美女と才女
山本富士子  
女優
生年月日1931年12月11日
私の履歴書  掲載日2002年12月01日
執筆時年齢70 歳

1931年12月11日 – 大阪府生まれ。女優。

1.ミス日本コンテスト
ミス京都に選ばれて1950年4月、このコンテストが東京の目黒雅叙園で行われ、12大都市のミスが集まった。審査委員長が日本芸術院長の高橋誠一郎さんで、ほかに審査員として安井誠一郎東京都知事、作家の吉川英治先生、東宝の米本卯吉社長、大谷竹次郎松竹社長、実業家の菅原通済さんなど、そうそうたる方が並んでいた。
審査は振り袖と洋服で、先方の先生方の前に一人ずつ座って質問に答える面接試験もあった。幸運にも19歳でミス日本に選ばれ、ご褒美として米国との親善使節の一員になることができた。
翌年6月、いよいよ渡米である。みんなで吉田茂首相のところに挨拶にうかがった。歌舞伎座ではミス日本渡米歓送会が開かれた。水谷八重子先生の挨拶があり、渡辺弘とスターダスターズのジャズ演奏など大変なアトラクションで、盛大に祝ってくださった。そして全米12都市を2か月ほどかけて回ったのである。

2.フリー宣言をすると

大映の社長・永田雅一は烈火の如く怒り、彼女を解雇し五社協定にかけると脅した。山本はフリー宣言をし、同年2月28日、帝国ホテルでの記者会見で「そんなことで映画に出られなくなっても仕方ありません。自分の立場は自分で守ります。その方が生きがいがあるし、人間的であると思います。」と語り、詫びを入れろとの周囲の声に耳を貸さなかった。永田は一方的に解雇し、五社協定を使って他社や独立プロの映画や舞台からも締め出すよう工作する。この事は当時の国会でも取り上げられ、世間でも「人権蹂躙」と非難の声が上がった。彼女はテレビドラマに活路を求め、『山本富士子アワー』などに主演した後、演劇に新境地を開き、2013年現在まで演劇一筋で主演を続けている。

3.「5社協定」の壁
1962年に結婚して、今までのように年間10本もの映画出演は、仕事と家庭の両立ができないと思った。そこで10年契約も満期なので、大映の永田雅一社長にお願いするといろいろ問題があったが了解がえられた。退社しフリーになった途端、前から決まっていた仕事の話が次々と壊れた。
例えば、以前に演出家の武智鉄二さんがいらして、先代の市川團十郎さんとお芝居の話や大川橋蔵さんとの共演話も壊れました。また、東宝の菊田一夫先生の脚本・演出で舞台の話も、突然キャンセルの記者会見をすることになりました。菊田先生は東宝の重役ですが、作家でもあるから私の気持ちを察してくださって、「公演が中止になった理由は言えない。富士子さん、ごめんなさい」と会見で頭を下げられた。同席していた私は涙が出ていたたまれなくなり、お化粧室に駆け込んだ。

4.舞台やテレビは夫婦協演

レコード録音のため古賀政男邸にレッスンに行ったことが縁で、古賀門下の高弟・古賀丈晴と知り合う。 この時のレコード「青春日記」は、古賀政男と古賀丈晴がギター伴奏をした。結婚について両家は大反対だった。丈晴は結核を患っており、手術が成功したら結婚をすると約束。映画『彼岸花』の撮影中、丈晴の兄から「手術は無事成功した」との電話を受け、泣いたと語っている。結婚することになった山本の実家には男兄弟がなく、また、姉も結婚し他家に嫁いでいたので、丈晴は婿養子となり『山本』姓を名乗るようになった。テレビや舞台の音楽は主人が全部作曲している。だから仕事の上でも一番長いコンビと言えるかもしれない。舞台音楽はものすごく数が多いので、仕事はかならず徹夜になる。編曲家の人たちが何日か泊まり込み、家の中は主人の作曲と私のお稽古で、大変なあわただしさと活気が溢れました。

やまもと ふじこ
山本 富士子
山本 富士子
『映画情報』1956年6月号より
本名 山本 富士子
生年月日 (1931-12-11) 1931年12月11日(92歳)
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市西区立売堀[1]
国籍 日本の旗 日本
身長 159 cm
血液型 AB型
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
活動期間 1953年 -
配偶者 山本丈晴(1962年 - 2011年)
主な作品
映画
夜の河[1]/『彼岸花』/『暗夜行路[1]
黒い十人の女』/『私は二歳
雪之丞変化[1]
テレビドラマ
『明治の女』/『大文字はもう秋』
 
受賞
ブルーリボン賞
主演女優賞
1958年白鷺』、『彼岸花
その他の賞
第1回(1950年度)ミス日本優勝
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山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は、日本女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159cm日本ミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代優勝者である[2]

  1. ^ a b c d 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.39.
  2. ^ ミス日本・歴代グランプリ ミス日本公式サイト、2021年8月14日閲覧
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