森澄雄 もり すみお

文芸

掲載時肩書俳誌「杉」主宰
掲載期間2007/08/01〜2007/08/31
出身地兵庫県
生年月日1919/02/28
掲載回数30 回
執筆時年齢88 歳
最終学歴
九州大学
学歴その他長崎高商
入社映画配給社
配偶者教師仲間
主な仕事ボルネオ死の行軍、長崎県庁、鳥栖・豊島高女教師、「雪櫟」、俳誌「杉」
恩師・恩人加藤秋邨、石田波郷
人脈島尾敏雄、富永寒四郎、飯田龍太、庄野潤三、岡井省二、山本健吉、那珂太郎
備考人間としてどう生きるか?の追求
論評

1919年(大正8年)2月28日 – 2010年(平成22年)8月18日)は兵庫県生まれ。俳人。1942年、九州帝国大学法文学部経済学科卒業と同時に応召、44年から南方を転戦し、ボルネオで終戦を迎える。46年、復員。47年、佐賀県立鳥栖高等女学校教員となり、48年、勤務先で出会った女性と結婚。上京し東京都立第十高等女学校(現・都立豊島高校)に就職、同校の作法室に住んだ。俳句は父・冬比古の影響ではじめ、高等商業在学中に学内の句会「緑風会」入会、松瀬青々門の野崎比古教授の指導を受ける。また「馬酔木」の句会に参加、加藤楸邨の指導を受けた。1940年、楸邨の主宰誌「寒雷」創刊に参加し楸邨に師事。翌年に巻頭を取り注目される。第一回寒雷暖響賞を受賞、1956年から71年まで同誌編集にも携わった。1954年、第一句集『雪礫』を刊行、70年、句誌『杉』を創刊、主宰

1.ボルネオの死の行軍と生還後の決意
昭和20年(1945)1月、直線距離にして300kmを200日もかかったことは、1日に1・5kmしか進まなかったことになる。いかに難渋したかを想像して欲しい。しかも役立たずの曲射砲を分解搬送しながら20kgの荷物を持って昼なお暗きジャングルを進み、川を渡り、湿地に膝を沈めながらの行軍である。毎日のスコールを吸った草が生い茂り、その上に落ち葉が重なって、足を踏み込むと30cmはめり込む。それを一歩抜いては踏み込み、また抜いては進むという始末だった。こうなると荷物がだんだん邪魔になる。
 任務だから、分解した大砲の部品は交代で運ばなければならないが、銃弾や手榴弾も軍人として捨てるわけにはゆかない。そうなるとまず水に濡れた毛布を捨て、マラリアで食欲がないので缶詰を捨て、やがてもう歩けないという己の限界を知るとみずから命を絶つことになる。ある者は樹の根元にもたれて銃を自己と平行に置き、銃口を喉に当て、引き金に足の親指をかけて発射した。ある者は手りゅう弾を発火させ自らを無きものにした。毎晩のように不気味な手榴弾の破裂音が聞こえた。高熱で精神異常も増えた。
 惨憺たるボルネオの戦野より中隊200人中8人という奇跡の生還をしたとき、これからは亡くなった戦友への詩を作りながら、妻を娶ったら妻を愛し、子供が生まれたらそれを慈しみ、小さい範囲でいいから友を大事にする。そういう平凡で素直な思いを自分の文学の根本にしようと考えた。

2.石田波郷さんから学ぶ
石田さんが亡くなったのは昭和44年(1969)、ぼくが50歳のときであった。戦後、結婚してすぐ東京に出たけれども、腎臓病で一度は死ぬかもしれないと思った病床で、私は「石田波郷論」を書き上げた。
 力竭(つく)して山越し夢露か霜か  波郷
昭和23年(1948)、結核のため肋骨を何本か切り取る。言語に絶する痛苦を伴う手術をした時の句である。しかし、その苦しさを単に苦しいとは言わないで、「山越し夢」と詠って、句の位は限りなく高い。力の限りを尽くして一つの山を乗り越えた夢から覚め、麻酔から覚めたか覚めないうちの、現実ともつかない、冷たく静寂な世界に生を取り戻した感覚が「露か霜か」というつぶやきになったのだ。波郷さんは病気に苦しんだ生涯だったが、泣き言は言っていない。嘆かなかった。深い静謐の一句の位は高かった。

3.ぼくの俳諧(虚空の遊び)
ぼくがいくらでも俳句ができるのは、頭を使わないからである。向こうにある大きな自然からそのまま句を貰い、ああだこうだと考えない。それは自分の命を包んでいるもの、宇宙と言ってもいいし、虚空と言ってもいいが、その大きいものからもらう。ぼくは心に光が見えたのと同時に書く。板画の棟方志功さんが板木を彫っている状態と同じで、それは向こうからやって来る。
 芭蕉さんは虚に浮かんだ実人生が見えていた。波郷さんも虚空に浮かんだいのちが見えていた。ぼくはこの二人に全てを学んだ。俳諧はもともと大きな遊び、虚空の遊び、その自由をぼくは楽しんでいる。

森 澄雄(もり すみお、1919年大正8年)2月28日 - 2010年平成22年)8月18日)は、日本俳人長崎県出身。本名、森澄夫加藤楸邨に師事、「杉」を創刊・主宰。

「寒雷」に投句、のちに編集長を務める。日常の哀歓を材とし、古典回帰を重んじた格調高い句を詠んだ。句集に『雪櫟』(1954年)、『花眼』(1969年)、『四遠』(1986年)、『深泉』(2008年)などがある。

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