美女と才女
浪花千栄子  
女優
生年月日1907年11月19日

1907年明治40年)11月19日 – 1973年昭和48年)12月22日)は大阪生まれ。日本の女優昭和初期から中期(1920年代後半〜1970年代前半)に活動した。

1929年(昭和4年)、松竹傘下の「新潮劇」に参加。1930年(昭和5年)に、2代目渋谷天外曾我廼家十吾らが旗揚げしていた松竹家庭劇に加わる。同年、2代目天外と結婚し、松竹家庭劇、および1948年(昭和23年)に2代目天外らが旗揚げした松竹新喜劇の看板女優として活躍する。

しかし、2代目天外と新人女優九重京子との間に子供が生れたのをきっかけに離婚し、1951年(昭和26年)、松竹新喜劇を退団する。同時に映画出演も続き、溝口健二監督の『祇園囃子』で茶屋の女将を演じ、ブルーリボン助演女優賞を受賞して以来、溝口監督や木下恵介監督らに重用される。

この時期の代表作に、森繁久弥と共演した『夫婦善哉』(1955年)、黒澤明の『蜘蛛巣城』、内田吐夢の『宮本武蔵』、小津安二郎の『彼岸花』などがある。テレビドラマでも『太閤記』、『細うで繁盛記』などに出演した。

ミヤコ蝶々が尊敬する芸能人

【私の履歴書】では、彼女が尊敬する芸人を概略次のように書いてくれています。

③浪花千栄子:私が目指す自然な芝居を、この人ほど見事に演じた人はいない。どんな芝居でも、その場その場に応じて盛り上げることができた。泣かすところは泣かせ、笑わせるところはちゃんと笑わせる。善も悪もやれる。やくざの女親分役の迫力は、息をのむほどだった。

(吉田)NHK朝の連続テレビ小説「おちょやん」をときどき観ていますが、主人公の杉咲花さんは早口言葉で喋りますから、良くあれだけ舌がまわるものだと感心しています。私もこのモデルになった浪花千栄子さんのラジオや映画をよく聴き、観ました。ラジオでは、「お父さんはお人よし」で、浪花さんは「お父さん、何を言ってはりますのんや」と問い詰めます。答えに窮した花菱アチャコさんが「もう、ムチャ・クチャでございますがな」というオチで毎番組が終わるものでした。映画では浪花さんが鉄火場の姉御でコメカミにバンソコを貼り、ドテラを着て「あんさん、なに言ってケツかるんや」と凄い剣幕でタンカを切るのに驚いたことがありました。

なにわ ちえこ
浪花 千栄子
浪花 千栄子
『霧の音』(大映、1956年)スチル写真より
本名 南口 キクノ
なんこう きくの
別名義 香住 千栄子
かすみ ちえこ
生年月日 (1907-11-19) 1907年11月19日
没年月日 (1973-12-22) 1973年12月22日(66歳没)
出生地 日本の旗 日本 大阪府南河内郡大伴村大字板持(現在:富田林市東板持町)
民族 日本人
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
配偶者 2代目渋谷天外(1930年 - 1954年)
主な作品
祇園囃子』、『蜘蛛巣城
 
受賞
ブルーリボン賞
助演女優賞
1953年祇園囃子
その他の賞
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結成当時の松竹新喜劇メンバー。
前列右から3人目が浪花千栄子

浪花 千栄子(なにわ ちえこ、本名:南口 キクノ(なんこう きくの)、1907年明治40年)11月19日 - 1973年昭和48年)12月22日)は、日本の女優昭和初期から中期(1920年代後半 - 1970年代前半)に活動した。

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