杉村春子 すぎむら はるこ

映画演劇

掲載時肩書女優
掲載期間1968/06/27〜1968/07/21
出身地広島県
生年月日1906/01/06
掲載回数26 回
執筆時年齢62 歳
最終学歴
高等学校
学歴その他広島女学校
入社築地小劇場
配偶者石山dr. 10歳下
主な仕事築地座、文学座、「女の一生」500回以上、映画、新派、30名脱退(s38)
恩師・恩人久保田万太 郎、岸田劉生
人脈青山杉作(俳優座創設)、森本薫(女一生 )、豊田四郎、丸山定夫(無法松)
備考誰が選んでく れたんでもない
論評

1906年(明治39年)1月6日 – 1997年(平成9年)4月4日 広島県生まれ。
築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の屋台骨を支え続け、演劇史・文化史に大きな足跡を残した、日本を代表するカリスマ女優。1963年1月、杉村の感情の起伏が激しい性格と、専横ともいえる劇団への統率ぶりに不満を持った芥川比呂志、岸田今日子、仲谷昇、神山繁、加藤治子、小池朝雄ら、中堅劇団員の大半が文学座を集団脱退し、現代演劇協会・劇団雲を結成。さらに同年12月には、それまで杉村主演の戯曲を何本も書いていた三島由紀夫の新作戯曲上演拒否問題(喜びの琴事件)が起こって、三島を筆頭に丹阿弥谷津子、中村伸郎、賀原夏子、南美江ら、文学座の古参劇団員が次々に脱退していった。
文学座は、主要メンバーの2度にわたる大量離脱で創立以来最大の危機を迎えたが、太地喜和子、江守徹、樹木希林、小川真由美、高橋悦史ら若手を育てることで何とか乗り切った。とくにテレビ時代を迎えていた時流に乗って、次々にテレビに新人を送り込んだ功績は大きい。

1.広島なまりをなおす
山中高等女学校(現・広島大学附属福山高校)卒業後、声楽家を目指し上京して東京音楽学校(現・東京藝術大学)を受験するが、2年続けて失敗する。広島に戻り広島女学院で音楽の代用教員をしていた。
 しかし、もっと音楽の勉強がしたいという気持ちがあり、築地小劇場(俳優座の前身)の旅芝居を見て感動し、1927年に再び上京して、築地小劇場のテストを受けた。そのときの審査員が土方与志だった。テスト内容は、脚本の一節をいろいろ読まされたり、歩かされたりした。そして次のように宣告された。
 ひどい広島なまりで、使いものになるかどうかわからないけれど、まあ三年間ぐらい、せりふはいえないつもりで、なまりを直す決心があるなら、それにせっかく女学校の先生を棒に振って広島から出てきたのだし、音楽の素養もあることだから、まあいてごらんなさい。
 彼女はこの言葉に感激し、3年間セリフをしゃべらせてもらえないということが役者にとってどんなに辛いことなのか、皆目分からなかったので、勢いづいて「そんなこと何ともありません」と有頂天になって感謝したと述懐している。
 その後、セリフのないオルガンで賛美歌をひく女の役や「その他大ぜい」の役をやりながら広島なまりを直すことに専念する。そこには寂しさ、悲しさ、貧乏がついてまわったという。
 しかし、標準語を話せるようになった1945年4月、東京大空襲下の渋谷東横映画劇場で初演された森本薫作『女の一生』の「布引けい」は当たり役となり、1990年までに上演回数は900回を超え、日本の演劇史上に金字塔を打ち立てた。作中のセリフ“誰が選んでくれたんでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの”は、生涯“女優の一生”を貫いた杉村の代名詞として有名である。その他『欲望という名の電車』のブランチ役(上演回数593回)、『華岡青洲の妻』の於継役(上演回数634回)などの作品で主役を務め、『女の一生』と並ぶ代表作となり、日本演劇界の中心的存在として活躍した。彼女の演技力は多くの演劇人の目標であり、共演者のステイタスでもあったため共演を熱望された。この「履歴書」に登場する芸能人では、俳優では長谷川一夫、女優では彼女が、共演者として一番多く名前を挙げられていた。役者として長谷川や杉村と共演できることが名誉と思われているのだろう。

2.杉村は多くの演劇人の目標であった
森光子は「演技の師匠を持たない私が、心から尊敬しお手本としたのは10代から憧れた杉村先生ただ一人です。時代劇の娘役の頃からいつか近づきたいとひそかに思い続けてきました」と話している。
高峰秀子もやはりこの映画のハンセン病に罹った娘役を演じた杉村の演技に感動、「仕方なしにやっていた(本人談)」役者稼業に以後本気で取り組むようになったという逸話も残す。
成瀬巳喜男監督『流れる』で共演した山田五十鈴は、「あの映画の杉村さんの芝居は、ぜんぶ杉村さんがお考えになったもの。そういうことが許されるようになった時代です。それこそ役者の力量が問われる時代になってきたんです」と述べている。
勝新太郎は杉村を大崇拝し、「杉村と共演した勝は『はい、はい』と杉村の言うことは何でも聞いていた」と石井ふく子は話している。そして石井は「杉村先生の凄さは、喜怒哀楽を後ろ姿で表現でき、しかもそこに若々しさと品があるところでしたね。こればっかりは、他の女優さんがどんなにまねをしたくてもできないことだと思います」と述べている。
ミヤコ蝶々(女優:1998年(平成10)2月掲載)は、杉村先生は新劇の人らしく、怖いほど形がピシッと決まっていた。人柄もあるのだろうが、吐く息まで決まっている感じだった、と。

3.苦労時代の舞台のやり直し:
昭和25年、自分たちのおけいこ場が欲しいという切なる願望を抱いて、その建設資金を得ようと、地方公演にも出かけ、企業にも公演賛助をお願いした。八幡製鉄がご厚意で、4月「女の一生」を10日間50万円で買ってくださった。しかし、実は家族慰安会で、新劇なんて一度もみたこともない人たちが多く、子供は場内を駆け回り、赤ん坊は泣く、折詰を開いた一杯機嫌おじさんとおばさんは今にも踊りださないにぎやかさ。話し声、笑い声、その喧騒の中で芝居は始まった。
 私はじっと我慢を重ねましたが、ほっておけば、この喧噪、いつやむかわかりません。私は発作的に、芝居を中止して舞台端へ飛び出しました。そして精一杯の声で叫んだ。「みなさん、おねがいします。私たち、一生懸命、いいお芝居を見ていただこうと思ってまじめにやっています。どうかお静かになさってください!心からお願い申します。もう一度、初めからやり直します」。
 そして登場者全員に向かって、「すみませんが、初めからもう一度やってください」と頭を下げました。
みんなは快くそれを承知してくれました。こうして前代未聞の、いったん幕を閉めて、また初めからやり直しの「女の一生」が開幕しました。自分たちの修練の場、アトリエ建設という意欲に燃えて、打って一丸となっていた当時の全座員の情熱を思い出すとき、今でも胸が熱くなります。

4.結びの言葉
文学座創立以来ことし(昭和43年)で31年、創立のときは、まだこの世に誕生していなかった若い座員が、130名あまりの全座員の過半数を占めています。そこで私も過ぎた日のことはもう考えずに、この若い人たちとがっちり手を組んで、勇気をふるって歩き続ける決心をしています。

「誰が選んでくれたんでもない 自分で選んで 歩き出した道ですもの 間違いと知ったら 自分で間違いでないように しなくっちゃ・・」
 「女の一生」の布引けいのセリフですが森本薫さんが、私という役者、いや、私という人間のために書いて下さったことばなのかもしれません。

すぎむら はるこ
杉村 春子
杉村 春子
1953年(昭和28年)
本名 石山 春子
生年月日 (1906-01-06) 1906年1月6日
没年月日 (1997-04-04) 1997年4月4日(91歳没)
出生地 日本の旗 日本広島県広島市
死没地 日本の旗 日本東京都文京区
国籍 日本
血液型 O型
職業 女優
ジャンル 舞台映画テレビ
活動期間 1927年 - 1997年
配偶者 1. 長広岸郎(1933年 - 1942年死別)[1]
2. 石山季彦[1]1950年 - 1966年死別)
主な作品
映画
東京物語』(1953年)
秋刀魚の味』(1962年)

舞台
女の一生
欲望という名の電車
鹿鳴館
華岡青洲の妻
 
受賞
日本アカデミー賞
会長特別賞
1997年
ブルーリボン賞
助演女優賞
1951年『麦秋』、『めし』、『命美わし
その他の賞
キネマ旬報賞
主演女優賞
1995年『午後の遺言状
毎日映画コンクール
女優主演賞
1995年『午後の遺言状
女優助演賞
1953年『にごりえ』『東京物語
日刊スポーツ映画大賞
主演女優賞
1995年『午後の遺言状
紀伊國屋演劇賞
個人賞
1991年
読売演劇大賞
大賞・最優秀女優賞
1994年
文化庁芸術祭賞
1991年
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杉村 春子(すぎむら はるこ、1906年明治39年)1月6日 - 1997年平成9年)4月4日[1])は、広島県広島市出身の新劇女優。本名:石山 春子。旧姓:中野。

築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の屋台骨を支え続け、演劇史・文化史に大きな足跡を残した、日本を代表する女優[2][3][4][5]称号東京都名誉都民

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  2. ^ 俳優全集, pp. 370–373、昭和ヒーロー, pp. 126–128
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