早石修 はやいし おさむ

医療

掲載時肩書生化学者
掲載期間2006/03/01〜2006/03/31
出身地アメリカ合衆国
生年月日1920/01/08
掲載回数
執筆時年齢86 歳
最終学歴
大阪大学
学歴その他大阪高校
入社助手
配偶者医学部 長娘
主な仕事教授130名(東大・京大・阪大)基礎医学、英国NIH,ランチセミナー、京大教授38歳、睡眠ホルモン、
恩師古武弥四郎コーンバーク
人脈福井謙一(高1上)、服部正次、平澤興、本庶佑、
備考
追悼

「酸素添加酵素」の発見と研究により文化勲章を受章した氏は、’15年12月17日95歳で亡くなった。

氏の「履歴書」の執筆は2006年3月で86歳のときであった。「履歴書」に登場した医師は、田崎勇三、武見太郎、緒方知三郎、冲中重雄、榊原仟、塚本憲甫、大塚敬節、山村雄一、日野原重明、杉村隆、斎藤茂太、岸本忠三、石坂公成、早石修、利根川進の15名である。現在795名の「履歴書」執筆者がいるが、早石氏から影響を受けたと書いている人物に、宇野収(東洋紡相談役)、渡辺格(分子生物学者)、岸本忠三(阪大学長)、野依良治(理化学研究所理事長)らがいる。

42年に大阪帝国大(現大阪大)医学部を卒業、米国留学後、米国立衛生研究所(NIH)の毒物学部長に就任した。そのとき阪大恩師・古武弥四郎教授から譲られた焼け跡から採集の細菌を生体内の呼吸など活動にかかわる酸素添加酵素(オキシナーゼ)の存在を証明して世界に評価を高めた。帰国後の58年に38歳の若さで京大医学部教授となった。

担当する医科学教室は助手や大学院生を含め総勢8人だったが、4年前に公開された黒沢明監督の映画をもじり「七人の侍」と意気込んだ。そして米国のコンバーグ教授(ノーベル医学賞受賞者)で学んだランチセミナーを採用し、さっそく授業を始めた。毎日正午から1時間、当番が最初の論文を採り上げ、着想や方針、実験から結論を導く過程について弁当を食べながら徹底的に討論する勉強会だった。この評判を聞きつけて、翌年から他大学や企業、海外から客員研究員が押しかけてきた。教室は若い研究員の熱気にあふれたという。この成果は、七人の侍から始まった教室の陣容はすぐに50人を超え、のちに兼務した阪大教授、東大教授を含めると、門下生から130人を超える大学教授が誕生した。これを人は「早石道場」と呼んだ。

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