野依良治 のより りょうじ

学術

掲載時肩書理化学研究所理事長
掲載期間2008/09/01〜2008/09/30
出身地兵庫県
生年月日1938/09/03
掲載回数29 回
執筆時年齢70 歳
最終学歴
京都大学
学歴その他灘校
入社母校助手
配偶者学者娘・薬剤師
主な仕事28歳不斉触媒反応、名大助教授、米H大留学、教授33歳、不斉還元法・N賞、理研長
恩師・恩人野崎一教授(仲人)、J.コーリー教授
人脈長倉三郎、小田稔、河合隼雄、西澤潤一、岸本忠三、北澤宏一、小林陽太郎、早石修
備考日本世代への期待
論評

1938年9月3日- )は兵庫県生まれ。化学者(有機化学)。学位は工学博士(京都大学・1967年)。2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」が評価されノーベル化学賞を受賞した。帰国後の1972年8月、名古屋大学の理学部教授に昇任した。同年、紘子夫人と結婚する。その後、1983年にはメントールの量産化に成功し、1986年にはBINAP-ルテニウム触媒を発明するなどの業績を残した。1996年2月より名古屋大学大学院理学研究科教授を務めた。1997年1月には理学研究科長、および、理学部長に、2000年には同大学の物質科学国際研究センター長、独立行政法人理化学研究所理事長などを歴任した。

1.土曜日の研究会
名古屋大の研修室を主宰して、常に基本的な課題に取り組むよう心掛けた。そして研究は「瑞々しく、単純明快」でありたいと願ってきた。一刀両断、直截的な解答を求め続けた。一方で、目標達成には、強い思い入れと継続性、そして何より幸運が必要だ。常に複数の主題を用意し、それぞれを助教授や助手に担当してもらい、学生や博士研究員が実験を分担する体制をとった。30歳のころは学生たちに毎日会い、実験の詳細を議論した。夜10時に指示を与え、翌朝9時に結果をたずねたりもした。やがて有能なスタッフに任せ、忍耐強く吉報を待つようになった。
 土曜日朝10時からは、全員集合で研究会。数人の学生が、実験結果に基づき進捗状況を発表する。そして徹底した討議が始まる。私の矢継ぎ早の質問に学生は守勢にまわる場合が多かった。要は何が分かったか、何が問題かを、その場ではっきりさせたかった。研究には思考と行動、人がするものだ。「コンピュータに考えてもらい、ロボットに働いてもらって答えを出す」現代の研究傾向には違和感を覚える。

2.米コーネル大の記念講演
1990年、米コーネル大学でベーカー記念講演者として一連の不斉合成研究の講義をしたことが記憶に残る。毎週火曜日と木曜日に講演し、それを総合して出版することが求められる。3か月以上滞在とされたが、忙しい現代の研究者たちには短縮を願い出る人が多い。26年に始まった将来のノーベル賞学者発掘の仕組みでもある。実際、講演者のうちオットー・ハーン、ライナス・ポーリング、マンフレッド・アイゲンを含む20人がノーベル物理学・化学賞を受けていて大きな責任を感じた。
 大学街イサカは、映画撮影にも使われる美しい丘陵地にある。せっかくなので紅葉の盛りの9月中旬からの7週間を選び、妻と小学6年生の次男を同伴した。ベーカー記念講演には十分な旅費、滞在費を用意して学科をあげて最高のアカデミックな雰囲気を提供するのが伝統だ。化学科最上階の紅葉を眼下に見渡せる客員教授室が与えられ、正教授たちと同等のサービスが提供された。
 徒歩15分の距離にキッチン付きの宿舎、車を与えられ、ほとんどの教授たちが一度は自宅に招き、昼食、夕食でもてなしてくれた。週末は美しい近郊をドライブしたり、マレー・ぺレイヤなど一流演奏家による音楽会、さらにフットボール観戦にも招かれた。息子は近所の学校に通った。

3.日本国世代への期待
私は芸術や文学と共に、自然科学はこれを大いに助けるものであると信じている。今こそ20世紀の軍事的、経済的統治ではない「文化的統治」が必要だ。現代、なにゆえに日本の国際的存在感が薄いのか。我が国は国柄をより明確に定め、日本人の価値観、思想の正当性をグローバルに発信、流布して理解を求めなければならない。四方を海に囲われた日本は、世界に開かれた国である。新しい世紀にふさわしい展望をもち、他の国々と手を携え、広く人類社会に貢献する国をつくろうではないか。すべての世代の奮起を期待している。

野依 良治
日本学士院より公表された肖像写真
生誕 (1938-09-03) 1938年9月3日(85歳)
日本の旗 日本兵庫県武庫郡精道村(当時)
居住 日本の旗 日本
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 日本の旗 日本
研究分野 化学
研究機関 京都大学
名古屋大学
ハーバード大学
理化学研究所
出身校 京都大学
主な業績 触媒的不斉水素化反応の開発
BINAP の開発
メントールの量産化の実現
主な受賞歴 中日文化賞(1982年)
朝日賞(1993年)
日本学士院賞(1995年)
アーサー・C・コープ賞(1997年)
キング・ファイサル国際賞(1999年)
ウルフ賞化学部門(2001年)
ノーベル化学賞(2001年)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2001年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:キラル触媒による不斉反応の研究

野依 良治のより りょうじ1938年9月3日[1] - )は、日本の化学者有機化学)。学位は工学博士京都大学・1967年)。国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター長[2]名古屋大学特別教授、名城大学客員教授、高砂香料工業株式会社取締役。日本学士院会員。2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」[3]が評価されノーベル化学賞を受賞した。

名古屋大学大学院理学研究科研究科長、理学部長、物質科学国際研究センター長、独立行政法人理化学研究所理事長などを歴任した。

  1. ^ ノーベル賞日本人受賞者7人の偉業【野依 良治】”. 国立科学博物館. 2014年10月3日閲覧。
  2. ^ asahi.com [リンク切れ]
  3. ^ 野依良治、「C2キラリティーとしなやかさ」 化学と生物 1984年 22巻 11号 p.759-766, doi:10.1271/kagakutoseibutsu1962.22.759
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