美女と才女
キャサリン・ヘップバーン  4 
女優
生年月日1907年5月12日

2017年現在、演技部門においてオスカーを4回受賞したただ一人の俳優。ノミネート数も、俳優としてはオスカー史上第2位の12回に上る(最多ノミネート記録はメリル・ストリープの20回/2017年1月31日時点)
結婚は一度きりで、カレッジ時代に出会ったラドロウ・オーデン・スミスと1928年に結婚した。2人は1934年に離婚するが、元夫のスミスとは、彼が癌で他界するまで、良き友人として交流があった。また、大富豪ハワード・ヒューズとのロマンスも囁かれたが、1991年に彼女が発表した自伝『Me-キャサリン・ヘプバーン自伝』には、ヒューズとの関係も包み隠さず語られている。この自伝自体が画期的であり、ヘプバーンと言えば、私生活を語らないスターの代表であったため、全米では数百万部を売り上げる大ベストセラーになった。
9作品で共演したスペンサー・トレイシーとは名コンビだった。初めて撮影所で顔を合わせた際、キャサリンが「私より背が低いみたいね。」と漏らすと、スペンサーが「心配ない。僕の身長に合わせて君を切ってしまうから。」と答えたという(スペンサーは165センチ程度)。スペンサーは敬虔なカトリックではなかったが、宗教上離婚が出来なかったため、ふたりは結婚をせず、20年以上を共に過ごすこととなる。事実上のパートナーであり、彼女は自宅をニューヨークに持っていたが、ふたりの生活はロサンゼルスが中心であった。1960年代にスペンサーの健康状態が悪化すると、彼女は5年間の休養を取り、看病した。1968年のスペンサーの死を看取ったのはキャサリンである。しかし、スペンサーの家族に配慮し、葬儀には出席しなかった。
スペンサー・トレイシーもアカデミー賞に9回もノミネートされ、2年連続で主演男優賞を受賞、名優のなかの名優といっていい。1942年、二人ははじめて共演した。当時スペンサー・トレイシーは41歳、キャサリン・ヘップバーンは31歳。

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