加山雄三 かやま ゆうぞう

映画演劇

掲載時肩書俳優
掲載期間2009/07/01〜2009/07/31
出身地神奈川県
生年月日1937/04/11
掲載回数30 回
執筆時年齢72 歳
最終学歴
慶應大学
学歴その他
入社東宝
配偶者松本 めぐみ
主な仕事ピアノ、ヨット、スキー国体、俳優、歌手 、作詞・作曲、テレビ、コンサート
恩師・恩人藤本真澄、 黒沢明
人脈加瀬邦彦、石原裕次郎、高峰秀子、田中邦衛、岩谷時子、三船敏郎、渡辺晋、ベンチャーズ
備考自作505曲、船、スキー、油絵、陶芸
論評

1937年〈昭和12年〉4月11日 – )は神奈川県生まれ。俳優、シンガーソングライター。タレント業のほか、音楽家としてギタリスト・ピアニスト・ウクレレ奏者、画家としても活動している。父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。1960年春に東宝へ入社。同年『男対男』で映画デビュー。当時、同じく有楽町にあった渡辺プロにも一時期在籍。
1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。NHK『NHK紅白歌合戦』出場17回。代表曲多数。後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手でもある。

1.ピアノに夢中・・・14歳で作曲
小学生のころから僕は、オヤジの戸棚からSP盤を借りてクラシックを聴いていた。繰り返しかけたのがベートベンのピアノ協奏曲5番「皇帝」。何でこんなに力強くて格好いいんだろうと思いながら、何か突き上げられるようにぽろぽろ、ぽろぽろと涙がこぼれてきたのを思い出す。中学に入り、女のピアノの先生についた。
 ハノンだツェルニーだといった教則本はつまらなかった。僕は不真面目な生徒だった。習うのは中学2年でやめてしまって、その後は独学でピアノを弾いた。譜面を買ってきては、盤面が擦り切れるまでレコードを聴く。高校に入ったころには、ショパンの「英雄ポロネーズ」も全部弾けるようになっていた。
 習うのをやめたころから、自分で勝手に思いつく曲を弾くようになった。この14歳で作ったメロディが、後に僕が歌う「夜空の星」に発展する。

2.高峰秀子さんから「坊や」
茅ケ崎のわが家には、映画人の来訪が多かった。僕は物心つく前から、この世界の空気を肌で感じていた。松竹の大船撮影所に近いこともあって、小津安二郎監督が茅ケ崎館という旅館を定宿にしていた。よくうちに見えて、真昼間から真っ赤な顔でビールを飲んでいた。僕が出ていくと飲め飲めと勧められた。
 よく訪れた女優は高峰秀子さん。オヤジとも共演したが、高峰さんはおふくろと仲が良かった。テープレコーダーを回して、一緒に台本なしの即興劇をよくやった。後に高峰さんとは、「乱れる」(64年、成瀬巳喜男監督)で共演することになった。夫を亡くした女性を高峰さんに、思いを寄せる義弟を僕が演じた。
 現場で「坊や、坊や」と呼ばれるのには参った。「何だか変だよ、あんたとこんな芝居しなきゃいけないのさ。昔、あんたの家、よく行ったんだよ。覚えてる?」。「覚えてますよ、そりゃ」と頭をかくしかなかった。

3.エサが必要な俳優
デビュー作は「男対男」(60年、谷口千吉監督)。主演は三船敏郎さんと池部良さん。僕は志村喬さん演じる開運会社の社長の息子という脇役をもらった。世間知らずのボンボンで、若大将というよりドラ息子の青大将に近い役だった。平田昭彦さんのチンピラにぶん殴られたりするのだった。一日5食を食べていたら、
 「おい、こいつにエサをやってくれよ。ダメだよ、エサを食わせないと芝居しないよ」。谷口監督が何度もぼやいていたのを覚えている。後々まで「エサをやらないと芝居しない男」と笑い話にされた。

4.映画の世界で生きる決心・・黒澤明監督との出会い
「俳優をいつやめようか」とばかり考えていた。そんな思いを吹き飛ばしたのが、「椿三十郎」(62年)、「赤ひげ」(65年)の出演、つまり黒澤明監督との出会いだった。特に「赤ひげ」の物語は、測ったように僕の人生とダブった。僕の演じた保本登は御典医を目指すエリート青年。貧しい人たち相手の小石川養生所で働かされることに我慢がならず、やめよう、やめようとばかり考える。しかし、黙々と人々を救っていくベテラン医師、赤ひげ先生(三船敏郎さん)の姿に共感し、人間の真実に目覚めていく。僕にとって小石川養生所は撮影所、赤ひげ先生が黒沢監督だった。僕の人生で「先生」と呼べるのは、黒沢監督しかいない。

苦労雨が美しい虹に
破産 追いつめられて
かやま ゆうぞう
加山 雄三
加山 雄三
『映画情報』1967年4月号
本名 池端 直亮
(いけはた なおあき)[1]
別名義 弾 厚作(だん こうさく)
生年月日 (1937-04-11) 1937年4月11日(86歳)
出生地 日本の旗 日本神奈川県横浜市
出身地 日本の旗 日本・神奈川県茅ヶ崎市[2]
身長 175 cm
血液型 A型
ジャンル 俳優
歌手
タレント
ギタリスト
ピアニスト
ウクレレ演奏者
画家
活動期間 1960年 -
活動内容 1960年:デビュー
配偶者 松本めぐみ
著名な家族 岩倉具視(高祖父)
依仁親王妃周子(大伯母)
上原謙(父)
小桜葉子(母)
池端亮子(妹)
仁美凌(異母妹)
池端信宏(長男)
加山徹(次男)
梓真悠子(長女)
池端えみ(次女)
主な作品
映画
若大将シリーズ
椿三十郎』/『赤ひげ』/『乱れ雲
戦場に流れる歌
日本のいちばん長い日
八甲田山』/『零戦燃ゆ
テレビドラマ
大追跡』/『パパの結婚』/『時よ燃えて!
かたぐるま』シリーズ
せーの!
バラエティ番組
みごろ!たべごろ!笑いごろ!
加山雄三ショー
若大将のゆうゆう散歩
 
受賞
ブルーリボン賞
大衆賞
1967年『若大将シリーズ
その他の賞
第52回毎日芸術賞
平成22年茅ヶ崎市民栄誉賞
平成23年芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門
第63回NHK放送文化賞2012年
旭日小綬章2014年
第8回岩谷時子賞2017年
文化功労者2021年
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加山 雄三
ジャンル 歌謡曲
ポップス
ロック
担当楽器 ボーカル
ギター
ベース
ドラム
ピアノ
ウクレレ
活動期間 1961年 -
レーベル 東芝レコードファンハウスドリーミュージック
事務所 東宝渡辺プロダクション → 東宝→加山プロモーション
共同作業者 ザ・ランチャーズ
(1962年 - 1967年)
寺内タケシとブルージーンズ
(1965年)
ザ・ワイルドワンズ
(1967年)
谷村新司
(1992年)
加山雄三&ハイパーランチャーズ
(1994年 - )
THE ALFEE
(2000年)
加山雄三とザ・ヤンチャーズ
(2010年)
THE King ALL STARS
(2014年 - )
公式サイト 公式ウェブサイト
エルヴィス・プレスリー
ザ・ベンチャーズ
ビートルズ

加山 雄三(かやま ゆうぞう[3]、本名:池端 直亮(いけはた なおあき)[1]1937年昭和12年〉4月11日[3] - )は、日本歌手俳優神奈川県[3]横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。職業はタレント業のほか、音楽家としてはギタリストピアニストウクレレ演奏者として、このほか画家としても活動している。勲等旭日小綬章

ニックネームは若大将[4]作曲家として弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者

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  4. ^ WEB特集 加山雄三 “83歳の若大将” 復活秘話”. NHKニュース (2021年4月5日). 2021年6月9日閲覧。
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