山口淑子 やまぐち よしこ

政治

掲載時肩書元参院議員
掲載期間2004/08/01〜2004/08/31
出身地中国奉天
生年月日1920/02/12
掲載回数27 回
執筆時年齢84 歳
最終学歴
中学校
学歴その他翊教女子中学卒
入社満州映 画協会
配偶者イサム ノグチ、大鷹弘8下
主な仕事女優、「蘇州夜曲」「夜来香」甘粕正彦、
恩師ロシア娘:リュバ、
人脈長谷川一夫、川喜多長政、服部良一、田村泰次郎、太田魯山人、梅原龍三郎、猪熊弦一郎
備考家:佐賀藩士
追悼

氏は、’14年9月7日94歳で亡くなった。「履歴書」に登場したのは10年前の2004年8月だった。彼女は大正9年(1920)生まれだから、故森光子さん、原節子さんと同年齢だった。

私は李香蘭として親しみ、小さいときの歌「夜来香」や映画の「暁の脱走」を見て美しい女優だなぁと思っていた人だった。彼女は数奇な運命を丁寧に記載していた。父親は佐賀藩士族出身の漢学者の家に生まれた山口文雄だが、関東軍の作戦に協力した北京市長の養女となり、李香蘭と名づけてもらう。
中国で、幼少時に亡命白系ロシアのユダヤ人リュバチカと出会い、彼女の紹介により、プロのロシアオペラ歌手から本格的な声楽を習い、中国人歌手としてデビューすることなる。その縁で満州と中国の国策映画の女優として引き込まれてしまった。

日本人を愛する中国人娘を演じることで、中国人から売国奴として非難され、終戦時には戦争犯罪人として軍事裁判にかけられ死刑の直前まで追い詰められる。そのとき、戦勝国ソ連のリュバチカが現れ、遠く離れた刑務所にいる彼女の父親に面会し、彼女の戸籍謄本を入手して裁判所に提出することで無罪を勝ち取った。リュバチカが李香蘭の人生の節目に現れ彼女の命を救う役割を果たしてくれたことになる。しかし、日本国籍を取れなかった川島芳子は処刑されてしまう。

満州帝国建設の黒幕・甘粕正彦氏との出会い、清朝王族第10代親王の第14王女であり「男装の麗人」「東洋のジャンヌダルク」と謳われた川島芳子に「同じヨシコとは奇遇だ。僕のことはお兄ちゃんと呼べよ」と言われた。また、映画で長谷川一夫や池部良との共演、世界的彫刻家のイサムノグチ氏と結婚・離婚後に若手外交官の大鷹氏との結婚、そして参議員生活18年の活動など、波乱万丈の人生を披露していた。いやぁ、美人は幸せになる権利を半分持つが、不幸になる宿命も半分あるなぁと感じた。

苦労雨が美しい虹に
数奇な運命 国策に翻弄
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山口淑子
山口淑子
本名 大鷹 淑子[1]
おおたか よしこ
別名義

李香蘭[1]
山口淑子[1](芸名・旧姓

Shirley Yamaguchi(米国での芸名)
生年月日 (1920-02-12) 1920年2月12日
没年月日 (2014-09-07) 2014年9月7日(94歳没)
出生地 中華民国の旗 中華民国奉天省奉天市北煙台(現:中華人民共和国の旗 中国遼寧省灯塔市[1]
死没地 日本の旗 日本 東京都千代田区一番町
国籍 日本の旗 日本
民族 日本の旗 大和民族(本籍:佐賀県杵島郡北方町〈現:武雄市〉)
ジャンル 映画俳優、歌手
活動期間 1938年 - 1958年
配偶者 イサム・ノグチ(1951年 - 1955年)
大鷹弘(1958年 - 2001年死別)[1]
主な作品
白蘭の歌
支那の夜
熱砂の誓ひ
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李香蘭
各種表記
繁体字 李香蘭
簡体字 李香兰
拼音 Lǐ Xiānglán
和名表記: り・こうらん
発音転記: リ・シャンラン
英語名 Shirley Yamaguchi
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大鷹 淑子[2]
おおたか よしこ
前職 女優、歌手、司会者
所属政党 自由民主党

選挙区全国区→)
比例代表
当選回数 3回
在任期間 1974年7月8日 - 1992年7月7日
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山口 淑子(やまぐち よしこ、1920年大正9年)2月12日 - 2014年平成26年)9月7日[1])は、日本の歌手女優政治家である。戸籍名は大鷹淑子(旧姓:山口)。 翊教女子中学卒[1]。さまざまな名前で活動し、戦前の中国(中華民国)と満州国・日本・戦後の香港李 香蘭(り こうらん、リ・シャンラン)、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国ではシャーリー・ヤマグチ (Shirley Yamaguchi) の名で映画、歌などに活躍した。日本の敗戦上海で迎えた彼女は、中国人として祖国を裏切った漢奸の容疑で中華民國の軍事裁判に掛けられたものの、日本人であることが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放処分となり、日本に帰国した。

帰国後は、旧姓(当時の本名)・山口淑子の名前で芸能活動を再開し、日本はもとより、アメリカや香港の映画・ショービジネス界で活躍をした[1]が、1958年(昭和33年)に結婚のため芸能界を退いた。そして1969年(昭和44年)にフジテレビワイドショー3時のあなた』の司会者としてマスメディア界に復帰、1974年(昭和49年)3月まで務めた。1974年(昭和49年)から1992年(平成4年)までの18年間、参議院議員を3期務めた[1]。2006年に日本チャップリン協会[3]大野裕之会長)の名誉顧問に就いた。

2014年9月7日心不全のため、東京都千代田区一番町の自宅で死去した[4]。94歳だった。叙正四位[5]

  1. ^ a b c d e f g h i 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.8.
  2. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「shugiin19740727」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  3. ^ 日本チャップリン協会
  4. ^ “山口淑子さん死去”. 時事ドットコム (時事通信社). (2014年9月14日). オリジナルの2014年9月14日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20140914225009/http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2014091400041 2014年9月14日閲覧。 
  5. ^ 官報平成26年10月14日
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