石井久 いしい ひさし

金融

掲載時肩書立花証券会長
掲載期間1993/09/01〜1993/09/30
出身地福岡県
生年月日1923/05/13
掲載回数
執筆時年齢70 歳
最終学歴
専門学校
学歴その他
入社渡辺鉄工所
配偶者藤井 >石井
主な仕事14歳社会、ドラ焼き、巡査、担ぎや、記者、石井株式研究所>立花証券
恩師天沼両平
人脈高橋亀吉(師)、福園一成(社長)、清水 一行、永野重雄、今里広記、桜田武
備考8男五女5
追悼

氏は’16年4月22日92歳で亡くなった。「履歴書」登場は1993年9月で70歳の時であった。証券業界出身の経営者は、野村證券(奥村、瀬川、北裏、田渕、寺澤)、日興(遠山)、大和(福田)、山一(日高)、山種(山崎)、藍沢(藍沢)、立花(石井)の11人である。

氏は、鉄工所勤務や警察官などを経て、東京・日本橋兜町で証券外務員となる。同時に「独眼流」ペンネームで書き始めた株式新聞の記事で名声を得た。1953年に江戸橋証券を設立し、同57年に経営不振だった立花証券を買収して同社社長に就任。独自の相場予測で多くのファンを生んだ。氏の相場予測を次のように書いている。

「株の世界では早耳筋とか事情通であることが重要であると思われがちだ。私もよく『どんな情報ルートをお持ちですか』と聞かれるが、特殊なものがあるわけではない。私の勉強法は八割が新聞、雑誌、書籍から得た情報や知識で、人の話を聞く耳学問はあとの2割にすぎない。

相場観測では政策をどう読むかが重要なことは言うまでもない。だが、官僚や政治家は政策を動かす権力を握ってはいても、実際に政策を左右するのは国際収支であり、今なら経常収支の動向である。米国の財務長官発言が為替を動かすのではなく、その背景にある日本の黒字が円高をもたらして、政策を発動させるのだと理解している」と。

石井 久(いしい ひさし、1923年5月13日 - 2016年4月22日[1])は、日本の実業家立花証券の父として知られ、最後の相場師などの異名をとった[1]

  1. ^ a b “「最後の相場師」立花証券元社長・石井久氏死去”. 読売新聞. (2016年4月27日). http://www.yomiuri.co.jp/economy/20160427-OYT1T50057.html?from=ytop_main8 2016年4月27日閲覧。 
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