南部忠平 なんぶ ちゅうへい

スポーツ

掲載時肩書五輪金メダリスト
掲載期間1987/06/01〜1987/06/30
出身地北海道
生年月日1904/05/24
掲載回数30 回
執筆時年齢83 歳
最終学歴
早稲田大学
学歴その他北海中学
入社札幌鉄道局
配偶者陸上娘
主な仕事乗馬、陸上部、馬・猿から工夫、満鉄、美津濃、毎日、3段飛び、大学教授、鳥取女子短大
恩師・恩人戸津高知校長、野口源三郎校長
人脈千葉毅、奥田良三(竹馬)、織田幹雄、久山猛、田島直人、浜崎真二、人見絹枝
備考大商人息子、乗馬
論評

1904年(明治37年)5月24日 – 1997年(平成9年)7月23日)は北海道生まれ。陸上競技選手。走幅跳の元世界記録保持者。1932年(昭和7年)8月4日のロサンゼルスオリンピックの三段跳では優勝(金メダル)の快挙を成し遂げた。また、三段跳より先に行われた走幅跳でも銅メダルを獲得しているが、南部にとって三段跳は余技で走幅跳が本業と考えていた。帰国後は、織田と2人で陸上競技のコーチをしながら日本中を行脚した。また、南部は走幅跳だけでなく短距離トラックのレースにも出場していた。日本陸上競技選手権大会男子100メートル競走で2回(1930年、1933年)優勝しており、1931年4月には吉岡隆徳ら3人の記録を破る10秒6の日本新記録(1ヶ月後に吉岡に抜き返される)、1933年9月には吉岡と並ぶ10秒5の日本タイ記録(約2週間後に吉岡が更新)をそれぞれ樹立している。引退後は大阪毎日新聞運動部長・日本陸上競技連盟強化部コーチ・1964年東京オリンピック日本陸上チーム監督などを歴任した。

1.コーチなし、創意工夫
大正10年(1921)、私が北海中学3年生で陸上競技を始めたころの練習方法は、正式指導の先生やコーチがいたわけでなかった。だから自分で考え工夫するしかなかった。あるとき、友人が「海の上を走れるかい」「片足が沈まないうちに、他の足を前に出せば水の上でも走れる理屈だ」「足の回転を速くすればいいわけか」「それじゃ歩幅が小さくなって前に進めないだろう」・・・。
 一人になってから私は「まてよ。水の上を走るのは冗談としても、あの話は重要なヒントになりそうだ」と思った。こうして、足の回転の速さ(ピッチ)と歩幅の大きさ(ストライド)の関係をどうすれば効率的な走り方になるのか、真剣に考え始めた。走る際、L字型にヒジを曲げるが、その腕を前に出す時に力を入れた方がいいのか、後ろへ引くときに力を入れるべきなのか、機関車の動輪の動き方を観察すれば分かるかもしれないと思って札幌駅へ見に行ったのもこのころだ。直ちに結果が出るわけではないが、常に工夫し、考えながら練習する姿勢が養われた。

2.生涯の友・織田幹雄
私が早大専門部1年、大正15年(1926)に競走部に入った時、織田君も広島から上京して早稲田に入り、競走部へやってきた。彼は私より年齢は1年下だが競技歴は古く、既に早稲田に入る2年前にパリ五輪大会に出場、三段跳びで6位に入賞という輝かしい実績を持っていた。同じ競走部の新入部員だったはずなのに、織田君は当時すでに大選手の貫禄があり、はじめのうちは私など近寄りがたい感じがした。
 しかし同じ部で、跳躍、短距離選手として練習しているうちに次第に打ち解け、やがて生涯の友となった。
彼は暗くなるまで練習して下宿に帰るが、必ずスパイクの手入れをし、日記をきちんとつけていた。そして夕食の時にはもう、はしを持ちながらこっくりこっくり眠り始める。それほど昼間に猛練習をしていたのである。

3.ロサンゼルス五輪で金メダル
昭和7年(1932)8月4日に三段跳びが行われた。前日走り幅跳びで優勝を期待されながら3位に終わった悔しさが残っていた。私はここ3年ばかり、跳躍は走り幅跳び1本に絞り、三段跳びの練習をほとんどしていない。ロサンゼルスに来るまでは、織田君、大島君に続いて3位に入れば十分だという気持ちでいたが、走り幅跳びで優勝を逸し、三段跳びの織田君たちの体調を崩した状態を見ると、そんなことは言っていられなくなった。競技が始まってみると、織田君の調子は予想以上に悪く決勝にまで残れそうにない。4回目までの跳躍ではスウエーデンのスペンソン選手が15m32でトップ、私がこれに次いで15m22だった。5回目に私が跳んだのは15m72。前年、織田君が作った世界記録を破る新記録である。場内は大歓声に包まれた。午後5時過ぎ、競技が終わった。一位は私で」15m72の世界新記録、2位はスペンソン選手で15m32,三位は大島君で15m12という結果だった。「君が代」を聞きながら涙があふれて止まらなかった。

南部 忠平Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム 南部 忠平
国籍 日本の旗 日本
種目 走幅跳三段跳
生年月日 1904年5月24日
生誕地 日本の旗 日本北海道札幌区(現:札幌市
没年月日 (1997-07-23) 1997年7月23日(93歳没)
死没地 日本の旗 日本大阪府吹田市[1]
自己ベスト 走幅跳:7m98(1931年、当時世界記録)
獲得メダル
日本の旗 日本
陸上競技
オリンピック
1932 ロサンゼルス男子三段跳
1932 ロサンゼルス男子走幅跳
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オリンピック優勝に喜ぶ南部家

南部 忠平(なんぶ ちゅうへい、1904年明治37年〉5月24日[1] - 1997年平成9年〉7月23日[1])は、日本陸上競技選手走幅跳の元世界記録保持者。ロサンゼルスオリンピック陸上男子三段跳金メダリスト。

  1. ^ a b c 南部忠平』 - コトバンク
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