大佛次郎 おさらぎ じろう

文芸

掲載時肩書作家
掲載期間1964/12/07〜1964/12/31
出身地神奈川県
生年月日1897/10/09
掲載回数25 回
執筆時年齢67 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他一高
入社外務省条約局
配偶者吾妻光子
主な仕事お伽俱楽部、丸善に洋書注文癖、一高、東大時代の芸術鑑賞経験を
恩師・恩人
人脈岩野泡鳴、巖谷小波、松本俊一、内村裕之、有島武郎、井上三郎
備考良心は信用の母であり、信用は無形の蓄積資本である
論評

1897年(明治30年)10月9日 – 1973年(昭和48年)4月30日)は神奈川県生まれ。小説家・作家。『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名な他、歴史小説、現代小説、ノンフィクション、新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた。「坂本龍馬」「桂小五郎」など史伝と、約20のペンネームで100編近い時代小説を書いた。1927年(昭和2年)には少年向けの鞍馬天狗もの『角兵衛獅子』を発表。以後1959年発表の『深川物語』『西海道中記』、1965年の『新・鞍馬天狗 地獄太平記』まで、長短47篇が書き継がれた。鞍馬天狗は尾上松之助や嵐寛寿郎などの主演で数多く映画化され、時代劇の定番ヒーローとしても人気を得た。しかし、この「履歴書」では少年時代、中学、一高、東大までの芸術鑑賞経験のみだった。

1.小学生でお伽俱楽部の舞台に
この俱楽部は徳川夢声さんの伯父さんである天野雉彦さんが、巖谷小波先生の後援で始めたものである。「お伽芝居」と名乗るもので、その時代の童話劇が中心。出し物は「桃太郎」の鬼ヶ島征伐と牛若丸で、天野さんは桃太郎に供する犬と、五条橋の弁慶で無邪気なものであった。これの見学に行った。
 さて突発事件は、開演の時になって鬼ヶ島に、おとなの鬼ばかりで小鬼がいないのはおかしいから子供を出そうという話になり、楽屋でウロウロしていた私にやれと、不意にいわれた。僕には出来ぬと言うと、なに親の鬼が追われている時、おぶさって背中でエンエン泣いておればよいのだ。誰でもできることだと言われて、私は小鬼の顔に彩られた赤いシャツを被せられ、虎の皮(?)のふんどしをした。
 もう一役、仰せつかった。子役だが、鞍馬山の牛若丸に負ける天狗もたくさんいる中の、見物して物置のように座っているだけの子供天狗。どうやら後の私の「鞍馬天狗」に因縁がつながったのは恐ろしい。

2.松井須磨子(中学時代)
私の中学時代に、坪内逍遥の「文芸協会」が帝劇で「ハムレット」を上演した。オフェリアが松井須磨子だった。芝居が終わって階段をぞろぞろ降りてくると、兄があすこにいるのが松井須磨子だと教えてくれた。須磨子は顔にお白粉などつけていないで、ニキビが2,3つ頬っぺたにあった。女優でも質素なものだと眺めた。その時分、帝劇の女優、森律子、初瀬浪子の華やかな評判が新聞に盛んに出ていたので、普通の町の女のように地味で、美人とも見えない須磨子なのが意外だった。

3.ルーズで無謀な性癖
父からまとまって金が来ると、酒食の欲はないが、丸善に出かけ手あたり次第、欲しい本や画集を買ってきて、棚に並べて幸福を味わった。一学期分の学費を15日か20日で使ってしまい、その月の食費も部屋代もなくなっているのだ。実にいろいろな本を私は持っていた。それをロクに読まない内に、少しずつ古本屋に売りに行く。研究社の兄の雑誌に、少年小説や翻訳をいろいろ載せ、短文の時事解説まで書いたのは、次の学期が来て父からの送金のあるまで生活をつなぐためである。
 この無謀な性癖が、学校を出てからも清算できないで、外務省条約局に嘱託ではいり、85円の月給をもらっていても、丸善との関係は続いたのである。

4.妻は憧れの「光の精」、卒業前の25歳で結婚
有楽座でメーテルリンクの「青い鳥」が上演されていた。チルチルがまだ女学生だった水谷八重子で、ミチルが夏川静江だった。そこに「光の精」になる女性が声がきれいで顔立ちも体格も華やかであった。吾妻光子という芸名であった。八重子のチルチルも静江のミチルも可愛らしく上手であった。雑誌「人間」に小山内薫の劇評が出たが、光の精はそれには「声と頬が美しい」と書いてあった。年老いて、男のようにドラ声になるとは考えなかった。その時の「光の精」が私の現在の妻である。

大佛 次郎
(おさらぎ じろう)
大佛次郎(1956年)
ペンネーム 由比 浜人
阪下 五郎
安里 礼次郎
流山 龍太郎
八木 春泥
白馬亭 去来
須田 紋太郎
浪子 燕青
元野 黙阿弥
瓢亭 白馬
清本 北洲
田村 宏
三並 喜太郎
吉岡 大策
赤松 繁俊
高橋 益吉
浄明寺 三郎
赤城 和夫
誕生 1897年10月9日
日本の旗 日本神奈川県横浜市英町
死没 (1973-04-30) 1973年4月30日(75歳没)
日本の旗 日本東京都中央区築地
墓地 寿福寺
職業 小説家ノンフィクション作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 学士法学
最終学歴 東京帝国大学法学部政治学科
活動期間 1924年 - 1973年
ジャンル 小説
ノンフィクション
主題 日本の近代化
代表作鞍馬天狗』(1924年 - 1965年)
赤穂浪士』(1929年)
『ドレフュス事件』(1930年,ノンフィクション)
帰郷』(1949年)
『宗方姉妹』(1950年)
パリ燃ゆ』(1964年、ノンフィクション)
天皇の世紀』(1969年 - 1973年、ノンフィクション)
主な受賞歴 日本芸術院賞(1950年)
文化勲章(1964年)
朝日文化賞(1965年)
菊池寛賞(1969年)
デビュー作 『一高ロマンス』
親族 野尻抱影(兄)
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大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年明治30年〉10月9日 - 1973年昭和48年〉4月30日)は、日本小説家・作家。大仏次郎(新字体)とも書く。神奈川県出身、本名:野尻 清彦(のじり きよひこ)[1]。『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名なほか、歴史小説、現代小説、ノンフィクション新作歌舞伎[注釈 1]童話などまでを幅広く手がけた。日本芸術院会員、文化功労者文化勲章受章者。作家の野尻抱影(正英)は兄。

  1. ^ 大佛次郎記念館 (2013), リーフレット『大佛次郎記念館』(中面)大佛次郎略年譜 


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