天風先生・修行地の探求
令和3年10月23日
千葉の会 吉田勝昭
1.はじめに
天風財団としては、「天風先生のヒマラヤ修行地等の特定や統一見解は出していない」とのことでした。
その理由は、1991年に、当時西部地区本部副本部長であった末吉太郎氏を団長とする「ヒマラヤへの旅」が企画され、「志るべ」でも感想文が掲載されました。このときは現在のゴルケ村と特定されてはおらず、感想文の中でも「その村は今はもう存在していないし、ここだとはっきり決められる確認はどこにも見当らない。たぶん、このあたりではないかと推定できるところは、ゴークまたはコーダではなくて、ゴールケイ(GORKHEY)という地名が残っているようだが、カンチェンジュンガ峰を見晴るかすことのできるダージリンからシッキムにかけてはそれらしい地名が三ヵ所ほどある」と書いてありました。
いろいろ調べるとそれらに類するGorkhe、Gorkhey、Geyzigの三ヵ所が見つかりました。それなら天風先生が過酷な自然環境の中でご修行をされた場所はどこか?を見届けたい思いが一層強くなりました。なぜなら、誦句「活力吸収法」の冒頭「神韻縹渺たる大自然の精気の中には・・」という言葉が最もご修行地の環境を表していると思ったからです。それならば、今はグーグルマップやグーグルアースを見ると世界中の地図細部を見ることができるし、季節毎や二次元の映像も見ることができますから、これで探すことにしました。今はコロナ禍で時間がたっぷりとれることを幸いに、天風先生の著書や講演テープの「成功の実現」盛大な人生」「心に成功の炎を」「運命を拓く」「心を磨く」「心身統一哲医学」を全て読み直し、先生自身が生に表現された言葉や文章を抽出しました。
その言葉や文章を基に時代や土地、風俗・習慣、宗教などを探求したいと思ったのです。幸い50年以上前からインド、ネパール、ダージリン、ブータン、ヒマラヤ地域などをよく訪問して、地理や歴史に詳しい楜沢成明さん(天風会員、建築家、元早稲田大学講師)がいますので、指導を受けながら読み始めました。この楜沢さんは私の2018年、2020年のネパールゴルケ村訪問に同行してくださった方でもあります。
まず、天風先生のご修行地は私から、天風先生の著書を基にして忠実にプローチをしたいと思います。
また、カリアッパ師については、楜沢さんから天風先生が滞在した1911年当時のヒマラヤ地域の歴史・地理からカリアッパ師の国籍や社会的地位、宗教などの実像に迫っていただいたので、以下ご紹介します。
2.修行地に関する文言へのアプローチ
(1)「成功の実現」 1988年出版 391p
・カンチェンジュンガ山麓のゴーグ村に入る。
(2)「健康と長寿の食餌」 1964年(S39)12月 講演録
・その一年半ばかり経って、
「お前、お前、ここに、どこにいるんだか自分で考えたことがあるかい」 と言うから
「考えたことはありません。凡そは想像していますが・・」
どこだと思う。
「ペルシャの山の中だと思います。」
「違う、違う、朝晩お前が見ている高い山あれは世界の有名なヒマラヤマウントだ。」
「あ、あれがヒマラヤの山ですか。」
「そうだ、俺が指さすあれがカンチェンジュンガだ。ヒマラヤのサードピークだ。そのふもとのフートンにいるんだよ。」
「ありゃありゃ、そうなんですか」
(3)「人生観」 1964年(S39)10月14日 講演録
(那智の滝)大阪の池田さんと一緒に訪問したんだが、
4~5年前に、日本で一番長い熊野の那智の滝を訪問したんです。インド滝は幅差はその倍ぐらいあり、長さはこれより少し短いが、滝の音はここも凄いがこんなものんじゃなくもっとひどかった。下がねぇ、底の知れない滝つぼになっているもんだから、その滝つぼに落下する音は耳をつぶすような音なんだからね。那智の滝と凄いと聞いただけに、この音もずいぶん大きいけれど、インドの滝に比べると子供のようなものだと思ったもんです。
(4)「心に成功の炎を」 1994年(H6)9月発刊
今度は毎日、日本の里程でいうと一里半(6km)の道を歩かさせられるのだからね。先生がロバに乗っかって、先に進んでいく。その後から、せっこらせっこら、ついていく。最初はつらかった。辛いうえに、毎日たいてい3貫目(約11㎏)ぐらいの石を背負わされる。・・119p
(5)「運命を拓く」 1998年出版
・カンチェンジュンガの麓で、あるヘプチャ人種の一人から(カリアッパ師) 102p
3.修行地のキーワードは4つ
(1)カンチェンジュンガ山麓(のゴーグ村)、そのふもとのフートンにいるんだよ。
(2)カンチェンジュンガ山麓の滝は熊野・那智滝より幅差が倍もある大滝で、轟音で滝つぼに落下する
(3)ゴーグ村から6km歩いて修行地の滝に着く
(4)カンチェンジュンガの麓で、あるヘプチャ人種
4.ゴーケ村は3つある?
(1)前2回訪問のゴルケ(Gorkhe)村(マネバンジャンの左下、シンガリラ国立公園は上、ダージリン右上)
*しかし、ここGorkheからはカンチェンジュンガ峰が見えないし、那智の滝に匹敵する大滝はない。
(2)カンチエンジュンガ峰に近いゴルケ(Gorkhey)村 (シンガリラ国立公園の上、ダージリンは右下)
*ヘプシャ人種はレプチャ(Lepcha)の方言発音と思える。(ダージリン近郊)
(3)カンチエンジュンガ峰に近いゴルケGorkhey村の周囲(アタリ―の下、フートンPhodongが右上に)
*発音次第では「Geyzig」も「ゴーグ」と発音されるという。(GorkheyとPhodongの中間に)
(4)カンチエンジュンガ峰と未訪問ゴルケ村との位置(アタリ―の下、シンガリラ国立公園の上、フートン地)
*このゴルケ(Gorkhey)村ならフートン(Photong)地域となり、場所によりカンチ霊峰が見える可能性大
(5)天風先生の修行地(言葉:フートン(Photong)地域、那智の滝より大きい)
楜沢さんからの提供写真(現在の大滝・観光名所) *この滝は旧首都・ヨクサムの上に位置するという。 *するとヨクサム下の「Geyzig」が「ゴーグ」と発音するのかもしれない。 |
5.ご修行地の特定(現時点ではできず)
(1)天風先生自身の4つのキーワードから考えると、2018年、2020年に訪問したネパールのゴルケ村は実際の修行地に該当しないように思われる。
(2)ではなぜ、1991年の財団幹部の末吉氏や1993年の財団専務理事の清水氏がネパールのマネバンジャンに近いゴルケ村を訪問したかと考えると、交通便の良い、ネパール→インド→マネバンジャン→ゴルケ村ルート(旅行期間:9日間)か、ネパール→ゴルケ村ルート(旅行期間:7日間)しかなかったからか。
または、ガイドが知っているのはネパールのゴルケ村のみだからかもしれない。
(3)現在でもダージリンからカンチエンジュンガ麓に行くためには、ネパール→インド→シッキム州→インド→ネパール・ルートとなり、移動は悪路のため四輪駆動で長時間(1日8時間以上)かかり、少なくとも現地で2日間の滞在が必要となり、旅行期間は10日間?以上は必要となる。
(4)それにしても、一度フートン地域に行き「カンチエンジュンガ峰が見える」「ゴーケ村から歩いて6キロの大きな滝」を探し、現地の「神韻縹渺たる大自然の精気」を実感したいものです。
(5)コロナ禍が解除されれば、早く探求訪問するとして、それまでにいろいろ事前調査をしておきたいと思っています。
終わり
ゴルケ村の由来
2020年2月のゴルケ村訪問時に、「ゴルケという村の名前は、どういう経緯からついたのか?」という質問をすると、村人の一人が次のように答えてくれた。「ゴルカ戦争が関わっています」という。日本人や多くのネパールに関わった人達にとって、ゴルカとかグルカ、ゴーグという名前は、ヒマラヤで第二次世界大戦中、日本軍と闘ったグルカ兵とかゴルカ王国として、よく知られている。グルカ戦争(ゴルカ戦争ともいう、Gurkha War、1814年 – 1816年)は、イギリス東インド会社とネパール王国(ゴルカ朝)との間で行われた戦争である。国境紛争と領土的野心が原因で起きた。「グルカ」とはゴルカの英語読みである。グルカやゴーグなどゴルカ由来の地名はネパールやキッシム王国に散在している。また(「ゴルカ」の単語は山から来たという意味でヒマラヤの山に住んでいた人々だという)。