治が、作詞家では西條八十、阿久悠が登場している。氏は両親が武家出身のため、その作法で育てられたが、生き方は奔放そのものであった。8歳上の下宿人(進)の許嫁でありながら、音楽に熱狂する同世代(直也)に恋…
1936年6月27日 – )は兵庫県生まれ。美術家、グラフィックデザイナー、作家。幼少期に西脇でさまざまな超常現象を経験。死の世界に憧れを抱く。神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。1980年7月にニューヨーク近代美術館にて開催されたピカソ展に…
氏の功績は、芸能プロダクションという社会的認知度の低さを、松竹や東宝、吉本興業と同じような音楽、映画、演劇などをおこなう企業イメージに高めたことだと思う。芸能界の裏面史、発展史を語ってくれた。その中から主なものを抽出、要約する。
1.若さの勢いがあればこそでき…
これまで「私の履歴書」に登場した外国人は36名いるが、彼は37番目となり音楽家(指揮者)は初めてである。日本の指揮者では、朝比奈隆、小澤征爾、岩城宏之の3人が登場している。ムーティは「履歴書」で日本を褒めすぎ少し違和感を感じた。音楽に無知な私ですが、興味深かった記述箇所を列…
氏は、小学生のころから音楽の才能を発揮したが、学校を卒業後は商人になるためと、昼は働き、夜は大阪市立実践商業学校(現天王寺商業高校)に通うという日々を送った。姉の勧めで、好きな音楽をやりながら給金がもらえる千日前の出雲屋少年音楽隊に一番の成績で入隊する。しかしその2年後に、…
1924年10月15日- 2019年11月11日)は新潟県生まれ。日本の実業家。スポーツ用品メーカーのヨネックス株式会社創業者。
1.ヨネックスの基礎は陸軍軍需工場の銃床づくりで 氏は、尋常高等学校卒後、陸軍工廠に入り、軍需工場で銃床づくりの担当となった。ここ…
氏の功績は、芸能プロダクションという社会的認知度の低さを、松竹や東宝、吉本興業と同じような音楽、映画、演劇などをおこなう企業イメージに高めたことだと思う。芸能界の裏面史、発展史を語ってくれた。その中から主なものを抽出、要約する。
1.若さの勢いがあればこそでき…
氏の功績は、芸能プロダクションという社会的認知度の低さを、松竹や東宝、吉本興業と同じような音楽、映画、演劇などをおこなう企業イメージに高めたことだと思う。芸能界の裏面史、発展史を語ってくれた。その中から主なものを抽出、要約する。
1.若さの勢いがあればこそでき…
1923年(大正12年)3月27日 – 1996年(平成8年)9月29日)は東京都生まれ。小説家。随筆や文芸評論や戯曲も手がけた。狐狸庵先生などと称される愉快で小仙人的な世間一般の持つ印象とは異なり、実物の遠藤周作は、おしゃれで痩身長躯すらりとした体つきの作家で…
1932年〈昭和7年〉6月12日 – 2017年〈平成29年〉2月16日[1])は栃木県宇生まれ。日本の作曲家・歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。戦後歌謡界を代表する…
「履歴書」女優の登場者は、東山千栄子、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、天津乙女、長門美保、春日野八千代、ミヤコ蝶々、山本富士子、山口淑子、宮城まり子、森光子、扇千景、香川京子、有馬稲子、佐久間良子に次いで彼女で17人目となる。有馬稲子は市川崑監督、佐久間良子は鶴田浩二との不…
1938年〈昭和13年〉4月1日 – 2015年〈平成27年〉7月15日)は愛知県生まれ。経済学者。専門は比較制度分析。1964年に東京大学大学院経済学研究科修士課程を修了すると渡米しミネソタ大学に留学。ジョン・チップマン教授の指導を受け、 1967年に同大博士…
04 画家・彫刻家
04 画家・彫刻家
1897年(明治30年)7月19日(※戸籍上は1898年(明治31年)1月17日) – 1985年(昭和60年)12月24日)は愛知県生まれ。陶芸家、また陶磁史研究家。桃山時代の陶芸の研究と再現に努めたが、1960年に永仁の壺事件で古瀬戸の大規模な贋作を行ってい…
1902年12月14日 – 1993年5月17日)は香川県生まれ。昭和期の洋画家。新制作協会創立会員。 「絵を描くには勇気がいる」とよく口にし、新しいものへ挑戦し続けた彼の画業は多くの人の心を捉えている。丸亀市にある猪熊弦一郎現代美術館(設計:谷口吉生)には、猪…
1885年1月27日 – 1977年10月27日)は、岐阜県出身の日本画家。妻は荻江節の5代目荻江露友。青邨は大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名である。画壇・院展を代表する画家とし…
1927年9月24日 – 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現し、「現代の琳派」と呼ばれた。1970年代末からは水墨画にも取り組んだ
1.日本画の東西実習比較 (京都美工)はじめて足を踏み入れた…
明治33年(1900年)2月25日 – 昭和55年(1980年)10月15日)は高知県生まれ。昭和期の漢方復権に尽力した代表的な日本の医師。東洋医学の発展に貢献した業績により1978年に日本医師会より最高優功賞を日本で初めて受賞。漢方に傾倒したきっかけは、昭和2…
1896年(明治29年)4月20日 – 1986年(昭和61年)6月15日)は石川県生まれ。日本の蒔絵師。伝統工芸の復興に力を尽くす一方で並木製作所の蒔絵万年筆(ダンヒル・ナミキ)の製作指導といった新しい蒔絵の模索も行っている。漆工芸史に名を残す名匠として、「漆…
1889年〈明治22年〉2月18日 – 1990年〈平成2年〉9月25日)は東京生まれ。現代日本の代表的な日本画家の一人。号である「土牛」は、出版社を営んでいた父が寒山詩の一節「土牛石田を耕す」から引用してつけられた。院展理事長。梶田半古、小林古径に師事。刷毛で…
1926年3月20日 – 2020年12月24日)は島根県生まれ。画家・装幀家・絵本作家。元美術教員。子供の頃より画家になる夢を抱いていた。美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表した。原色や派手な…
1927年9月24日 – 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現し、「現代の琳派」と呼ばれた。1970年代末からは水墨画にも取り組んだ
1.日本画の東西実習比較 (京都美工)はじめて足を踏み入れた…
1885年1月27日 – 1977年10月27日)は、岐阜県出身の日本画家。妻は荻江節の5代目荻江露友。青邨は大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名である。画壇・院展を代表する画家とし…
1927年9月24日 – 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現し、「現代の琳派」と呼ばれた。1970年代末からは水墨画にも取り組んだ
1.日本画の東西実習比較 (京都美工)はじめて足を踏み入れた…
1889年〈明治22年〉2月18日 – 1990年〈平成2年〉9月25日)は東京生まれ。現代日本の代表的な日本画家の一人。号である「土牛」は、出版社を営んでいた父が寒山詩の一節「土牛石田を耕す」から引用してつけられた。院展理事長。梶田半古、小林古径に師事。刷毛で…
1907年(明治40年)5月6日 – 1991年(平成3年)1月29日)は北海道生まれ。小説家。小説は同時代を舞台とするもの(『猟銃』、『闘牛』、『氷壁』他)、自伝的色彩の強いもの(『あすなろ物語』、『しろばんば』他)に加え、歴史に取材したものに大別される。歴史…
1880年〈明治13年〉4月2日 – 1977年〈昭和52年〉8月1日)は、画家。日本の美術史においてフォービズムの画家と位置づけられている。しかし作風は徐々にシンプルになり、晩年は抽象絵画に接近した。富裕層の出身であるが極度の芸術家気質で貧乏生活を送り、「二科…
1882年3月2日 – 1969年7月14日)は福岡県生まれ。明治後期~昭和期の洋画家である。青木繁とは、同じ久留米の出身で、生年も同じことから、比較されたり、並べて論じられることが多い。文学青年で浪漫派だった青木に対し、坂本には学者肌のところがあり、優れた絵…
1886年(明治19年)6月5日 – 1963年(昭和38年)6月8日)は奈良生まれ。日本の陶芸家。映画監督・テレビ演出者の富本壮吉は長男にあたる。幼少より絵を学ぶ。東京美術学校に入学して建築、室内装飾を専攻。卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。その後来…
1888年6月6日 – 1981年8月1日)。長崎県生まれ。ジャーナリスト、婦人運動家、作家、翻訳家、評論家。在学中に青鞜社に参加する。青森県立女学校の教師ののち、東京日日新聞の記者となった。 1916年、金銭援助をしていた愛人の大杉栄が、新しい愛人の伊藤野枝に…
1930年8月21日 – 2018年10月20日は韓国生まれ。ファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ創業者。上皇后美智子の皇太子妃時代における専任デザイナーを務めたことで知られている。アトランタオリンピック日本選手団の公式ユニフォームや、全日空など有名企業…
1909年(明治42年)10月25日 – 1990年(平成2年)9月15日[2])は山形県生まれ。昭和時代に活躍した日本の写真家である。リアリズムに立脚する報道写真、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財を撮影し、第二次世…
1923年7月10日 – 2006年4月19日)は栃木生まれ。日本の彫刻家、現代美術家、詩人。画家を志して東京藝術大学に入学、梅原龍三郎らの教えを受け1953年に卒業した。製作者懇談会と呼ばれる美術論議のグループに所属し、芸術論の交換をしながら、戦争体験でばらば…
1899年10月3日 – 1984年3月16日)は京都府生まれ。日本画家。写生中心の画風で、動物画を得意とした。画壇に貢献。色鮮やかな背景に描く花鳥画は今でも人の目を引く。
1.師:西村五雲先生の指導 先生は京都の人で染色業の家の出である。岸派の後…
05 作家・マンガ家
05 作家・マンガ家
1885年(明治18年)5月12日 – 1976年(昭和51年)4月9日)は東京生まれ。小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、理想的な調和社会、階級闘争の無い世界とい…
1890年11月23日 – 1974年8月12日)は兵庫県生まれ。ロシア文学者。卒業後、鉄道院に勤めるが文学への志が強く、辞職、雑誌編集者となる。24歳の時、新潮社にいた投書仲間の加藤武雄より「罪と罰」の翻訳依頼を受け、1914年、それまで内田魯庵の英語からの重…
1888年(明治21年)5月4日 – 1966年(昭和41年)5月11日)は東京生まれ。経済学者(経済学博士)。東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者となる。1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)まで慶應義塾長。父は慶…
1923年11月5日、兵庫県生まれ。小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として出生。異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇。父紅緑をルーツに、自身も含めハチローら異母兄弟および子孫たちに伝わる「佐藤家の荒ぶる血」を纏めた大河小説『血脈』を十数年かけて執筆し…
1905年(明治38年)11月1日 – 1996年(平成8年)3月25日)は東京生まれ。フランス文学者、慶應義塾長、日本芸術院会員。フランス文学者としては、ボードレール研究とコクトー、サルトル、カミュ等の20世紀文学の紹介で有名である。また、慶應の仏文科の基礎を…
1920年4月18日- 2013年1月26日)は高知県生まれ。小説家。彼は部隊が南方へ出発する前々日に発熱し、翌1945年に肺結核により除隊処分となり内地送還された。なお、部隊は1944年8月にフィリピンへ動員され、同年10月から始まったレイテ島の戦いに投入されて全滅したた…
1900年10月5日 – 1969年8月19日)は福島県生まれ。小説家。横光利一に兄事し、無名時代の長い苦節を経て『厚物咲』『碑』で文壇に登場。以後作家として幅広く活躍した。後年は、戦国武将物や剣豪物を多く書いた。早稲田大学在学中に、横光利一、富ノ澤麟太郎、小島…
1885年(明治18年)5月12日 – 1976年(昭和51年)4月9日)は東京生まれ。小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、理想的な調和社会、階級闘争の無い世界とい…
1885年(明治18年)4月16日 – 1979年(昭和54年)2月22日)は愛知県生まれの俳人。高浜虚子に師事。逓信省に勤めながら俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。1928年(昭和3年)、逓信省内の俳句雑誌「若葉」の選者となり、のちに主宰誌とする。岸風…
明治12(1879)年11月29日~昭和41(1966)年5月27日熊本県生まれ。実業家。大蔵省を経て、明治39年三菱合資会社に入社。大正3年本社総務部副長となり、諸規則の明文化、社史編纂などによる資料の整備、定年制の確立などに力を尽した。6年専務理事代理、14年理事に就任…
明治26年(1893)2月2日~昭和49年(1974)7月17日、奈良県生まれ。実業家。三菱信託銀行社長。 東大卒業後。三菱合資会社に入社し、15年後に三菱信託会社に転出、信託法、信託業法に携わり、三菱信託銀行の中興の祖といわれる。
1.倉田百三と菊池寛、両君…
1922年7月13日 – 2013年6月23日)は東京生まれ。実業家、サッカー選手。マニラ支店長およびロンドン支店長、欧州三菱商事の副社長を務めた。1980年6月に三菱商事の取締役兼ロンドン支店長、1983年6月に常務取締役、1985年6月に副社長を歴任。198…
1918年(大正7年)3月5日 – 1997年(平成9年)12月25日)は東京生まれ。小説家・文芸評論家・詩人。東京帝国大学の仏文科に進学。卒業論文はネルヴァルを選ぶ。在学時に堀辰雄の知遇を得て、終生師事した。プルーストと『源氏物語』という、中村の二大文学的源泉…
1903年(明治36年)5月30日 – 1975年(昭和50年)10月9日)は大分県生まれ。小説家、文芸評論家。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。三島由紀夫と林の出会いは、1947年(昭和22年)…
1901年(明治34年)11月3日 – 1994年(平成6年)3月26日)は、京都府出身の俳人。高浜虚子に師事。昭和初期に水原秋櫻子、高野素十、阿波野青畝とともに「ホトトギスの四S」とされたが、のちに同誌を離反した秋櫻子に従い「ホトトギス」を離脱。従来の俳句には…
1928年3月27日 – 2019年6月6日 )大阪府大阪市生まれ。小説家、随筆家、文芸評論家。 純文学から次第に大衆小説へと軸足を移し、より身近な設定における恋愛小説や社会風刺的なエッセイなどを精力的に執筆する。また古典文学の流れから歴史小説、川柳にも活躍の場…
1899年(明治32年)12月25日 – 1983年(昭和58年)3月31日)は三重県生まれ。小説家。早稲田大学国文科卒。志賀直哉に師事。生活苦の中で執筆し、短編集『暢気眼鏡』で芥川賞受賞。その後大病を患い、療養生活の中で自然や生き物への観察眼を深め、身近に迫る…
1895年〈明治28年〉5月26日 – 1989年〈平成元年〉9月27日)は愛知県生まれ。哲学者。法政大学総長などを務めた。ジンメル、カントの翻訳や、文芸、美術、宗教、思想などの幅広い評論活動を行った。また宮沢賢治の研究家でもあり、自ら詩も書いた。賢治については…
1904年7月12日 – 1989年6月12日)は大阪生まれ。小説家。旧制大阪高校在学中に武田麟太郎(三高)・長沖一・林広次・神崎清らとともに同人誌『辻馬車』を発刊、1925年同誌に発表した「首」でデビューし新感覚派として目された。1927年大阪高校を卒業し東京…
1903年(明治36年)11月6日 – 1984年(昭和59年)7月30日)は北海道函館市生まれ。小説家、評論家、舞台演出家。1924年(大正13年)に開場した築地小劇場を観て演劇に熱中し、1925年に村山知義・河原崎長十郎・市川団次郎・池谷信三郎らが結成した劇…
1903年(明治36年)11月6日 – 1984年(昭和59年)7月30日)は北海道函館市生まれ。小説家、評論家、舞台演出家。1924年(大正13年)に開場した築地小劇場を観て演劇に熱中し、1925年に村山知義・河原崎長十郎・市川団次郎・池谷信三郎らが結成した劇…
1899年〈明治32年〉2月10日 – 1989年〈平成元年〉12月12日)は東京生まれ。漫画家、落語作家。昭和初期の子供漫画を代表する漫画家であり、代表作『のらくろ』ではキャラクター人気が大人社会にも波及し、さまざまなキャラクターグッズが作られるなど社会現象と…
1915年7月4日 – 2005年8月12日)は千葉県生まれ。日本銀行理事。日本銀行に入行する。日銀では調査局に勤め、内国調査課長、局次長、局長を経て1970年に理事に就任した。1974年に山一證券経済研究所理事長に転じ、1984年に会長、1985年に特別顧問と…
1925年(大正14年)11月6日 – 2015年(平成27年)3月19日)は旧関東州(満州)大連市生まれ。落語家。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語…
1891年(明治24年)12月5日 – 1968年(昭和43年)9月21日)は東京生まれ。小説家、文芸評論家、翻訳家である。明治期に活動した硯友社の小説家・広津柳浪の子。1917年(大正6年)26歳雑誌『トルストイ研究』に「怒れるトルストイ」を発表、トルストイの…
明治26年(1893)2月2日~昭和49年(1974)7月17日、奈良県生まれ。実業家。三菱信託銀行社長。 東大卒業後。三菱合資会社に入社し、15年後に三菱信託会社に転出、信託法、信託業法に携わり、三菱信託銀行の中興の祖といわれる。
1.倉田百三と菊池寛、両君…
1904年7月12日 – 1989年6月12日)は大阪生まれ。小説家。旧制大阪高校在学中に武田麟太郎(三高)・長沖一・林広次・神崎清らとともに同人誌『辻馬車』を発刊、1925年同誌に発表した「首」でデビューし新感覚派として目された。1927年大阪高校を卒業し東京…
1899年〈明治32年〉2月10日 – 1989年〈平成元年〉12月12日)は東京生まれ。漫画家、落語作家。昭和初期の子供漫画を代表する漫画家であり、代表作『のらくろ』ではキャラクター人気が大人社会にも波及し、さまざまなキャラクターグッズが作られるなど社会現象と…
1920年12月17日 – )は福岡県生まれ。洋画家。炭鉱経営者の子として生まれる。東京美術学校(現東京藝術大学)入学当時は故郷の炭鉱を制作の原風景とし、その後12年間のパリ生活を経て、抽象画へと変化した。野見山の実妹は田中小実昌の妻。田中の死去まで実の兄弟のよ…
1889年1月3日 – 1965年12月3日)は東京生まれ。政治家。右派社会党委員長、日本社会党委員長を歴任した。1955年、社会党再統一となると、委員長の座を左派社会党の鈴木茂三郎に譲り、自らは党の顧問となった。その後の河上は平和運動に邁進し、戦時中に商工大臣…
1891年(明治24年)12月5日 – 1968年(昭和43年)9月21日)は東京生まれ。小説家、文芸評論家、翻訳家である。明治期に活動した硯友社の小説家・広津柳浪の子。1917年(大正6年)26歳雑誌『トルストイ研究』に「怒れるトルストイ」を発表、トルストイの…
1905年(明治38年)10月2日 – 1986年(昭和61年) 東京、浅草生まれ。小説家。 戯曲から小説に転じ、『ひもじい月日』で登場。江戸末期の頽廃的な耽美文芸の影響を受け、抑圧された女の業や執念を描いて古典的妖艶美に到達。戦後の女流文壇の第一人者として高く…
1895年〈明治28年〉5月26日 – 1989年〈平成元年〉9月27日)は愛知県生まれ。哲学者。法政大学総長などを務めた。ジンメル、カントの翻訳や、文芸、美術、宗教、思想などの幅広い評論活動を行った。また宮沢賢治の研究家でもあり、自ら詩も書いた。賢治については…
1910年(明治43年)3月25日 – 1989年(平成元年)5月2日)は岐阜県生まれ。政治家、実業家。1967年6月、民社党書記長に就任。1969年2月には副委員長(選対委員長兼務)に昇格。1969~70年の公明党・創価学会の政教分離問題(言論出版妨害事件)で…
1899年2月28日 – 1983年11月12日)は岡山県生まれ。陶芸家。同じく陶芸家の藤原雄は長男、藤原敬介は次男。1937年、文学を断念し帰郷。翌1938年、近隣に住む正宗白鳥の弟で万葉学者の敦夫の勧めで、三村梅景に師事し備前陶芸の道を歩み始める。当時39歳…
1920年(大正9)5月9日 – 2012年(平成24)11月10日 、京都生まれ。 女優、歌手、マルチタレント、司会者。俳優の嵐寛寿郎の従妹である 1961年(昭和36年)、前年の舞台『がしんたれ』で演じた林芙美子役が脇役ながらも高い評価を受け、菊田はこれを発…
1905年(明治38年)10月3日 – 1972年(昭和47年)2月17日)、長野県生まれ。小説家。貧しい農家に生まれ、12歳の頃にロシア文学を読んだことがきっかけで作家になることを決心し、上諏訪町立諏訪高等女学校(現在の長野県諏訪二葉高等学校)に首席で入学。高…
1905年(明治38年)10月3日 – 1972年(昭和47年)2月17日)、長野県生まれ。小説家。貧しい農家に生まれ、12歳の頃にロシア文学を読んだことがきっかけで作家になることを決心し、上諏訪町立諏訪高等女学校(現在の長野県諏訪二葉高等学校)に首席で入学。高…
06 歌人・詩人・俳人
06 歌人・詩人・俳人
1921年(大正10年)2月9日 – 2009年(平成21年)9月21日)は大阪府生まれ。小説家。『愛撫』で認められ、『プールサイド小景』で芥川賞受賞。「第三の新人」の一人と目され、『静物』『タべの雲』『絵合せ』など、都市生活者の不安定な日常を、穏やかな描写と叙…
1928年(昭和3年)1月5日 – 2020年(令和2年)7月10日[1])は愛知県生まれ。日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。。父も「アララギ」の歌人である傍ら、日本陶器(現ノリタケカ…
1900年(明治33年)4月11日 – 1988年(昭和63年)9月20日)熊本県うまれ。俳人。 本名、破魔子(はまこ)。星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女とともに4Tと呼ばれた、昭和を代表する女流俳人。斉藤平四郎・テイの一人娘として生まれる。 交流のあった杉田久女…
1901年(明治34年)11月3日 – 1994年(平成6年)3月26日)は、京都府出身の俳人。高浜虚子に師事。昭和初期に水原秋櫻子、高野素十、阿波野青畝とともに「ホトトギスの四S」とされたが、のちに同誌を離反した秋櫻子に従い「ホトトギス」を離脱。従来の俳句には…
1928年(昭和3年)1月5日 – 2020年(令和2年)7月10日[1])は愛知県生まれ。日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。。父も「アララギ」の歌人である傍ら、日本陶器(現ノリタケカ…
1889年〈明治22年〉8月1日 – 1962年〈昭和37年〉3月26日)は石川県生まれ。詩人・小説家。戦後、随筆『女ひと』(1955)が好評を博してふたたび活発な活動に入る。自分と娘を描いた『杏(あんず)っ子』(1957)では読売文学賞を受賞。王朝ものの『かげ…
1928年(昭和3年)1月5日 – 2020年(令和2年)7月10日[1])は愛知県生まれ。日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。。父も「アララギ」の歌人である傍ら、日本陶器(現ノリタケカ…
1900年(明治33年)4月11日 – 1988年(昭和63年)9月20日)熊本県うまれ。俳人。 本名、破魔子(はまこ)。星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女とともに4Tと呼ばれた、昭和を代表する女流俳人。斉藤平四郎・テイの一人娘として生まれる。 交流のあった杉田久女…
1919年(大正8年)2月28日 – 2010年(平成22年)8月18日)は兵庫県生まれ。俳人。1942年、九州帝国大学法文学部経済学科卒業と同時に応召、44年から南方を転戦し、ボルネオで終戦を迎える。46年、復員。47年、佐賀県立鳥栖高等女学校教員となり、48…
1912年(明治45年)4月19日 – 1985年(昭和60年)9月12日 )は富山県生まれ。小説家。住友合資会社勤務の傍ら小説を書き始め、『英語屋さん』ほか2編で直木賞受賞。『三等重役』『停年退職』『天上大風』など、長いサラリーマン生活からの体験に基づいたユー…
1889年〈明治22年〉8月1日 – 1962年〈昭和37年〉3月26日)は石川県生まれ。詩人・小説家。戦後、随筆『女ひと』(1955)が好評を博してふたたび活発な活動に入る。自分と娘を描いた『杏(あんず)っ子』(1957)では読売文学賞を受賞。王朝ものの『かげ…
1884年(明治17年)6月16日 – 1976年(昭和51年)5月20日)は東京生まれ。自由律俳句の俳人、俳論家。「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた。1911年(明治44年)新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。河東碧梧桐もこれに加わる。この年、谷桂子と…
07 陶芸家
07 陶芸家
1917年(大正6年)9月12日 – 2005年(平成17年)1月11日)は岐阜県生まれ。陶芸家。ラスター彩、青釉、奈良三彩、ペルシア色絵、正倉院三彩などを再現。
1.ペルシャ陶器・ラスター彩 1961年7月、初めて訪れたイランで、まずペルシャ美術…
1894年(明治27年)12月9日 – 1978年(昭和53年)1月5日、本名象二)は神奈川県生まれ。主に昭和に活躍した日本の陶芸家。ほとんど手轆轤のみを使用するシンプルな造形と、釉薬の流描による大胆な模様を得意とした。柳宗悦の流れをうけて民芸運動に熱心であり、…
1886年(明治19年)6月5日 – 1963年(昭和38年)6月8日)は奈良生まれ。日本の陶芸家。映画監督・テレビ演出者の富本壮吉は長男にあたる。幼少より絵を学ぶ。東京美術学校に入学して建築、室内装飾を専攻。卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。その後来…
1899年2月28日 – 1983年11月12日)は岡山県生まれ。陶芸家。同じく陶芸家の藤原雄は長男、藤原敬介は次男。1937年、文学を断念し帰郷。翌1938年、近隣に住む正宗白鳥の弟で万葉学者の敦夫の勧めで、三村梅景に師事し備前陶芸の道を歩み始める。当時39歳…
1894年3月21日 – 1985年8月11日)は岐阜県多治見市生まれ。昭和を代表する美濃焼の陶芸家。桃山時代の志野に陶芸の原点を求め、古志野の筍絵陶片を発見した可児市久々利にある牟田洞古窯跡のある大萱に桃山時代の古窯を模した半地上式穴窯を築き、古志野の再現を目…
1911年3月14日 – 1985年10月30日)は和歌山県生まれ。実業家、野村證券元社長・会長。野村證券の国際化戦略の立役者。1968年11月に社長に就任するまで瀬川美能留とのコンビで野村證券の発展に大きく寄与した。1978年には当時54歳の田淵節也に社長職を…
1895年〈明治28年〉5月26日 – 1989年〈平成元年〉9月27日)は愛知県生まれ。哲学者。法政大学総長などを務めた。ジンメル、カントの翻訳や、文芸、美術、宗教、思想などの幅広い評論活動を行った。また宮沢賢治の研究家でもあり、自ら詩も書いた。賢治については…
08 デザイナー、生け花
08 デザイナー、生け花
ピエール・カルダン(デザイナー・実業家)1996年4月登場 1922年7月2日 – 2020年12月29日)は、イタリア・ヴェネト州サン・ビアージョ・ディ・カッラルタ生まれ。フランスのファッションデザイナー。イタリア名ピエトロ・コスタンテ・カルディン 。前衛的な…
ジャン=ポール・ゴルチエ
昭和10年〈1935〉11月28日―)神奈川県生まれ。事業家。オンワード樫山元社長。昭和33年樫山(かしやま)(現・オンワード樫山)に入社。紳士服部長などをへて38歳で創業者の後をつぎ社長となる。既製服の品揃えの豊富さで業績をのばす。生活文化企業をめざし牧場・ゴルフ場経営、…
ピエール・カルダン(デザイナー・実業家)1996年4月登場 1922年7月2日 – 2020年12月29日)は、イタリア・ヴェネト州サン・ビアージョ・ディ・カッラルタ生まれ。フランスのファッションデザイナー。イタリア名ピエトロ・コスタンテ・カルディン 。前衛的な…
氏は、この「履歴書」に登場したファッションデザイナーとして、森英恵(1994.4)、ピエール・カルダン(1996.4)、芦田淳(2009.8)、高田賢三(2016.12)、コシノ・ジュンコ(2019.8)に次いで6人目である。氏が他のデザイナーと違っているところは、自作の曲…
1908年9月29日 – 1995年3月18日)は、大阪府出身の華道家。父であった二世家元小原光雲(おはらこううん)の跡を継ぎ、いけばな小原流三世家元となる。光雲は池坊幹部であり、池坊は小原流の併用を容認していたが、光雲死後二枚看板を認めないとしたため池坊と対立…
09 アスリート
09 アスリート
1902年9月25日 – 1985年12月13日)は兵庫県うまれ。元プロゴルファー。1925年に茨木カントリー倶楽部でプロとなり、1926年に日本最古のプロトーナメント・日本プロの第1回大会で優勝。第二次世界大戦後は50歳の時に銀座に室内練習場を備えたゴルフ用品…
1931年9月22日 – 2016年1月27日)は静岡県生まれ。実業家。伊藤忠商事社長や、日本政策投資銀行社長、日本貿易会会長を務めた。タイムワーナーやファミリーマートへの出資などを行った。1994年初代日本トルクメニスタン経済委員会会長。
1.伊…
1942年8月31日 – )は千葉県我孫子市出身のプロゴルファーである。プロゴルフツアー永久シード保持者。2016年から日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長。1980年に全米オープンで準優勝、1983年には日本人で初めてPGAツアーで優勝を果たすなど、尾崎将司(…
1924年10月15日- 2019年11月11日)は新潟県生まれ。日本の実業家。スポーツ用品メーカーのヨネックス株式会社創業者。
1.ヨネックスの基礎は陸軍軍需工場の銃床づくりで 氏は、尋常高等学校卒後、陸軍工廠に入り、軍需工場で銃床づくりの担当となった。ここ…
1902年9月25日 – 1985年12月13日)は兵庫県うまれ。元プロゴルファー。1925年に茨木カントリー倶楽部でプロとなり、1926年に日本最古のプロトーナメント・日本プロの第1回大会で優勝。第二次世界大戦後は50歳の時に銀座に室内練習場を備えたゴルフ用品…
1909年(明治42年)6月2日 – 1984年(昭和59年)5月5日)は島根県生まれ。昭和初期で活躍した日本の陸上短距離選手。東京高等師範学校(現在の筑波大学)を卒業、元東京女子体育大学教授。1932年8月、吉岡は第10回ロサンゼルス五輪で、100メートル競走…
1.新弟子:13歳7ケ月で入門 小学校では体格はずば抜けていても、相撲界に入ればまるでキリギリスである。体重が足りなかったので、検査の日「とにかく朝、できるだけ食え」のアドバイスで食べる。順番を待つ間も、胃に詰まりに詰まっているものが今にも吹き出しそうになり、何度も天井に向…
1904年(明治37年)5月24日 – 1997年(平成9年)7月23日)は北海道生まれ。陸上競技選手。走幅跳の元世界記録保持者。1932年(昭和7年)8月4日のロサンゼルスオリンピックの三段跳では優勝(金メダル)の快挙を成し遂げた。また、三段跳より先に行われた…
1925年9月17日 – )は東京府生まれ。元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。 NPB史上初の本格的なフォークボーラーとされ、驚異的な変化の切れ味と落差を誇るフォークボールを自在に操り日本球界に絶大な影響を与えたことから「フォークボールの神様」と呼ば…
1909年(明治42年)6月2日 – 1984年(昭和59年)5月5日)は島根県生まれ。昭和初期で活躍した日本の陸上短距離選手。東京高等師範学校(現在の筑波大学)を卒業、元東京女子体育大学教授。1932年8月、吉岡は第10回ロサンゼルス五輪で、100メートル競走…
プロゴルファーでこの「履歴書」に登場したのは、宮本留吉(1983)、ジャック・ニクラウス(2006)、青木功(2010)、岡本綾子(2013)、トム・ワトソン(2014)、樋口久子(2016)に次いで中嶋が7番目である。そこで、世界ゴルフ殿堂にも青木、尾崎、樋口、岡本は入っ…
1.新弟子:13歳7ケ月で入門 小学校では体格はずば抜けていても、相撲界に入ればまるでキリギリスである。体重が足りなかったので、検査の日「とにかく朝、できるだけ食え」のアドバイスで食べる。順番を待つ間も、胃に詰まりに詰まっているものが今にも吹き出しそうになり、何度も天井に向…
1925年9月17日 – )は東京府生まれ。元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。 NPB史上初の本格的なフォークボーラーとされ、驚異的な変化の切れ味と落差を誇るフォークボールを自在に操り日本球界に絶大な影響を与えたことから「フォークボールの神様」と呼ば…
1932年2月9日 – )は広島県呉市生まれ。元プロ野球選手(内野手)・元監督、野球解説者(評論家)。 現役時代は読売ジャイアンツで活躍、監督としてヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた。千葉ロッテマリーンズゼネラルマネージャーを…
氏は、プロゴルファーでこの「履歴書」に登場した宮本留吉、青木功、岡本綾子、ジャック・ニクラウス、トム・ワトソンに次いで6人目であるが、女子では岡本綾子に次いで2人目である。樋口と岡本(カッコ内)との比較は、優勝回数72回(62)うち外国は3回(18)、世界殿堂入りは2003…
大正2年(1913)10月7日―平成11年〈1999〉4月15日)大阪生まれ。実業家。父が創立した美津濃(現ミズノ)に昭和17年取締役としてはいり,44年社長,63年会長。世界にさきがけて炭素繊維をゴルフクラブに採用するなど商品開発に力をいれ,海外の営業・生産拠点づくりをす…
1月の「私の履歴書」は王さんだった。S31年3月から連載して彼が784番目となる。プロ野球選手では、川上哲治、鶴岡一人、別所毅彦、西本幸雄、杉下茂、稲尾和久、野村克也、長嶋茂雄、吉田義男、広岡達朗に次いで、11人目であった。彼の対人スタイルは「万事控えめに」であった。これは…
1937年6月10日 – 2007年11月13日)は、大分県別府市生まれ。プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。シーズン42勝はヴィクトル・スタルヒンと並ぶNPB最多タイ記録、シーズン20与敬遠はNPB記録。またNPB最多記録となる投手三冠王を2回…
1933年7月26日 – )は京都府生まれ。元プロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者、野球評論家、タレントである。現役時代は「牛若丸」と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。阪神を日本一に導き、そして阪神の監督を3度経験した…
プロゴルファーでこの「履歴書」に登場したのは、宮本留吉(1983)、ジャック・ニクラウス(2006)、青木功(2010)、岡本綾子(2013)、トム・ワトソン(2014)、樋口久子(2016)に次いで中嶋が7番目である。そこで、世界ゴルフ殿堂にも青木、尾崎、樋口、岡本は入っ…
1916年7月27日 – 2000年3月7日、広島県呉市生まれ。プロ野球選手(内野手)・監督、野球解説者。1946年から1958年までは「山本 一人(やまもと かずと)」。初代「ミスターホークス」「ドン鶴岡」とも呼ばれた。南海ホークスの黄金時代を築いた名監督で、…
1937年6月10日 – 2007年11月13日)は、大分県別府市生まれ。プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。シーズン42勝はヴィクトル・スタルヒンと並ぶNPB最多タイ記録、シーズン20与敬遠はNPB記録。またNPB最多記録となる投手三冠王を2回…
1903年8月15日 – 1989年3月7日)は岡山生まれ。天台宗の僧侶(大阿闍梨)。延暦寺長﨟で初代印度山日本寺竺主および世界連邦日本宗教委員会会長を務めた。世界平和のためには宗派を超えた宗教者の連帯が必要との持論から、世界宗教サミットを開催した。南海ホークス…
氏はこの「履歴書」に登場したプロ野球の川上哲治、鶴岡一人、別所毅彦、西本幸雄、杉下茂、稲尾和久、野村克也、長嶋茂雄、吉田義男、広岡達朗、王貞治に次ぐ12人目でした。 読んでいて、氏はアウトロー、ローンウルフ(一匹狼)の性格そのものを担当記者とバッテリーを組んで独り舞台を楽し…
10 棋士(囲碁、将棋
10 棋士(囲碁、将棋
1932年(昭和7年)1月2日 – 2016年(平成28年)11月1日)は北海道生まれ。将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。弟子に羽生善治がいる。棋風は居…
1932年(昭和7年)1月2日 – 2016年(平成28年)11月1日)は北海道生まれ。将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。弟子に羽生善治がいる。棋風は居…
1905年(明治38年)2月21日 – 1986年(昭和61年)11月17日)は東京生まれ。将棋棋士。十四世名人。浅草の将棋道場で指していたところを関根金次郎に見込まれ、1916年(大正5年)にその門下になる。1917年(大正6年)には関根の紹介で大和郡山柳沢家…
1942年5月6日 – )は上海出身。中国の囲碁棋士。名誉天元。日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下。中華職業圍棋協会理事。海峯棋院設立者。元・全日本学生囲碁連盟副会長、特別顧問。名人8期、本因坊5期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など獲得タイトルは3…
氏はこの「履歴書」に登場した橋本宇太郎(囲碁9段、王座・1957.5)、瀬越憲作(名誉9段・1958.12)、高川格(名誉9段、本因坊・1961.5)、坂田栄男(名人、王座、本因坊・1964.10)、藤沢秀行(王座・1993.2)、林海峰(名誉天元・2003.7)、大竹英雄…
1905年(明治38年)2月21日 – 1986年(昭和61年)11月17日)は東京生まれ。将棋棋士。十四世名人。浅草の将棋道場で指していたところを関根金次郎に見込まれ、1916年(大正5年)にその門下になる。1917年(大正6年)には関根の紹介で大和郡山柳沢家…
1932年(昭和7年)1月2日 – 2016年(平成28年)11月1日)は北海道生まれ。将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。弟子に羽生善治がいる。棋風は居…
1942年5月6日 – )は上海出身。中国の囲碁棋士。名誉天元。日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下。中華職業圍棋協会理事。海峯棋院設立者。元・全日本学生囲碁連盟副会長、特別顧問。名人8期、本因坊5期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など獲得タイトルは3…
氏はこの「履歴書」に登場した橋本宇太郎(囲碁9段、王座・1957.5)、瀬越憲作(名誉9段・1958.12)、高川格(名誉9段、本因坊・1961.5)、坂田栄男(名人、王座、本因坊・1964.10)、藤沢秀行(王座・1993.2)、林海峰(名誉天元・2003.7)、大竹英雄…
1915年9月21日 – 1986年11月26日)は和歌山県生まれ。日本の囲碁棋士。本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格(たかがわ しゅうかく)と号し、後に二十二世本因坊を贈られる。光原伊太郎名誉八段門下。本因坊位の他にも、名人、十段等タイトル多数…
1932年(昭和7年)1月2日 – 2016年(平成28年)11月1日)は北海道生まれ。将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。弟子に羽生善治がいる。棋風は居…
1923年(大正12年)3月13日 – 1992年(平成4年)7月26日)は岡山生まれ。将棋棋士。十五世名人。棋士番号26。木見金治郎九段門下。1952年(昭和27年)、29歳の、大山は第11期名人戦で木村義雄名人に挑戦して4勝1敗で勝利、当時の、史上最年少名人…
1942年5月6日 – )は上海出身。中国の囲碁棋士。名誉天元。日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下。中華職業圍棋協会理事。海峯棋院設立者。元・全日本学生囲碁連盟副会長、特別顧問。名人8期、本因坊5期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など獲得タイトルは3…
氏はこの「履歴書」に登場した橋本宇太郎(囲碁9段、王座・1957.5)、瀬越憲作(名誉9段・1958.12)、高川格(名誉9段、本因坊・1961.5)、坂田栄男(名人、王座、本因坊・1964.10)、藤沢秀行(王座・1993.2)、林海峰(名誉天元・2003.7)、大竹英雄…
氏はこの「履歴書」に登場した橋本宇太郎(囲碁9段、王座・1957.5)、瀬越憲作(名誉9段・1958.12)、高川格(名誉9段、本因坊・1961.5)、坂田栄男(名人、王座、本因坊・1964.10)、藤沢秀行(王座・1993.2)、林海峰(名誉天元・2003.7)、大竹英雄…
06 芸術・文化を豊かにした人 (映画人、演劇、演出家、歌舞伎、文楽、能楽など)
01 映画監督
06 芸術・文化を豊かにした人 (映画人、演劇、演出家、歌舞伎、文楽、能楽など)
01 映画監督
チャップリン
1909年(明治42年)4月10日 – 1998年11月11日)は兵庫県生まれ。雑誌編集者、映画解説者、映画評論家。約32年に渡って務めた『日曜洋画劇場』の解説の締め括りに「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」と強調して言う独特の語り口から全国的に有名になった。19…
伊丹十三
この「履歴書」に登場した男優は、市川右太衛門、森繫久彌、長谷川一夫、東野英治郎、池部良、笠智衆、仲代達矢、加山雄三に次いで9番目である。全ての登場人物は、自分が主語で一人称記述であるが、例外は栗田淳一(日本石油)が自分を「淳」と呼び、山﨑氏も「努君」と三人称で呼び、客観的に…
衣笠貞之助
1931年12月11日 – )は、日本の女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159cm。日本のミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代グランプリ受賞者である。ミス日本になってから3年後の1953年、映画会社の争奪戦の末、大映に入社。契約内容は…
溝口健二
1931年12月5日、茨城県生まれ。日本の大手映画会社間の五社協定ができる前の1953年にフリーになったおかげで、各映画会社の映画黄金期の多くの巨匠たちの作品に出演するという幸運に恵まれている。この多くの巨匠の様々な役に自身がキャスティングされたことについて、本人は個性のな…
1909年11月29日 – 1977年3月21日 山口県下関生まれ。女優、映画監督。 1924年に松竹下賀茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の「元禄女」でデビュー。 その後、蒲田撮影所へ移籍し五所平之助監督「恥ずかしい夢」で好評を博した後は、生涯250本あまりの映画…
今村昌平
1920年7月6日 – 2000年10月12日 東京小伝馬町生まれ。芸好きの父の影響で7歳のとき、初舞台を踏み、あらゆる芸をやった。詩、踊り、芝居、漫才などで、20歳を過ぎてからは大阪に腰を据え、漫才とテレビの司会と芝居に打ち込んだ。脚本・演出・主演と一人三役も…
山田洋次
彼女は、女優としては年齢順に東山千栄子、水谷八重子、杉村春子、田中絹代、ミヤコ蝶々、山口淑子、森光子、香川京子、山本富士子、岸恵子、吉行和子、佐久間良子、浅丘ルリ子に次いで14番目の登場である。歌劇団出身は、宝塚が天津乙女、春日野八千代、有馬稲子、扇千景の4人に対し、松竹(…
1920年7月6日 – 2000年10月12日 東京小伝馬町生まれ。芸好きの父の影響で7歳のとき、初舞台を踏み、あらゆる芸をやった。詩、踊り、芝居、漫才などで、20歳を過ぎてからは大阪に腰を据え、漫才とテレビの司会と芝居に打ち込んだ。脚本・演出・主演と一人三役も…
1904年(明治37年)5月13日 – 1993年(平成5年)3月16日)は熊本県生まれ。俳優。1925年(大正14年)に松竹に入社し、10年間ほど大部屋俳優として過ごした後、小津安二郎監督に見いだされ、彼の『大学よいとこ』で助演。以降『晩春』『東京物語』など、…
成瀬巳喜男
1931年12月5日、茨城県生まれ。日本の大手映画会社間の五社協定ができる前の1953年にフリーになったおかげで、各映画会社の映画黄金期の多くの巨匠たちの作品に出演するという幸運に恵まれている。この多くの巨匠の様々な役に自身がキャスティングされたことについて、本人は個性のな…
1909年11月29日 – 1977年3月21日 山口県下関生まれ。女優、映画監督。 1924年に松竹下賀茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の「元禄女」でデビュー。 その後、蒲田撮影所へ移籍し五所平之助監督「恥ずかしい夢」で好評を博した後は、生涯250本あまりの映画…
谷口千吉
1918年2月11日 – 2010年10月8日)は東京市生まれ。俳優・随筆家。甘いマスクとスマートさで「万年青年」の異名をとった。父は風刺・風俗漫画家として一世を風靡した池部鈞、母は画家・漫画家岡本一平の妹。芸術家の岡本太郎は従兄。シナリオライターを目指しただけ…
1907年9月17日 – 1994年9月8日)は群馬県生まれ。俳優、随筆家。新築地劇団を経て1944年(昭和19年)、小沢栄太郎、千田是也、青山杉作、東山千栄子らと共に俳優座を結成。同時に日本移動演劇連盟に加入し、芙蓉隊を組織して地方を巡演する。戦後、俳優座の中…
1937年〈昭和12年〉4月11日 – )は神奈川県生まれ。俳優、シンガーソングライター。タレント業のほか、音楽家としてギタリスト・ピアニスト・ウクレレ奏者、画家としても活動している。父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。母方の高祖父は明…
田坂具隆
1939年2月24日 ~ 、東京市生まれ 女優。1957年に東映ニューフェイス第4期で水着審査を拒否したが補欠合格し、東映へ入社。同期には水木襄・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍らがいる。俳優座養成所で半年間、研修を受ける。東映の看板女優として活躍。 舞…
島津保次郎
1912年12月5日 – 1998年12月30日)は静岡生まれ。映画監督、脚本家。真面目で抒情的な作風で知られ、数多くの映画を制作した後、テレビ・ドラマにも進出した。弟は作曲家の木下忠司、妹は脚本家の楠田芳子。ジャンルは多様だが、大まかに分けると『二十四の瞳』な…
1918年2月11日 – 2010年10月8日)は東京市生まれ。俳優・随筆家。甘いマスクとスマートさで「万年青年」の異名をとった。父は風刺・風俗漫画家として一世を風靡した池部鈞、母は画家・漫画家岡本一平の妹。芸術家の岡本太郎は従兄。シナリオライターを目指しただけ…
02 俳優
02 俳優
氏は有名家族、父・エイスケ、母・あぐり、兄・淳之介、妹・理恵さんをこの「履歴書」でいろいろ詳しく語ってくれました。昨年5月の岸恵子さんに続いて20番目の女優登場となりますが、とにかく監督、プロデューサー、脚本家、舞台演出家など、宇野重吉、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、朝倉摂、…
1907年9月17日 – 1994年9月8日)は群馬県生まれ。俳優、随筆家。新築地劇団を経て1944年(昭和19年)、小沢栄太郎、千田是也、青山杉作、東山千栄子らと共に俳優座を結成。同時に日本移動演劇連盟に加入し、芙蓉隊を組織して地方を巡演する。戦後、俳優座の中…
1932年10月20日[1] – 2015年7月3日)は、日本の財界人、フリープロデューサー、芸能プロモーター。吉本興業の代表取締役社長、会長、名誉会長を務めた。1955年5月、吉本興業に入社し、駆け出し時代は人気漫才師の花菱アチャコ、大村崑などのマネージャーを…
1905(M38)― 1979年 東京神楽坂生まれ ・芸術座で、新劇の子役として出発、のち新派に加わる。花柳章太郎亡きあと新派を支え、演劇界を代表する女優の一人となった。 ・八重子が6歳のとき時計商の父が死に、姉の嫁ぎ先水谷竹紫(恩人)宅に母と一緒に移る。竹紫は早稲田の坪内…
1909年11月29日 – 1977年3月21日 山口県下関生まれ。女優、映画監督。 1924年に松竹下賀茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の「元禄女」でデビュー。 その後、蒲田撮影所へ移籍し五所平之助監督「恥ずかしい夢」で好評を博した後は、生涯250本あまりの映画…
1886年(明治19年)7月12日 – 1971年(昭和46年)4月3日)は東京生まれ。大正から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。主に関西歌舞伎を中心に舞台を務め、初代中村鴈治郎・中村魁車・三代目中村梅玉らの死後は、三代目阪東壽三郎と並んで「双壽時代」と呼ばれる一…
彼女は、女優としては年齢順に東山千栄子、水谷八重子、杉村春子、田中絹代、ミヤコ蝶々、山口淑子、森光子、香川京子、山本富士子、岸恵子、吉行和子、佐久間良子、浅丘ルリ子に次いで14番目の登場である。歌劇団出身は、宝塚が天津乙女、春日野八千代、有馬稲子、扇千景の4人に対し、松竹(…
1924年3月2日 – 2011年5月9日)は広島生まれ。映画プロデューサー。東映・東急レクリエーション社長、東映会長、同名誉会長、同相談役を経て2006年7月から再び東映名誉会長。東映”中興の祖”で、松竹の城戸四郎、東宝の森岩雄が一線を…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1886年(明治19年)7月12日 – 1971年(昭和46年)4月3日)は東京生まれ。大正から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。主に関西歌舞伎を中心に舞台を務め、初代中村鴈治郎・中村魁車・三代目中村梅玉らの死後は、三代目阪東壽三郎と並んで「双壽時代」と呼ばれる一…
1920年7月6日 – 2000年10月12日 東京小伝馬町生まれ。芸好きの父の影響で7歳のとき、初舞台を踏み、あらゆる芸をやった。詩、踊り、芝居、漫才などで、20歳を過ぎてからは大阪に腰を据え、漫才とテレビの司会と芝居に打ち込んだ。脚本・演出・主演と一人三役も…
1886年(明治19年)7月12日 – 1971年(昭和46年)4月3日)は東京生まれ。大正から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。主に関西歌舞伎を中心に舞台を務め、初代中村鴈治郎・中村魁車・三代目中村梅玉らの死後は、三代目阪東壽三郎と並んで「双壽時代」と呼ばれる一…
彼女は、女優としては年齢順に東山千栄子、水谷八重子、杉村春子、田中絹代、ミヤコ蝶々、山口淑子、森光子、香川京子、山本富士子、岸恵子、吉行和子、佐久間良子、浅丘ルリ子に次いで14番目の登場である。歌劇団出身は、宝塚が天津乙女、春日野八千代、有馬稲子、扇千景の4人に対し、松竹(…
1923年(大正12年)4月19日 – )は京都府生まれ。茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。若宗匠時代は宗興。現在は大宗匠・千玄室と称する。「玄室」の名は、千家4代目の仙叟宗室が宗室襲名前に玄室と名乗っており、これに因んで12代直叟宗室が隠居した際に玄室を名乗った…
彼女は、女優としては年齢順に東山千栄子、水谷八重子、杉村春子、田中絹代、ミヤコ蝶々、山口淑子、森光子、香川京子、山本富士子、岸恵子、吉行和子、佐久間良子、浅丘ルリ子に次いで14番目の登場である。歌劇団出身は、宝塚が天津乙女、春日野八千代、有馬稲子、扇千景の4人に対し、松竹(…
氏は有名家族、父・エイスケ、母・あぐり、兄・淳之介、妹・理恵さんをこの「履歴書」でいろいろ詳しく語ってくれました。昨年5月の岸恵子さんに続いて20番目の女優登場となりますが、とにかく監督、プロデューサー、脚本家、舞台演出家など、宇野重吉、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、朝倉摂、…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
日経「私の履歴書」に登場した男優は今まで12名いますが、彼のように国内外の映画の主演賞受け、かつ文化勲章も受けている人はいません。彼が「日本映画の黄金時代」 PHP新書(春日太一著)に映画や舞台の思いや内情を語ってくれています。私が知らない情報を下記に抽出しました。彼は日活…
1931年12月11日 – )は、日本の女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159cm。日本のミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代グランプリ受賞者である。ミス日本になってから3年後の1953年、映画会社の争奪戦の末、大映に入社。契約内容は…
1931年12月5日、茨城県生まれ。日本の大手映画会社間の五社協定ができる前の1953年にフリーになったおかげで、各映画会社の映画黄金期の多くの巨匠たちの作品に出演するという幸運に恵まれている。この多くの巨匠の様々な役に自身がキャスティングされたことについて、本人は個性のな…
1901年6月8日 – 1974年2月19日)は東京生まれ。画家、美術考証家。連載小説の挿絵を多く手がけ、数多くの雑誌・書籍の表紙で「専太郎張り」と呼ばれる画風の美人画を発表した。昭和の挿絵の第一人者として知られる。妹は女優の湊明子。菊池契月、伊東深水に師事する…
1920年7月6日 – 2000年10月12日 東京小伝馬町生まれ。芸好きの父の影響で7歳のとき、初舞台を踏み、あらゆる芸をやった。詩、踊り、芝居、漫才などで、20歳を過ぎてからは大阪に腰を据え、漫才とテレビの司会と芝居に打ち込んだ。脚本・演出・主演と一人三役も…
1939年2月24日 ~ 、東京市生まれ 女優。1957年に東映ニューフェイス第4期で水着審査を拒否したが補欠合格し、東映へ入社。同期には水木襄・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍らがいる。俳優座養成所で半年間、研修を受ける。東映の看板女優として活躍。 舞…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1915年(大正4年)8月31日 – 1995年(平成7年)3月24日)は東京生まれ。歌舞伎役者。屋号は音羽屋。幼時から六代目菊五郎の薫陶を受け、その芸系を受継いだ。1948年(昭和23年)に六代目尾上梅幸未亡人のたっての希望で七代目尾上梅幸を襲名。七代目尾上菊…
1913年(大正2年)3月28日 – 1989年(平成元年)6月25日)は東京・日本橋浜町に生れ。歌舞伎役者。屋号は音羽屋。六代目尾上菊五郎の薫陶を受け、恰幅のいい体つきで時代・世話を問わず立役として活躍した。踊りの名手としても知られ、日本舞踊藤間流の家元として…
03 女優
03 女優
ピエール・カルダン(デザイナー・実業家)1996年4月登場 1922年7月2日 – 2020年12月29日)は、イタリア・ヴェネト州サン・ビアージョ・ディ・カッラルタ生まれ。フランスのファッションデザイナー。イタリア名ピエトロ・コスタンテ・カルディン 。前衛的な…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
氏は有名家族、父・エイスケ、母・あぐり、兄・淳之介、妹・理恵さんをこの「履歴書」でいろいろ詳しく語ってくれました。昨年5月の岸恵子さんに続いて20番目の女優登場となりますが、とにかく監督、プロデューサー、脚本家、舞台演出家など、宇野重吉、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、朝倉摂、…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1931年 〈 昭和 6年〉 3月16日 – 2018年 〈 平成 30年〉 10月3日 )は愛媛県生まれ。 実業家 。 父が経営する家業の国光製紙(現ユニ・チャーム国光ノンウーヴン)専務を経て、1961年大成化工(現ユニ・チャーム)を設立し、同社代表取締役社長…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1937年〈昭和12年〉4月11日 – )は神奈川県生まれ。俳優、シンガーソングライター。タレント業のほか、音楽家としてギタリスト・ピアニスト・ウクレレ奏者、画家としても活動している。父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。母方の高祖父は明…
1912年12月5日 – 1998年12月30日)は静岡生まれ。映画監督、脚本家。真面目で抒情的な作風で知られ、数多くの映画を制作した後、テレビ・ドラマにも進出した。弟は作曲家の木下忠司、妹は脚本家の楠田芳子。ジャンルは多様だが、大まかに分けると『二十四の瞳』な…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1897年(明治30年)10月9日 – 1973年(昭和48年)4月30日)は神奈川県生まれ。小説家・作家。『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名な他、歴史小説、現代小説、ノンフィクション、新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた。「坂本龍馬」「桂小五…
1905(M38)― 1979年 東京神楽坂生まれ ・芸術座で、新劇の子役として出発、のち新派に加わる。花柳章太郎亡きあと新派を支え、演劇界を代表する女優の一人となった。 ・八重子が6歳のとき時計商の父が死に、姉の嫁ぎ先水谷竹紫(恩人)宅に母と一緒に移る。竹紫は早稲田の坪内…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1899年(明治32年)10月1日 – 1985年(昭和60年)6月9日)は東京市浅草区生まれ。日本の小説家、劇作家。芸道物、明治物、時代物、現代風俗物と広く執筆。巧みな筋立てと独自の話術で庶民情緒を描いた大衆小説で多くの読者を獲得した。また、松田昌一の名で映画…
1912年12月5日 – 1998年12月30日)は静岡生まれ。映画監督、脚本家。真面目で抒情的な作風で知られ、数多くの映画を制作した後、テレビ・ドラマにも進出した。弟は作曲家の木下忠司、妹は脚本家の楠田芳子。ジャンルは多様だが、大まかに分けると『二十四の瞳』な…
1920年7月6日 – 2000年10月12日 東京小伝馬町生まれ。芸好きの父の影響で7歳のとき、初舞台を踏み、あらゆる芸をやった。詩、踊り、芝居、漫才などで、20歳を過ぎてからは大阪に腰を据え、漫才とテレビの司会と芝居に打ち込んだ。脚本・演出・主演と一人三役も…
1920年(大正9)5月9日 – 2012年(平成24)11月10日 、京都生まれ。 女優、歌手、マルチタレント、司会者。俳優の嵐寛寿郎の従妹である 1961年(昭和36年)、前年の舞台『がしんたれ』で演じた林芙美子役が脇役ながらも高い評価を受け、菊田はこれを発…
1895年(明治28年)9月25日 – 1982年(昭和57年)9月22日)は宮城県生まれ。実業家。1919年(大正8年)に大阪電燈に入社。大阪電燈が大阪市営になって後は大同電力に移り、第二次世界大戦時に設立された日本発送電東北支店長・東北配電社長を歴任し電力事業に一貫して…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
この「履歴書」に登場した映画監督は、衣笠貞之助(1964.4)、木下恵介(1987.9)、市川崑(1989.2)に次いで、氏(1996.10)が4人目である。氏は、14年間もの中国生活の経験と戦後の日本社会を広く深く見つめて、人を見る目が優しく温かい。人に対する感性がとても…
1920年〈大正9年6月8日 – 2003年〈平成15年〉1月16日)は東京生まれ。写真家。女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍…
1912年12月5日 – 1998年12月30日)は静岡生まれ。映画監督、脚本家。真面目で抒情的な作風で知られ、数多くの映画を制作した後、テレビ・ドラマにも進出した。弟は作曲家の木下忠司、妹は脚本家の楠田芳子。ジャンルは多様だが、大まかに分けると『二十四の瞳』な…
1926年1月8日 – 島根県生まれ。森は日本を代表するファッションデザイナーのひとりであり、1970年代から1980年代にかけて特に女性から強く支持された。 1965年にニューヨーク・コレクションに初参加。蝶をモチーフにした女性的でエレガントなドレスが受け、…
1920年7月6日 – 2000年10月12日 東京小伝馬町生まれ。芸好きの父の影響で7歳のとき、初舞台を踏み、あらゆる芸をやった。詩、踊り、芝居、漫才などで、20歳を過ぎてからは大阪に腰を据え、漫才とテレビの司会と芝居に打ち込んだ。脚本・演出・主演と一人三役も…
04 劇作家・脚本家
04 劇作家・脚本家
この「履歴書」に登場した映画監督は、衣笠貞之助(1964.4)、木下恵介(1987.9)、市川崑(1989.2)に次いで、氏(1996.10)が4人目である。氏は、14年間もの中国生活の経験と戦後の日本社会を広く深く見つめて、人を見る目が優しく温かい。人に対する感性がとても…
1905年(明治38年)10月2日 – 1986年(昭和61年) 東京、浅草生まれ。小説家。 戯曲から小説に転じ、『ひもじい月日』で登場。江戸末期の頽廃的な耽美文芸の影響を受け、抑圧された女の業や執念を描いて古典的妖艶美に到達。戦後の女流文壇の第一人者として高く…
1894年(明治27年)1月31日 – 1994年(平成6年)3月24日)は東京生まれ。小説家、随筆家、俳人。慶應義塾大学文学部在学中に、『三田文学』主幹で西洋美術史家の澤木四方吉から教えを受け、『三田文学』で作品を発表し始める。1916年に先輩作家の文章につい…
1886年(明治19年)10月8日 – 1960年(昭和35年)11月19日)は東京生まれ。大正期・昭和期の著作家、歌人、脚本家である。華族(伯爵)でもあった。大学を中退した1908年の年末、耽美派の拠点となる「パンの会」を北原白秋、木下杢太郎、石井柏亭らと結成…
1890年9月30日 – 1980年5月8日 千葉県生まれ。司法官で後に貴族院議員を務めた渡辺暢の次女で、10人兄妹の3番目。生家は代々佐倉藩の城代家老を務めていた。1899年(明治32年)、母方の伯父である法学者の寺尾亨の養女となり、東京市麹町区富士見町に転居…
1889年12月3日 – 1972年5月28日)は島根県生まれ。ジャーナリスト、時事評論家。第二次世界大戦前は中外商業新報(後の日本経済新聞)の記者で[1]、経済部長、編集局長、社長を歴任、戦後はTBSテレビの座談会番組「時事放談」のレギュラー出演者として有名だ…
1889年6月9日 – 1967年11月15日)は長野県生まれ。演劇学者。文学博士。早稲田大学に在学中、坪内逍遥の文芸協会演劇研究所に入り、俳優、演出助手を務める。1911年、逍遥の推薦で河竹黙阿弥の娘・糸女の養子となる。1923年、早稲田大学講師、のち教授。演…
1877年(明治10年)6月8日 – 1967年(昭和42年)4月12日)は長野県生まれ。歌人、国文学者。「明星」的ロマンティシズムから始まり、自然主義文学の潮流を短歌に導入した。30代以降は日常生活の些事を詠み続け、「境涯詠」と呼ばれるようになる。近代歌人とし…
1889年12月3日 – 1972年5月28日)は島根県生まれ。ジャーナリスト、時事評論家。第二次世界大戦前は中外商業新報(後の日本経済新聞)の記者で[1]、経済部長、編集局長、社長を歴任、戦後はTBSテレビの座談会番組「時事放談」のレギュラー出演者として有名だ…
05 興行主・演出家
05 興行主・演出家
1931年12月11日 – )は、日本の女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159cm。日本のミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代グランプリ受賞者である。ミス日本になってから3年後の1953年、映画会社の争奪戦の末、大映に入社。契約内容は…
この「履歴書」登場の女優では、東山千栄子、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、天津乙女、長門美保、春日野八千代、ミヤコ蝶々、山本富士子、(山口淑子)、宮城まり子、森光子、(扇千景)、香川京子、有馬稲子、佐久間良子、浅丘ルリ子に次いで、彼女が18番目になる。宝塚歌劇からは4人(天…
3月の日経「私の履歴書」は宮城まり子さんでした。女優では、東山千栄子、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、天津乙女、長門美保、春日野八千代、ミヤコ蝶々、山本富士子、(山口淑子)、宮城まり子、森光子、(扇千景)、香川京子、有馬稲子、佐久間良子、浅丘ルリ子、草笛光子の18人である。…
1920年(大正9)5月9日 – 2012年(平成24)11月10日 、京都生まれ。 女優、歌手、マルチタレント、司会者。俳優の嵐寛寿郎の従妹である 1961年(昭和36年)、前年の舞台『がしんたれ』で演じた林芙美子役が脇役ながらも高い評価を受け、菊田はこれを発…
女流作家でこの「履歴書」に登場したのは、平林たい子、円地文子、瀬戸内寂聴、佐藤愛子、田辺聖子、平岩弓枝の6人であるが、脚本家は橋田が初めてである。彼女は新聞をよく読み、中でも投書欄は欠かさない。またラジオの人生相談番組にも耳を澄ませる。今の日本人が、年代や境遇によって何を考…
1925年(大正14年)8月30日- 2006年(平成18年)12月13日)は東京生まれ。日本の実業家。松竹社長・会長。1951年(昭和26年)1月の東京・歌舞伎座の再開と同時にその監事室に配属され、松竹創業者の一人である大谷竹次郎の下で、6代目中村歌右衛門襲名披露興行など…
1929年(昭和4年)6月4日 – 2011年(平成23年)1月3日)は、歌舞伎役者。父は四代目中村富十郎、母は日本舞踊吾妻流家元の吾妻徳穂。生前は随一の立方、踊りの名手として知られた。若年時、上方を中心に活躍した際には、二代目中村扇雀とともに、その美貌から「扇…
大正8年(1919年)12月28日 – 平成25年(2013年)5月23日)は京都生まれ。三世の長男。1924年、茂山以呂波を名乗って初舞台。戦時中召集され、戦後舞台に復帰。1966年、十二世茂山千五郎を襲名する。1994年、四世茂山千作を襲名。2007年、狂言…
1932年10月20日[1] – 2015年7月3日)は、日本の財界人、フリープロデューサー、芸能プロモーター。吉本興業の代表取締役社長、会長、名誉会長を務めた。1955年5月、吉本興業に入社し、駆け出し時代は人気漫才師の花菱アチャコ、大村崑などのマネージャーを…
06 文楽
06 文楽
1933年(昭和8年)8月8日 – )は大阪府生まれ。人形浄瑠璃文楽の人形遣い、文楽を代表する立女形として有名。父は二代目桐竹紋太郎、1940年6月に三代目吉田文五郎に入門し1942年3月に桐竹紋二郎と名乗る。翌年初舞台。1948年8月に二代目桐竹紋十郎門下とな…
(1924年10月28日 – 2018年4月28日)は大阪生まれ。6代目の養子。義太夫節の太夫。2代目豊竹古靱太夫(のちの豊竹山城少掾)に入門。1960年、9代目竹本文字太夫を襲名、1985年、7代目住太夫を襲名、同年、モービル音楽賞(邦楽部門)受賞。1989年…
1919年1月7日 – 2006年9月24日)は大阪生まれ。文楽人形浄瑠璃の人形遣い。立役(男役)。戦中二度出征。戦後『曽根崎心中』の徳兵衛役が当たり役となり、生涯で1136回務めた。抑制の効いた、理知的な動きの中に、秘めた情感や品良き色香を表現し、その技は最高…
07 落語家
07 落語家
1931年1月28日 – 2011年7月26日)は大阪生まれ。小説家。星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれ、日本SF界を代表するSF作家でありながら戦後の日本を代表する小説家でもあった。広範囲で深い教養を備えた知識人であり、その活動範囲は幅広く膨大なジャ…
1894年4月13日 – 1971年8月1日)は島根県生まれ。弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。文筆にも優れ、「新青年」などにユーモア小説…
1915年1月2日 – 2002年5月16日)は長野県生まれ。落語家、剣道家、俳優。1995年、落語家として初の人間国宝に認定された。剣道の段位は範士七段。性格は非常に穏やかなもので、真打昇進の制度を作ったのも「落語家の生活がよくなるように」 という願いからであ…
07 無私な人
07 無私な人
1900年(明治33年)11月28日 – 1982年(昭和57年)5月23日)は岐阜生まれ。農民運動家、政治家。衆議院副議長。新潟3区では田中角栄の好敵手であった。田中は三宅(日農)支持者に食い込む形で勢力を拡大するが、三宅も根強い支持層で対抗した。ロッキード事…
1885年11月18日 – 1964年10月11日)は大阪府生まれ。大正・昭和期の政治家・農民運動家。牧師。1909年卒業後、仙台市の東六番丁教会の牧師に招聘される。さらに福島県小高町の小高教会に移り、ここで月給1円50銭で牧師を務める傍ら、種苗・農機具・肥料の…
明治19年5月26日 (1886)~昭和41年(1966)12月6日、静岡県生まれ。明治41年(1908)早稻田大學政治経済科を卒業し後、実業界に入り現・遠州銀行常務取締役の外、濱松貯蓄銀行常務取締役、濱松合同運送、遠州保險代辨各(株)取締役、地方銀行協会会長、日銀政策委員…
1899年〈明治32年〉1月20日 – 1990年〈平成2年〉7月23日)は静岡県生まれ。工学者、日本ビクター元副社長・技術最高顧問。静岡大学名誉教授。日本のテレビの父と呼ばれる。大正天皇が崩御した1926年12月25日、高柳はブラウン管による電送・受像に世界で…
1884年(明治17年)4月14日 – 1981年(昭和56年)10月3日)は愛媛県生まれ。鉄道官僚、政治家。71歳という高齢でありながら、1955年5月20日に第4代日本国有鉄道総裁に就任した。翌1956年(昭和31年)には、産業計画会議委員(議長・松永安左エ…
1898年(明治31年)1月16日 – 1979年(昭和54年)9月30日)は岩手県生まれ。官僚、政治家。岸信介の腹心として満州国の運営に関わり、また商工次官として統制経済を推進、軍需次官も務めた。戦後は政界入りし、内閣官房長官(岸内閣)、通商産業大臣(21代・…
明治39年(1906)5月13日-平成5年(1993)4月18日)千葉県生まれ。昭和時代の銀行家。昭和4年第一銀行にはいり,専務,副頭取をへて37年頭取となる。39年朝日銀行を吸収合併。44年会長として三菱銀行との合併計画を白紙にもどし,頭取に復帰。46年日本勧業銀行との合…
1926年5月9日 – 2001年8月19日)は鳥取県鳥取市生まれ。生態学者、人類学者、霊長類学者。当初は大分県高崎山のニホンザルの生態研究を行い、その後、1950年代末からアフリカにおいてチンパンジーやゴリラの生態を追い続け、これら霊長類の世界に大きな社会構造…
1898年(明治31年)1月16日 – 1979年(昭和54年)9月30日)は岩手県生まれ。官僚、政治家。岸信介の腹心として満州国の運営に関わり、また商工次官として統制経済を推進、軍需次官も務めた。戦後は政界入りし、内閣官房長官(岸内閣)、通商産業大臣(21代・…
1912年8月16日 – 1997年6月19日)は東京生まれ。日本の鉄道官僚、第6代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1969年-1973年)。永井岩之丞の孫。作家・三島由紀夫の父・平岡梓は従兄にあたる。大学卒業後、鉄道省に入るが退職。敗戦後に鉄道界へ復帰。下山定則…
1921年〈大正10年〉2月14日- 平良敏子(たいらとしこ)は沖縄生まれの染織家で、戦争で途絶えてしまった芭蕉布(ばしょうふ)を再興させた人物です。芭蕉布の技術で人間国宝に認定された、沖縄を代表する着物作家と言えます。
芭蕉布は丈夫で長持ちし、何代にも渡って…
1903年(明治36年)9月5日 – 1975年(昭和50年)9月13日)は青森県に生まれ。板画家。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、…
1924年1月16日 – 2006年11月26日)は、シンガポール生まれの実業家。昭和21年石川島芝浦タービン(現石川島播磨重工業)に入社。ターボチャージャーの原型である排気タービンの設計開発にたずさわり,47年取締役,58年社長,平成7年会長。日本商工会議所会…
1906年2月3日 – 1990年3月14日)は山形県生まれ。実業家。石川島播磨重工業社長や、同社会長、日本機械工業連合会会長、日本・トルコ協会会長などを歴任した。1973年日本産業広告協会会長。日本銀行参与なども務めた。
1.石川島造船の気風 石…
08 惜別(執筆者が忘れられない人)
08 惜別(執筆者が忘れられない人)
1927年9月5日 – 2019年12月8日)はアメリカ合衆国ニュージャージー州生まれ。経済学者。カーター、レーガン政権下(1979年 – 1987年)で第12代連邦準備制度理事会(FRB)議長を務めた。ロンドン大学スクール・オブ・エコノミクスフェロ…
1919年10月4日 – 2017年8月11日)は新潟県生まれ。官僚。1971年、第3次佐藤内閣時代に通産事務次官に就任。日米繊維交渉の輸出自主規制の是非にあたる。田中角栄通産大臣時代から、部下であった豊島格(資源エネルギー庁長官)らと共に、田中角栄、田中清玄ら…
この「履歴書」に登場した女性の政治的活動リーダーは、今までに平塚らいてう、神近市子、市川房枝、奥むめお、山高しげり、山口淑子、扇千景、土井たか子の8氏がいるが、官僚出身の女性は赤松氏が今回初めてでした。氏は男女平等を願い、それを男女雇用機会均等法として法律的に裏付ける困難な…
1912年(明治45年)1月23日- 2000年(平成12年)11月26日)は長野県生まれ。政治家。自由民主党の衆議院議員(16期)。外務大臣(第83-84・99代)、経済企画庁長官(第23代)、国家公安委員会委員長(初代)、労働大臣(第8代)を歴任した。引退後は国際親善な…
この「履歴書」に登場した映画監督は、衣笠貞之助(1964.4)、木下恵介(1987.9)、市川崑(1989.2)に次いで、氏(1996.10)が4人目である。氏は、14年間もの中国生活の経験と戦後の日本社会を広く深く見つめて、人を見る目が優しく温かい。人に対する感性がとても…
「履歴書」女優の登場者は、東山千栄子、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、天津乙女、長門美保、春日野八千代、ミヤコ蝶々、山本富士子、山口淑子、宮城まり子、森光子、扇千景、香川京子、有馬稲子、佐久間良子に次いで彼女で17人目となる。有馬稲子は市川崑監督、佐久間良子は鶴田浩二との不…
1920年7月6日 – 2000年10月12日 東京小伝馬町生まれ。芸好きの父の影響で7歳のとき、初舞台を踏み、あらゆる芸をやった。詩、踊り、芝居、漫才などで、20歳を過ぎてからは大阪に腰を据え、漫才とテレビの司会と芝居に打ち込んだ。脚本・演出・主演と一人三役も…
この「履歴書」に登場した映画監督、脚本家は衣笠貞之助、木下恵介、市川崑、山田洋次、今村昌平、篠田正浩、新藤兼人と倉本聰の8人である。氏は主にテレビ番組で多大の業績を残した。
1.海抜ゼロから考える これは私のモットーだ。富士山の五合目から頂上に登っても本当の登…
1904年(明治37年)5月13日 – 1993年(平成5年)3月16日)は熊本県生まれ。俳優。1925年(大正14年)に松竹に入社し、10年間ほど大部屋俳優として過ごした後、小津安二郎監督に見いだされ、彼の『大学よいとこ』で助演。以降『晩春』『東京物語』など、…
彼女は、女優としては年齢順に東山千栄子、水谷八重子、杉村春子、田中絹代、ミヤコ蝶々、山口淑子、森光子、香川京子、山本富士子、岸恵子、吉行和子、佐久間良子、浅丘ルリ子に次いで14番目の登場である。歌劇団出身は、宝塚が天津乙女、春日野八千代、有馬稲子、扇千景の4人に対し、松竹(…
1912年(大正元年)11月28日 – 1999年(平成11年)10月10日)は島根県生まれ。日本のインド哲学者、仏教学者。サンスクリット語・パーリ語に精通し、初期仏教の仏典などの解説や翻訳に代表される著作は多数にのぼる。「生きる指針を提示するのも学者の仕事」が…
1911年(明治44年)4月8日 – 1993年(平成5年)8月21日)は東京生まれ。歌手・声楽家・作曲家・指揮者。東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を首席で卒業。 東京音楽学校で培った正統な声楽技術・歌唱法・音楽理論と、ハイバリトンの音声を武器にテナーの…
福岡県生まれ。高校卒業後、八幡製鉄(現新日鉄住金)に入社。1960年代から1970年代前半、戦後日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーである。また、オリンピックには3大会連続で男子マラソン日本代表として出場した。メキシコ五輪のマラソンで銀メダル。
…
西川きよし(漫才師)2022年10月登場 この「履歴書」で落語家は三遊亭円生、柳家小さん、桂米朝、桂三枝の4人が、そしてコメディアンとして萩本欽一が出ているが、漫才師としては最初である。氏は落語などの伝統芸能に比べれば「漫才はしょせん時間つなぎ」と一段低く見られていた芸を、…
1932年10月20日[1] – 2015年7月3日)は、日本の財界人、フリープロデューサー、芸能プロモーター。吉本興業の代表取締役社長、会長、名誉会長を務めた。1955年5月、吉本興業に入社し、駆け出し時代は人気漫才師の花菱アチャコ、大村崑などのマネージャーを…
福岡県生まれ。高校卒業後、八幡製鉄(現新日鉄住金)に入社。1960年代から1970年代前半、戦後日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーである。また、オリンピックには3大会連続で男子マラソン日本代表として出場した。メキシコ五輪のマラソンで銀メダル。
…
1912年8月16日 – 1997年6月19日)は東京生まれ。日本の鉄道官僚、第6代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1969年-1973年)。永井岩之丞の孫。作家・三島由紀夫の父・平岡梓は従兄にあたる。大学卒業後、鉄道省に入るが退職。敗戦後に鉄道界へ復帰。下山定則…
1911年9月3日 – 2000年2月22日)は京都生まれ。政治家。第13代神戸市長。元神戸市山岳連盟会長。「最小の経費で最大の市民福祉」を基本理念に、原口忠次郎前市長時代にスタートした「山、海へ行く」のスローガンで六甲山を大胆に削り取りその土砂を利用したポート…
氏はこの「履歴書」に登場した政治家では87番目であり、直近の森喜朗(2012年12月)以来5年ぶりの登場である。
1.政治信条(外交の失敗は一国が滅びる) 氏は父親が山口県徳山市の市長を4期、衆議院議員も2期務めて、「内政の失敗は一内閣が倒れれば足りるが、外交…
1889年(明治22年)11月7日 – 1963年(昭和38年)5月6日)は東京浅草生まれ。小説家、劇作家、俳人。耽美派(三田派)の新進作家として登場。劇作でも慶大在学中から注目され 、築地座を経て文学座創立に参加。新派、新劇、歌舞伎の脚色・演出と多方面に活動を…
1907年9月17日 – 1994年9月8日)は群馬県生まれ。俳優、随筆家。新築地劇団を経て1944年(昭和19年)、小沢栄太郎、千田是也、青山杉作、東山千栄子らと共に俳優座を結成。同時に日本移動演劇連盟に加入し、芙蓉隊を組織して地方を巡演する。戦後、俳優座の中…
1930年1月29日 – 2011年4月23日)は静岡県生まれ。実業家、声楽家(バリトン歌手)。実業家として、CBS・ソニーレコード株式会社社長(初代)、ソニー商事株式会社社長、東京商工会議所副会頭、ソニー株式会社社長・最高経営責任者(初代)・会長、社団法人経済…
1921年7月28日 – 2013年8月24日、満92歳没)は熊本県生まれ。民俗学者・地名学者・作家・歌人。近畿大学教授・日本地名研究所所長等を歴任。在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもと…
1925年(大正14年)11月6日 – 2015年(平成27年)3月19日)は旧関東州(満州)大連市生まれ。落語家。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語…
1932年〈昭和7年〉6月12日 – 2017年〈平成29年〉2月16日[1])は栃木県宇生まれ。日本の作曲家・歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。戦後歌謡界を代表する…
1924年3月12日 – 2016年8月21日)は大分県生まれ。通産官僚、元大分県知事。「一村一品運動」の提唱者として有名である。1959年5月、日本にコンピュータ業界が無かったなかで「コンピューター業界」を対象とした重工業局電子工業課が1957年の電子工業振興…
1919年10月4日 – 2017年8月11日)は新潟県生まれ。官僚。1971年、第3次佐藤内閣時代に通産事務次官に就任。日米繊維交渉の輸出自主規制の是非にあたる。田中角栄通産大臣時代から、部下であった豊島格(資源エネルギー庁長官)らと共に、田中角栄、田中清玄ら…
芸能人でも初めてのコメディアンの登場である。語り口は非常に謙虚であった。初日のコラムには次のように書いてあった。
振り返ると、僕は「ダメな子」だった。「できる子」と同じ土俵で競争しても勝ち目はない。だから僕の信条は「2歩下がって」。下がった場所で自分なりに人の…
日経「私の履歴書」に登場した男優は今まで12名いますが、彼のように国内外の映画の主演賞受け、かつ文化勲章も受けている人はいません。彼が「日本映画の黄金時代」 PHP新書(春日太一著)に映画や舞台の思いや内情を語ってくれています。私が知らない情報を下記に抽出しました。彼は日活…
1925年3月20日 – 2019年1月12日)は宮城県生まれ。哲学者である。日本仏教を中心に置いて日本人の精神性を研究する。西洋哲学の研究から哲学者として出発したが、西田幾多郎を乗り越えるという自身の目標のもと、基本的に西洋文明(すなわちヘレニズムとヘブライズ…
1915年2月1日 – 2001年10月27日)は東京都出身の実業家。三井物産の社長や会長を歴任したほか、商社出身者として初めて経済団体連合会副会長を務めた。イラン革命及びイラン・イラク戦争により暗礁に乗り上げたイラン・ジャパン石油化学(IJPC) の清算処理に…
日経「私の履歴書」に登場した男優は今まで12名いますが、彼のように国内外の映画の主演賞受け、かつ文化勲章も受けている人はいません。彼が「日本映画の黄金時代」 PHP新書(春日太一著)に映画や舞台の思いや内情を語ってくれています。私が知らない情報を下記に抽出しました。彼は日活…
氏は作曲家として、山田耕筰、古賀政男、服部良一、吉田正、船村徹、遠藤実、團伊玖磨、小椋佳、服部克久の諸氏に次いで10番目の「私の履歴書」登場である。私(吉田)と同世代の音楽家の活動やその舞台裏を語ってくれていたので楽しく読むことができた。
1.グループ・サウン…
1926年3月20日 – 2020年12月24日)は島根県生まれ。画家・装幀家・絵本作家。元美術教員。子供の頃より画家になる夢を抱いていた。美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表した。原色や派手な…
1917年3月28日-2012年2月10日)は東京生まれ。経営者。東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)社長・会長、1988年、日本航空会長に就任し、民営化に尽力。1990年3月、成田空港問題に関連して中核派による自宅放火テロを受ける。日本棋院理事長。「私の履歴書」に…
1937年〈昭和12年〉2月7日 – 2007年〈平成19年〉8月1日)は兵庫県淡路島生まれ。放送作家、詩人、作詞家、小説家。作詞家として数々のヒット曲を送り出す。生涯、作詞した曲は5,000曲以上。ジャンルは歌謡曲、演歌、アイドル歌謡曲、フォークソング、コミッ…
1932年〈昭和7年〉6月12日 – 2017年〈平成29年〉2月16日[1])は栃木県宇生まれ。日本の作曲家・歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。戦後歌謡界を代表する…
1910年(明治43年)8月5日 – 1988年(昭和63年)5月31日)は滋賀県生まれ。政治家、第63代衆議院議長、内閣官房長官、労働大臣、厚生大臣、運輸大臣、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総務会長を歴任。自民党誕生後は吉田の流れを受け継ぐ宏池会に所属。…
1920年(大正9年)2月12日 – 2014年(平成26年)9月7日 中国、奉天生まれ。 歌手、女優、政治家である。さまざまな名前で活動し、戦前の中国(中華民国)と満州国・日本・戦後の香港で李 香蘭(り こうらん、リ・シャンラン)、第二次世界大戦後のアメリカ合…
1915年(大正4年)11月20日 – 2008年(平成20年)2月13日)は三重県生まれ。映画監督。アニメ、人形劇制作者。娯楽映画からドキュメンタリー、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、長期間映画制作に取り組んだ。ドキュメンタリー映画の代表作に『東京…
1922年10月1日 – 1999年6月24日)は兵庫県生まれ。プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。1949年3月28日に南海から読売ジャイアンツへの移籍が実現したが、その後も長きにわたってエースとして君臨。1951年は3年ぶり3度目のベストナイ…
1905年12月13日 – 2004年11月26日)は横浜市生まれ。新国劇の俳優。澤田正二郎が率いる新国劇に入団。正二郎の急死後、辰巳柳太郎と共に主役級に抜擢され、1987年(昭和62年)に新橋演舞場で劇団創立70周年記念公演をうけて劇団を解散するまで新国劇の大…
1905年12月13日 – 2004年11月26日)は横浜市生まれ。新国劇の俳優。澤田正二郎が率いる新国劇に入団。正二郎の急死後、辰巳柳太郎と共に主役級に抜擢され、1987年(昭和62年)に新橋演舞場で劇団創立70周年記念公演をうけて劇団を解散するまで新国劇の大…
1920年7月6日 – 2000年10月12日 東京小伝馬町生まれ。芸好きの父の影響で7歳のとき、初舞台を踏み、あらゆる芸をやった。詩、踊り、芝居、漫才などで、20歳を過ぎてからは大阪に腰を据え、漫才とテレビの司会と芝居に打ち込んだ。脚本・演出・主演と一人三役も…
1932年3月15日 – 東京都生まれ。小説家、脚本家。長谷川伸門下。『鏨師』で直木賞を受賞後、女の生き方を描いた国際色豊かな家庭物や恋愛物、推理物で人気を集め、他方でテレビドラマの脚本家として多くのヒット作を生み出した。その後時代小説に専念。永く活躍している。…
1925年9月11日 – 2012年1月17日)は熊本生まれ。陸軍軍人、計算機工学者、経営者。米IBMとの著作権紛争をはじめ、半導体やスーパーコンピュータをめぐる日米貿易摩擦でも一歩も引かない気骨を見せたことから、「闘う経営者」と呼ばれた。実兄の卓美が八紘第八隊…
1900年〈明治33年〉8月16日 – 1992年〈平成4年〉12月14日)は北海道生まれ。内務官僚、政治家。 クラーク博士の創設した札幌農学校で学び日本における“酪農の草分け”と言われた町村金弥の五男である。内務官僚時代は、官選の新潟県・富山県両県の知事を経て…
1939年(昭和14年)11月1日- 2020年(令和2年)4月21日)は、日本の実業家。オムロン創業者立石一真の三男で、同社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、京都商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭等を歴任した。1987年、兄の立石孝雄の後任として、同社代表取締役社長…
1904年(明治37年)5月13日 – 1993年(平成5年)3月16日)は熊本県生まれ。俳優。1925年(大正14年)に松竹に入社し、10年間ほど大部屋俳優として過ごした後、小津安二郎監督に見いだされ、彼の『大学よいとこ』で助演。以降『晩春』『東京物語』など、…
1932年9月6日 – 2006年6月13日)は東京生まれ。指揮者。指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事。 近衛管弦楽団(近衛秀麿が主催)のティンパニ奏者(学生のため入団はせず)としてデビューしている。作曲家の山本直純は芸大で岩城の1年後輩に当たり、2人は大学時代…
1917年3月28日-2012年2月10日)は東京生まれ。経営者。東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)社長・会長、1988年、日本航空会長に就任し、民営化に尽力。1990年3月、成田空港問題に関連して中核派による自宅放火テロを受ける。日本棋院理事長。「私の履歴書」に…
1903年1月4日 – 1995年2月3日)は鳥取生まれ。内務官僚、政治家。日中友好議員連盟会長を務めた。1960年、第2次池田内閣において厚生大臣として初入閣する。厚相としての功績には、(1)省内および医師会の反対を押し切っての結核治療新薬カナマイシンの保険採…
作曲家でこの「履歴書」に登場したのは、山田耕筰、古賀政男、服部良一、吉田正、船村徹、遠藤実、團伊玖磨、小椋佳、服部克久、村井邦彦の諸氏に次いで氏は11番目である。しかし、いままでの作曲家とは随分イメージが違っていた。落語、読書、詩歌、演劇、映画、オペラなどに首を突っ込み、異…
最近になく面白くて痛快な「履歴書」でした。若いとき、指を大切にしなければならないピアニスト希望が、怪我の多いラグビーが好きでのめり込む。しかし、指の骨折でピアニストを諦めたとき、音楽が好きなら指揮者になれと勧めてもらった。桐朋学園で恩師の斎藤秀雄先生に指揮を教えてもらうが、…
1932年9月6日 – 2006年6月13日)は東京生まれ。指揮者。指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事。 近衛管弦楽団(近衛秀麿が主催)のティンパニ奏者(学生のため入団はせず)としてデビューしている。作曲家の山本直純は芸大で岩城の1年後輩に当たり、2人は大学時代…
明治20年〈1887年〉11月6日 – 昭和55年〈1980年〉1月3日)は岡山生まれ。弁護士、政治家。衆議院議員。元衆議院議長。戦前は普通選挙運動、婦人参政権、公娼廃止に熱心な自由主義的・進歩的な立場を貫き、戦時中も議会政治擁護の立場を変えなかった。戦後は山崎…
1921年7月28日 – 2013年8月24日、満92歳没)は熊本県生まれ。民俗学者・地名学者・作家・歌人。近畿大学教授・日本地名研究所所長等を歴任。在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもと…
09 日本経済を創造・牽引した実業家
01 三井グループ
09 日本経済を創造・牽引した実業家
01 三井グループ
1896年(明治29年)4月20日 – 1986年(昭和61年)6月15日)は石川県生まれ。日本の蒔絵師。伝統工芸の復興に力を尽くす一方で並木製作所の蒔絵万年筆(ダンヒル・ナミキ)の製作指導といった新しい蒔絵の模索も行っている。漆工芸史に名を残す名匠として、「漆…
1897年(明治30年)4月2日 – 1978年5月30日)は埼玉県生まれ。実業家で、元三井物産社長・会長。 1918年(大正7年)3月、東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業。クラスメートに大屋晋三がいた。1918年(大正7年)4月、山下汽船入社。1919年(…
1884年(明治17年)3月10日 – 1982年(昭和57年)10月21日)は徳島県生まれ。日本の実業家。日本化薬会長、東洋火災海上保険株式会社(現・セコム損害保険)初代会長、日本化学工業協会会長、政府税制調査会会長などを歴任し、日本財界の重鎮として活躍した。…
1888年(明治21年)5月4日 – 1966年(昭和41年)5月11日)は東京生まれ。経済学者(経済学博士)。東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者となる。1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)まで慶應義塾長。父は慶…
1901年〈明治34年〉2月5日 – 1983年〈昭和58年〉2月19日)は東京生まれ。財界人。慶大から三菱銀行に入社し、同行頭取、全国銀行協会会長を経て、第21代日本銀行総裁。母よしの実兄は三井財閥の大番頭、日銀総裁や大蔵大臣を歴任した池田成彬で、母の妹の夫は…
1903年7月17日 – 1997年11月13日)は茨城県生まれ。実業家。三井不動産の復興に尽力し、社長、会長職、初代不動産協会理事長を務めた。また、東京ディズニーランド、筑波研究学園都市の建設にも力を注いだ。三井銀行の小山五郎らと共に戦後解体された三井グループ…
02 三菱グループ
02 三菱グループ
1892年(明治25年)3月1日 – 1978年(昭和53年)6月6日)は茨城県生まれ。実業家。1956年(昭和31年)11月 – 三菱電機会長。1965年(昭和40年)6月 – 日韓会談の首席代表として日韓基本条約等に調印。1969年(…
明治19年(1886年)5月10日 – 昭和45年(1970年)5月14日)は富山県生まれ。農商務官僚、政治家、実業家。昭和17年(1942年)に東京市助役に就任。戦後、昭和20年(1945年)10月、幣原内閣の松村謙三農林大臣の下で農林次官を務め、1946年(…
1922年7月13日 – 2013年6月23日)は東京生まれ。実業家、サッカー選手。マニラ支店長およびロンドン支店長、欧州三菱商事の副社長を務めた。1980年6月に三菱商事の取締役兼ロンドン支店長、1983年6月に常務取締役、1985年6月に副社長を歴任。198…
03 住友グループ
03 住友グループ
1882年(明治15年)1月15日 – 1966年(昭和41年)1月22日)は東京生まれ。歌人、実業家。漢学者・貴族院議員の川田甕江の三男。会社では住友商人として主に経理畑を歩み、「住友に川田あり」の評判を得ていた。1930年(昭和5年)に理事就任後、同年一足飛…
明治39年〈1906年〉2月24日 – 平成5年〈1993年〉2月16日)は山梨県出身。実業家。住友金属工業名誉会長、第8代関西経済連合会会長(1977年 – 1987年)。新日鐵住金会長、経団連会長の稲山嘉寛が「ミスター・カルテル」と呼ばれ、企業経…
1908年7月28日 – 2001年4月16日)は東京生まれ。実業家。住友銀行頭取・会長。関西経済同友会代表幹事、日仏クラブ世話人。頭取在任中、磯田一郎副頭取と共に経営危機に陥った安宅産業を伊藤忠商事に救済合併させたり、マツダやアサヒビールの再建に取り組んだ。日…
1926年(大正15年)1月25日 – 2012年(平成24年)9月16日)は京都生まれ。実業家。アサヒビール中興の祖。住友銀行業務部時代の上司で、前任の東京支店長でもあった、8年先輩の村井勉前社長に招かれ、1986年(昭和61年)、アサヒビール(現:アサヒグル…
1895年11月24日 – 1970年11月15日)、大阪府出身の実業家。 東洋工業(現マツダ)3代目社長。実父は東洋工業創始者の松田重次郎、息子にマツダ4代目社長の松田耕平。自身から孫の松田元と3代続けて広島東洋カープオーナーである。恒次は世界の誰もが成し遂げ…
1889年5月28日 – 1970年10月25日)山形県生まれ。昭和期の実業家。アメリカ・プリンストン大学への留学を経て、住友電線支配人、住友倉庫専務、住友生命保険専務を歴任。1931年に住友本社常務理事となる。戦後、大丸の顧問となり、副社長を経て、1950年に…
04 日立グループ
04 日立グループ
1916年(大正5年)8月21日 – 1989年(平成元年)3月20日)は東京生まれ。実業家。東京急行電鉄社長・会長。日本商工会議所会頭。五島慶太の長男。死去するまで、グループ各社の会長もしくは相談役、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、小田急電鉄の取締役の他、松竹、…
1886年(明治19年)6月2日 – 1976年(昭和51年)6月25日)は福岡県生まれ。実業家。米国ウェスティングハウスで研修の後、1915年(大正4年)7月に兄の清三郎とともに株式会社安川電機の前身である合資会社安川電機製作所を創設し、モーター・電動機に製品…
1886年3月1日 – 1969年12月25日)は福岡県生まれ。実業家。株式会社日立製作所元社長・会長、日本科学技術振興財団初代会長、毎日放送元取締役。公職追放された初代社長小平浪平以下取締役16名の後を継いで、1947年に日立製作所二代目社長に就任。更には日立…
1886年(明治19年)6月2日 – 1976年(昭和51年)6月25日)は福岡県生まれ。実業家。米国ウェスティングハウスで研修の後、1915年(大正4年)7月に兄の清三郎とともに株式会社安川電機の前身である合資会社安川電機製作所を創設し、モーター・電動機に製品…
1889年(明治22年)11月3日- 1971年(昭和46年)5月10日)は長崎県生まれ。大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、不二越創業者。1913年(大正2年)11月、台湾に渡り台中の帝国製糖に入社。倉庫係、農場係、鉄道建設係で勤務。1919年(大正8年)中越水電…
氏はこの履歴書に登場した野村證券出身の奥村綱雄(1960.7)、瀬川美能留(1970.4)、北裏喜一郎(1979.11)、田淵節也(2007.11)、寺澤芳男(2011.11)、斉藤惇(2017.10)に次いで7人目である。印象に残った箇所は次の通り。
1.田…
05 西武グループ
05 西武グループ
1900年9月14日 – 1984年1月11日)は大分県生まれ。実業家。小田急電鉄社長、同名誉会長。小田急百貨店会長。社長就任後、箱根の観光開発に注力、堤康次郎率いる西武鉄道系の伊豆箱根鉄道と対立し、箱根山戦争と呼ばれる競争を繰り広げた。
1.新宿…
1921年(大正10年)10月29日 – 2014年(平成26年)5月13日)は東京生まれ。実業家。西武百貨店、三越各社長、日本百貨店協会会長を歴任した。常務時代には松田伊三雄社長の後継として岡田茂と並び称されるが、後継社長に岡田が就任すると真っ先に粛清の槍玉に…
1949年5月13日 – )は静岡県生まれ。日本の実業家。良品計画代表取締役社長や、同社代表取締役会長、りそなホールディングス取締役指名委員会委員長、日本取締役協会副会長などを務めた。氏は、この「履歴書」の流通系企業登場では、三越(松田伊三雄、坂倉芳明)、大丸(…
06 トヨタグループ
06 トヨタグループ
1885年9月27日 – 1966年6月9日)は新潟県生まれ。実業家。東洋棉花会長、日本織物統制社長を経て、1946年公職追放された三井物産出身の向井忠晴に代わり貿易庁長官についたが、その後公職追放となる。1951年倉敷紡績社長。1955年倉敷紡績会長。日本経営…
1888年11月16日 – 1979年9月18日)は愛知県生まれ。実業家。豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)及びトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の社長・会長・相談役。 戦後のトヨタ自動車の建て直しをし、「トヨタの大番頭」と呼ばれる。 また、豊田英二と共に「ト…
1898年〈明治31年〉7月9日 – 1980年〈昭和55年〉12月25日)は愛知県生まれ。実業家。トヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車営業部門)社長・会長・名誉会長、名古屋放送(現:名古屋テレビ放送)初代社長等を歴任した。トヨタ自動車系ディーラーの礎を一代で築き…
1907年11月25日-1995年12月13日)は三重県生まれ。実業家。トヨタ自動車販売取締役社長、取締役会長、トヨタ自動車相談役、顧問、名古屋商工会議所副会頭、学校法人関西学院理事長などを歴任。日本デザインセンター創設メンバーのひとり。1989年の世界デザイン博覧会では博…
1916年〈大正5年〉6月28日 – 2008年〈平成20年〉3月13日)は東京生まれ。実業家。梁瀬自動車株式会社社長、株式会社ヤナセ社長、日本経営者団体連盟常任理事などを歴任した。アメリカ車の販売に寄与したとして、2004年に日本人としては本田宗一郎や豊田英二…
1913年(大正2年)9月12日 – 2013年(平成25年)9月17日)は愛知県生まれ。実業家。豊田佐吉の甥。トヨタ自動車工業株式会社社長(第5代)、トヨタ自動車株式会社会長(初代)、同社名誉会長(初代)、同社最高顧問(初代)、社団法人日本自動車工業会会長(第…
1913年(大正2年)9月12日 – 2013年(平成25年)9月17日)は愛知県生まれ。実業家。豊田佐吉の甥。トヨタ自動車工業株式会社社長(第5代)、トヨタ自動車株式会社会長(初代)、同社名誉会長(初代)、同社最高顧問(初代)、社団法人日本自動車工業会会長(第…
1888年11月16日 – 1979年9月18日)は愛知県生まれ。実業家。豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)及びトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の社長・会長・相談役。 戦後のトヨタ自動車の建て直しをし、「トヨタの大番頭」と呼ばれる。 また、豊田英二と共に「ト…
07 新日鉄グループ
07 新日鉄グループ
1915年2月1日 – 2001年10月27日)は東京都出身の実業家。三井物産の社長や会長を歴任したほか、商社出身者として初めて経済団体連合会副会長を務めた。イラン革命及びイラン・イラク戦争により暗礁に乗り上げたイラン・ジャパン石油化学(IJPC) の清算処理に…
1911年11月22日 – 2002年4月22日)は新潟県生まれ。実業家。大学卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)入社。のち、日本製鐵に移り、八幡製鐵専務、新日鉄専務、副社長などを経て社長に。新日本製鐵(新日鉄、現・日本製鉄)の元社長。経済団体連合会(経団連)…
1881年7月24日 – 1968年5月19日)は富山県生まれ。実業家、稲川部屋所属の元大相撲力士。四股名は鷲尾嶽。太平洋戦争前は「鉄鋼王」と称された。戦後の一時期は菊池寛実、南俊二とともに「日本の三大億万長者」と並び称された。1964年、東京オリンピックの開催…
1911年11月22日 – 2002年4月22日)は新潟県生まれ。実業家。大学卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)入社。のち、日本製鐵に移り、八幡製鐵専務、新日鉄専務、副社長などを経て社長に。新日本製鐵(新日鉄、現・日本製鉄)の元社長。経済団体連合会(経団連)…
1898年(明治31年)2月14日 – 1976年(昭和51年)8月27日)は静岡県生まれ。実業家。1943年3月日本耐火煉瓦統制取締役社長。1946年11月復興金融委員会委員(1950年5月辞任)。持株会社整理委員(任期1950年10月まで)。1950年3月国…
08 野村グループ
08 野村グループ
1923年10月25日 – 2008年6月26日)は、野村證券(現・野村ホールディングス)の社長、会長を歴任した日本の実業家。精彩を欠いていた国際部門を飛躍的に伸ばし、世界有数の証券会社に押し上げた。後任の社長に就任した田淵義久(縁戚関係はない)と区別するため俗…
1911年3月14日 – 1985年10月30日)は和歌山県生まれ。実業家、野村證券元社長・会長。野村證券の国際化戦略の立役者。1968年11月に社長に就任するまで瀬川美能留とのコンビで野村證券の発展に大きく寄与した。1978年には当時54歳の田淵節也に社長職を…
1923年10月25日 – 2008年6月26日)は、野村證券(現・野村ホールディングス)の社長、会長を歴任した日本の実業家。精彩を欠いていた国際部門を飛躍的に伸ばし、世界有数の証券会社に押し上げた。後任の社長に就任した田淵義久(縁戚関係はない)と区別するため俗…
氏はこの履歴書に登場した野村證券出身の奥村綱雄(1960.7)、瀬川美能留(1970.4)、北裏喜一郎(1979.11)、田淵節也(2007.11)、寺澤芳男(2011.11)、斉藤惇(2017.10)に次いで7人目である。印象に残った箇所は次の通り。
1.田…
1923年10月25日 – 2008年6月26日)は、野村證券(現・野村ホールディングス)の社長、会長を歴任した日本の実業家。精彩を欠いていた国際部門を飛躍的に伸ばし、世界有数の証券会社に押し上げた。後任の社長に就任した田淵義久(縁戚関係はない)と区別するため俗…
1903年(明治36年)3月5日 – 1972年(昭和47年)11月7日)は滋賀県生まれ。実業家。野村證券元社長・会長。野村證券中興の祖といわれる。戦後証券取引法に基づく証券業者として登録。1951年(昭和26年)に連合国との交渉の末、証券投資信託法を実現させ、…
09 電力グループ
09 電力グループ
1911年(明治44年)4月26日 – 1998年(平成10年)6月24日)は佐賀県生まれ。昭和から平成にかけて活動した日本の実業家。中部電力第4代代表取締役社長(のち会長・相談役)を務め、名古屋財界の重鎮であった。中部電力以外では東海旅客鉄道(JR東海)代表取…
1896年 – 1981年)は山梨県生まれ。日本の実業家。日本発送電副総裁、中国電力初代会長、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁などを務めた。東京電力を経て、東京電灯取締役、関東配電副社長、戦災復興院業務局長、資源庁長官、日本発送電副総裁、通商産業省(現・経済…
1917年-1997年)中国遼寧省蓋平県(現・蓋州市)生まれ。1939年東京工業大学付属予備部に留学、同大応用化学科に進み1943年に中退して帰国。中華人民共和国成立後の1952年日本からの最初の訪中代表団を接待する。以来、中国人民外交協会理事などを歴任。1963年中国日本…
1896年 – 1981年)は山梨県生まれ。日本の実業家。日本発送電副総裁、中国電力初代会長、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁などを務めた。東京電力を経て、東京電灯取締役、関東配電副社長、戦災復興院業務局長、資源庁長官、日本発送電副総裁、通商産業省(現・経済…
1911年(明治44年)4月26日 – 1998年(平成10年)6月24日)は佐賀県生まれ。昭和から平成にかけて活動した日本の実業家。中部電力第4代代表取締役社長(のち会長・相談役)を務め、名古屋財界の重鎮であった。中部電力以外では東海旅客鉄道(JR東海)代表取…
1899年(明治32年)8月16日 – 1981年(昭和56年)11月18日)は東京生まれ。実業家。中部電力会長、中部経済連合会会長を務めた。1959年(昭和34年)に大同製鉄(現・大同特殊鋼)監査役となる。以後以下の役職を歴任した。大同学園(大同大学)理事 &…
明治43年(1910)2月25日-平成5年(1993)10月20日)佐賀県生まれ。 昭和時代の実業家。昭和9年東邦電力に入社。戦後統廃合で発足した九州電力で地熱発電,火力発電,原子力発電を推進。49年社長,58年会長となる。福岡県体育協会会長,NHK経営委員。佐賀県他に会社…
1915年(大正4年)1月8日 – 2000年(平成12年)3月9日)は兵庫生まれ。政治家。電源開発で総務部長を務めた後、1954年(昭和29年)に同社を退社し翌1955年(昭和30年)の衆院選に郷里の旧兵庫5区から右派社会党公認で出馬し当選。以後、連続12選。…
1900年7月15日 – 1984年5月4日)は島根県生まれ。実業家。新日本製鐵会長、経済同友会代表幹事、日本商工会議所会頭などを歴任した、戦後日本を代表する経済人の一人。財界四天王の一人といわれ、”戦後の財界のドン”ともいわれた。兄は、…
1899年8月23日 – 1977年3月4日)は福島県生まれ。1950年代から1960年代にかけて活躍した日本の実業家。東京電力社長や、経済同友会代表幹事を歴任した。「企業の社会的責任」を唱導した、哲人的財界人として名を残している。1974年電気料金値上げに対する不払い運動…
1885年1月27日 – 1977年10月27日)は、岐阜県出身の日本画家。妻は荻江節の5代目荻江露友。青邨は大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名である。画壇・院展を代表する画家とし…
明治33年(1900)1月25日~昭和58年(1983)、栃木県生まれ。実業家。中部電力社長、会長を歴任。中部経済連合会の会長など、中部圏の経済界をけん引した人物として知られる。
1.電気部門のセールス活動 昭和2年(1927)の東邦電力名古屋支店の電灯営業案…
1895年(明治28年)9月25日 – 1982年(昭和57年)9月22日)は宮城県生まれ。実業家。1919年(大正8年)に大阪電燈に入社。大阪電燈が大阪市営になって後は大同電力に移り、第二次世界大戦時に設立された日本発送電東北支店長・東北配電社長を歴任し電力事業に一貫して…
10 阪急グループ
10 阪急グループ
1896年 – 1981年)は山梨県生まれ。日本の実業家。日本発送電副総裁、中国電力初代会長、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁などを務めた。東京電力を経て、東京電灯取締役、関東配電副社長、戦災復興院業務局長、資源庁長官、日本発送電副総裁、通商産業省(現・経済…
1885年2月7日 – 1964年2月24日)は大阪府高槻市で生まれる。政治家・実業家。農商務省水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)に入所。その後、メキシコ万博漁業に入社し、水産技師として勤務。1917年、東洋製罐を創立。1942年、満州重工業開発…
明治29年10月20日(1896)-平成4年(1992)12月26日東京生まれ。 昭和時代の経営者。大正10年藤本ビルブローカー銀行(現大和証券)にはいる。昭和32年社長,38年会長。日本最初の積み立て投資業務の開始,国際部門の強化など,積極的な経営方策をとる。日本証券保有…
11 IHIグループ
11 IHIグループ
1924年1月16日 – 2006年11月26日)は、シンガポール生まれの実業家。昭和21年石川島芝浦タービン(現石川島播磨重工業)に入社。ターボチャージャーの原型である排気タービンの設計開発にたずさわり,47年取締役,58年社長,平成7年会長。日本商工会議所会…
1924年1月16日 – 2006年11月26日)は、シンガポール生まれの実業家。昭和21年石川島芝浦タービン(現石川島播磨重工業)に入社。ターボチャージャーの原型である排気タービンの設計開発にたずさわり,47年取締役,58年社長,平成7年会長。日本商工会議所会…
1924年1月16日 – 2006年11月26日)は、シンガポール生まれの実業家。昭和21年石川島芝浦タービン(現石川島播磨重工業)に入社。ターボチャージャーの原型である排気タービンの設計開発にたずさわり,47年取締役,58年社長,平成7年会長。日本商工会議所会…
1906年2月3日 – 1990年3月14日)は山形県生まれ。実業家。石川島播磨重工業社長や、同社会長、日本機械工業連合会会長、日本・トルコ協会会長などを歴任した。1973年日本産業広告協会会長。日本銀行参与なども務めた。
1.石川島造船の気風 石…
12 総帥・創業者
12 総帥・創業者
明治21年〈1888年〉2月2日 – 昭和55年〈1980年〉12月1日)は大阪府生まれ。男性政治家。14歳の時にアメリカ西部の荒野を夢見て単身渡米、各地を放浪した果てにニューヨーク大学に入学。明治44年(1911年)に同大卒業後、大正3年(1914年)に帰国、…
1919年(大正8年)2月28日 – 2012年(平成24年)9月10日)は東京生まれ。実業家、元東芝社長・会長。1982年(昭和57年) – 電気学会会長、日本インダストリアル・エンジニアリング協会会長に就任。日本経済団体連合会副会長、日本電子機械…
1912年3月3日 – 2003年12月31日)は東京生まれ。実業家である。日産自動車社長、日本自動車工業会会長、経済同友会代表幹事として、日本の自動車産業や財界活動に大きな影響を与えた。野心的な海外急拡大方針は労連の塩路一郎委員長の反対を無視する形で進められた…
1893年3月26日 – 1979年1月23日)は福岡県生まれ。実業家。1936年(昭和11年)、伊藤銀行(旧東海銀行の前身行、現三菱UFJ銀行)の副頭取に就任。戦後は松坂屋(現J.フロント リテイリング・大丸松坂屋百貨店)・東海銀行・中部日本放送(CBC)の各…
1901年(明治34年)4月26日 – 1991年(平成3年)4月2日)は滋賀県出身。実業家、元伊藤忠商事社長・会長。「伊藤忠中興の祖」、「繊維相場の神様」とよばれた。社長就任後は瀬島龍三らを重用し、伊藤忠の「総合化と国際化」を掲げ、非繊維部門の拡充と海外進出を…
1897年1月9日 – 1973年11月2日)は茨城県生まれ。実業家。丸紅の初代社長。「正・新・和」の精神で総合商社「丸紅」発展の基礎を築いた。伊藤忠商事に入社、大同貿易を経て、丸紅商店に移る。 1949年丸紅の初代社長に就任。高島屋飯田を吸収、総合商社丸紅飯田…
1917年5月29日 – 2000年11月12日)は京都府生まれ。実業家。東洋紡績社長や関経連会長を務めた。呉羽紡の織物部長となっていた1966年に会社が東洋紡績と合併し、加工品輸出部副部長となった。さらに半年後に商品開発部長を経て、1968年に新設の化成品事業…
明治29年(1896)7月25日~- 1986年12月16日)は広島県生まれ。住友銀行頭取、大阪テレビ放送社長、朝日放送社長、ホテルプラザ社長を歴任した実業家。住友グループの社長会である白水会の名付け親でもある。息子・鈴木雍も住友銀行に入り、住友クレジット社長に。
…1926年(大正15年)5月19日 – 2001年(平成13年)6月23日)は、日本の経営者・実業家。キヤノン元社長・会長・名誉会長。グローバル企業構想を打ち出し、技術力の強化や海外進出による国際化を推進すると共に、カメラ中心の光学メーカーだったキヤノンカメラを…
1914年9月21日 – 2009年8月25日)は新潟県生まれ。実業家。近畿日本鉄道(近鉄)元社長(大阪電気軌道創業から10代目)・会長、近鉄グループの元代表者。社長就任時には「攻めの経営」を表明し、三大プロジェクトと位置付けた上本町やあべの橋のターミナル整備、…
明治21(1888)年5月17日―昭和40(1965)年12月18日、山口県生まれ。実業家。中学校教員、小国民新聞記者、ラクトー(のちのカルピス食品工業)社員を経て、大正8年宝田石油に入った。10年日本石油との合併で設立の日本石油株式会社に転じ、秘書、人事部に勤め、昭和17…
1919年11月1日 – 1999年11月3日)は大阪生まれ。実業家。サントリー第2代社長、元会長。基礎科学研究を熱心にサポートした実業家としても知られる。1991年 サントリー生物有機科学研究所所長に就任。ACジャパン(旧:公共広告機構)の発起人として知られる…
明治29年10月20日(1896)-平成4年(1992)12月26日東京生まれ。 昭和時代の経営者。大正10年藤本ビルブローカー銀行(現大和証券)にはいる。昭和32年社長,38年会長。日本最初の積み立て投資業務の開始,国際部門の強化など,積極的な経営方策をとる。日本証券保有…
氏は出光興産の創業者・出光佐三氏に次いで二人目の「私の履歴書」登場となりました。出光興産では佐三氏を創業者とは呼ばず店主と呼び尊敬されていた。その店主の経営理念は、「人間尊重であり、会社を大きな家族と考え、どんな艱難に遭っても社員を馘首することなく、社員は事業の実践を通して…
1904年11月12日 – 1972年4月24日)は千葉県生まれ。実業家。商学博士。華麗なる一族。 父 直一(実業家、政治家・千葉県議会議長)、兄 安西浩(実業家・東京ガス会長)、妻 満江(森コンツェルンの創業者森矗昶の長女)、長男 孝之 同妻 恵美子(元日清製…
1913年(大正2年)3月31日 – 2004年(平成16年)7月3日)は神奈川県生まれ。実業家。昭和電工社長・会長や企業メセナ協議会初代会長、経団連常任理事などを歴任。経済同友会設立や湘南国際村発起にも関わった。昭和電工の廃液による水銀汚染の食物連鎖で起きた四…
1938年4月29日 – )は兵庫県生まれ。実業家。1993年にグループ会社の大和団地代表取締役社長に就任。2001年4月に大和団地と大和ハウス工業の合併により、合併後の大和ハウス工業の社長に就任。大和ハウス工業最高顧問。2005年から2013年3月まで大阪商工…
1908年10月15日 ‐ 1990年7月31日)は岡山県生まれ。英語学者、東京外国語大学名誉教授。神田外語大学初代学長。発音を重視した英語教授法を広めた人物として一般に知られている。英語教育においては「語学の学習は根本的には誤りをおかさせないようにすることが大切である。間…
「私の履歴書」では、幼年期から青年期、戦後の再出発の日(昭和22年4月26日)の代議士(28歳)で当選したまでを書いているが、その間、高等小学校を卒業後は土木工事の現場で働き、その後、柏崎の県土木派遣所に勤めた。上京して、木場で働いたり、井上工業に住み込みで働きながら、製図…
1900年4月4日 – 1968年12月16日)は佐賀県生まれ。実業家。リコーを中心とする「リコー三愛グループ」の創始者。「人の行く裏に道あり花の山」を座右の銘とし、常識の裏をかくアイディア社長として一世を風靡した。現在も銀座4丁目交差点に建つ、円柱・総ガラス張…
氏は、建設業会では10人目「鹿島守之助・石川六郎(鹿島)、中山幸市(太平)、江戸英雄(三井)、戸田利兵衛(戸田)、田鍋健(積水)、石橋信夫・樋口武男(大和)、潮田健次郎(住生活グループ)」となるが、鹿島建設の2人、大和ハウスの2人に次いで積水ハウスが2人目となった。大和ハウ…
1917年〈大正6年〉10月7日 – 2012年〈平成24年〉1月3日)は千葉県生まれ。実業家。大学卒業後は南満洲鉄道に入社するも召集を受け、陸軍経理学校を首席卒業。中国各地を転戦し、陸軍主計中尉として太平洋戦争の敗戦を迎える。復員後、1946年、大蔵省の子会社…
1890年4月27日 – 1986年9月9日)は熊本県生まれ。実業家。日窒コンツェルンの野口遵と共に、当時世界最大級の水豊ダムをはじめ、朝鮮北部に大規模なダムを建設した。戦後は建設コンサルタント会社日本工営社長を務めた。日窒コンツェルンの長津江水電、朝鮮送電の取…
1912年10月21日 – 1993年8月2日)は大阪生まれ。実業家。積水ハウス元会長・社長。1936年に日本窒素肥料株式会社入社。1950年、新日本窒素肥料株式会社(現・チッソ株式会社)熊本営業所長。戦後、積水化学工業株式会社に入社。1955年に同取締役、19…
1895年11月24日 – 1970年11月15日)、大阪府出身の実業家。 東洋工業(現マツダ)3代目社長。実父は東洋工業創始者の松田重次郎、息子にマツダ4代目社長の松田耕平。自身から孫の松田元と3代続けて広島東洋カープオーナーである。恒次は世界の誰もが成し遂げ…
13 中興の祖
13 中興の祖
1914年8月31日 – 2005年12月26日)は東京生まれ。実業家。元横河電機社長。横河ヒューレット・パッカード株式会社(現・日本ヒューレット・パッカード株式会社)初代社長。横河電機の中興の祖と称される。社長時代、横河・北辰の合併により、余剰となった人材をリ…
1929年(昭和4年)6月4日 – 2011年(平成23年)1月3日)は、歌舞伎役者。父は四代目中村富十郎、母は日本舞踊吾妻流家元の吾妻徳穂。生前は随一の立方、踊りの名手として知られた。若年時、上方を中心に活躍した際には、二代目中村扇雀とともに、その美貌から「扇…
氏の業種は鉄道広告の代理店・会長とすれば、電通の成田豊氏や博報堂の近藤道生氏に続いて3人目となりますが、ぐるなび創業者としてみると、情報通信系に入り、鈴木幸一氏(IIJ)や小野寺正(KDDI)、東哲郎(東京エレクトロン)に次いで4番目となります。
1.父の死と…
1919年2月27日 – 2001年5月22日)は大阪生まれ。美術史学者。東京大学名誉教授、群馬県立女子大学名誉教授。近世初期の長谷川等伯、俵屋宗達、尾形光琳など琳派の研究が専門。画家の伝記的研究に努め、長く美術誌「國華」の主幹を務めた。浮世絵の祖は岩佐又兵衛だ…
1929年9月19日 – 2011年11月20日)は、日本の実業家。1993年から長年にわたり電通のトップに君臨した。電通の新聞雑誌局長や営業総務担当取締役などを経て、1993年に社長に就任。2001年の株式上場や汐留新本社移転などを指揮した。大手広告代理店・電…
明治20年(1887年)3月21日 – 昭和53年(1978年)9月19日)は愛媛県生まれ。実業家。日商株式会社(後の日商岩井、現・双日)の元会長。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、鈴木商店の番頭金子直吉の指示で投機的な買付を指揮する。また本国を介さない三…
1878年〈明治11年〉7月2日 – 1974年〈昭和49年〉12月28日)は大阪生まれ。明治・大正・昭和時代の実業家。特に「カルピス」生みの親、カルピス株式会社の創業者として著名。海雲はマーケティング活動にも秀でていた。「カルピス」という特色ある商品名の考案、…
1921年5月27日 – 2005年8月2日)は東京生まれ。フランス料理シェフ。元帝国ホテル顧問。愛称は「ムッシュ村上」。日本でフランス料理を広めた功労者。帝国ホテルの料理長を26年間務め、『きょうの料理』の名物講師として家庭へプロの味を広めた。バイキング方式で…
大正2年(1913)10月7日―平成11年〈1999〉4月15日)大阪生まれ。実業家。父が創立した美津濃(現ミズノ)に昭和17年取締役としてはいり,44年社長,63年会長。世界にさきがけて炭素繊維をゴルフクラブに採用するなど商品開発に力をいれ,海外の営業・生産拠点づくりをす…
この会社は、第一次産業の農林水産業の林業から出発して、現在注目の第六次産業である生産・加工・流通・販売まで行う世界シエアトップのユニークな住宅企業になっている。これも矢野氏が早くから海外に人脈をつくり、海外住宅進出に取組んだ成果だった。当初四国の別子銅山開発から発生した山林…
明治20年(1887年)3月21日 – 昭和53年(1978年)9月19日)は愛媛県生まれ。実業家。日商株式会社(後の日商岩井、現・双日)の元会長。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、鈴木商店の番頭金子直吉の指示で投機的な買付を指揮する。また本国を介さない三…
1926年(大正15年)5月31日 – 2008年(平成20年)10月5日)は東京生まれ。政治家。参議院議員(5期)、参議院議長(第17・18代)、環境庁長官、埼玉県知事(第54・55・56代)、埼玉県議会議員(2期)、自由民主党参議院議員会長を歴任。三権の長経…
1931年3月9日 – ) は岐阜生まれ。映画監督。1960年代にかけて大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれた。早々に会社と衝突して独立した二人と異なり、篠田は松竹にしばらく残った後、1966年にフリーになり、翌1967年に独立プロダクション…
大正4年(1915)09月13日―平成3年(1991)5月7日)は大阪生まれ。実業家、川崎製鉄会長。 社内指示「良いと思うこと、正しいと思うことは最初からちゃんとやりなさい。他社がやったから、と言うのは、おかしいじゃないか」。
1.川崎造船所と川崎製鉄 私が昭…
1904年11月12日 – 1972年4月24日)は千葉県生まれ。実業家。商学博士。華麗なる一族。 父 直一(実業家、政治家・千葉県議会議長)、兄 安西浩(実業家・東京ガス会長)、妻 満江(森コンツェルンの創業者森矗昶の長女)、長男 孝之 同妻 恵美子(元日清製…
1913年(大正2年)9月4日 – 2000年(平成12年)1月31日)は福島県生まれ。実業家である。1961年にオリエンタルランドへ専務として入社。1978年8月に第2代同社社長に就任する。千葉県浦安沖の漁業権放棄に向けて、地元漁業協同組合などとの補償交渉を担…
1935年1月16日 – )は京都府生まれ。実業家。1988年にテイジン・インドネシア・ファイバー・コーポレーション社長を歴任。1992年に帝人に戻り取締役、1993年に常務取締役、1994年に専務取締役を経て1997年に同代表取締役社長に就任。1999年にCE…
1905年(明治38年)2月22日 – 1987年(昭和62年)9月25日)は昭和期の日本の経営者。日本興業銀行常務、日産化学工業社長、山一證券社長・会長、国際電信電話会長を務めた。山一の日銀特融が決まり失意の1965年10月には、小林中、宇佐美洵、中山素平、木…
1904年(明治37年)6月24日 – 1979年(昭和54年)2月2日)は石川県生まれ。昭和期の建築家である。東宮御所、帝国劇場の設計者、庭園研究者、東京工業大学教授。子の谷口吉生も建築家である。明治建築の代表作である鹿鳴館が取り壊される様子を山手線の車中から…
1926年5月9日 – 2001年8月19日)は鳥取県鳥取市生まれ。生態学者、人類学者、霊長類学者。当初は大分県高崎山のニホンザルの生態研究を行い、その後、1950年代末からアフリカにおいてチンパンジーやゴリラの生態を追い続け、これら霊長類の世界に大きな社会構造…
1916年(大正5年)1月2日 – 1991年(平成3年)10月29日 )は愛知県生まれ。実業家。名古屋鉄道(名鉄)の元社長。「人を基本に、従業員を尊重し、地域との共生を図ること」をモットーに、リトルワールドや杉本美術館などの文化施設の開設や1989年(平成元年…
1883年(明治16年)2月28日 – 1973年(昭和48年)3月29日)は鳥取県生まれ。実業家、財界人である。三井物産へ入社、 1920年(大正9年)王子製紙取締役に就任 、1942年(昭和17年)同社社長就任 、1951年(昭和26年)ラジオ東京(現・TB…
明治22(1889)年10月15日‐昭和50(1975)年1月12日、滋賀県生まれ。大正・昭和期の実業家。北海カーバイド工場(電気化学工業の前身)に入り、大正4年青海工場長、昭和26年社長。30年日本カーバイド工業会会長。カーバイド、石灰窒素工業の発展、戦後の石油化学進出な…
1906年(明治39年)11月17日 – 1991年(平成3年)8月5日)は静岡県生まれ。技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。会社のハンコを藤沢武夫に預け、経営もすべて任せていた。本田は社印も実印も見たことがなく、技術部門に集中し、の…
(明治20(1887)年7月25日―昭和49(1974)年2月17日)茨城県生まれ。大正5年太陽生命に入るが、社内の封建ムードに反発して退社、7年日本鋼管に転じ総務部長、勤労部長を経て昭和17年取締役、常務から22年社長となった。38年会長、41年相談役。労務対策の専門家で…
1886年(明治19年)6月3日 – 1975年(昭和50年)3月6日)は東京生まれ。財界人、経営者。逓信省を退官、第一生命保険に入社し、のち社長。三井銀行(現・三井住友銀行)頭取の佐藤喜一郎と東京芝浦電気(現・東芝)社長の津守豊治の依頼で、1948年(昭和23…
10 影響を与えた思想家
10 影響を与えた思想家
1942年1月12日~2020年10月13日)岡山県生まれ。実業家。1966年 大学卒業後、会社の中核事業をデンプン加工業から、デンプンの研究・開発を重視するデンプン化学工業にシフトすると宣言。1970年 研究部門を独立させて「林原生物化学研究所」を設立。1988年 イン…
1912年〈大正元年〉12月1日 – 2003年〈平成15年〉11月27日)は群馬県生まれ。実業家。住友生命保険社長・会長。その他にも、思想家・安岡正篤の思想に共鳴して親炙し、1977年(昭和52年) – 2003年(平成15年)まで関西師友協会会長…
1896年(明治29年)4月20日 – 1986年(昭和61年)6月15日)は石川県生まれ。日本の蒔絵師。伝統工芸の復興に力を尽くす一方で並木製作所の蒔絵万年筆(ダンヒル・ナミキ)の製作指導といった新しい蒔絵の模索も行っている。漆工芸史に名を残す名匠として、「漆…
明治40(1907)年4月22日~昭和62(1987)年3月24日)は愛知県生まれ。昭和期の実業家 日本信販名誉会長;全国信販協会会長;日本クレジット産業協会会長;日本アマチュアボクシング連盟名誉会長。 昭和23年名古屋百貨サービス、26年日本信用販売を創設、33年日本信用…
1884年(明治17年)2月20日 – 1964年(昭和39年)12月14日)は、日本の実業家。第二次世界大戦後における大阪・関西財界の代表者。曽祖父は吉田松陰の父である杉常道、祖父は松陰の兄の杉民治。 八木商店社長となり、大阪商工会議所会頭を23年間務め、日本…
氏は宗教的関係者としてこの「履歴書」に登場した、鈴木大拙、橋本凝胤、池田大作、御木徳近、庭野日敬、立花大亀、葉上照澄、山田恵諦、有馬頼底、森本公誠についで11人目である。父が本願寺僧侶、母も寺持ち僧侶の次女であったから、人間の生と死を早くから見つめ、考える環境にあった。
1928年1月2日 – )は東京生まれ。宗教家、作家。宗教法人・創価学会の名誉会長、SGI(創価学会インタナショナル)会長。随筆、小説、対談集などの他、仏法哲学の解説書、子ども向けの童話なども執筆している。また、写真家・詩人としても活動している。国家指導者を初め…
1870年11月11日〈明治3年10月18日〉 – 1966年〈昭和41年〉7月12日)は石川県生まれ。仏教学者、文学博士である。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代…
1870年11月11日〈明治3年10月18日〉 – 1966年〈昭和41年〉7月12日)は石川県生まれ。仏教学者、文学博士である。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代…
1901年(明治34年)5月14日 – 1983年(昭和58年)10月16日)は神奈川県生まれ。政治家。参議院議長。1975年(昭和50年)7月4日の参議院本会議で、政治資金規正法改正案の採決の際、可否同数となり、議長決裁によって可決とした。議長が決裁権を行使し…
1888年6月6日 – 1981年8月1日)。長崎県生まれ。ジャーナリスト、婦人運動家、作家、翻訳家、評論家。在学中に青鞜社に参加する。青森県立女学校の教師ののち、東京日日新聞の記者となった。 1916年、金銭援助をしていた愛人の大杉栄が、新しい愛人の伊藤野枝に…
1897年11月12日 – 1980年9月17日)は、日本の医学者、精神科医。キリスト教思想家として著名な内村鑑三を父、内村の4度目の妻内村静子を母として、東京府に誕生する。学生野球界では特に一高時代に、早稲田・慶應義塾を久しぶりに撃破するなど名だたる左腕投手と…
1878年〈明治11年〉7月2日 – 1974年〈昭和49年〉12月28日)は大阪生まれ。明治・大正・昭和時代の実業家。特に「カルピス」生みの親、カルピス株式会社の創業者として著名。海雲はマーケティング活動にも秀でていた。「カルピス」という特色ある商品名の考案、…
1894年5月1日 – 1997年5月3日)は兵庫県生まれ。実業家。住友化学工業社長・会長。住友化学の中興の祖。住友総本店へ入社した翌年の2月、個人経営だった住友総本店は新しく資本金1億5千万円の住友合資会社と衣替えした。その後は、住友金属工業、住友本社を経て、…
1932年2月9日 – )は広島県呉市生まれ。元プロ野球選手(内野手)・元監督、野球解説者(評論家)。 現役時代は読売ジャイアンツで活躍、監督としてヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた。千葉ロッテマリーンズゼネラルマネージャーを…
1912年(大正元年)8月27日 – 2004年(平成16年)4月12日)は兵庫県生まれ。実業家。1937年に当時従業員4名だった東京電気化学工業(現TDK)に入社。入社後は一貫して営業部門を担当し、松下電器産業(現・パナソニック)など大口の取引先を開拓。昭和4…
1898年(明治31年)7月22日 – 1978年(昭和53年)5月6日)は東京生まれ。狂言方能楽師、五世野村万造の長男。九世三宅藤九郎は弟。戦後の「第一次狂言ブーム」において、息子の万之丞(七世万蔵)・万作などの活動と共にクローズアップされる。芸風は型に忠実な…
1896年(明治29年)4月20日 – 1986年(昭和61年)6月15日)は石川県生まれ。日本の蒔絵師。伝統工芸の復興に力を尽くす一方で並木製作所の蒔絵万年筆(ダンヒル・ナミキ)の製作指導といった新しい蒔絵の模索も行っている。漆工芸史に名を残す名匠として、「漆…
1933年(昭和8年)11月18日 – )は宮崎県生まれ。日本の実業家。日揮名誉顧問。日揮元代表取締役社長・会長・日揮グループ代表・相談役。重久氏は日本工営、千代田化工など同業のプラント企業としては、日本工営の久保田豊に続いて2番目の登場人物となる。
<...1885年(明治18年)3月28日 – 1982年(昭和57年)2月6日)は茨城県出身。実業家、酪農家、政治家、教育者、環境運動家。北海道製酪販売組合連合会(現在の雪印メグミルク)、北海道酪農義塾(現在の酪農学園大学)の設立者。日本の酪農業の発展と北海道開発に功…
(明治35年(1902)7月5日―昭和59年(1984)死去)は愛知県生まれ。実業家。第16代次郎左衛門。中京圏の経済・文化発展に貢献した。伊藤次郎左衛門家は松坂屋(名古屋店の商号は「伊藤屋」(1611年)」→「いとう」(1834年)→「いとう呉服店」(1900年)→「松坂…
1892年(明治25年)3月1日 – 1978年(昭和53年)6月6日)は茨城県生まれ。実業家。1956年(昭和31年)11月 – 三菱電機会長。1965年(昭和40年)6月 – 日韓会談の首席代表として日韓基本条約等に調印。1969年(…
1895年〈明治28年〉5月26日 – 1989年〈平成元年〉9月27日)は愛知県生まれ。哲学者。法政大学総長などを務めた。ジンメル、カントの翻訳や、文芸、美術、宗教、思想などの幅広い評論活動を行った。また宮沢賢治の研究家でもあり、自ら詩も書いた。賢治については…
11 慕われた教育者
01 教授
11 慕われた教育者
01 教授
1915年3月16日 – 1997年7月26日)は東京都出身。数学者。日本人初のフィールズ賞およびウルフ賞受賞者。フィールズ賞を1954年に日本人として初めて受賞(調和積分論、二次元代数多様体(代数曲面)の分類などによる)。1948年、ヘルマン・ワイルによりプリ…
1916年9月27日 – 2007年3月23日)は島根県松江市生まれ。分子生物学者。1949年江上不二夫、柴谷篤弘らと研究会を作り「核酸シンポジウム」を開催。フルブライトの資金で1953年から1955年までカリフォルニア大学に留学し、バクテリオファージの研究を開…
1924年4月30日 – )は東京生まれ。実業家。1958年ヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)を設立し、同社代表取締役社長に就任。1973年ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)を設立し、同社代表取締役社長に就任。同年デニーズジャパンを設立し、同社代表取締役社長…
1915年3月16日 – 1997年7月26日)は東京都出身。数学者。日本人初のフィールズ賞およびウルフ賞受賞者。フィールズ賞を1954年に日本人として初めて受賞(調和積分論、二次元代数多様体(代数曲面)の分類などによる)。1948年、ヘルマン・ワイルによりプリ…
1915年7月4日 – 2005年8月12日)は千葉県生まれ。日本銀行理事。日本銀行に入行する。日銀では調査局に勤め、内国調査課長、局次長、局長を経て1970年に理事に就任した。1974年に山一證券経済研究所理事長に転じ、1984年に会長、1985年に特別顧問と…
1912年(大正元年)8月27日 – 2004年(平成16年)4月12日)は兵庫県生まれ。実業家。1937年に当時従業員4名だった東京電気化学工業(現TDK)に入社。入社後は一貫して営業部門を担当し、松下電器産業(現・パナソニック)など大口の取引先を開拓。昭和4…
1902年10月4日 – 2000年3月27日)は大阪堺生まれ。フランス文学者・評論家。1928年学校騒動で関西大学を辞職して渡仏し、ソルボンヌ大学に学ぶ。1930年に帰国。堺の生家でジャン・コクトー『山師トマ』を翻訳。上京後、ファーブル『昆虫記』を三好達治と共…
明治33年(1900年)2月25日 – 昭和55年(1980年)10月15日)は高知県生まれ。昭和期の漢方復権に尽力した代表的な日本の医師。東洋医学の発展に貢献した業績により1978年に日本医師会より最高優功賞を日本で初めて受賞。漢方に傾倒したきっかけは、昭和2…
1902年10月8日 – 1992年4月20日)は石川県生まれ。内科学者。東京大学名誉教授。1946年坂口康蔵の後任として44歳で東京帝国大学医学部(後東京大学医学部)医学科内科学第三講座教授。第二内科出身者が、第三内科の教授に就任することは異例であった。自律神…
未知の世界を紹介してもらい、面白く愉しかった。氏はフィールドワークが売り物の京都大学・人類学・考古学分野で、今西錦司、梅棹忠夫、河合雅雄、樋口隆康、伊谷純一郎、梅原猛につぐ7番目登場だった。発想が奇抜でその行動が愉快であった。「食」に関する著作も多い。是非読んでみたい。学者…
1924年(大正13年)1月2日 – )は兵庫県生まれ。霊長類学者、児童文学作家で理学博士。半世紀以上にわたってサルを研究。モンキー博士として知られるサル学の世界的権威。京都大学霊長類研究所所長、日本モンキーセンター所長などを歴任。サルを観察することによって進化…
1940年〈昭和15年〉2月7日 – 2021年〈令和3年〉7月23日)は愛知県生まれ。理論物理学者。専門は素粒子理論。京都大学基礎物理学研究所所長、日本学術会議会員を歴任した。2008年、「小林・益川理論」による物理学への貢献でノーベル物理学賞を受賞。京都大学…
作曲家でこの「履歴書」に登場したのは、山田耕筰、古賀政男、服部良一、吉田正、船村徹、遠藤実、團伊玖磨、小椋佳、服部克久、村井邦彦の諸氏に次いで氏は11番目である。しかし、いままでの作曲家とは随分イメージが違っていた。落語、読書、詩歌、演劇、映画、オペラなどに首を突っ込み、異…
1900年(明治33年)4月15日 – 1986年(昭和61年)2月10日)は東京市に生まれる。日本画家。府立工芸を経て、1924年(大正13年)東京美術学校卒業。その後松岡映丘に師事。1944年(昭和19年)東京芸術大学助教授、1947年(昭和22年)女子美術…
1889年(明治22年)5月8日 – 1970年(昭和45年)7月4日)は静岡県生まれ。会計学者、公認会計士。一橋大学名誉教授、元・中央大学教授。商学博士(一橋大学)。監査法人太田哲三事務所(EY新日本有限責任監査法人の前身)の創設者で、日本公認会計士協会の初代…
1887年8月15日 – 1972年1月28日)は東京生まれ。実業家。住友鉱業(現住友金属鉱山)初代社長、石油開発公団初代総裁などを歴任。大正8年~10年欧米出張。昭和6年住友伸銅鋼管取締役、7年住友別子鉱山常務、専務を経て、16年住友鉱業(現住友金属鉱山)初代…
1889年1月3日 – 1965年12月3日)は東京生まれ。政治家。右派社会党委員長、日本社会党委員長を歴任した。1955年、社会党再統一となると、委員長の座を左派社会党の鈴木茂三郎に譲り、自らは党の顧問となった。その後の河上は平和運動に邁進し、戦時中に商工大臣…
1888年(明治21年)12月23日 – 1984年(昭和59年)5月28日)は、日本の学者、社会思想家、教育者(初代広島大学学長・名誉教授)、政治家(衆議院議員、文部大臣)。教員の地位向上に努め1952年、日本ユネスコ国内委員会発足で副会長(のち会長)、国際会…
1888年7月4日 – 1976年4月23日)は岡山県生まれ。実業家・政治家。参議院議員、商工大臣(第33代)、通商産業大臣(初代)を歴任した。第一高等学校 (旧制)中退を経て、1913年慶應義塾大学理財科を卒業。三井物産に内定していたが、古河財閥当主・古河虎之…
1896年(明治29年)11月21日 – 1988年(昭和63年)8月19日)は東京都生まれ。経済学者。東京大学名誉教授。日本経済史専攻。日本資本主義論争では労農派の論客として活躍。人民戦線事件に連座し、大学を追放される。戦後、大学復帰。1954年に「封建社会崩…
1919年6月1日 – 2015年4月2日)は福岡県生まれ。考古学者。1957年京都大学文学部助教授、同年より敦煌を調査。1959年以降、京都大学学術調査隊に参加してインド、アフガニスタン、パキスタンなどの仏教遺跡を調査。1975年教授。1983年定年退官、泉屋…
明治19年(1886年)5月10日 – 昭和45年(1970年)5月14日)は富山県生まれ。農商務官僚、政治家、実業家。昭和17年(1942年)に東京市助役に就任。戦後、昭和20年(1945年)10月、幣原内閣の松村謙三農林大臣の下で農林次官を務め、1946年(…
1924年(大正13年)1月2日 – )は兵庫県生まれ。霊長類学者、児童文学作家で理学博士。半世紀以上にわたってサルを研究。モンキー博士として知られるサル学の世界的権威。京都大学霊長類研究所所長、日本モンキーセンター所長などを歴任。サルを観察することによって進化…
1902年1月6日- 1992年6月15日は京都府生まれ。日本の生態学者、文化人類学者、登山家。 今西の活動は登山家、探検隊としてのものと、生態学者としてのものがあり、彼の中では両者が不可分に結びついている。探検家としては国内で多くの初登頂をなし、京都大学白頭山遠征隊の隊長…
1918年(大正7年)3月5日 – 1997年(平成9年)12月25日)は東京生まれ。小説家・文芸評論家・詩人。東京帝国大学の仏文科に進学。卒業論文はネルヴァルを選ぶ。在学時に堀辰雄の知遇を得て、終生師事した。プルーストと『源氏物語』という、中村の二大文学的源泉…
1902年10月4日 – 2000年3月27日)は大阪堺生まれ。フランス文学者・評論家。1928年学校騒動で関西大学を辞職して渡仏し、ソルボンヌ大学に学ぶ。1930年に帰国。堺の生家でジャン・コクトー『山師トマ』を翻訳。上京後、ファーブル『昆虫記』を三好達治と共…
作曲家でこの「履歴書」に登場したのは、山田耕筰、古賀政男、服部良一、吉田正、船村徹、遠藤実、團伊玖磨、小椋佳、服部克久、村井邦彦の諸氏に次いで氏は11番目である。しかし、いままでの作曲家とは随分イメージが違っていた。落語、読書、詩歌、演劇、映画、オペラなどに首を突っ込み、異…
1919年10月26日 – 2012年12月7日)は富山県生まれ。経済学者。一橋大学名誉教授。専門は経済理論。大蔵省の研究員を4年間務めたのち、一橋大学経済研究所の助教授に就任。そこで大川一司の影響を受け、理論研究から、実証研究に重点を移す。日本経済学会会長、景…
明治45(1912)年3月1日~昭和59(1984)年8月31日)は宮城県生まれ。昭和期の実業家 元・日本郵船社長。53年会長。低成長時代にそなえ保有タンカーを削減して海運不況をきりぬけ,電力用炭の輸送に進出,「菊地商法」とよばれる合理的な経営手腕を発揮した。この間、日本船…
1894年(明治27年)1月31日 – 1994年(平成6年)3月24日)は東京生まれ。小説家、随筆家、俳人。慶應義塾大学文学部在学中に、『三田文学』主幹で西洋美術史家の澤木四方吉から教えを受け、『三田文学』で作品を発表し始める。1916年に先輩作家の文章につい…
1898年(明治31年)12月21日 – 1988年(昭和63年)11月9日)は神奈川県生まれ。物理学者。第17代東京大学総長(1957年 – 1963年)。専門は、強磁性結晶体の研究。日本学術会議会長として日本の南極観測参加に尽力する。 また、日本…
作曲家でこの「履歴書」に登場したのは、山田耕筰、古賀政男、服部良一、吉田正、船村徹、遠藤実、團伊玖磨、小椋佳、服部克久、村井邦彦の諸氏に次いで氏は11番目である。しかし、いままでの作曲家とは随分イメージが違っていた。落語、読書、詩歌、演劇、映画、オペラなどに首を突っ込み、異…
氏はこの「私の履歴書」に自民党幹事長68歳で登場された。歴代の首相経験者は、片山哲(69歳)、石橋湛山(73)、鳩山一郎(72)、岸信介(63)、田中角栄(48)、中曽根康弘(74)、福田赳夫(88)村山富市(72)、細川護熙(72)、森喜朗(75)の11名のうち、田名角栄…
1935年(昭和10年)7月14日 – 2021年(令和3年)6月6日)は満州国の新京生まれ。化学者。2010年、ノーベル化学賞受賞。帝人グループ名誉フェロー。北海道大学触媒科学研究所及びパデュー大学の特別教授。2011年(平成23年)、母校ペンシルベニア大学か…
02 恩師
02 恩師
1936年12月3日 – )は大阪府生まれ。元サッカー選手、元日本代表監督。Jリーグ初代チェアマンを経て、第10代日本サッカー協会 (JFA) 会長を務めた。早稲田大学ア式蹴球部に所属し、日本代表として東南アジア方面に同行。当時イギリス領だった香港のクリケットの…
サッカー界でこの「履歴書」に登場したのは、川淵三郎に次いで二人目である。氏はストライカーの日本代表として76試合で75得点を挙げ、男性の日本記録保持者であるが、澤穂希は83得点だから彼女には負けている。氏はFWで彼女はMFであるから、ゴールゲットはポストに近いポジションでは…
1944年3月5日 – )は樺太生まれ。日本の実業家。株式会社ニトリの創業者で同社および持株会社である株式会社ニトリホールディングス代表取締役会長。日本チェーンストア協会副会長。ニトリは、インテリア小売業大手の企業である。「私の履歴書」に登場した小売業はダイエー…
1908年(明治41年)7月9日 – 2001年(平成13年)12月29日)は神奈川県生まれ。大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた指揮者。戦後の引き揚げ後は、大阪音楽学校および大阪音楽高等学校に勤務しつつ、1947年(昭和22年)4月、…
1924年(大正13年)1月2日 – )は兵庫県生まれ。霊長類学者、児童文学作家で理学博士。半世紀以上にわたってサルを研究。モンキー博士として知られるサル学の世界的権威。京都大学霊長類研究所所長、日本モンキーセンター所長などを歴任。サルを観察することによって進化…
1886年(明治19年)6月12日 – 1973年(昭和48年)5月29日)は滋賀県生まれ。実業家。伊藤忠財閥の2代目当主である。父・初代伊藤忠兵衛が呉服店として創業した伊藤本店を発展させ、伊藤忠商事と丸紅という2つの総合商社の基礎を築いた。二代目忠兵衛はカタカ…
1882年12月 – 1969年8月12日)は北海道生まれ。政治家、実業家。貴族院勅選議員、参議院議員。 町村金弥は父。政治家町村信孝は甥。町村金五(元北海道知事、自治大臣)は実弟。敬貴がアメリカに渡った翌年の明治40年春、宇都宮仙太郎がアメリカに牛を買いに来て…
1885年(明治18年)3月28日 – 1982年(昭和57年)2月6日)は茨城県出身。実業家、酪農家、政治家、教育者、環境運動家。北海道製酪販売組合連合会(現在の雪印メグミルク)、北海道酪農義塾(現在の酪農学園大学)の設立者。日本の酪農業の発展と北海道開発に功…
1921年(大正10年)7月9日 – 2004年(平成16年)2月20日)は鹿児島生まれ。政治家。衆議院議員(17期)、沖縄開発庁長官(初代)、防衛庁長官(31代)、自由民主党政務調査会長(23代)、通商産業大臣(43代)などを歴任した。税制のスペシャリストとし…
建築家としてこの履歴書に登場は、谷口吉郎、丹下健三、磯崎新、安藤忠雄、谷口吉生に次ぐ6人目であるが、宮大工の西岡常一を入れると7人目となる。氏は、「家は全ての建築の原点だ。人間的なスケールや優しさを備え、自然や土地に溶け込み、多様な暮らし方を受け止める。そんな家の形があって…
1924年10月26日 – 2012年1月9日)は神奈川県鎌倉市生まれ。日本画家、陶芸家。政治家小泉策太郎の七男で、俳優小泉博は弟にあたる。山本丘人に師事し、1952年東京藝術大学日本画科を卒業。その後デザイナーとして活動し、陶芸家としても注目された。その間も日…
1893年(明治26年)4月24日 – 1966年(昭和41年)2月4日)は大阪生まれ、実業家。1949年(昭和24年)、朝日麦酒(現・アサヒグループホールディングス)社長に就任。サントリーにも関与。その後、新大阪ホテル、大阪ロイヤルホテルを設立。民芸運動を支援…
1896年(明治29年)12月30日 – 1971年(昭和46年)8月17日)は新潟県生まれ。実業家、映画製作者、プロ野球オーナー。東映の事実上の創業者である。中央大学在学中に鉄道院に入る。鉄道省事務官時代は地方鉄道の経理知識に長け、計数管理では省内随一と言わし…
1900年9月14日 – 1984年1月11日)は大分県生まれ。実業家。小田急電鉄社長、同名誉会長。小田急百貨店会長。社長就任後、箱根の観光開発に注力、堤康次郎率いる西武鉄道系の伊豆箱根鉄道と対立し、箱根山戦争と呼ばれる競争を繰り広げた。
1.新宿…
1915年9月21日 – 1986年11月26日)は和歌山県生まれ。日本の囲碁棋士。本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格(たかがわ しゅうかく)と号し、後に二十二世本因坊を贈られる。光原伊太郎名誉八段門下。本因坊位の他にも、名人、十段等タイトル多数…
1924年4月5日 – 2018年9月15日)は東京生まれ。元経済官僚、経済評論家。経済企画庁経済研究所次長、日本経済研究センター理事長を経て、1987年同会長。2000年から2005年まで景気循環学会会長。日本経済研究センター顧問。1987年『男の選択』で日本…
1923年5月13日 – 2016年4月22日)は福岡県生まれ。実業家。立花証券の父として知られ、最後の相場師などの異名も。警視庁を退官ののち昭和23年(1948年)6月に東京自由証券株式会社に入社、株式新聞の記者などを経て、昭和28年(1953年)3月29歳の…
1922年 徳島県生まれ。小説家、天台宗の尼僧。 僧位は権大僧正。 出家を志して、多くの寺院にあたるも拒否されていたが、1973年に今春聴(今東光)大僧正を師僧として中尊寺にて天台宗で得度、法名を寂聴とする(戸籍上の氏名は、1987年に天台寺住職となった際に瀬戸内寂聴に改名…
1893年(明治26年)4月24日 – 1966年(昭和41年)2月4日)は大阪生まれ、実業家。1949年(昭和24年)、朝日麦酒(現・アサヒグループホールディングス)社長に就任。サントリーにも関与。その後、新大阪ホテル、大阪ロイヤルホテルを設立。民芸運動を支援…
1890年4月27日 – 1986年9月9日)は熊本県生まれ。実業家。日窒コンツェルンの野口遵と共に、当時世界最大級の水豊ダムをはじめ、朝鮮北部に大規模なダムを建設した。戦後は建設コンサルタント会社日本工営社長を務めた。日窒コンツェルンの長津江水電、朝鮮送電の取…
1902年12月14日 – 1993年5月17日)は香川県生まれ。昭和期の洋画家。新制作協会創立会員。 「絵を描くには勇気がいる」とよく口にし、新しいものへ挑戦し続けた彼の画業は多くの人の心を捉えている。丸亀市にある猪熊弦一郎現代美術館(設計:谷口吉生)には、猪…
1878年〈明治11年〉7月2日 – 1974年〈昭和49年〉12月28日)は大阪生まれ。明治・大正・昭和時代の実業家。特に「カルピス」生みの親、カルピス株式会社の創業者として著名。海雲はマーケティング活動にも秀でていた。「カルピス」という特色ある商品名の考案、…
1899年10月3日 – 1984年3月16日)は京都府生まれ。日本画家。写生中心の画風で、動物画を得意とした。画壇に貢献。色鮮やかな背景に描く花鳥画は今でも人の目を引く。
1.師:西村五雲先生の指導 先生は京都の人で染色業の家の出である。岸派の後…
大正12年(1923)1月14日遠州茶道宗家11世小堀宗明の長男として東京に生まれる。 東京美術学校(現東京芸術大学)在学中、学徒出陣にて満州に従軍。 終戦後シベリアで4年間の抑留生活を送る。昭和24年(1949)9月に復員し、翌25年音羽護国寺に於いて、遠州公嫡子大膳宗慶…
1923年8月31―2016年8月15日)神奈川県生まれ。古美術店「不言堂」創設者。1947年東京に店を構える。古陶磁、中国青銅器などが中心。古美術品の蒐集家としても著名。1968年東京国立博物館東洋館新設に際し、饕餮文〓(ほう)など、殷周青銅器10点を母・キクの名で寄贈。…
1899年10月3日 – 1984年3月16日)は京都府生まれ。日本画家。写生中心の画風で、動物画を得意とした。画壇に貢献。色鮮やかな背景に描く花鳥画は今でも人の目を引く。
1.師:西村五雲先生の指導 先生は京都の人で染色業の家の出である。岸派の後…
1920年12月17日 – )は福岡県生まれ。洋画家。炭鉱経営者の子として生まれる。東京美術学校(現東京藝術大学)入学当時は故郷の炭鉱を制作の原風景とし、その後12年間のパリ生活を経て、抽象画へと変化した。野見山の実妹は田中小実昌の妻。田中の死去まで実の兄弟のよ…
氏はこの「私の履歴書」に自民党幹事長68歳で登場された。歴代の首相経験者は、片山哲(69歳)、石橋湛山(73)、鳩山一郎(72)、岸信介(63)、田中角栄(48)、中曽根康弘(74)、福田赳夫(88)村山富市(72)、細川護熙(72)、森喜朗(75)の11名のうち、田名角栄…
1901年(明治34年)10月24日 – 1991年(平成3年)8月25日)は熊本県生まれ。官僚・政治家・科学者・教育者・工学博士で、東海大学創立者である。内村鑑三に師事した。逓信省に技官として入省し、無装荷ケーブルなどを発明して通信技術の進歩に貢献した。193…
1890年(明治23年)10月25日 – 1974年(昭和49年)3月1日)は鹿児島県生まれ。法学者、法哲学者。法学博士。内務省に勤務するが、1年半で退官。1917年(大正6年)に東京帝国大学助教授となる。この頃、修猷館・一高・東大の先輩である塚本虎二の紹介で、…
1888年(明治21年)12月23日 – 1984年(昭和59年)5月28日)は、日本の学者、社会思想家、教育者(初代広島大学学長・名誉教授)、政治家(衆議院議員、文部大臣)。教員の地位向上に努め1952年、日本ユネスコ国内委員会発足で副会長(のち会長)、国際会…
1924年(大正13年)1月2日 – )は兵庫県生まれ。霊長類学者、児童文学作家で理学博士。半世紀以上にわたってサルを研究。モンキー博士として知られるサル学の世界的権威。京都大学霊長類研究所所長、日本モンキーセンター所長などを歴任。サルを観察することによって進化…
日経の記者から何度も執筆要請をされながら断り続けていた財界大物がついに登場した。トヨタ関係者の登場は、石田退三、神谷正太郎、加藤誠之、豊田英二、に続いて章一郎氏は5人目であり、同じく5人の登場は野村證券(奥村綱雄、瀬川美能留、北裏喜一郎、田淵節也、寺澤芳男)の2社だけである…
医薬品業界から「私の履歴書」に登場するのは武田薬品の武田國男氏に次いで二人目である。日本の医薬品業界は自己資本比率(60%以上)が高く、外国との資本提携で自主経営が脅かさるのに消極的だったからだ。しかし、現在は世界的な新薬を開発・販売できなければ国際企業として生き残れないた…
1927年1月4日 – 2008年4月15日)は東京生まれ。陶芸家。陶芸家の辻󠄀輝子は姉。妻の辻󠄀協、子の辻󠄀文夫、甥の辻󠄀厚成、大甥の辻󠄀厚志はすべて陶芸家。骨董や古美術を愛好した父の辻󠄀清吉と、その父を頻繁に訪れる古美術商の影響で、幼少の頃から焼物に惹かれ、…
1927年1月4日 – 2008年4月15日)は東京生まれ。陶芸家。陶芸家の辻󠄀輝子は姉。妻の辻󠄀協、子の辻󠄀文夫、甥の辻󠄀厚成、大甥の辻󠄀厚志はすべて陶芸家。骨董や古美術を愛好した父の辻󠄀清吉と、その父を頻繁に訪れる古美術商の影響で、幼少の頃から焼物に惹かれ、…
1923年(大正12年)3月13日 – 1992年(平成4年)7月26日)は岡山生まれ。将棋棋士。十五世名人。棋士番号26。木見金治郎九段門下。1952年(昭和27年)、29歳の、大山は第11期名人戦で木村義雄名人に挑戦して4勝1敗で勝利、当時の、史上最年少名人…
1936年5月3日~)東京生まれ。59年東京大学工学部卒、新三菱重工業へ。 89年、航空機・特車事業本部名古屋航空宇宙システム製作所副所長を経て、91年同所長、92年取締役、95年常務、98年から副社長、99年から社長。 日本郵政社会長、趣味:天体観測。
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1929年(昭和4年)2月14日 – )は東京生まれ。実業家。エッソ日本社長、シティバンク日本社長。元新生銀行取締役会長。破綻した日本長期信用銀行を立て直すため、2000年(平成12年)に新生銀行の会長兼社長として招聘された。従前の長銀は法人向けのホールセールが…
12 ライバル関係の人
12 ライバル関係の人
1926年〈大正15年〉9月15日 – 2006年〈平成18年〉5月30日)は東京生まれ。映画監督、脚本家、映画プロデューサー、日本映画学校(現・日本映画大学)の創設者。カンヌ国際映画祭で2度のグランプリを受賞した日本を代表する映画監督の一人。松竹、日活を経て、…
1920年4月25日 – 2011年11月25日)は、和歌山県生まれ。プロ野球選手(内野手)、コーチ・監督、野球解説者、野球評論家。中国で終戦を迎え、復員後は東洋金属、八幡製鐵、全京都を経て、立教の後輩の永利勇吉の誘いで星野組に移籍。星野組時代の1949年には監…
1915年7月4日 – 2005年8月12日)は千葉県生まれ。日本銀行理事。日本銀行に入行する。日銀では調査局に勤め、内国調査課長、局次長、局長を経て1970年に理事に就任した。1974年に山一證券経済研究所理事長に転じ、1984年に会長、1985年に特別顧問と…
1914年11月3日 – 1993年2月9日)は満州大連生まれ。外交官、経企庁の官庁エコノミスト。第二次世界大戦後の日本を代表する国際派のエコノミストであり、外務大臣(第108代)や総合研究開発機構研究評議会議長を務めた。芦田内閣の下に設置された経済安定本部で、池田勇人首相…
1884年(明治17年)6月16日 – 1976年(昭和51年)5月20日)は東京生まれ。自由律俳句の俳人、俳論家。「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた。1911年(明治44年)新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。河東碧梧桐もこれに加わる。この年、谷桂子と…
1896年〈明治29年〉11月13日 – 1987年〈昭和62年〉8月7日)は山口県生まれ。政治家、官僚。東京帝国大学卒業後、農商務省、商工省にて要職を歴任。建国されたばかりの満州国では国務院高官として満州産業開発五カ年計画を手がける。その後、日本の商工省に復帰…
1884年(明治17年)12月16日 – 1987年(昭和62年)3月4日)は長崎県生まれ。日本の彫刻家。戦前の作品は「児玉源太郎大将騎馬像」「山県有朋元帥騎馬像」など勇壮な男性像かつ戦意高揚を意図した作品を多く手がけた。戦後になると彫刻モチーフは平和、自由、宗…
1932年9月6日 – 2006年6月13日)は東京生まれ。指揮者。指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事。 近衛管弦楽団(近衛秀麿が主催)のティンパニ奏者(学生のため入団はせず)としてデビューしている。作曲家の山本直純は芸大で岩城の1年後輩に当たり、2人は大学時代…
1923年(大正12年)3月13日 – 1992年(平成4年)7月26日)は岡山生まれ。将棋棋士。十五世名人。棋士番号26。木見金治郎九段門下。1952年(昭和27年)、29歳の、大山は第11期名人戦で木村義雄名人に挑戦して4勝1敗で勝利、当時の、史上最年少名人…
1910年6月1日 – 1996年11月3日)は東京生まれ。昭和期の将棋棋士。名誉九段。棋士番号14。早稲田大学を卒業した、初の大学出身プロ棋士。早大卒業後、奨励会に付け出し三段で入会し、大学出身者初のプロ棋界入りとして話題となる。当時は棋士の社会的評価が低く、…
1932年(昭和7年)1月2日 – 2016年(平成28年)11月1日)は北海道生まれ。将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。弟子に羽生善治がいる。棋風は居…
1884年(明治17年)12月16日 – 1987年(昭和62年)3月4日)は長崎県生まれ。日本の彫刻家。戦前の作品は「児玉源太郎大将騎馬像」「山県有朋元帥騎馬像」など勇壮な男性像かつ戦意高揚を意図した作品を多く手がけた。戦後になると彫刻モチーフは平和、自由、宗…
1928年(昭和3年)3月16日 – 2010年(平成22年)9月1日)は、青森県弘前市生まれ。第45代横綱。土俵の鬼と呼ばれた。戦後最軽量横綱である。引退後二子山部屋を創設し、弟である大関・初代貴ノ花(のち藤島→二子山)、横綱・2代若乃花(のち間垣)、横綱・隆…
1940年(昭和15年)5月29日 – 2013年(平成25年)1月19日)は、樺太生まれ。第48代横綱。1956年9月場所にて初土俵を踏んだ。同期には後の大関・清國や小結・沢光、前頭の大心、玉嵐らがいる。入門当初より柏戸と共に横綱確実の大器と評されており「ニ所…
13 家族、親族関係(事実婚含む)
01 実の親子
13 家族、親族関係(事実婚含む)
01 実の親子
1899年(明治32年)8月16日 – 1981年(昭和56年)11月18日)は東京生まれ。実業家。中部電力会長、中部経済連合会会長を務めた。1959年(昭和34年)に大同製鉄(現・大同特殊鋼)監査役となる。以後以下の役職を歴任した。大同学園(大同大学)理事 &…
1932年2月28日 – )は東京生まれ。実業家。 三洋電機元社長。昭和31年父が創業した三洋電機に入社。管理部長などをへて,60年副社長。石油ファンヒーター事故の責任をとって辞任した叔父井植薫の後任として,61年社長に就任。東京三洋電機と合併し,非家電商品の比…
氏が富士通出身の「私の履歴書」登場者では和田恒輔氏(1971年9月)に次いで2番目である。しかし、父稲葉清右衛門氏が富士通から独立し、ファナックを創業。そしてNC(数値制御装置)を世界最高水準のFA化(工場自動化)し、ロボット、知能化機械のメーカーに育て上げた。その父の背中…
1914年8月31日 – 2005年12月26日)は東京生まれ。実業家。元横河電機社長。横河ヒューレット・パッカード株式会社(現・日本ヒューレット・パッカード株式会社)初代社長。横河電機の中興の祖と称される。社長時代、横河・北辰の合併により、余剰となった人材をリ…
1924年12月7日 – 2013年5月6日)は日本の演劇学者。演劇研究家・河竹繁俊の二男として東京に生れる。祖母(繁俊の養母)の糸女は幕末から明治にかけての歌舞伎狂言作者河竹黙阿弥の娘である。東京帝国大学理学部物理学科卒業、早稲田大学第一文学部演劇学科、同大学…
1937年〈昭和12年〉1月15日 – )は神奈川県生まれ。政治家。衆議院議員(14期)、衆議院議長(第71・72代)、副総理(村山内閣・村山改造内閣)、外務大臣(第123・128-131代)、内閣官房長官(第55代)、科学技術庁長官(第39代)、原子力委員会委…
氏(84歳)の父親は茅誠司氏である。父親はこの「履歴書」に1959(S34)年1月に61歳で登場し、物理学者として国内外でも活躍し、東大総長や文化勲章なども受賞した人物である。陽一氏は若いころ、学者としてロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」型の「すべき」追求型人生とサマ…
1924年4月5日 – 2018年9月15日)は東京生まれ。元経済官僚、経済評論家。経済企画庁経済研究所次長、日本経済研究センター理事長を経て、1987年同会長。2000年から2005年まで景気循環学会会長。日本経済研究センター顧問。1987年『男の選択』で日本…
1916年(大正5年)8月21日 – 1989年(平成元年)3月20日)は東京生まれ。実業家。東京急行電鉄社長・会長。日本商工会議所会頭。五島慶太の長男。死去するまで、グループ各社の会長もしくは相談役、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、小田急電鉄の取締役の他、松竹、…
1916年3月21日 – 2006年11月20日)は東京生まれ。精神科医、随筆家である。愛称はモタさん。医師として斎藤病院名誉院長、日本精神病院協会(現在の日本精神科病院協会)名誉会長、アルコール健康医学協会会長を務める傍ら、作家としても活躍し、多数の著書を出版…
1927年5月1日 – 2011年10月24日)は東京生まれ。小説家、エッセイスト、精神科医、医学博士。 1958年(昭和33年) 11月から翌年4月にかけて、水産庁の漁業調査船照洋丸に船医として乗船し、インド洋から欧州にかけて航海した。ドイツ訪問が乗船の動機だ…
1938年〈昭和13年〉1月14日 – )は東京生まれ。政治家、陶芸家、茶人。第79代の内閣総理大臣(1993年-1994年)を務めた。朝日新聞記者を経て、政治家となり、参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、衆議院議員(2期)、日本新党代表(初代)、…
1932年10月12日 – )は青森県出身。日本のスキー選手、登山家、獣医師。クラーク記念国際高等学校名誉校長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会会長、特定非営利活動法人グローバル・スポーツ・アライアンス理事長、北海道大学獣医学部助手、青森大学教授、日本プ…
1922年7月13日 – 2013年6月23日)は東京生まれ。実業家、サッカー選手。マニラ支店長およびロンドン支店長、欧州三菱商事の副社長を務めた。1980年6月に三菱商事の取締役兼ロンドン支店長、1983年6月に常務取締役、1985年6月に副社長を歴任。198…
1902年(明治35年)11月4日[1]-2001年(平成13年)3月11日)は京都生まれ。日本画家。母は近代美人画の大家、上村松園。父は松園の師の日本画家鈴木松年ともされる。息子も同じく日本画家の上村淳之である。題材:金魚や鳥、草花が好きな花鳥画家-→鹿、羊なども
…1922年8月4日 – 2010年7月17日) 東京生まれ。日本のシャンソン歌手、エッセイスト、実業家(芸能プロモーター)。日本シャンソン界の草分けであり、半世紀以上に亘り牽引し続けた業界の代表・中心人物として知られている。日本シャンソン協会初代会長。 元逓信大…
1937年10月17日 – )は東京生まれ。日本の建築家。学位はMaster of Architecture(ハーバード大学・1964年)。一級建築士、丹下健三都市・建築研究所での勤務を経て、計画・設計工房を設立し、谷口吉郎建築設計研究所所長、谷口建築設計研究所…
1923年2月14日- 2018年7月7日)は長崎県生まれ。彫刻家、作庭家。海軍飛行科予備学生(第14期)出身の零戦パイロットとして終戦を迎える。戦後は日本全国を放浪。独学で彫刻を学び、1963年に渡米。作品『受』は1960年にニューヨーク近代美術館の永久保存作品(パーマネ…
1902年(明治35年)2月17日 – 1983年(昭和58年)4月13日)は大阪生まれ。歌舞伎役者。上方歌舞伎の伝統を継承し、立役から女形まで幅広い芸域を誇ったが、特に父・初代鴈治郎譲りの二枚目役においてその本領を発揮した。初代中村鴈治郎の二男。幼少期は子供芝…
1931年12月31日 – 2020年11月12日)は京都府生まれ。歌舞伎役者。前名の三代目 中村 鴈治郎(さんだいめ なかむら がんじろう)としても、また今なお初名の二代目 中村 扇雀(にだいめ なかむら せんじゃく)としても知られる。日本舞踊雁音流の家元とし…
1919年11月1日 – 1999年11月3日)は大阪生まれ。実業家。サントリー第2代社長、元会長。基礎科学研究を熱心にサポートした実業家としても知られる。1991年 サントリー生物有機科学研究所所長に就任。ACジャパン(旧:公共広告機構)の発起人として知られる…
1897年5月22日 – 1985年2月22日)は東京生まれ。政治家、実業家。戦後の連合国軍の占領下で公職追放となるが1950年に復帰。1951年に日商会頭を再任され、その後日本航空の初代会長にも就任。その一方で経済同友会代表幹事などを歴任した。1956年には、…
1897年11月12日 – 1980年9月17日)は、日本の医学者、精神科医。キリスト教思想家として著名な内村鑑三を父、内村の4度目の妻内村静子を母として、東京府に誕生する。学生野球界では特に一高時代に、早稲田・慶應義塾を久しぶりに撃破するなど名だたる左腕投手と…
1924年〈大正13年〉12月1日- 2015年〈平成27年〉7月14日)は京都生まれ。実業家。株式会社堀場製作所創業者および同社最高顧問。堀場は「人生の能力・知力・経験・体力は全部を掛け合わせて40代がピークであり、50代になるとそれが落ちてきてしまう。そこで50歳になっ…
2013年8月「履歴書」に登場はこの人(狂言師)であった。父親の6世野村万蔵もここに登場したので、茂山千作(能楽狂言師3世、4世)と同じ親子登場になった。そして歌舞伎の中村鴈治郎さん(息子:坂田藤十郎)親子とも同じになった。この「履歴書」には、能と狂言を併せて能楽となると書…
1939年(昭和14年)11月1日- 2020年(令和2年)4月21日)は、日本の実業家。オムロン創業者立石一真の三男で、同社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、京都商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭等を歴任した。1987年、兄の立石孝雄の後任として、同社代表取締役社長…
1916年〈大正5年〉6月28日 – 2008年〈平成20年〉3月13日)は東京生まれ。実業家。梁瀬自動車株式会社社長、株式会社ヤナセ社長、日本経営者団体連盟常任理事などを歴任した。アメリカ車の販売に寄与したとして、2004年に日本人としては本田宗一郎や豊田英二…
02 義理の親子
02 義理の親子
1911年2月27日 – 1996年9月7日)は大阪生まれ。銀行家。日本銀行総裁井上準之助娘婿。1987年JR東海会長。1949〜1956年名古屋商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭もつとめた。
1.日銀・大阪支店長に就任 私は昭和37年〈1962…
1903年3月27日 – 1981年11月20日)は長野県生まれ。編集者、随筆家、画家。岩波書店の創業者の女婿であり、同社会長を務めた。中谷宇吉郎、初代中村吉右衛門など文化人たちとの交遊は幅広く、生涯にわたり書画を描き「吉井画廊」などで個展を十数回催した。数多く…
1903年5月20日 – 1979年5月9日)は福井県生まれ。裁判官(第5代最高裁判所長官)、剣道家(第2代全日本剣道連盟会長、一刀正伝無刀流第5代宗家)、政治活動家(「元号法制化実現国民会議」初代議長)。高校時代に剣道師範の佐々木保蔵の薫陶を受け、後年、佐々木…
1925年 ( 大正 14年) 11月5日 – 2005年 ( 平成 17年) 12月14日 )は東京生まれ。 実業家 。 運輸省(現・国土交通省)に入省。日本国有鉄道に勤務中、鹿島の第4代社長・鹿島守之助の目に留まった。これを契機に鹿島家との交流を深めた六郎…
03 夫婦
03 夫婦
氏は女優としてこの「履歴書」に、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、山本富士子などそうそうたる人物に次いで19番目の登場となった。87歳で登場の理由を考えると、他の女優に比べると仏国人(イブ・シャンピ監督)と結婚し、18年間外国で暮らし国際映画にも出演、小説や翻訳もこなす才女と…
1920年(大正9年)2月12日 – 2014年(平成26年)9月7日 中国、奉天生まれ。 歌手、女優、政治家である。さまざまな名前で活動し、戦前の中国(中華民国)と満州国・日本・戦後の香港で李 香蘭(り こうらん、リ・シャンラン)、第二次世界大戦後のアメリカ合…
作家としての「履歴書」登場では、直近の津本陽、渡辺淳一に次いで54人目であるが、早稲田出身では、三浦哲郎、江戸川乱歩、広津和郎、尾崎一雄、尾崎士郎、井伏鱒二、中山義秀、石川達三に次いで、9人目である。
私にとって興味深い記述は、直木賞選考委員になったときのもの…
1930年(昭和5年)8月26日 – 2015年(平成27年)1月13日)は京都生まれ。シテ方観世流能楽師。八世 片山九郎右衛門(片山博通)と京舞井上流の四代目井上八千代(井上愛子)の長男として生まれる。5歳で初舞台を踏んで以来、父および観世華雪と観世雅雪に師事…
1912年(明治45年)4月22日 – 2012年(平成24年)5月29日)は広島生まれ。映画監督、脚本家。表現の自由と思想の自由を、とことん追求した監督である。日本のインディペンデント映画の先駆者であった。性のタブーに挑戦したり社会派映画を制作したり、冒険的な…
1931年3月9日 – ) は岐阜生まれ。映画監督。1960年代にかけて大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれた。早々に会社と衝突して独立した二人と異なり、篠田は松竹にしばらく残った後、1966年にフリーになり、翌1967年に独立プロダクション…
3月の日経「私の履歴書」は宮城まり子さんでした。女優では、東山千栄子、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、天津乙女、長門美保、春日野八千代、ミヤコ蝶々、山本富士子、(山口淑子)、宮城まり子、森光子、(扇千景)、香川京子、有馬稲子、佐久間良子、浅丘ルリ子、草笛光子の18人である。…
1920年(大正9年)12月24日 – 2015年(平成27年)8月3日)は広島県生まれ。小説家、評論家。 主要作品は、戦記文学や記録文学である。志賀直哉の最後の内弟子として薫陶を受け、その文学上の後継者である。当代一の作家と紹介されることがある。この「履歴書」…
1905(M38)― 1979年 東京神楽坂生まれ ・芸術座で、新劇の子役として出発、のち新派に加わる。花柳章太郎亡きあと新派を支え、演劇界を代表する女優の一人となった。 ・八重子が6歳のとき時計商の父が死に、姉の嫁ぎ先水谷竹紫(恩人)宅に母と一緒に移る。竹紫は早稲田の坪内…
1930年6月15日 – 2009年12月2日)は広島県生まれ。日本画家、教育者。東京藝術大学で助手を務めていた1959年ごろ、原爆後遺症(白血球減少)で一時は死も覚悟したなか玄奘三蔵(三蔵法師)をテーマとする『仏教伝来』を描きあげ院展に入選する。以降、郁夫の作…
西川きよし(漫才師)2022年10月登場 この「履歴書」で落語家は三遊亭円生、柳家小さん、桂米朝、桂三枝の4人が、そしてコメディアンとして萩本欽一が出ているが、漫才師としては最初である。氏は落語などの伝統芸能に比べれば「漫才はしょせん時間つなぎ」と一段低く見られていた芸を、…
「履歴書」女優の登場者は、東山千栄子、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、天津乙女、長門美保、春日野八千代、ミヤコ蝶々、山本富士子、山口淑子、宮城まり子、森光子、扇千景、香川京子、有馬稲子、佐久間良子に次いで彼女で17人目となる。有馬稲子は市川崑監督、佐久間良子は鶴田浩二との不…
1925年(大正14年)12月3日 – 2018年7月6日)は東京生まれ。免疫学者。医学博士。国立予防衛生研究所免疫血清室長、小児喘息研究所(デンバー)免疫部長、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部教授(京都大学医学部教授兼任)、 ラホイヤ・アレルギー免疫研究所所長、…
1903年4月30日 – 1981年5月24日)は東京生まれ。映画製作者、輸入業者。国際的映画人として、とくにアジアでは絶大な信用を有した。妻で長政以上の国際的知名度を持つ「日本映画の母」かしこ、娘の和子(伊丹十三の最初の妻、のちにフランス映画社社長の柴田駿と結…
1928年3月27日 – 2019年6月6日 )大阪府大阪市生まれ。小説家、随筆家、文芸評論家。 純文学から次第に大衆小説へと軸足を移し、より身近な設定における恋愛小説や社会風刺的なエッセイなどを精力的に執筆する。また古典文学の流れから歴史小説、川柳にも活躍の場…
1931年12月31日 – 2020年11月12日)は京都府生まれ。歌舞伎役者。前名の三代目 中村 鴈治郎(さんだいめ なかむら がんじろう)としても、また今なお初名の二代目 中村 扇雀(にだいめ なかむら せんじゃく)と