学術
掲載時肩書 | 理化学研究所理事長 |
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掲載期間 | 2015/06/01〜2015/06/30 |
出身地 | 中国 |
生年月日 | 1942/11/17 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 73 歳 |
最終学歴 | 京都大学 |
学歴その他 | |
入社 | 助手 |
配偶者 | 中高1下 |
主な仕事 | 人工衛星→プラズマ研究→計算機シュミレーション、NASA,宇宙太陽光発電、部局横断研究支援センター |
恩師・恩人 | 前田憲一 大林辰蔵 |
人脈 | 京大総長、理化学研究所理事長、行動的リーダー |
備考 | 長男(脳性マヒ)、困ったときの松本、母の手作り絵本 |
この「履歴書」に登場した学者はこれまで65人になるが、そのうち、京都大出身者は、登場順に、岡潔、谷川徹三、貝塚茂樹、今西錦司、福井謙一、林屋辰三郎、伊谷純一郎、梅棹忠夫、樋口隆康、梅原猛、河合雅雄、野依良治、米沢富美子、利根川進、森本公誠と松本の16名である。昨年9月京大総長を退任し、今年4月1日に理研理事長に就任したばかりであった。
1.理研理事長・就任あいさつ
「若手研究者の育成なしには日本の将来は危うい」。4月1日、理化学研究所の理事長に就任した際の記者会見で日ごろ思っていることが口をついて出た。下村博文文部科学相から辞令を受け、野依良治前理事長から引き継いだ直後だった。研究不正が指摘されたSTAP細胞の論文問題についての質問も多く、「どういう思いで火中の栗を拾うのか」という問いかけもあった。「長らく研究現場にいて、研究管理もやってきた。誰かが、世界でも一流の研究機関を維持し、発展させていく必要がある。国のために、という気持ちが強くなった」と答えた。
2.業績
人工衛星を使った観測や計算機シミュレーション、宇宙太陽光発電などいくつもの新しいテーマに取り組んできた。その中でプラズマを「気体にエネルギーを加えると、原子がイオンと電子に分離される。この現象を電離といい、電離された気体をプラズマという。地球の自然現象では雷やオーロラがプラズマで、太陽は中心部で核融合が起きているプラズマだった。
3.「困ったときの松本」
100年を超える歴史を持つ国際電波科学連合は長岡半太郎博士が副会長を務めた後、長らく日本人から会長が出ていなかったが、私が1999年に選ばれ、英語とフランス語で講演をした。「困ったときの松本」として総長に担ぎ出され、大学教育の改革で教養教育を、企画をする組織と実際に教育を担当する組織とを統合した。また、現在は学問領域の細分化が進み、隣の人がしている研究が全然理解できない状況となっているのを、部局横断的な研究を支援する学際融合教育研究推進センターなどを設立し、組織の壁を除いた。
4.「白眉プロジェクト」制度を採用
若手研究者の育成策「白眉プロジェクト」制度を採用し、京都大出身に限らず博士号を取得した若手研究者を、分野を問わず年棒制の教員(准教授、助教)とした。最長5年間の有期雇用で、給与の他、年間最大400万円の研究費を支給するものである。5年間、身分と待遇を保証する自由度が高い制度は注目され、競争率30倍の狭き門となっている。
氏は2025年6月15日、82歳で亡くなった。この「履歴書」に登場は2015年6月で73歳のときでした。専門は宇宙電波工学。京大教授などを経て2008~14年に同学長を務めた。大学院での学際的な部門創設や、若い研究者を選抜して支援するプロジェクトなどの改革をけん引した。iPS細胞の研究支援にも力を注いだ。15~22年に理研理事長。STAP細胞論文の不正問題で揺らいだ組織の信頼回復に努めた。
1.ノーベル賞(京大総長時代)
総長在任中に京都大関係者のノーベル賞受賞が相次いた。2008年度の物理学賞の受賞者には益川敏英・京都大名誉教授、小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授が、南部陽一郎博士とともに選ばれた。理論物理学研究所は湯川秀樹博士以来京都大がリードしてきた。その伝統が続いてきたことが示せて誇らしかった。
この年の11月、山中伸弥さんは人間の皮膚に4種類の遺伝子を入れるだけでES細胞に似た細胞を生成できたとの研究成果を発表した。マウスで成功した段階でもこの研究は再生医療の発展に繋がる画期的なものだと思っていた。世界が注目しており、研究競争が激しくなるのは明らかだ。「すぐに動かねば」と感じ、iPS細胞に特化した研究組織を立ち上げた。
iPS細胞では知的財産の保護、活用でも対策を練った。企業に特許で独占されたら幅広い研究が難しくなる。産学連携本部長もしていたので、知財の専門家を集め、適切な手法を検討した。京都大だけでなく他の大学や研究機関のiPS細胞に関する権利を一括管理し、企業や研究者に提供する会社を考えた。
2.国際化への道(理化学研究所)
理化学研究所に着任して以降、会議は英語でしている。所内ではほとんど公用語だ。最初に宣言した時は戸惑いが広がるかと思ったが、そうでもなかった。在籍する研究者の2割は外国人で、自然科学研究の世界で論文や学会発表は英語が当たり前になっているからだろう。グローバル化が進む中、大学や研究機関では今後、日本語を大切にしながら英語も普通にこなす二刀流が必要になると思う。
さきごろ英国の教育誌が発表したアジアの大学ランキングで、上位100校に入った大学の数で中国が日本を抜いて1位になったという報道があった。中国に限らず、韓国や台湾、香港、シンガポールなどの大学は着実に力を付けている。昔はアジアの大学を少し下に見ていたが、総長時代には、教育研究環境や教員層の充実、意欲や能力のある国外の学生を見て、「このままでは日本の大学は抜かれる」と危機感を持った。国の教育研究予算の他に、日本の大学は国際化で後れを取っている。ここに英語が深く関係してくるのだ。ランキングでは論文の引用数、外国人教員や留学生の数などで日本の大学の評価が下がってしまう。例えば文系に多い日本語の論文は引用されにくく、引用率が低くなるのだ。
松本 紘 (まつもと ひろし) | |
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![]() 2021年11月9日 大綬章親授式終了後の記念撮影にて | |
生誕 | 松本 紘(まつもと ひろし) 1942年11月17日 ![]() |
死没 | 2025年6月15日(82歳没)![]() |
国籍 | ![]() |
教育 | 京都大学(学士、修士、博士) |
業績 | |
専門分野 | 宇宙科学 宇宙電波工学 |
所属機関 | 国立研究開発法人理化学研究所 |
勤務先 | 京都大学 理化学研究所 国際高等研究所 |
受賞歴 | 田中館賞(1975年) NASA Group Achievement Award Geomagnetic Tail Laboratory(1993年) NASA Group Achievement Award Geotail PWI Team Global(1998年) 志田林三郎賞(1999年) 米国地球物理学連合フェロー/AGU Fellow Award(1999年) 米国電気電子学会 フェロー/IEEE Fellow Award(2003年) 英国王立天文学協会(RAS)外国人名誉会員(2004年) 情報通信月間推進協議会 近畿情報通信協議会会長表彰(2004年) ガガーリン・メダル(2006年) 文部科学大臣表彰(2006年) 紫綬褒章(2007年) 長谷川・永田賞(2008年) Booker Gold Medal(2008年) ブリストル大学 名誉工学博士(2014年) 日本地球惑星科学連合 フェロー(2014年) レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ(2015年) 名誉大英勲章OBE(2017年) 瑞宝大綬章(2021年) |
松本 紘(まつもと ひろし、1942年(昭和17年)11月17日 - 2025年(令和7年)6月15日[1][2])は、日本の工学者(宇宙科学・宇宙電波工学)。学位は工学博士(京都大学・1973年)。国立研究開発法人理化学研究所名誉理事長、公益財団法人国際高等研究所所長、京都大学名誉教授。京都大学総長(第24代)。
- ^ “松本 紘 前理化学研究所理事長の訃報に接して | 理化学研究所”. www.riken.jp. 2025年6月16日閲覧。
- ^ “京都大元学長の松本紘氏が死去、82歳…iPS細胞の研究支援に手腕発揮”. 読売新聞オンライン (2025年6月16日). 2025年6月16日閲覧。