掲載時肩書 | 三井住友FG名誉顧問 |
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掲載期間 | 2019/04/01〜2019/04/30 |
出身地 | 長野県 |
生年月日 | 1944/12/02 |
掲載回数 | |
執筆時年齢 | 74 歳 |
最終学歴 | 京都大学 |
学歴その他 | 洛星高 |
入社 | 住友BK |
配偶者 | 同僚紹介 |
主な仕事 | 調査部、国際部、秘書、企画部、ゴッタルト、日興コーデアル、阪急・阪神、 |
恩師・恩人 | 樋口仲人 |
人脈 | 吉田義男、磯田一郎、樋口廣太郎、巽外夫、小松康、井上礼之、西川善文 |
備考 | 父親神戸教授 |
氏がこの「履歴書」に登場する前に、住友銀行出身では鈴木剛(プラザホテル社長)、伊部恭之助(住友銀行)、樋口廣太郎(アサヒビール社長)の3人がいて4人目となる。他の大手銀行出身では興銀(川又克二、日高輝)、長銀(杉浦敏介)、日債銀(勝田龍夫)、三菱(宇佐美洵)、三井(佐藤喜一郎)、富士(松沢卓二)、第一勧銀(井上薫)、東京(堀江薫雄)、東海(三宅重光)だから数からみて最も多い。
氏は入行3年目に希望どおりの調査第二部に配属となる。調査一部はマクロ経済を調査し、この二部は企業の信用調査をする。ここでの業務のキーワードはダブルチエックだった。取引先からの融資要請案件を地域の担当支店が稟議書を整え、本店の審査部に上げる。この審査部が融資の可否を決めるが、その間に入るのが調査二部だという。支店と異なる視点から経営状況を分析し、審査部の判断材料となる所見を付けるのだった。当時は銀行も資金不足だったので、与信判断の精度を高めることが欠かせなかった。そのため、実地調査を必ず行った。対象企業に足を運び帳簿を照合し、倉庫や工場で稼働状況を自分の目で確かめる習慣がついた。これと並行して業種全体を俯瞰する業界調査も行ったことが、氏の将来の布石となった。
また、入行4年目に「今後は国際業務に通じた人材が必要となる」を人事調査希望欄に記載したことで、ミシガン大学の法学修士(LLM)の派遣留学生に選ばれ、取得する。この勉強と米国生活で、氏が銀行内では国際派として法律に詳しいとの地位を得ることになる。
米国発のリーマン危機下の2008年度。3メガバンクはそろって赤字に転落した。そのとき私は「危機に好機あり」とチャンスを窺った。ゴールドマンサックスへの出資を解消せざるを得なかったのは残念であったが、その時の経験を生かして、その後の米欧銀のリストラで必ず出物があると読んだ。
09年1月、ベイシティグループ傘下の日興コーディアル証券が売りに出た。3メガによる争奪戦に発展する。4月に私はゴルフのマスターズ観戦を装い渡米。ニューヨ-クに転じ、資産売却を迫られていたシティのヴィクラム・パンディットCEOに会い、曲折はあったがこの案件を成功させた。
氏が頭取となり最も大きな業績はリーマンショック後の「不良債権処理」と「さくら銀行との合併後の采配」、そして優れた管理能力とを高く評価されているが、紙面ではなかなか読み取れない。しかし、「平家・海軍・国際派」の共通項は「滅びの美学」と言われているが、氏はそれを打破した人物だった。現在では国際派は重要視される。既存の銀行は、情報技術(IT)と金融(Finance)を融合した新興フィンテック企業群の攻勢にさらされている。だから異常な金利下で生き残りをかけるのは海外に飛び出し、蓄積した金融ノウハウとコンサル業務で生き残りを図ることになるだろう。これからの大手都市銀行の変化に注目したい。