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「私の履歴書」登場の美女と才女は、日本女性47名、外国女性は2名の合計49名でした。

この中の美女と才女は、自分の生き方・考え方、恩師・恩人の人物像、忘れえぬ人、伝えたい事実、芸のコツ、逆境時などを詳しく書いてくれていました。それらを要約抜粋し、できるだけ紹介しました。

スクリーン美女の日本版は文藝春秋2007年2月号でベスト50を、外国版は2008年10月号でベスト30を参考にしました。
 よく見ると、同年代の女性の年齢は納得できますが、ずいぶん年輩の人もおられてびっくりしたことがあります。スクリーンで見るかぎり若くて美しい人達ばかりですから、若いと思っていた女優が想像以上に年輩と分かり驚いたのでした。詳しくは(才女とスクリーン美女一覧表)をご覧下さい。どの分野にどなたが登場しているか一目で分かります。新しい発見、面白い発見があればうれしいです。

日本 世界
美女 才女 美女 才女
1885
1886
1887
1888
1889
1890
1891
1892
1893
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1895
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1943
1944
1945
1946
1947
1948
1949
1950
1951

1.スクリーン美女の日本版は文藝春秋2007年2月号でベスト50、外国版は2008年10月号でベスト30を参考にした。
2.外国女性に数字がついているのはオスカー賞受賞回数です。
3.日本女性で人の印は日経「私の履歴書」の登場人物で、外国の無印は芸能人以外の人です。
4.しかし2020年9月末現在、日本で「履歴書」に登場したのは47名で、外国では2名、合計49名となります。
5.それゆえ、49/852=5.6%が女性の「履歴書」登場となります。

日本の場合

 最初に登場したのは、奥むめお(衆議院議員・主婦連会長:1958年(昭和33)1月掲載)で、生まれは1885年(明治18)でした。そして最近で登場したのは、岡本綾子(元プロゴルファー:2013年5月掲載)で、生まれは1951年(昭和26)ですから、この間93年間に47名の登場者となります。この中で印象深かった人を取り上げますと、

1 水谷八重子(初代:新派女優:1970年3月掲載)は1905年(明治38)生まれで、新劇の子役として出発、のち新派に加わり、花柳章太郎亡きあと新派を支え、演劇界を代表する女優の一人となった人です。花柳章太郎とは「鶴八鶴次郎」「残菊物語」などで名コンビでした。この1905年生まれには、天津乙女(宝塚歌劇団理事:1976年11月掲載)、平林たい子(作家: 1966年11月掲載)、円地文子(1983年5月)、井上八千代(1959年11月)の5人がこの「履歴書」に登場しました。こんな大量の人を輩出する年は珍しいです。
 また、川口松太郎(小説家、劇作家:1971年3月掲載)は 、数多くの時代小説のほか恋愛小説などを多く書いたが、水谷八重子を次のように高く評評していたのが印象に残っています。「水谷八重子は不思議な女優でいつまで経っても舞台に歳を取らせず、花柳章太郎が亡くなった後はどうも亭主役者に恵まれない。しかし、それにしても驚くのは八重子の若さだ。どんなに若い亭主を持っても釣り合わぬと思ったことがない。これは何とも驚くべき奇跡だ。女優の歴史が始まって以来こんな人は他にいない。呆れるというより水谷君の精進の良さが今日の彼女をつくっているのだと思う。若いときには恋愛もし結婚もし、良恵を生んでいるがそれっきりで浮いた話はほとんどない」と。

2 田中絹代(女優:1975年3月掲載 )は1909年生まれで、映画の黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人でした。小津安二郎五所平之助溝口健二成瀬巳喜男清水宏木下惠介ら大物監督に重用され、約260本の作品に出演したが、彼女は3人の監督の癖を次のように書いていた。
①成瀬監督は「黙秘権」、もっと悪いときは「ハイ、きょうはだめですね」とだけ言ってさっさと帰ってしまう。
②溝口監督は、「反射しましたか」が口癖。溝口組は「さあ、きょうも反射しましょう」。
③小津先生は、「きょうは、おへその下に心があるよ」とか、「きょうは、へそが座っていない」「ヘソが移動している」とかが口癖でしたと。

3 ミヤコ蝶々(女優:1998年(平成10)2月掲載)は1920年生まれで、長らく上方漫才・喜劇界をリードした関西を代表するコメディアンであり女優でした。 彼女の終章の言葉は「芸人の勲章」でした。
 「芸人にとっての勲章は、お金でも肩書でもない。死んだときに、どれだけたくさんの人びとが葬式に来てくれるかだ。香典は持ってきてくださらなくて結構。花輪もいらない。名残を惜しむファンに来てほしい。その点で、石原裕次郎さん、美空ひばりさん、渥美清さんは私にとって理想の芸人である」。
 私には「芸人さんの価値観はここにある」のかと知らされた感じでした。

4 秋山庄太郎(写真家:1993年6月掲載)は、「履歴書」の中で、スター女優は自分のチャームポイントに固執すると書いている。たとえば、高峰三枝子木暮実千代もそれが左顔であるため、2人の対話シーンでは監督が気を利かせて、両者の面子を立て交互に左横顔撮影を行なうとか。また、新珠三千代は、角度により理知的な顔と情緒的な顔をもつため、監督は場面により使い分けるなどで、私にとっては未知の世界の話にビックリし、興味も深まったのでした。
 詳しくは、表をご覧下さい。新しい発見、面白い発見があると思います。

外国の場合

 「履歴書」に登場したのは男女合わせて39名、そのうち女性はサッチャー英国・元首相とカーラ・ヒルズ(米国・元通商代表部代表)の2名なので、登場比率としても少ない。

1 マーガレット・サッチャー(英国元首相:1995年7月掲載)は1925年生まれで、エリザベス女王よりも一歳上でした。このエリザベス女王と同じ年がマリリン・モンロー(女優)だったのは大きな驚きでした。サッチャーの凄いところは、「私は意見の一致を求める政治家ではない。信念の政治家だ」という言葉でした。そして、強い信念と指導力で国家企業の民営化や規制緩和を進め、「英国病」と呼ばれた英国経済を復活に導いた。

2 カーラ・ヒルズ(米国・元通商代表部代表:2013年3月掲載)は1934年生まれで、日本の美智子皇后と同じ年となる。彼女はジョージ・H・W・ブッシュ政権(父ブッシュ)で第10代アメリカ合衆国通商代表を務め、1995年のWTO設立に尽力した。また、日本との通商交渉でその実力ぶりを発揮した。

3 日本で一番人気の高いオードリー・ヘップバーンは、驚いたことにエリザベス・テイラーよりも3歳上だった。テイラーは早くから子役で出ていたため、私にとっては年配に見えたのでしょうね。
 脚線美のマレーネ・デートリッヒなど懐かしい美女スターの名前を発見しその年齢に驚くことや、日本と外国の美女の年齢比較、人間関係など面白い発見があると思います。