掲載時肩書 | 三菱商事会長 |
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掲載期間 | 1996/11/01〜1996/11/30 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1922/07/13 |
掲載回数 | |
執筆時年齢 | 74 歳 |
最終学歴 | 上智大学 |
学歴その他 | 3浪後 |
入社 | 三菱商事 |
配偶者 | 先祖:直 江兼継 |
主な仕事 | 進駐軍渉外部、マニラ、船舶部長 (石油・タンカー) |
恩師 | 藤野忠次郎 |
人脈 | 父:徹次(大漢和辞典)菊池寛(近所) |
備考 | 絵・探鳥 |
氏は、’13年6月23日に亡くなった諸橋氏(90歳)は逆境にこそ真価を発揮する経営者だった。
いままでの商社出身の登場者は、14人いるが三菱商事では最初で槇原稔氏と二人である。三井物産の4名(新関八洲太郎氏、足立正氏、水上達三氏、八尋俊郎氏)、伊藤忠商事の3名(伊藤忠兵衛氏、越後正一氏、室伏稔氏)に比べて現在の業界トップ地位からすると少ない。他には日商岩井の2名(高畑誠一氏、西川政一氏)、丸紅の2名(市川忍氏、春名和雄氏)、兼松の鈴木英夫氏がいる。
部下から土佐犬に例えられた豪快さと、文学や芸術に造詣が深く時には詩作にふける繊細さを持っておられた。父親は漢字研究の第一人者の諸橋徹次氏だった。その3軒先に作家の菊池寛宅があり、1歳下の長男と遊ぶため毎日訪問した。「履歴書」は次のように書いている。
菊池寛は既に文壇の大御所。「金山御殿」と呼ばれていたその家は玄関を入ると右側に12畳ぐらいの洋間があり、大島紬をゆったり着た主人を毎日のように文士や記者が取り囲んでいた。川端康成や横山利一ははっきり覚えている。私たちはその間を駆けずり回っていた。略。
夕方いつものように肩に猿を乗せ着流しの菊池寛の散歩について行くと、夏目漱石の墓の前で足を止めて言った。「これが漱石先生の墓だ。僕はきっとこの人より偉くなる」。そうかと思うと、私と二人きりになったとき、「この路地で一番偉いのはシンちゃんのお父さん、その次は僕」とぽつんとつぶやいたことがある。菊池寛は少年時代の私にとって、友達のお父さんなどというものではなかった。父親の役割の一部を果たしてくれていたとも言える。
もろはし しんろく 諸橋 晋六 | |
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生誕 | 1922年7月13日![]() |
死没 | 2013年6月23日(90歳没) |
出身校 | 上智大学経済学部卒業 |
職業 | 実業家 三菱商事元特別顧問・相談役・会長・社長 |
受賞 | 勲一等瑞宝章受章 名誉大英帝国勲章受章 贈従三位 |
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名前 | ||||||
カタカナ | モロハシ シンロク | |||||
ラテン文字 | MOROHASHI Shinroku | |||||
基本情報 | ||||||
生年月日 | 1922年7月13日[1]![]() | |||||
没年月日 | 2013年6月23日(90歳没)![]() | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
1937-1939 | 東京高等師範学校附属中学校 | |||||
1942-1947 | 上智大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
三菱商事 | ||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
諸橋 晋六(もろはし しんろく、1922年7月13日 - 2013年6月23日)は、日本の実業家、サッカー選手。東京府北豊島郡出身。三菱商事株式会社元特別顧問・相談役・代表取締役会長・代表取締役社長。勲一等瑞宝章受章。名誉大英帝国勲章受章。贈従三位。