山﨑努 やまさき つとむ

芸術

掲載時肩書俳優
掲載期間2022/08/01〜2022/08/31
出身地千葉県松戸
生年月日1936/12/02
掲載回数30 回
執筆時年齢86 歳
最終学歴
高等学校
学歴その他俳優座養成所
入社文学座
配偶者記載なし
主な仕事新聞・牛乳配達、納豆売り、文学座、「天国と地獄」劇団・雲、「お葬式」「ヘンリー四世」「リア王」
恩師・恩人芥川比呂志、テレンス・ナップ
人脈河内桃子(同期)、三島由紀夫、杉村春子、豊田四郎、黒澤明、三船敏郎、岸田今日子、仲谷昇、高橋昌也、和田勉、山田太一
備考自分を「努君」と三人称で呼び、演じる俳優の性格を区別
論評

この「履歴書」に登場した男優は、市川右太衛門森繫久彌長谷川一夫東野英治郎池部良笠智衆仲代達矢加山雄三に次いで9番目である。全ての登場人物は、自分が主語で一人称記述であるが、例外は栗田淳一(日本石油)が自分を「淳」と呼び、山﨑氏も「努君」と三人称で呼び、客観的に自分と演じる俳優の性格を区別して説明しているのが、印象に残った。

1.三島由紀夫新作の初舞台
1960年の「熱帯樹」は、文学座に入団した翌年の正月公演だった。兄妹の近親相姦の話で、妹役は加藤治子さん、両親が杉村春子さん、三田村健さん。豪華メンバーである。稽古初日に三島さんが来て全編を読んだ。身を縮め、肘掛椅子に埋まるようにして、女のセリフは女の声色で読む。演出家と主だった俳優数人が拝聴する。時折り、タイミングよく杉村さんが「せんせ、お茶にしましょ」とブレイク。三島さんが習い始めたボクシングのことなどを話し、豪快に笑う。まず作家の「読み」を聴き、作品やセリフのニュアンスを掴み、それから稽古に入るという習慣は文学座独自のものだったと思う。
 俳優山崎努のデビューは惨憺たるものだった。完膚なきまでに叩きのめされた。プロ野球のルーキーが初めて打席に立ち、手も足も出ない。なんじゃこれは!と驚く、あの感じ。職業俳優のパワーがいかに凄いものか、思い知らされたのだ。杉村春子さんなどは呆れかえって声もかけてくれない。チラッと送ってくる仇を見るような冷たい目が忘れられない。

2.黒澤明監督の「天国と地獄」
この映画に参加したのは、多分25歳のときだったと思う。あの誘拐犯人役はオーディションで貰った。オーディションは初めての経験だった。部屋に入って行くと、黒メガネの「黒澤明」が中央にデンと構えている。両翼にスタッフがズラリと控えている。パイプ椅子に坐らせられ、至近で正対。面談。雑談。
「じゃやってみようか、僕が相手しよう」と黒沢さんがおもむろに黒メガネを外す。刑務所の金網越しに主人公と二人きりで対面するシーンである。犯人が1人で延々と喋りまくる。演技テストが済み、「はい、ありがとう」とまた黒メガネをかけた巨匠が、ニコニコと「この役、やる気ある?」。僕は「黒澤組はキビシイと聞いているので、やりたくない気持ちもあります」と答えた。すると黒沢さん、苦笑。そして、「あのね、映画作りは、自動販売機にコインを入れてジュースを買うようなわけにはいかないいんだよ。毎日毎日、目の前にある仕事を一生懸命やる。そうするといつの間にか終わっているんだ」。
この言葉を僕は今も大切にしている。仕事中に萎えたとき、自動販売機の話を思い出し、当面の瞬間を楽しむ、集中する。一つ一つ、愉快に。ピンチを脱するにはそれしかない。

3.言葉以前の感情表現
作文などと違って俳優の演技は心の動きと表現がほぼ同時に進行している。生きのいい演技ほど心の動きを「言葉」に整理する時間がない。一方、演技には物語を伝えるという大きな役割がある。物語を失くしたらキャラクターの居場所もなくなるからだ。そして物語は言葉で成り立っている。
 いずれにしても、あらかじめ決められた瞬間など人生にはない。とはいえ物語は不可欠である。台本の決定された言葉からどのくらい自由になれるか、その按配が難しい。言葉(戯曲=物語)を使って言葉を超える世界を表現するにはどうしたら良いか。身体しかない。だが俳優の身体は演技表現の手段として習慣化している。信用できない。いわゆる名優といわれる人たちにとってはその癒着した身体の癖が貴重な芸となる。その勿体ぶった装飾過剰の芸を除くのだ。
 身体から俳優臭さを洗い落とし、心の動きに素直に反応できる自然体にするにはどうしたらいいか。われわれが選んだ方法は酷使、ハードワーク。千本ノックは恐怖や体裁を取り去り反射的にボールを捕る鋭い動きを作る。あれだ、あれを参考にしよう、と思った。

4.伊丹十三監督の「お葬式」
この映画の現場は実に爽やかで、しかも独特の熱気があった。彼とは同じ映画に何度か出演し、「面白い作品にでたいなあ」「やりたい役が来ないねぇ」とぼやき合うことから知り合いになった。俳優伊丹十三は扮装が好きで、メガネや髪形に凝ったり、肉布団を使って太ってみせたりするタイプ。僕は気持ちでキャラクターに入り込むほうでメイクなどあまりしない。スタイルは違うが、演技についての志向は共通した。
 彼の「スクリーンの中で役の人物として生きるためには俳優としては死ななきゃならん」という持論は、僕の、俳優も演出、戯曲も消えなければいけない。演技や演出が悪目立ちするのは下品だという考えと一致した。「役者」ではなく「俳優」と呼称することにも好感を持った。役者と名乗れるのは能、狂言、歌舞伎の古典芸能に携わる人たちで、我々ごときはせいぜい俳優、それでもチョッと恥ずかしい。
 自宅をロケ現場にした伊丹監督の監督業は苛酷な労働を強いられる。撮影が進むにつれ、目に見えて痩せていくのが心配だった。体調を訊くと、酒を断ち、必要最低限の食事しか摂らないことにしているという。「こんな楽しいことをやれるんだから何か自分に課さないとね」とにっこり笑った。完成後も宣伝用チラシを一人で作り、「お葬式」は大ヒット。成功物語は完璧に仕上がった。なんという男だ。

5.講演終了後も身体が反応
「ヘンリー四世」の芝居を打ち上げてから1週間ほどは全くの無為で暮らす。活字中毒だからソファに転がって好きなエッセーの再読ぐらいはするが、あとはただ食って寝るだけ。ひたすら疲労回復を待つ。ところが夕方になると突如として全身がカーッと熱くなり、じっとしていられなくなる。頭の中も、いきなりスイッチがオンになり神経が走り出す。後頭部にコイルが2つあり、その間を電流が激しく往復する感じ。立ち上がって、叫びながら駆け足、足踏みする。それが連日。遂に狂ったか、病院に行こう。何日か苦しんだ末、原因が判明。夕方6時、6時半は開演時間なのだ。1か月近くの舞台上の興奮を身体が忘れなかったのだ。
 以来、千秋楽の翌日から旅行することにした。生活環境を変えると発作が起きない。身体は思うようにならないものだと一つ賢くなった。同時に、もう若くないんだなと年齢を意識した。

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