桜内義雄 さくらうち よしお

政治

掲載時肩書前衆院議長
掲載期間1994/01/01〜1994/01/31
出身地東京都
生年月日1912/05/08
掲載回数30 回
執筆時年齢82 歳
最終学歴
慶應大学
学歴その他幼稚舎
入社鐘淵紡績
配偶者級友妹(小磯国昭大将仲人)
主な仕事関西工場、召集、除隊、父の秘書、2回目衆院、参院、河野ー中曽根派、衆参同一選挙(大平死)、衆院議長
恩師・恩人兄・乾雄、河野一郎
人脈川崎秀二(早大)、田中・中曽根・園田・川崎(同期)、小坂善太郎、石橋幹一郎、宝塚ファン会長、小林一三、
備考父幸雄:大事業家/政治家、妹婿(太田誠一)
論評

1912年(明治45年)5月8日 – 2003年(平成15年)7月5日)は東京生まれ。政治家。中曽根の首相在任中は派閥会長の座を預かり、派内のまとめ役に徹した。1989年、リクルート事件に関与した疑いで、中曽根が離党後も、一時期派閥を預かった。その後も櫻内は中曽根と行動をともにし、衆議院議長を退任後は渡辺派→村上・亀井派→江藤・亀井派に属する。衆議院議員(18期)、衆議院議長(第67代)、通産大臣、農林大臣、建設大臣、国土庁長官、自民党政調会長、外務大臣、自由民主党幹事長などを歴任した。商工相、農林相、大蔵相などを歴任した櫻内幸雄は父、中国電力会長を務めた櫻内乾雄は兄にあたる。

1.政界の酒豪番付
昔は大野伴睦さんや益谷秀次さんが大酒飲みとして知られ、「政界の酒仙」などと言われていた。池田勇人さんも酒豪で鳴らした人である。まずビールでたっぷり喉を潤し、それから日本酒をじっくり傾け、最後はウィスキー、ブランディで締めくくる豪快な飲み方だった。
池田さんの側近の前尾繁三郎さんや宮沢喜一さんも相当な“ハード・ドリンカー”である。前尾さんが衆院議長の頃、ある雑誌が「政界酒豪番付」というのを載せた。前尾さんが東の横綱、社会党委員長の成田知己さんが西の横綱で、私は当時、東の小結だった。あんまり番付が低いので「私の方が前尾さんより余計飲むぞ」と抗議したことがある。いまなら(1994)、文句なく、私と宮沢さんが東西の横綱だろう。

2.河野一郎派(春秋会)の財界応援団
昭和31年(1956)末ごろ、私は中曽根康弘君や園田直君らと河野一郎さん門下に入った。河野派に入った大きな理由の一つは財界人の働きかけがあったように思う。当時、私たちをひいきにしてくれたのは、永田雅一、萩原吉太郎、小川栄一、河合良成、高碕達之助、平塚常次郎さんらである。財界本流ではなかったが、いずれも個性的な人たちだった。高崎さんや平塚さんは水産界の大御所で、私たちが「助け合い運動」と称して資金のお願いをすると率先協力してくれたものである。
 永田さんは政治家と会合をやるのが大好きで、赤坂の「中川」や柳橋の「稲垣」などに私たちをしょっちゅう呼んでくれた。当時は日本映画の全盛期で永田さんの羽振りはすばらしく、私たちにも気前よく小遣いを配っていた。その永田さんが熱心に河野派入りを勧めたのである。
 河野さんの派閥は「春秋会」と称し、砂田重政、重政誠之、松永東、松田竹千代、中村梅吉、野田武夫さんらが大幹部だった。河野さんは人情もろい半面、カンが鋭く、政局の情報も実に豊富だった。私たちは河野先生から現実政治の機微を学んだように思うのである。

3.宝塚ファンの会・「愛宝会」
昭和5年(1930)から新橋演舞場で定期公演をするようになった。私はここで初公演を観たのが、宝塚との出会いである。慶応予科の学生だったが、歌と踊りの華麗な舞台にすっかり魅せられてしましまった。「東京宝塚会」の幹事になり、公演の時には作者や作曲家の先生を呼んで座談会をやったり、公演の写真を撮ってパンフレットを作り、さまざまな企画をやったが、全て私たちのアイディアだから非常に楽しかった。
 「愛宝会」は、東京宝塚会が戦争中にバラバラになり、戦後、東京公演が始まる時に往年のファンが集まってできたものである。会長は初めから私で、副会長は原田憲君である。昭和22年の総選挙で私が当選すると、宝塚の創始者である小林一三さんは「今度の選挙で宝塚議員が二人当選した。東の桜内、西の原田だ」と喜んでくれた。よく「誰のファンですか」と聞かれるが、私は決して答えないようにしている。愛宝会は個々のスターの応援はしないのである。大ファンの気質として、まず公演の初日に行く。そして落日に行く。その間に新人公演をやるからそれを観に行く。さらに愛宝会の総見があるから月4回行くのが本来の姿だが、いろいろ忙しいので、最近は月2回行ければいいほうである。

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