美女と才女
向田邦子  
テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家
生年月日1929年11月28日

テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。第83回直木賞を受賞。
• 洋裁が得意であり、一時はコートまで仕立てていた。戦中~戦後の物資の乏しい時期には弟妹達の手袋、マフラーも手編みで用意し、2人の妹にはセーラー服まで作った。生地の入手自体が困難だったため、古着を仕立て直すなど工夫していた。
• 愛猫家としても知られ、実家暮らしの頃から亡くなるまで、常に複数の猫を飼っていた。その中でもコラット種のオス「マミオ」はタイ旅行した際に一目惚れした種であり、エッセイにも度々登場させている。邦子の逝去後は、母・せいと妹・和子が引き取り、16歳で癌によって亡くなるまで愛育していた。

1970年代には倉本聰・山田太一と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた。

向田むこうだ邦子くにこ
1952 - 1960編集者時代
ペンネーム 向田邦子、幸田邦子
誕生 1929年11月28日
日本の旗 日本東京府荏原郡世田ヶ谷町若林
死没 (1981-08-22) 1981年8月22日(51歳没)
中華民国の旗 台湾苗栗県三義郷
遠東航空機墜落事故にて死亡
墓地 多磨霊園
職業 脚本家随筆家小説家
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 実践女子専門学校(現・実践女子大学国文科卒業
ジャンル 脚本
エッセイ
小説
代表作寺内貫太郎一家
主な受賞歴 第83回直木賞
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向田 邦子(むこうだ くにこ 1929年昭和4年)11月28日 - 1981年(昭和56年)8月22日)は、日本テレビドラマ脚本家エッセイスト小説家。第83回直木賞を受賞。

週刊誌のトップ屋時代は幸田 邦子名義で執筆していた。共同ペンネーム「葉村彰子」の一員でもある。

父親の転勤で全国を転々とするが、本人は鹿児島時代が文学の原点と語った。実践女専国語科を卒業後、映画雑誌の記者を経て、ラジオ・テレビの台本・脚本を書く。『七人の孫』『寺内貫太郎一家』等、自分の実感をもとに庶民の生活を温かくかつその暗部をも描いて「ホームドラマの旗手」といわれた。

1980年短編連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』(後に作品集『思い出トランプ』に所収)で直木賞受賞。

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