掲載時肩書 | プロゴルファー |
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掲載期間 | 2013/05/01〜2013/05/31 |
出身地 | 広島県 |
生年月日 | 1951/04/02 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 62 歳 |
最終学歴 | 高等学校 |
学歴その他 | 今治明徳高 |
入社 | 大和紡 |
配偶者 | |
主な仕事 | ソフトボール:国体優勝、ゴルフ、池田CC,プロ1年初優勝、米賞金女王、米国殿堂(青木・樋口)、猿島CC設計、 |
恩師・恩人 | 岡本昭重 |
人脈 | 吉持・諸星(同期)、有延(大和紡社長)、パティ・シーハン、パティ・リゾ、小山五郎、五島昇、宇津木妙子・麗華 |
備考 |
プロゴルファーでは宮本留吉氏(1983年8月)、青木功氏(2010年2月)が登場していますが、女性では初めてです。世界ゴルフ殿堂入りには、樋口久子氏、青木功氏に次いで3人目で2005年でした。
特に印象に残った掲載箇所は、賞金女王時代は「トーナメント会場に行ってクラブハウスに入り、コースを目にした瞬間に(この試合でトップ3には入るな)と感じた」という。また、「何となく相性がいい、というか不思議な感覚が働く」とも。この心境は、川上哲治氏の「ボールが止まって見える」とか、長嶋氏の「絶好調時代は、ボールがソフトボールのように大きく見える」に通じているのかもしれない。
1.初優勝
プロ初優勝は、1975年11月12日、美津濃トーナメント(千葉)である。2日目の最終日、私は樋口久子さん、大迫たつ子さんと最終組でプレーした。私の5,6歩前を歩いていた樋口さんが聞こえよがしに、「岡本って、飛ぶ、飛ぶと言われるけど(大迫)たっちゃんより飛ばないじゃん」。これも駆け引きの一つなのだろうが、ちょっとびっくりした。
1打リードして迎えた18番。樋口さんが3mのバーディチャンスにつけ、私はピン奥8mに乗せた。難しいフックラインで、私が外して樋口さんが決めればプレーオフだったが、ポンとバーディパットを決め、プロ1年目で初勝利をつかんだ。ホールアウト後、「握手するところを撮らせて」と言われたが、樋口さんはカメラマンに向かって「嫌よ、なんで握手しなけりゃいけないのよ」。結局、握手を交わすのだが、あの言葉は強く印象に残っている。
2.米国ではマナーの悪い選手もいる
英語もろくにできなかった私だが、米ツアーでは構わず相手の懐に飛び込んでいった。溶け込もうとする気持ちがあれば、単語を並べジェスチャーを交えるだけで何とかなる。米国は国土も広いだけに驚くことに事欠かない。
(1) ある試合で、2番ホールだったか。ティーショットを打って歩いていたら、第2打地点で同じ組の選手がいきなりキャディーに小切手を書いて手渡した。「ファイア」、クビである。そしてロープ外のギャラリーを手招きしてバッグを担がせたのだ。
(2) プレー進行がつかえて必ず3,4組待つホールがあった。ある朝、ロリー・バーガシーがピザ店に「〇時に〇番ホールに出前して」と電話、みんなでピザを食べたという。
(3) 試合中にアルコールを飲みながらプレーする人もいた。トイレに入った隣から「プシュッ」と缶ビールを空ける音がした。
3.異能なライバルたち
米ツアー選手はみんな個性的だ。スポーツ大国だけに、小さい頃からテニスやバスケットボール、水泳などいろいろなスポーツになじんでいる。パティ・シーハンやパット・ブラドリーはスキーの五輪候補選手で足腰が強く、パーンと打つとちょっと吹き上がる男子のような力強い球筋に驚かされた。ジェーン・ゲティスは頭脳明晰で弁護士資格を取得、女子ゴルフ協会のアドバイザーも務めた。ベッツィー・キングは信仰心が篤く社会奉仕活動に熱心。ゴルフ場のロッカー室でキリスト教の集会を開いて協会に禁止されたこともあった。
4.米賞金女王に
腰痛からカムバックした1986年は2勝。翌87年はシーズン当初から好調だった。9月のネッスル世界選手権に勝ち米ツアー通算11勝目、シーズン自己最多の4勝目マークし賞金ランクを2位に上げた。11月の米ツアー最終戦、マツダ・ジャパンクラシックを前に、ランク一位のベッツィー・キングとは8300ドル差だった。逆転女王へ願ってもないチャンス。決戦の朝、あまりの緊張感で胸が押しつぶされそうだった。深呼吸してバーンと打ったらボールはまっすぐ飛び、震えは収まった。試合展開は殆ど記憶にない。森口裕子さんが優勝、私が2位で、年間最優秀選手賞も手中にした。
Ayako OKAMOTO | |
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岡本 綾子 (2005年4月23日撮影)[1] | |
基本情報 | |
名前 | 岡本 綾子 |
生年月日 | 1951年4月2日(73歳) |
身長 | 165 cm (5 ft 5 in) |
体重 | 65 kg (143 lb) |
出身地 | 広島県東広島市安芸津町 (旧豊田郡安芸津町) |
経歴 | |
プロ転向 | 1974年 |
成績 | |
優勝回数 | 62回(日本女子:44回、 全米女子:17回、欧州女子:1回) |
初優勝 | 日本女子:美津濃ゴルフトーナメント (1975) 全米女子:アリゾナ・コパー・クラシック (1982) 欧州女子:ドイツ女子オープン (1990) |
賞金王 | 日本女子:1981年 全米女子:1987年 |
殿堂表彰者 | |
選出年 | 2005年 |
選出部門 | 国際投票 |
殿堂表彰者 | |
選出年 | 2014年 |
選出部門 | プレーヤー |
2011年5月9日現在 |
岡本 綾子(おかもと あやこ、1951年4月2日 - )は、広島県豊田郡安芸津町(現:東広島市)出身、同在住[2]の女子プロゴルファー[2]、ゴルフ指導者。樋口久子らと共に日本女子ゴルフの基盤を築いた名選手である[3][4][5]。日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても知られる。
日本女子ゴルフツアーで44勝、アメリカLPGAツアーで17勝[6][7]。日本ツアーの永久シード権を獲得しているほか、1987年には、アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王になった[6][8][9]。