里見弴 さとみ とん

文芸

掲載時肩書作家
掲載期間1956/03/21〜1956/04/05
出身地神奈川県
生年月日1888/07/14
掲載回数16 回
執筆時年齢68 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他学習院
入社文筆業
配偶者大阪の芸妓・中山まさ
主な仕事「白樺」創刊、吉右衛門「新樹」「多情仏心」花柳章太郎「鶴亀」
恩師・恩人
人脈辰野隆・久邇殿下兄弟(学習院同級)、志賀直哉、武者小路実篤、吉井勇、久米正雄、
備考歌舞伎、新派、文学座などに原作や戯曲、演出、兄(有島武郎、生馬)
論評

1888年(明治21年)7月14日 – 1983年(昭和58年)1月21日)は神奈川県生まれ。小説家。、志賀直哉や武者小路実篤らが創刊した雑誌『白樺』に2人の兄と共に同人として参加した。ペンネームの里見は、電話帳をペラペラとめくり指でトンと突いた所が里見姓であったとしている。志賀の手引きで吉原などで遊蕩し、父母の許しの強要の末、大阪の芸妓・山中まさと結婚した。その経歴が『今年竹』『多情仏心』などの代表作に現れている。弴は舞台への造詣も深く、その縁から歌舞伎、新派、文学座など、原作や戯曲も多く提供し、また演出も行った。代表作に花柳章太郎の当たり役(花柳十種のひとつに選ばれている)となった『鶴亀』(脚色:久保田万太郎)などがある。

1.里見 弴のいわれ
私が小説を書きだしたことを知った父に呼びつけられて、昔から戯作者というのは、幇間、髪結床にも等しい道楽商売だ、お前、そんなものになってどうする気か、と頭ごなしにどやしつけられてしまったのだ。
 と言われても、私にはさらさらよす気はないので、父の目をくらますために詐称したところの偽名、すなわち必要上やむを得ず犯した詐欺行為なのだ。「里見」は、目をつぶって電話帳を開き、鉛筆で空いた箇所に、偶然横たわっていた姓。その時、トンと突いたから「弴」、字画も音も気に入ったので、これに決めた。

2.学習院に編入
私は初等学科第二年級に編入された。いかに学習院でも、恐らくこれは前後に例があるまいと思うけれど、同級に皇族が5人もいた。有栖川栽仁(たねひと)王、北白川成久王、輝久王、久邇鳩彦(やすひこ)王、稔彦(なるひこ)王だ。先生はじめ我々からの呼び方は、「何々王殿下」で、帽子の黴章や襟章が一般は真ちゅう色であるのに、彼らのは海軍士官のそれのような金モールだし、送り迎えでなく、課業中ずっと家従がついている、いう差別はあったけれど、天子様なら格別、その親戚に対しての尊敬など、いくら封建時代だといっても、8つや9つの子供だ、自然的に湧こうはずはない。意地悪すれば会釈なく憎んでやった。
 同時にまた、北白川と久邇の兄弟が、二組も同級にいることに対して、別に不審も抱かなかった。同い年の子が生まれるためには母体が2つ以上なければならないはず、などの悪知恵も働かなかった。当時の院長は文麿の父なる近衛篤麿だった。成績は1番から5番まで常に皇族が占めていた。
 恥さらしになるが、成績も白状する。作文、図画、博物、英語などはまだしも、歴史が嫌い、数学ときたら皆目歯が立たず、成績表はいつも甲あり丙ありの不均等で、平均点はかつかつの及第。席次はびりから数える方が早かった。あまり私の成績が悪いので、父は恩地轍という漢学者に頼み、近くに住んでいた久邇殿下兄弟と放課後すぐに、殿下の部屋で1時間ほど一緒に復習、予習をさせられることになった。

3.乃木将軍が学習院に
近衛公から幾代か隔てて、乃木将軍が院長に就任したのは、私が高等科を卒業する前年か、前々年かのことだったろう。大半の学生には人気があったけれど、私たち少数の「軟派」にとってはあんまり有難くなかった。冬の朝、校庭に整列させての訓示に「今朝くらいの寒さに、マンテルを着て両手をズボンのかくしに突っ込んだり、あるいはカーヘルにしがみついておる者を見かけたが・・・」うんぬんとあった。旧い軍隊用語でもあろうか「マンテル」は、一名「吊鐘マント」といった外套、「カーヘル」は恐らく「ストーヴ」のオランダ語なまりだろうとの察しはつくにしても、新奇を好む青年の耳には古臭い言い草のように受け取れた。

4.「白樺」創刊
明治43年(1910)4月、「白樺」を創刊した。それ以前からやっていた回覧雑誌「望野」の同人武者小路、志賀、木下利玄、正親町公和、われわれの「麦」萱野二十一、柳宗悦の「桃園」後、有島武郎、生馬、長与善郎などの、いずれも学習院卒の連中で、和気あいあいたる仲間だった。

里見 弴
(さとみ とん)
1927年撮影
誕生 1888年7月14日
日本の旗 日本神奈川県横浜市
死没 (1983-01-21) 1983年1月21日(94歳没)
日本の旗 日本神奈川県鎌倉市
墓地 鎌倉霊園
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京帝国大学文学部英文科中退
ジャンル 小説
主題 まごころ哲学
文学活動 白樺派
代表作 『善心悪心』(1916年)
『多情仏心』(1927年)
『安城家の兄弟』(1927年)
『恋ごころ』(1955年)
『極楽とんぼ』(1961年)
『五代の民』(1970年)
主な受賞歴 菊池寛賞(1940年)
読売文学賞(1956年・1971年)
文化勲章(1959年)
デビュー作 『淡い初恋』(1915年)
親族 有島武(父)
有島武郎(兄)
有島生馬(兄)
山内静夫(四男)
森雅之(甥)
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里見 弴(さとみ とん)、1888年明治21年)7月14日 - 1983年昭和58年)1月21日)は、日本の小説家。本名:山内 英夫(やまのうち ひでお)。日本芸術院会員、文化功労者文化勲章受章者。

有島武郎生馬の友人志賀直哉の強い影響を受け、『白樺』創刊に参加。人情の機微を描く心理描写と会話の巧妙を発揮して、高い評価を受け、晩年まで長く活躍した。

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