掲載時肩書 | 狂言師 |
---|---|
掲載期間 | 2013/08/01〜2013/08/31 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1930/01/10 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 83 歳 |
最終学歴 | 東京藝術大学 |
学歴その他 | |
入社 | 院生 |
配偶者 | 東京女子大5下 |
主な仕事 | 芸大(謡、仕舞、囃子)、「冠者会」、歌舞伎協演、海外、国宝(父・叔父、私、万作)、 |
恩師・恩人 | 中川一政 |
人脈 | いずみたく(5中)、茂山千作兄弟、2世尾上松緑、観世寿夫・栄夫・静夫、武智鉄二、飯沢匡、和泉元彌除名、 |
備考 | 父:6世万蔵、陶芸趣味 |
2013年8月「履歴書」に登場はこの人(狂言師)であった。父親の6世野村万蔵もここに登場したので、茂山千作(能楽狂言師3世、4世)と同じ親子登場になった。そして歌舞伎の中村鴈治郎さん(息子:坂田藤十郎)親子とも同じになった。この「履歴書」には、能と狂言を併せて能楽となると書いてあった。
「猿楽」から発展した伝統芸能で650年の歴史を持つ。2001年にはユネスコの無形文化遺産に指定された。
能が歌舞伎的で象徴的、悲劇的であるのに対し、狂言はセリフ的で写実的、庶民的な喜劇であると。能は芸術性が高いものとされ、笑いを主とする狂言は長い間、能の風下に置かれてきたという。能と狂言の関係は丁度オペラとオペレッタの関係のように感じた。
古典芸能は能・狂言・舞踊・人形遣いなどの分野があり、いままで15名が登場している。文楽人形遣い(吉田難波掾、桐竹紋十郎、吉田玉男、吉田蓑助)と狂言(野村万蔵、茂山千作(3世)、茂山千作(4世)、野村萬)が4人で一番多く、能楽師(梅若六郎、喜多六平太、片山九郎右衛門)が3名、文楽師(豊竹山城少掾、竹本住大夫)2名、長唄(吉住慈恭)、舞踊(井上八千代)が各1名となっている。氏は今、能楽協会の理事長を務めているが、ここにはシテ方5流(勧世、金春、宝生、金剛、喜多)、ワキ方3流(高安、福王、宝生)、囃子方の笛方が3流(一噌、森田、藤田)、小鼓方4流(幸、幸清、大倉、観生)、大鼓方5流(葛野、高安、石井、大倉、観生)、太鼓方2流(観生、金春)、狂言2流(大蔵、和泉)の能楽師からなり、現在1300余人もいるという。この大所帯にびっくり。
能・狂言は現代に生きている芸能だ。日本芸能のルーツであり、650年にわたり伝承されてきた。そこには技芸の継承と共に、常に創造のエネルギーをもって取り組んできたという。氏は東京芸大時代に能や謡、囃子などの勉強もし、能の観世寿夫兄弟との共演、狂言の人間国宝・茂山千作兄弟との新作共演、宝塚の萬代峰子や新劇の長岡輝子、岸田今日子らと革新的共演、そして、中国・京劇名優の尚長栄とも共演した。能楽の大成者・世阿弥の「伝統と革新」を継承・実践している人であった。
のむら まん 野村 萬 | |
---|---|
文化勲章受章に際して 公表された肖像写真 | |
本名 | 野村 太良(のむら たろう) |
別名義 | 1. 四世 野村 万之丞 (よんせい のむら まんのじょう) 2.七世 野村 万蔵 (しちせい のむら まんぞう) |
生年月日 | 1930年1月10日(94歳) |
出生地 | 大日本帝国・東京府東京市(現在の東京都) |
国籍 | 日本 |
職業 | 狂言方能楽師・俳優 |
ジャンル | 能楽 |
活動期間 | 1934年 - 現在 |
活動内容 | 1934年、「靭猿」にて初舞台 1950年、「四世野村万之丞」を襲名する。襲名と同時に「釣狐」を披く。 1956年、パリ国際演劇祭に能楽団として参加する。 1993年、「七世野村万蔵」を襲名する。 1997年、重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定される。 2000年、初世「野村萬」に改名。 2001年、日本芸術院会員となる。 2005年、 名誉都民となる。 2008年 、文化功労者となる。 2018年、 フランス芸術文化勲章オフィシエ受賞 2019年、文化勲章を受賞する。 2023年、日本芸術院院長に就任する。 |
配偶者 | 野村登美子(2004年に死別) |
著名な家族 | 初世野村萬斎(祖父) 六世野村万蔵(父) 七世三宅庄市(叔父) 二世野村万作(弟) 野村四郎(弟) 野村万之介(弟) 和泉元秀(従弟) 三宅右近(従弟) 八世野村万蔵(長男) 九世野村万蔵(二男) 野村太一郎(孫) 六世野村万之丞(孫) 野村拳之介(孫) 野村眞之介(孫) 二世野村萬斎(甥) 野村万禄(甥) 十世三宅藤九郎(従姪) 和泉元彌(従甥) |
事務所 | 萬狂言 |
公式サイト | 萬狂言 |
主な作品 | |
テレビドラマ | |
受賞 | |
日本芸術院賞 紫綬褒章 重要無形文化財「狂言」各個認定(人間国宝)[1] 日本芸術院会員[2] 名誉都民 文化功労者 フランス芸術文化勲章オフィシエ[3] 文化勲章[4] |
野村 萬(のむら まん、1930年(昭和5年)1月10日 - )は、日本の狂言方和泉流能楽師、勲等は文化勲章、人間国宝(重要無形文化財「狂言」各個認定保持者)、日本芸術院院長、文化功労者、名誉都民、豊島区名誉区民。旧名に四世 野村 万之丞(よんせい のむら まんのじょう)、七世 野村 万蔵(しちせい のむら まんぞう)。本名・野村 太良(のむら たろう)。
公益社団法人日本芸能実演家団体協議会会長、公益社団法人能楽協会顧問、社団法人能楽協会理事長、NPO法人ACT.JT理事長などに歴任している。また、狂言方としては狂言界史上2人目となる「文化勲章」受章者でもある。2024年現在、現役最高齢の狂言方能楽師(狂言師)である。
<ref>
タグです。「profile
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません