片山九郎右衛門 かたやま くろうえもん

映画演劇

掲載時肩書能楽師
掲載期間2005/12/01〜2005/12/31
出身地京都府
生年月日1930/08/26
掲載回数30 回
執筆時年齢75 歳
最終学歴
中学校
学歴その他
入社5歳初舞台
配偶者父の謡・弟子(四代井上八千代)
主な仕事武智歌舞伎、3兄弟会、父舞台死、舞台・檜板(水中3年,陰干し7年、清酒吸収27ℓ)、最高能3老女(関寺小町、檜垣、姨捨)を舞う
恩師・恩人観世雅雪・寿夫
人脈観世宗家(伯父養子に)、富十郎・藤十郎 ・茂山千之丞、野村萬、市川雷蔵、観世静夫、八代目三津五郎
備考父:片山博道(当主:観世流統括)、母:井上八千代(京舞・家元)、能:200曲保全
論評

1930年(昭和5年)8月26日 – 2015年(平成27年)1月13日)は京都生まれ。シテ方観世流能楽師。八世 片山九郎右衛門(片山博通)と京舞井上流の四代目井上八千代(井上愛子)の長男として生まれる。5歳で初舞台を踏んで以来、父および観世華雪と観世雅雪に師事し、京観世のやわらか味と観世銕之亟家系の幽玄静穏な芸味を身につける。母親・井上八千代はこの「私の履歴書」1959年11月に登場した。

1.片山家は能楽と京舞が同居する
父は能楽5流の一つ、観世流の片山家八代目当主の博道、母は後に京舞・井上流四世家元の井上八千代を名乗る愛子である。この片山家と井上流が一つの家になったのは130年ほど前、片山家六代目の晋三と三世八千代の結婚に始まる。七代目元義の次男で私の父、博道が三世八千代の内弟子だった母と結婚し、能楽の当主と京舞の家元が今日まで一つの屋根の下に暮らすことになった。
 だから私どもの暮らす家には三十畳ほどの敷舞台があり、私と息子の青司の能楽と母や娘三千子の京舞の稽古のため、ここの空き時間を取り合いしているのです。

2.稽古能から京都能楽養成会に
京都観世会館の建設を果たした私たちは昭和36年(1961)6月、片山家の者を中心に「稽古能」を立ち上げた。お客さんに足を運んでもらうには良い舞台が何よりで、そのため「一層稽古に励もう」と考えた。念頭にあったのは、師事した観世華雪先生指導による銕之丞家の稽古能だった。参加者は若手シテ7人ほど。
 この3年後、今度は京都能楽養成会を立ち上げた。これはシテ方と狂言方、囃子方合同の若手養成会で、シテ方は京都で所属人間の多い観世と金剛の2流が加わった。特色は希望すれば専科以外、つまり自身の専門以外の分野も師匠に一対一で習えることだ。シテ方なら本科の仕舞と謡以外に笛、小鼓、大鼓、太鼓から3つ、囃子方ならば自身の専門楽器以外の楽器すべてと謡や仕舞をそれぞれ月3回、一回30分指導してもらえる。授業料は無料。運営費は一般からの寄付に加え国や京都府、京都市、商工会議所などの協力を得ている。この養成会の心構えは「自身の専門分野に卒業なし」である。

3.舞台板の全面張替えに10年の歳月
京都観世会館が完成して13年後の昭和49年(1974)12月に、やっと建設借入金が完済できた。そこでこの会館の新築工事を急いだ関係で、用いた舞台板はヒノキ材でちょっと薄く、少しきしみ、具合が悪く、全面張替えを行うことにした。これは完成までに10年もかかる事業になった。
 まずヒノキの手配で官庁の協力もあり、原木は長さ8m、直径80cmほどの木曽檜の伐採許可を取り、丸太14本を確保した。そしてこの丸太をコンクリートの重しをつけて3年間水中に沈めた。これは「水面に浮かべておくと水と大気の境目あたりが腐ったり、虫に食われたりする」「後の木の持ち方を考えるなら3年くらい」と聞かされたからだ。その後に、製材所を手配、節のある部分を除いて板にしてもらった。
 でき上った長さ6m以上の板は水気を完全に抜くために、7年間陰干しにした。これも「ただ置いておけばいい」というものではない。板を積み上げて保管すると挟んだ桟(さん)に当たる部分にシミができるので、定期的に桟の場所を変える必要がある。大工さんを雇って最初のうちは1か月に1回、終り頃でも半年に1回はヒノキ材を積みなおした。
 面白いのは手をかける度に評価が上がったことだ。丸太14本は300万円程度で買い、板になると1000万円程度と算定された。
 張替えが完成した日、私以下の京都観世流の中堅・若手は清酒を含ませたタオルで舞台板をふき、門出を祝った。板は完全に乾ききっていて、なんと一斗五升(27リットル)の清酒を吸ったのだった。

片山 九郎右衛門(かたやま くろうえもん)は、シテ方観世流能楽師の片山家の当主が代々名乗る名である。片山家は初代以来現在に至るまで京都で活動し、江戸時代には禁裏御能に出勤するとともに、京阪地方の観世流の統括役でもあり、「観世流の京都所司代」と目された[1]。また京舞井上流との関わりでも知られる。

  1. ^ 観世左近『能楽随想』(河出書房、1939年)、273頁
[ 前のページに戻る ]