美女と才女
ジャクリーン・ケネディ  
生年月日1929年7月28日

1961年1月20日にアメリカ大統領に就任したジョン・F・ケネディは43歳であり、ジャクリーンも31歳でファーストレディとなった。

しかし、わずか2年10カ月で夫が暗殺されて彼女はホワイトハウスを去った。そして5年後の1968年秋にギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスと再婚し世界を驚かせた。オナシスとの死別後、ジャクリーンはニューヨークに移って編集者としての人生を歩んだ。彼女は単なる大統領夫人という枠を超えて、ファッションアイコンとして世界の女性の憧れとなった。1994年に死去し、元の大統領夫人としてアーリントン国立墓地のジョン・F・ケネディの墓の横に埋葬された。

ジャクリーンにとって辛い時期は続く。結婚後に最初の子は流産し、1956年に初めての女児を生んだが死産であった。また、結婚しても変わらないケネディの女癖の悪さに傷ついていたジャクリーンに、死産のニュースを聞いても地中海でのクルーズから戻らなかった夫への不信感がとどめを刺し、彼女は離婚を真剣に考えるようになった。彼女はこれを義妹のエセル・ケネディに話したため、話が義父ジョーに伝わった。ジョーは彼女を呼んで、離婚はカトリック教徒であり、政治家であるジャックにとって致命的なイメージダウンになるため結婚生活を続けてくれるよう頼み、もし子供が生まれたら一人につき100万ドルの信託財産を与えると約束してジャクリーンを翻意させたという。
ジャクリーンはその後、キャロライン(1957年11月29日)、ジョン・ジュニア(1960年11月25日)を続けて生んだ[

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