大倉敬一 おおくら けいいち

食品

掲載時肩書月桂冠相談役
掲載期間2010/10/01〜2010/10/31
出身地京都府
生年月日1927/03/25
掲載回数
執筆時年齢83 歳
最終学歴
同志社大学
学歴その他日大農学
入社第一銀行
配偶者奈良 林業娘
主な仕事1石(1升瓶100本)、5万石→100万、 米国製造、他国にも、花街知事長、
恩師
人脈弟恒彦、酒蔵(池田、竹下、宇野)、
備考
追悼

氏は’16年15日89歳で亡くなった。この「履歴書」に登場したのは2010年10月で83歳のときであった。酒造業界からの登場は、アサヒ系5(山本為三郎、竹鶴政孝、樋口廣太郎、瀬戸雄三、福地茂雄)、キリン系3(時国益夫、佐藤安弘、荒蒔康一郎)、サントリー系(佐治敬三)、キッコーマン2(茂木啓三郎、茂木友三郎)、薩摩酒造(本坊豊吉)と氏の13名である。

日本酒1石は180リットルで一升瓶100本分。大倉の祖父は醸造量500石の小さな造り酒屋を5万石の全国有数の酒造会社に育て上げた。そして父が5万石(氏が入社したとき)を10倍の50万石に伸ばし、業界トップの地位を不動のものにした。この大躍進を支えたのは年間を通して酒造りに取り組む画期的な醸造法であった。

純粋で優良な酒母は気温が低く、空中の微生物が少ない冬場は安全に育てやすいが、温度も湿度も高くて空気中に細菌が増えやすい夏場の酒母や発酵するもろみをどう制御するかが課題だった。それを機械にできる部分は機械に任せ、工程を連続化して、一つのシステムをして四季醸造を完成させたという。

月桂冠の販売量は1973年に70万8千石に達したのがピークで、この年10月の第一次石油ショックで「昭和元禄」と言われた消費ブームが去り、氏が社長に就任した78年には62万石に減っていた。消費者の趣向も酒のラインアップが、ビール、焼酎、ウイスキー、ワインなど格段に豊富となり「日本酒は酒の王様」とは言えなくなった。そこで氏は、吟醸酒をはじめとする高級路線化や生酒、米焼酎など多品種少量生産を行うとともにパック詰の酒を売り出すなど容器改革で業界をリード、海外進出にも成功。

京都の文化を維持・発展に大いに貢献されているのは、茶道裏千家の千玄室宗匠と大倉が双璧であった。氏は京都5花街(上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町)が営々と守ってきた伝統芸能や文化の保存、継承、発展を目的にできた京都伝統芸能振興財団(おおきに財団)の理事長(スポンサー)を長く勤めたのは特筆に値する。

大倉 敬一(おおくら けいいち、1927年3月25日 - 2016年8月15日)は、日本実業家月桂冠株式会社代表取締役会長。13代目当主。

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