樋口久子 ひぐち ひさこ

スポーツ

掲載時肩書日本女子プロゴルフ協会相談役
掲載期間2016/10/01〜2016/10/31
出身地埼玉県
生年月日1945/10/13
掲載回数30 回
執筆時年齢71 歳
最終学歴
高等学校
学歴その他日本女子体育 陸上部
入社川越CC
配偶者松井功離婚
主な仕事女子プロ1期、優勝72(外3)、落雷、アマの大会参加、全米女子プロ優勝、世界殿堂、キッズデー、
恩師・恩人中村寅吉
人脈二瓶綾子、佐々木マサ子、岡本綾子、小林陽太郎、盛田昭夫、戸張捷、涂阿玉
備考姉:キャディ
論評

氏は、プロゴルファーでこの「履歴書」に登場した宮本留吉青木功岡本綾子ジャック・ニクラウストム・ワトソンに次いで6人目であるが、女子では岡本綾子に次いで2人目である。樋口と岡本(カッコ内)との比較は、優勝回数72回(62)うち外国は3回(18)、世界殿堂入りは2003年(2004年)であった。この二人が女子プロゴルフ界を牽引してきたと言える。運動部の出身では樋口は陸上部、岡本はソフトボール部であり、師匠は樋口が有名な中村寅吉プロであったのに対して、岡本はそれに該当する人がいない。

樋口の他の選手と違った点は、落雷の経験を詳しく書いていたことであった。「日光CCでお客さんと一緒にプレーしていた際、雨がポツポツ降ってきたので、傘をさして第2打地点に向かって歩いていると、近くに雷がドーン。強い電流が金属スパイクの靴を履いた足から左手に持った傘に抜け、もう一つは左脚から右脚へと抜けた。電流が走った瞬間、「あつ、死んじゃう」と観念、気を失って倒れた。気が付くと、数センチもある大きなヒョウが降ってきた。逃げようにも感電していて歩けない。無事だった男性客に引っ張られて木陰に避難した。シャツは焦げ、手袋は引っ張って裂いた状態で、ズボンの裾も破れていた。女性のお客さんは鼓膜が破れて髪の毛が焼け、キャディさんは指輪の先にしびれが残った。しばらくの間、足が痛くて和式トイレでうまくしゃがめず辛かった記憶がある」という。これ以後、カミナリ恐怖症になったと書いているが経験者でないと語れない。

彼女の女子プロゴルフ協会会長時代に残した業績は、2003年に協会内部をトーナメント部門とレッスン部門に二分化した。そしてプロテストに合格していないアマ選手もトーナメント参加に門戸を開いたことだった。これにより宮里藍、横峯さくらがアマで優勝するなどで今日の女子プロ活性化に繋がった。また、1998年からジュニア育成のため、「キッズデー」をスタートさせた。対象は小学校低学年から一日を楽しく芝生の上で遊んでもらうのが趣旨で、午前中には上級者はショットやアプローチ、パット練習を行い、午後は3,4ホールをラウンドする。14年間で4000人以上のジュニアが参加し、その中からプロテスト合格者も続出。ツアー優勝者も誕生したという。

美女と才女
樋口久子
 樋口 久子 
Hisako HIGUCHI

樋口久子 三菱電機レディスゴルフトーナメント
2021年10月31日
基本情報
名前 樋口 久子
生年月日 (1945-10-13) 1945年10月13日(79歳)
身長 163 cm (5 ft 4 in)
体重 60 kg (132 lb)
出身地 埼玉県川越市
経歴
プロ勝利数 73
優勝数
LPGAツアー 2
日本LPGA 69
ALPG 1
他ツアー 1
LPGAメジャー選手権最高成績
(優勝: 1)
ANA (3位タイ : 1975, 1976)[1]
全米女子プロ 優勝: 1977
全米女子OP 13位タイ : 1976
受賞
日本女子ツアー賞金王 1968, 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974, 1975, 1976, 1978, 1979
成績
優勝回数 73回 米国女子:2回を含む
初優勝 日本女子プロゴルフ選手権大会(1968年)
賞金ランク最高位 日本女子:1位 (11回)
殿堂表彰者
選出年 2003年
選出部門 特別功労
殿堂表彰者
選出年 2013年
選出部門 プレーヤー
2009年2月26日現在
テンプレートを表示

樋口 久子(ひぐち ひさこ、1945年10月13日 - )は、日本の女子プロゴルファー日本女子プロゴルフ協会相談役、元会長富士通所属。

男女通じてアジア出身選手初のメジャー選手権全米女子プロゴルフ選手権)優勝者。日本人初のLPGAツアー優勝者。優勝回数73回は日本歴代女子最多。日本人初の世界ゴルフ殿堂入り。

  1. ^ メジャー昇格前
[ 前のページに戻る ]