細川護熙 ほそかわ もりひろ

政治

掲載時肩書元首相
掲載期間2010/01/01〜2010/01/31
出身地東京都
生年月日1938/01/14
掲載回数30 回
執筆時年齢72 歳
最終学歴
上智大学
学歴その他栄光学園  学習院
入社朝日新聞
配偶者上智後輩
主な仕事鹿児島支局、33歳参議員、衆議員、熊本知事、首相、政治改革(小選挙区)、8ケ月退陣(60歳)、晴耕雨読、永青文庫
恩師・恩人木曽秀観先生、祖父・護立
人脈松前重義、田中角栄、石原慎太郎、石原信雄、土光敏夫、田中秀征、小沢一郎、武村正義、白洲正子
備考母・文麿次女、父・護貞も「履歴書」に
論評

1938年〈昭和13年〉1月14日 – )は東京生まれ。政治家、陶芸家、茶人。第79代の内閣総理大臣(1993年-1994年)を務めた。朝日新聞記者を経て、政治家となり、参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、衆議院議員(2期)、日本新党代表(初代)、フロム・ファイブ代表(初代)、学校法人瓜生山学園京都造形芸術大学 学園長(2011年 – 2014年)などを歴任した。1993年7月の第40回衆議院議員総選挙に鞍替え立候補し、衆議院議員に初当選。非自民・非共産連立政権の首班となり、38年ぶりに自由民主党からの政権交代を実現させ、「新党ブーム」を巻き起こして55年体制を崩壊させた。
 
1.祖父・細川護立の影響受け
祖父は江戸時代の臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師の「夜船閑話」を愛読し、白隠に惚れこんで書画を収集した。その影響で座禅も学生時代から鎌倉で組むようになった。また祖父は禅画だけでなく、中国の古陶磁、仏像から刀剣、近代画に至るまで幅広く美術への関心があった。たまたま学習院で同窓だった志賀直哉さん、武者小路実篤さんらと白樺派の創立にかかわったことが機縁となって当時の画壇の主だった人たち、横山大観、下村観山、小林古径、菱田春草さんらと親交を結ぶようになり、洋画の方でも梅原龍三郎、安井曽太郎さんらと親しく付き合った。私も祖父に付いて、大画家たちの謦咳の恩恵に預かった。
 国士のような風貌の大観さんは朝から酒臭かったこと、湯河原の安井さんのアトリエに置いてあったモチーフの鯛が腐って異臭を放っていたこと、梅原さんの浅間のスケッチに同行させてもらって鉛筆を動かす傍らでトンボを捕っていたことなど、いずれも懐かしい思い出だ。

2.衆院議員に当選して1年3月で首相に
1992年5月に衆議員に当選して「日本新党」を旗揚げしたが、翌93年7月18日、第40回衆議院総選挙が行われ、開票の結果、自民党は追加公認を含めても過半数割れが確実となった。非自民政権の樹立が38年ぶりに現実のものとなり、にわかに水面下の動きがあわただしくなった。連立政権が生まれるとして誰が首班になるか、この時点ではまだ全くの星雲状態で、新生党党首の羽田孜氏か、社会党委員長の山花貞夫氏か、新党さきがけ代表の武村正義氏か、いろいろな憶測が流れていた。
 選挙の直後から新生党の小沢一郎代表幹事の周辺では私を首班に推すことを検討していたようで、22日夜、小沢氏とホテルオータニの一室で会うことになった。会談は二人きりで数分であった。その時のやり取りは「首班を受けてもらえますか」「お引き受けしましょう」。それだけだったと思う。その後私は、さきがけの武村氏や田中秀征氏と何度もあって、説得力のある政策条件をすり合わせた。7月29日、キャピトル東急ホテルでの党首会談で首相候補を決めるとともに、連立政権樹立に関する合意事項に署名し、8党派覚書を確認した。8月5日、特別国会が召集され、翌日新首相を指名、9日、細川内閣が誕生した。

3.連立政権の実力者像
(1)羽田孜氏:副総理の羽田氏は、全く表裏のない、誠実で人の話にもよく耳を傾ける人だった。連立政権の中枢にいた新生党の小沢代表にも面と向かって、言い難いことも率直言っていた。
(2)小沢一郎氏:極めて慎重かつ合理的な考え方をする人だが、物事が自分に思っている方向に進まないと横になってしまったりすることもあって、何回かてこずらされた。
(3)市川雄一氏:ものの考え方が誠に論理的で、時によって相手を言い負かしてしまうので、味方にすればこれほど心強い人はいないし、敵に回すととてもやりにくい相手だと思う。私をよく立ててくれた。
(4)武村正義氏:小沢氏、市川氏、米沢氏らと対立したのが、官房長官の武村氏だ。ムーミンパパと呼ばれた茫洋とした風貌と体形に隠された戦略性や行動力は、相当ししたたかなものだった。
(5)村山富一氏:与党第一党の社会党にはいろいろ手を焼かされたが、委員長の村山氏は言うべきことは言うし、審議のルールも詳しく、なかなかの人物だと思った。私に「よく夜中に騒ぐ男じゃのう」と言われた。

細川 護熙
ほそかわ もりひろ
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1938-01-14) 1938年1月14日(86歳)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市
出身校 上智大学法学部卒業
前職 朝日新聞社社員
東北芸術工科大学学園長
京都造形芸術大学学園長
現職 芸術家陶芸家
永青文庫理事長
所属政党無所属→)
自由民主党→)
日本新党→)
新進党→)
フロム・ファイブ→)
民政党→)
民主党→)
無所属
称号 法学士上智大学1963年
配偶者 細川佳代子
子女 細川護光
親族 細川護久(曾祖父)
池田詮政(曾祖父)
近衞篤麿(曾祖父)
細川護立(祖父)
近衞文麿(祖父)
細川護成(大伯父)
近衞秀麿(大叔父)
南部利英(従伯父)
サイン
公式サイト 細川護熙 公式ホームページ

内閣 細川内閣
在任期間 1993年8月9日 - 1994年4月28日
天皇 上皇(明仁)

選挙区旧熊本1区→)
熊本1区
当選回数 2回
在任期間 1993年7月18日 - 1998年5月7日

選挙区 (旧全国区→)
熊本県選挙区→)
比例区
当選回数 3回
在任期間 1971年7月4日 - 1983年2月
1992年7月26日 - 1993年7月

熊本県の旗 第10・11代 熊本県知事(公選)
在任期間 1983年2月11日 - 1991年2月10日
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細川 護熙(ほそかわ もりひろ、1938年昭和13年〉1月14日 - )は、日本政治家陶芸家茶人第79代内閣総理大臣

朝日新聞記者を経て、政治家となり、参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、衆議院議員(2期)、内閣総理大臣第79代)、日本新党代表(初代)、フロム・ファイブ代表(初代)、学校法人瓜生山学園京都造形芸術大学学園長(2011年 - 2014年)を歴任した。熊本県出身で総理大臣に就任した2人目の人物。

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