私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

母から睡眠学習

立石は明治33年(1900)熊本県の生まれで、大正14年(1925)熊本高等工業(現:熊本大学)を卒業し、兵庫県庁職員などを経て、昭和8年(1933)立石電機製作所(現:オムロン)を設立した。
そして彼は戦後オートメーションに注目し、マイクロスイッチなどを自社開発して事業が軌道に乗り始める。昭和30年(1955)初期には重電用機能部品で国内市場をほぼ独占することができた。同40年(1965)代以降、自動販売機や自動改札機など無人機械化を成功させた人物として有名である。
立石が幼いときは伊万里焼を製造販売する恵まれた生活だったが、小学校1年の終業式を終えた翌日に、大黒柱の父親が亡くなり、まったくの無収入になった。母親は下宿屋を開業したので、彼も家計を助けるため新聞配達を始めた。
 このときに貧しさのつらさと働くことの大切さを知り、長男として戸主の責任と自覚、強い独立心が培われた。しかし、少年時代はキカン気のやんちゃ坊主で、母親をよく困らせていたという。
 あるとき、近所の悪童ども5、6人と語らって、氷屋の店先にかけてあるすだれのビードロを盗みに行き、引きちぎって逃げ帰った。そのとき逃げ遅れて捕まった仲間が白状したので、立石の母親にも苦情が持ち込まれた。
 しかし、母親は即座に彼を呼びつけて叱るようなことはしなかった。その夜、次のような方法で彼に自省を促す教育を行なった。

「夜のしじまに蚊張のなかで、眠りに落ちようとするころ合いを見計らって母は私を起こし『人様のものを盗むなんて、ほんに情けなか。これから絶対こんなことしちゃいかん』とじゅんじゅんと説教した。このときの言葉はいまだに深く脳裏に焼きついている。それは修身の時間に繰り返し、教えられた以上に印象的だった。(中略)。人に眠りにつこうとするとき、いわゆる寝入りばなに暗示を与えるのが最もよく効くそうだ。母がその要領を心得ていたというわけではないだろうが、盗みという行為に対して自責の念にかられている私の寝入りばなを見計らって諭したことが、私の心に深くしみ込んだのだろう」(『私の履歴書』経済人十五巻 308p)
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 睡眠学習は、眠っているあいだも活動を続けている脳に刺激を与え、学習させるものだといわれますが、立石の母親が活用しているのに驚きました。
 母親は生活の知恵で知っていたのでしょう。彼は眠い最中に諄々と説教されることにより、心から盗み行為を反省したのでした。

 この項に紹介した経営者たちの話を読んでつくづく思うことは、親が子の幼児期に、家庭内で言葉遣いや礼儀作法などを躾けるのは当然の義務という認識です。
 これらは学校で教えてもらうものではありません。この項で紹介した「私の履歴書」の例を見ると、子供に対する「しつけ教育」「ものに対する考え方」などでは、父親よりも母親が主導権をとっています。
 当時の母親は、「家庭内のことは自分の責任」という自覚が強かったのでしょう。立派な母親に恵まれている子供は、素直に大きく成長するということがわかります。


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