宇沢弘文 うざわ ひろふみ

学術

掲載時肩書東京大学名誉教授
掲載期間2002/03/01〜2002/03/31
出身地鳥取県
生年月日1928/07/21
掲載回数31 回
執筆時年齢74 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他一中、 一高
入社特別研究生
配偶者牧師娘
主な仕事統計数理研究所、スタンフォード大学「最適経済成長理論」、シカゴ「数理経済学」、ケンブリッジ、東大「経済は人間学」
恩師・恩人古谷弘、館竜一郎、アロー教授
人脈(上田耕一郎・不破哲三)兄弟、ジョーン・バエズ、下村治、シュルツ長官、李登輝、趙紫陽、
備考経済学=人間回復(自動車、医療、教育、自然環境など)
論評

1928年(昭和3年)7月21日 – 2014年(平成26年)9月18日)は鳥取県生まれ。経済学者。専門は数理経済学。東京大学名誉教授。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。統計数理研究所、生命保険会社などに勤務した後、スタンフォード大学のケネス・アロー教授に送った論文が認められ、1956年に研究助手として渡米。スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校で研究教育活動を行い、1964年にシカゴ大学経済学部教授に36歳で就任した。専門的な論文として最適成長論や二部門成長論の業績があった。なお、2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツは、1965年から1966年にかけて、宇沢の在籍したシカゴ大学の宇沢の下で研究を行った。数学者の宇澤達は長男。

1.最適経済成長理論に挑む
1956年8月、ケネス・アロー教授の招きで、スタンフォード大学経済学部の研究助手として米国に行くことになった。私は資本主義経済のメカニズムについて研究した。その前提となったのは「競争的社会主義の原理」の研究である。「競争的な計画経済」という考え方は、第二次世界大戦中のアメリカでチェスター・ボウルズがつくり、ガルブレイスがチーフを務めた巨大な戦時経済計画組織「物価統制本部」に実際に生かされた。これは戦争遂行のため軍事、非軍事を問わず全ての物資の生産、輸送、分配の計画を策定、実行した組織で、リベラル派の経済学者を総動員し、ピーク時の職員は膨大な数になった。米国が戦争に勝ったのはこの組織があったからだと言われている。
 この基本的な考え方を理論的に発展させたのがアロー教授と計量経済学のレオニード・ハービッチ教授であった。しかし、両教授の理論は静学的というか、資本の蓄積、技術革新が入っていない。私はそういう問題を資本主義経済の分析という形で展開していった。そのころ発表した論文に「二部門経済の成長理論」があり、古典的といってもよい業績になった。二部門とは、消費をつくる部門と投資財をつくる部門のことで、マルクスの「資本論」の資本蓄積に関する理論を数学的なモデルに纏めたと言ってよい。どういうプロセスで資本蓄積がなされるかを示すモデルである。
 それを延長していくと、最適な経済成長をするにはどうしたら良いかという、最適経済成長の理論に繋がっていく。戦後、最適経済成長の問題を真正面から取り上げたのは私が最初だったと思う。

2.シカゴ大学を数理経済学の聖地に
1964年3月30日、シカゴ大学の教授として招かれた。シカゴ大学へは、スタンフォードから学生が5,6人付いてきた。シカゴでも私につく学生が多かったので、シカゴ大学は短期間のうちに、私の専門としている数理経済学のメッカになった。そこで私はその年から毎年夏、セミナーを開いた。米国のいろんな大学から博士論文を書いている大学院生を10人ほど3か月間シカゴに呼び、私の研究室を開放して自由に研究させる。全米科学財団がその費用を出してくれることになったため、学生は大学が運営しているホテルのような生涯教育センターに滞在し、手当をもらって研究に専念できた。
 毎日、夕方になると集まって学生たちとビールを飲んだ。程よい酔いのお蔭で議論が活発になり、教科書では学べないことが勉強できる。学生たちを呼ぶ費用は全部、「研究費」として認めてもらった。大学の先生にこれはと思う学生を推薦してもらった。

3,ケンブリッジ大学のシステム
1966年秋、私はジョーン・ロビンソンら英国の経済学者との前々からの約束で1年間、ケンブリッジに招かれて行った。ケンブリッジには当時、26のカレッジがあった。ケンブリッジに入学するには、この中のどこかのカレッジに入学する。入学を許可された学生は自動的にケンブリッジの学生になる。カレッジは全寮制で、フェローたちが運営していた。フェローはカレッジの法的な所有者であり、ケンブリッジ大学の教授、講師を兼ねている人も少なくなかった。原則としてカレッジに寝泊まりするか、近くに住んでいた。私もフェローに名を連ねた。
 カレッジでは1週間に4日以上、食堂でみんなと夕食を取らなければならない決まりがあった。そのとき、必ず赤、白のワインが出る。ただワインはそれぞれ一杯半までがカレッジの負担で、それ以上飲むと月末に請求書が回ってきた。このワインが各カレッジの自慢で、どんなワインを購入するかを決めるセラーズ・コミティーは最も大事な委員会であった。もう一つの重要な委員会はハンギング・コミティーで、カレッジに掲げる絵画や彫刻を選ぶのがその役割だ。
 しかしこのカレッジの一歩外に出れば、英国社会の持っている階級制に直面せざるを得ない。ケンブリッジに行ける人は若者のごく一部であろう。丁度、私がいたころ色々な改革が試みられた。労働者階級の子弟を積極的に入れようとしたこともあったが、結局失敗に終わった。

4.経済学は人間の心を大切にする「社会的共通資本」を
経済学はホモ・エコノミクス(経済人)を前提にしている。だが、経済学では人間の心を考えるのはタブ-とされていた。しかし、私が天皇陛下に御進講の際、「キミ。キミは経済、経済と言うけれども、要するに人間の心が大事だと言いたいんだね」とおっしゃった言葉に啓発された。経済学の中に人間の心を持ち込まなければいけないと思った。それを具体的な形で定式化したのが社会的共通資本である。
 人間の生活、生存に重要なかかわりを持ち、社会を円滑に機能するために大事な役割を果たす資源、モノ、サービス、あるいは制度を共通の財産として社会的に管理していこうという考えである。
 具体的にはまず、土地、大気、海洋、河川、森林、水、土壌といった自然資源がある。二つ目は社会的インフラストラクチャーである。日本では普通、社会資本といっているが、公共的な交通機関、上下水道、電力・ガス、道路、通信施設などがこれに該当する。3番目として教育、医療、金融、司法、行政など制度資本と言われるものがある。一人ひとりの人間的な尊厳を守るのに必要な制度で、中でも大事なのは教育と医療である。

追悼

氏は2014年9月18日86歳で亡くなった。「履歴書」に登場したのは2002年3月であるが、他の経済学者では、小泉信三高橋誠一郎東畑精一加藤寛青木昌彦らがある。氏は経済学で世界的に有名でありノーベル賞候補にもなった日本が誇るべき人物だった。氏は得意の数学を活かして60年代、数理経済学の分野で数多くの先駆的な業績をあげた。そして、スタンフォード大・助教授、シカゴ大・教授などを歴任した。

氏は、経済が成長するメカニズムを研究する経済成長論の分野で、従来の単純なモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練されたモデルに改良した。この理論の適用範囲を広げて、研究テーマを排ガス公害の自動車、社会資本である医療・教育、水俣病などの環境問題などに取り組んだユニークな学者だった。

この原点を「履歴書」には、次のように書いている。
「私は経済学者として半世紀を生きてきた。そして、本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、愕然とした。経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない。そう確信するようになった」と。

宇沢 弘文
Hirofumi Uzawa
日本学士院より公開された肖像
生誕 (1928-07-21) 1928年7月21日
鳥取県米子市
死没 (2014-09-18) 2014年9月18日(86歳没)
東京都
国籍 日本の旗 日本
研究機関 スタンフォード大学
カリフォルニア大学バークレー校
シカゴ大学
東京大学
中央大学
同志社大学
研究分野 数理経済学
母校 東京大学学士
スタンフォード大学
東北大学博士
博士課程
指導学生
デイヴィッド・キャス[1]
Harl Ryder
カール・シェル
ミゲル・シドロスキー
影響を
受けた人物
河上肇
ケネス・アロー
論敵 ミルトン・フリードマン
影響を
与えた人物
浅子和美
吉川洋
小川喜弘
清滝信宏
西沢利郎
植田和男
松島斉
宮川努[2]
小島寛之
石川経夫
岩井克人[3]
ジョージ・アカロフ
ジョセフ・E・スティグリッツ[3]
実績 二部門成長モデル
宇沢コンディション
社会的共通資本
受賞 吉野作造賞1971年
毎日出版文化賞1974年
文化功労者1983年
日本学士院会員1989年
米国科学アカデミー客員会員(1995年
文化勲章1997年
ブループラネット賞(2009年)
Econometric Society Fellow(終身)
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宇沢 弘文(うざわ ひろふみ、旧字体宇澤 弘文1928年昭和3年〉7月21日 - 2014年平成26年〉9月18日[4])は、日本経済学者。専門は数理経済学意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。シカゴ大学ではジョセフ・E・スティグリッツを指導した[3]東京大学名誉教授。位階従三位

  1. ^ Spear, Stephen E.; Wright, Randall (December 1998). “Interview with David Cass”. Macroeconomic Dynamics (Cambridge University Press) 2 (4): 533-558. doi:10.1017/S1365100598009080. http://econ.tepper.cmu.edu/econ/cass_interview.pdf 2008年4月17日閲覧。. 
  2. ^ 経済学者の宇沢弘文さん 死去 Archived 2014年9月29日, at the Wayback Machine.NHKニュース(2014年9月26日)
  3. ^ a b c 故宇沢弘文氏、公害など社会問題批判 多分野に「門下生」日本経済新聞』2014年9月26日(2019年12月16日閲覧)
  4. ^ “経済学者の宇沢弘文氏死去 理論経済第一人者、環境でも活動”. 共同通信社. 47NEWS. (2014年9月26日). オリジナルの2014年9月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140927211403/http://www.47news.jp/CN/201409/CN2014092601001371.html 2014年9月26日閲覧。 
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