掲載時肩書 | 女優 |
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掲載期間 | 2015/07/01〜2015/07/31 |
出身地 | 中国満州 |
生年月日 | 1940/07/02 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 75 歳 |
最終学歴 | 中学校 |
学歴その他 | |
入社 | 日活 |
配偶者 | 石坂浩二、他 |
主な仕事 | 神田住、日活黄金時代、石原プロ、 歌手、寅さん、舞台、TV, |
恩師・恩人 | |
人脈 | 石原裕次郎、小林旭、美空ひばり、森光子、渥美清、蜷川幸雄、高倉健、大原麗子 |
備考 | 映画:3姉妹に 大原麗子と |
「履歴書」女優の登場者は、東山千栄子、杉村春子、水谷八重子、田中絹代、天津乙女、長門美保、春日野八千代、ミヤコ蝶々、山本富士子、山口淑子、宮城まり子、森光子、扇千景、香川京子、有馬稲子、佐久間良子に次いで彼女で17人目となる。有馬稲子は市川崑監督、佐久間良子は鶴田浩二との不倫問題を暴露したが、浅丘の場合は、小林旭との結婚話が22歳であったため、父の反対で破談となった程度の暴露だった。
香川京子の場合は、一番多くの監督(25人)に出演したとして、それぞれの監督の撮影特徴や性格を述べてくれていたが、彼女の場合は、共演した人気スターの特徴紹介だった。小林旭、石原裕次郎、美空ひばり、勝新太郎、加山雄三、石坂浩二、森光子、渥美清、高倉健、大原麗子ら10人の特徴が1日分紙面で書かれていた。監督は蔵原惟繕、山田洋次、市川崑の3人、舞台監督は蜷川幸雄であった。
1.美空ひばりさん
歌謡界の女王、美空ひばりさん。私にとってずっと憧れの人でした。1962年11月5日、そのひばりさんと日活の看板スター小林旭さんとの結婚披露宴が盛大に執り行われた。私は長門裕之さんに付き添ってもらって披露宴に出席した。挙式後、ある週刊誌から私がリポーター役としてひばりさんと旭さんとの新居を訪問し、お節介にも熱々の新婚生活をインタビューするものだった。
ひばりさんとプライベートで親しくなったのは東京・成城の石原裕次郎さんの自宅でのパーティ。「ひばりさんと旭さんの結婚祝いをしよう」と裕ちゃんが企画したのだ。ひばりさんは私の姿を見るなり、陽気な笑顔を見せながらこう声をかけてくれた。「ねぇ、踊りましょう」。音楽に合わせて二人はチークダンスを踊った。肌と肌を合わせて濃厚に・・・。ひばりさんは、私と旭さんが恋人同士だったことをもちろん知っていた。だから私に気を使っていたんだと思う。そんな二人の様子を旭さんは遠くから見守っていた。
ひばりさんは周囲に気くばりする繊細な人。ある晩、赤坂のナイトクラブでお酒を飲んでいた。メンバーは私、ひばりさん、裕ちゃん、勝新太郎さん。するとひばりさんはその間、ずっと皿に山盛りの巨峰の皮をむき続けているのだ。丁寧に種まで全部取って・・。男たちが食べやすいようにとの配慮だった。あの天下の美空ひばりさんがブドウの皮むきに専念しているなんて・・・。私もボサッと見ているわけにはいかず、隣でブドウの皮むきをせっせと手伝った。
2.石坂浩二さん
「知り合いがルリ子に会いたがっているの・・」。ある日、仲良しの加賀まりこさんからこんな電話が入った。知り合いとは石坂浩二さんのこと。二人はかって恋人同志だったが、このときはもう交際が終わっていた。「え、石坂浩二?嫌よ。別にタイプじゃないもん」。私はどちらかというと石原裕次郎さんのような体育会系が好み。石坂さんは青白い文学青年みたいであまり好きではなかった。しかし、なぜかテレビドラマ「2丁目3番地」の夫婦役で共演することになった。
撮影が始まると、石坂さんの話好きには本当にあきれた。撮影の合間もずっと話し続けているのだ。星座のことから文学、絵画、音楽、科学へと話題が尽きない。もっとセリフや演技に神経を集中したいのに・・・。「迷惑な人ね」とほとほと手を焼いていた。それにもめげずに私にグイグイアプローチしてくる。石坂さんは目が大きくてハデな顔立ちが好きだったみたい。加賀まりこさんも小悪魔みたいで派手な雰囲気だったでしょう。
この撮影が終わり、最後の打ち上げの日。共演者やスタッフとお酒を飲んだ後、皆で石坂さんの家にお邪魔することになった。明け方近く、やがて次の仕事もあるから「蛍の光」を歌ってお開きにしましょうと皆で合唱を始めた時、隣の石坂さんの声が急に聞こえなくなった。顔を覗くと、眼に涙をいっぱいためて子供のように号泣している。「まぁ、かわいい・・」。私の母性本能がくすぐられた。気がつくと石坂さんを胸の中で優しく抱きしめていた。二人の結婚は放映終了後の2月後だった。
3.蜷川幸雄さん
映画やテレビで仕事をしてきたが、芝居に出るにはやはり相当な勇気が必要だった。映画やテレビならば1カット、1カットのセリフや演技に集中するだけでいい。でも舞台ではセリフを通しで覚えなければいけない。もしセリフが飛んで頭が真っ白になったら目も当てられない。観客の前で呆然と立ち尽くす・・悪夢を何度も見ていたので、芝居のオファーが来ても必ず断っていた。
でも演出家の蜷川幸雄さんが、尻込みする私を辛抱強く舞台の世界に誘い続けてくれた。私を日生劇場まで呼び出して客席に座らせると、蜷川さんが自らステージに立ち、実際に演技しながら、映画と舞台での体や目の動かし方の違いを丁寧に教えてくれる。
映画やテレビでは画面がアップになるから小さな動きでも十分。でも観客まで距離がある舞台では大げさなくらいに動かないと伝わらない。発声法もまったく違う。映画やテレビならば小声でもマイクが拾ってくれるが、舞台では観客まで届かない。そして、驚いたことに蜷川さんは片肌を脱いで半裸になり、人間の肌が客席からどんな風に見えるのか私にわかるように実演してくれたのだ。
蜷川さんの強い熱意に心を突き動かされ、私はついに舞台に立つ決意を固め、初舞台1979年の「ノートルダム・ド・パリ」に出演した。
4.渥美清さんと最後の出演
寅さんシリーズで当たり役となったドサ回りを続けるしがない三流歌手・リリーは48作中、4本に登場するが最後の作品「紅の花」の思い出だ。「渥美さんはガンがすでに肝臓から肺にまで転移し、医師からは撮影は難しいと言われていた。顔は青白くやせ衰え、与太を飛ばして見栄を張るひょうきんで明るい寅さんではなかった」。もう二度と共演はできないと思い山田監督に、「寅さんと結婚をさせてください」と懇願したが、50作目まで続けたい監督意向で、この願いは叶わなかった。渥美さんは68歳の若さで天国に旅立った。
あさおか るりこ 浅丘 ルリ子 | |||||||||||||||
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『映画情報』1960年3月号より | |||||||||||||||
本名 | 浅井 信子(あさい のぶこ) | ||||||||||||||
生年月日 | 1940年7月2日(84歳) | ||||||||||||||
出生地 | 満洲国・新京[1] | ||||||||||||||
身長 | 156 cm[2] | ||||||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||||||
ジャンル | 映画、舞台、テレビドラマ | ||||||||||||||
活動期間 | 1954年 - | ||||||||||||||
活動内容 | 1954年:『緑はるかに』でデビュー。 | ||||||||||||||
配偶者 | 石坂浩二(1971年 - 2000年)[1] | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
テレビドラマ 『冬物語』 『家族熱』 『土曜日曜月曜』 映画 『ギターを持った渡り鳥』[1] 『愛と死のかたみ』 『愛の化石』 『蒼ざめた日曜日』 『鹿鳴館』 『デンデラ』 | |||||||||||||||
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浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、本名:浅井 信子(あさい のぶこ)、1940年〈昭和15年〉7月2日[1] - )は、日本の女優。血液型はA型。前夫は石坂浩二。カラント(舞プロモーション関連)所属。