小椋佳 おぐら けい

芸術

掲載時肩書作詞・作曲家
掲載期間2016/01/01〜2016/01/31
出身地東京都
生年月日1944/01/18
掲載回数30 回
執筆時年齢72 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他上野
入社勧業銀行
配偶者小学生から知合
主な仕事「本の精読法」、学生外国ガイド、米留学、ミュージカル、年50~100作曲、生前葬コンサート、一周忌コンサート
恩師・恩人高校斎藤先生、
人脈寺山修司、
備考料亭、料理屋
論評

音楽家としてこの「履歴書」に登場したのは20人であるが、作曲家としては、山田耕筰古賀政男服部良一吉田正團伊玖磨船村徹遠藤実に次いで、小椋佳となり8人目である。他の12名は指揮者や演奏家、歌手であり、藤原義江朝比奈隆藤山一郎平岡養一辻久子石井好子ジョージ川口渡辺貞夫園田高弘岩城宏之山下洋輔小澤征爾であった。

1.銀行勤務で月50作曲
氏は東大法を卒業して銀行マンになり、エリート業務の傍ら月50曲も作曲する人物だった。少しは手抜き業務で作曲に注力をしていたと思いきや、入行4年目で米国留学、後にメリルリンチ証券に派遣され、帰国後はいまのデリバティブ金融商品の開発を行っている。20代後半の赤坂支店時代には年間100曲も作曲して「シクラメンのかほり」はこの中の一つだった。彼が米国滞在中に布施明がこれを歌い大ヒットとなっていた。

2.年50回のミニコンサート
氏は50歳を前に退職し、東大の大学院に通いながら年50回程度のミニコンサートを各地で開き、1000回を超えて何年か過ぎた。古稀70歳に至った2014年に「生前葬コンサート」を4日間にわたって100曲を歌う葬式を挙行した。翌年悟りの境地に至らないため、悪乗りして「一周忌コンサート」を約20都市をめぐるツアーを行った。よくやるよと私(吉田)は思う。さすがに「三回忌コンサート」はしなかったようだ。

3.度胸のみの旅行ガイド
この履歴書の中で最も面白かったのは、大学2年の時、氏の叔父さんと二人で「日米観光」会社を設立し、氏が海外旅行団をガイドする内容だった。ガイド役未経験のまま48名の欧州旅行を案内することとなり、工場見学など予約もしないでローマに到着後、電話帳を見て電話で見学要請する。パリ市内のバス観光は、フランス人バスガイドの通訳は出来ないので、解った振りして一夜漬けの観光説明をした。氏本人も、「よくもあんな出鱈目ができたと思う」と書いてある。「度胸があり、よくやるよ」と思う。

小椋 佳
出生名神田 紘爾かんだ こうじ
別名 葉月多夢
生誕 (1944-01-18) 1944年1月18日(81歳)
出身地 日本の旗 日本東京都下谷区東黒門町(現:台東区上野
学歴 東京大学法学部卒業[1]
東京大学文学部卒業
東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了
ジャンル フォークソング
ニューミュージック
歌謡曲
職業 シンガーソングライター
作詞家
作曲家
担当楽器 ボーカル
ギター
薩摩琵琶
活動期間 1971年 -
公式サイト 小椋佳(公式サイト)

小椋 佳(おぐら けい、1944年昭和19年〉1月18日 - )は、日本シンガーソングライター作詞家作曲家。本名・神田 紘爾(かんだ こうじ)[2]

  1. ^ 50歳で東大に再入学した小椋佳、つまらない授業に「ダメ出しした」 大宮エリーとの対談で明かす(1)”. AERA dot. (2022年12月9日). 2024年6月3日閲覧。
  2. ^ もういいかい 2021, pp. 20–28.
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