渡辺淳一 わたなべ じゅんいち

文芸

掲載時肩書作家
掲載期間2013/01/01〜2013/01/31
出身地北海道
生年月日1933/10/24
掲載回数30 回
執筆時年齢80 歳
最終学歴
札幌医科大学
学歴その他
入社三井厚生HP
配偶者医者娘
主な仕事整形外科、直木賞、女性遍歴、日経小説3、
恩師・恩人川邨文 一郎教授
人脈伊藤整(師)、吉行淳之介、和田教授、
備考加清純子
論評

氏は2013年1月の「私の履歴書」に登場した。私には何となく奇異に感じたものだった。何故なら例年1月に登場する人物は、大物政治家や官僚が多いからだった。2008年はグリーンスパン(前FRB議長)、2009年はハワード・ベーカー(前駐日米大使)、2010年は細川護熙(元首相)、2011年は生田正治(商船三井最高顧問)、2012年はトニー・ブレア(前英国首相)だった。

これを見るとその分野に「功を遂げ、名を挙げた」人ばかりだったからだ。渡辺氏はいったい文学の世界でどのような業績を上げ、世間から高い評価を得ているのだろうかと疑問を抱いて読んだ。

渡辺氏は日本経済新聞の文化欄の小説に1986年「化身」、1997年「失楽園」、2006年「愛の流刑地」が掲載され、大幅な読者数を伸ばした功績者でもあった。氏の恋愛小説は定評があり性愛小説とも言われたが、この分野の第一人者であった。2006年「愛の流刑地」で書かれていた内容は、高校の同級生(純子)との初恋と彼女の自殺、彼女にまつわる異性交際実態のほか、整形外科医になって看護師と関係し妊娠・中絶させて恨まれたこと。氏が医者の長女と結婚する際、この看護師の報復を仲人の教授が怖れたこと。札幌医大・和田寿郎教授の心臓移植に論述加担した責任もあり病院を辞めて文筆家になるため上京するが、ここでも勤務病院の看護師と同棲生活を始める。札幌時代に付き合っていた女優志願の女性の上京で、この生活も修羅場に変わってしまう。愛想を尽かされ去った女の住所を突き止め、復縁を迫りストーカーを繰り返して警察に捕まる失態も書いている。

そのうち、1月13日付の内容は、高校生同期のマドンナ純子が謎の「阿寒湖自殺」を書いたものでした。
「彼女が死の直前、私の部屋の窓の下に、赤いカーネションを置いて行ったことを秘かに思い出し、私をもっとも愛していたのだと信じていた。しかし、それから数年たち、私が札幌医科大学にすすむと、そこに内科のある教授に、「私の部屋に一寸、来てください」といわれて行くと、いきなり純子が描いたという自画像を示された。「これは、彼女が阿寒に行く前、自らの死に顔を描いて、私に残していったものです。でもこれは君が持っているのが、一番いいと思うので渡します」といわれた。さらに教授は、純子との肉体関係があり、阿寒に発つ前の夜、札幌の教授の家の前に赤いカーネションを置いていったこと、さらに彼女の肺結核は偽りで、「肺結核は演じていただけです」と教えてくれた」。

これを読んだ時、一瞬、ここまで渡辺氏は暴露して良いのかな?と危惧したことを覚えています。友人の記者に「随分、男女関係を私小説風に暴露していますね」というと、「その心配はありますが、本人が書いているものは修正のしようがありません。でも、今回も読者数は増えています」とのことでした。
ところが、同年4月27日付の日本経済新聞の文化欄の片隅に「渡辺淳一氏おわび」欄がでました。
作家・渡辺淳一氏からの申し出により以下のお詫びを掲載します。
「私が1月に連載した【私の履歴書】(13日付)における札幌医科大学のある教授と純子との関係について、事実と相違する記述があり、関係者およびそのご家族にご迷惑をお掛けしたことをお詫びします。 渡辺淳一」 とありました。

氏が生前に故大原麗子との対談で「小説を書くというのも、精神の内側を破廉恥に書いて行くわけだからね。自分の好き心とかずるいところ、そういう本音の部分を書くのがいい小説になる」と語っている。また、作家の村山由佳には「作家は批判されればされるだけ、もっと過激に書いてやれと思うね。価値観を揺さぶられるからこそ、カミソリ入りの手紙も送られてくるんだ。むしろ読者を怒らせなけりゃ。どんなインモラルだっていい、人間の本質を描く限りにおいては何を書いてもいいんだよ」とも。この氏の恋愛小説を書く強い信念を読むと、読者の心を揺さぶるのも解るし、モデルにされた人物の心情も解る気がした。

追悼

渡辺氏が80歳で亡くなった。日経朝刊に連載される新聞小説に、氏は10年ごとに、「化身」「失楽園」「愛の流刑地」を書いている。そして2006年掲載の「「愛の流刑地」最後の欄に、「幸いなことに、私にはこれまで蓄えてきたのもが、かなりあった。それはさまざまな女性との愛であり、トラブルであり、生々しい愛憎である。それが私の中で生きて、うごめいているかぎり私は書いていける」と述べている。男女の愛欲を濃密に描いているので私も面白くて愛読したが、その度に大変な評判を呼び、購読者が増えたと日経記者から聞いた。幾多の女性遍歴により男女の愛欲文学を確立した巨匠となるのだろう。

1.登場女性は5人
この「履歴書」に登場する女性は5人ほどであるが、彼の著書「わたしの中の女性たち」(角川文庫)では9人の女性との関係を書いている。高校同級生、姉妹、自殺未遂の女優志願者、すすきのホステス、看護師、クラブのママ、商家の良家OL,祇園のママ、高貴な人妻などで、このうち5人が「履歴書」と重複していた。

2.恋愛テクニック
私(吉田)が聞いた氏の恋愛テクニックの一つに、「女性をホテルの部屋に連れて行くのは、エレベータで下から上に昇るのではダメ。最上階で気分をほぐしてからエレベータで途中下車しないと成功しない」とのことでした。

渡辺わたなべ淳一じゅんいち
誕生 (1933-10-24) 1933年10月24日
日本の旗 日本北海道空知郡砂川町
(現・上砂川町
死没 (2014-04-30) 2014年4月30日(80歳没)
日本の旗 日本東京都
職業 作家
整形外科医
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1965年 - 2014年
ジャンル 小説
代表作 『光と影』(1970年)
花埋み』(1970年)
遠き落日』(1979年)
ひとひらの雪』(1983年)
化身』(1984年)
失楽園』(1997年)
主な受賞歴 新潮同人雑誌賞 (1965年)
直木三十五賞(1970年)
吉川英治文学賞(1980年)
文藝春秋読者賞(1986年・2011年)
紫綬褒章(2003年)
菊池寛賞(2003年)
デビュー作 「死化粧」(1965年)
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渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年昭和8年)10月24日 - 2014年平成26年)4月30日)は、日本作家北海道空知郡上砂川町[1]朝陽台出身。1958年札幌医科大学医学部卒業[1]。同講師。医学博士。初め医療現場を舞台とした社会派小説や伝記小説、恋愛小説を数多く手がけて人気を博した。その後、『化身』『うたかた』『失楽園』『愛の流刑地』など濃密な性描写の恋愛小説で、1980年代から90年代にかけて耳目を集めた。エッセイも多く『鈍感力』が流行語になった。

  1. ^ a b 渡辺淳一 略歴”. watanabe-museum.com. 渡辺淳一文学館. 2022年11月29日閲覧。
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