福地茂雄 ふくち しげお

食品

掲載時肩書アサヒGH相談役
掲載期間2014/06/01〜2014/06/30
出身地福岡県
生年月日1934/06/11
掲載回数29 回
執筆時年齢80 歳
最終学歴
長崎大学
学歴その他小倉高
入社アサヒ ビール
配偶者職場結婚
主な仕事営業、ドライ、発泡酒、ニッカウヰスキー、東京芸術劇場、NHK会長、大相撲中継、新国立劇場
恩師・恩人村井勉(高・先輩)、樋口廣太郎
人脈中條高徳、王将・加藤朝雄、瀬戸雄三、池田弘一、古森重隆、岡村正、福原義春
備考読書200冊(年)
論評

1934年6月11日 -)は福岡県生まれ。日本の経営者。1999年1月、生え抜きの代表取締役社長であった瀬戸雄三の後を引き継ぎ社長となった。2002年1月には代表取締役会長、2006年3月、相談役となり経営の一線を退いた。その後は文化活動に力を入れ、社団法人メセナ協議会理事長に就任、2007年11月には、東京芸術劇場館長に就任している。第19代日本放送協会(NHK)会長を歴任したほか、日本相撲協会横綱審議委員会委員も務めた。2011年、財団法人新国立劇場運営財団理事長に就任。2014年2月、一般財団法人防災検定協会顧問に就任。

1.アサヒビールでは4人目の登場
アサヒビールでは、山本為三郎樋口廣太郎瀬戸雄三に次いで4人目であるが、グループではニッカウイスキーの竹鶴政孝が入る。キリンの二人(時国益夫佐藤安弘)、キッコーマンの二人(茂木啓三郎茂木友三郎)、サントリー(佐治敬三)に比べて登場者はダントツである。

2.読書が趣味
氏の執筆の中で面白かったのは、樋口廣太郎会長から「新聞に当社の借金がキリンビールの7.7倍と書かれているのはけしからん。当社は工場をいくつ作ったと思っているのか」とライバル企業の名前まで書き、正直に告白している箇所である。また、印象深かったのは、インサイダー事件などで信用失墜のNHK会長に就任して、名門企業の消滅事例を、幹部職員100人を前に訓示したことだった。その事例は、2冊の本で1998年発刊の「アンダーセン発展の秘密」、そして2003年発刊の「名門アンダーセン消滅の軌跡」を挙げ、名門の大企業もわずか5年で消滅すると企業の存亡を強く訴えた。このときは、年間200冊も読むという読書家の真価を見せた一面だった。

3.NHK会長時に野球賭博に巻き込まれる
また、野球賭博で非難にさらされていた日本相撲協会と関係の深い横綱審議委員会の委員にも就任しており、7月の名古屋場所の中継を中止するか否かでNHK会長としての立場から、苦渋の選択を迫まれたことだった。視聴者から殺到した電話では「中止すべき」が1万6千人、「すべきでない」が8千人とあり、相撲協会に関係する立場からすれば、「中継すべき」だっただろうが、「中止を決定」した。しかし、相撲ファンの心情を汲んで、中継以外の方法で便宜を図った心遣いは立派だった。そして、横綱審議委員会にもケジメを付ける意味で8月に委員を辞任したという。これも印象に残る文章だった。

追悼

氏は、2024年1月29日89歳で亡くなった。この「履歴書」に登場は14年6月で80歳のときでした。

1.管理職での気づき(経営者の心得)
1957年に入社し、大阪支店に13年半と長期間在籍した後、「名古屋支店販売2課長を命ずる」との辞令を受けた。名古屋では5人の部下を持つ管理職になった。当時の名古屋支店長の本田博さんから喫茶店に呼び出された。本田さんは「君はどういう考えを持って部下に接するか」と尋ねる。私は「自分にできないことを部下に求めるのは卑怯です。自分にできることはしっかりやらせます」と答えた。
 すると「君は管理職としては落第だな。それだとコピーばかりできてしまう」とズバリ言われる。「支店長である私もそうだが、自分の仕事以外のことも見ないといけない。役目上、自分にやれないことも求めなければいけない」というわけだ。そうかと得心した。確かにプロ野球の監督は全てのポジションをこなせるわけではない。自分が経験のない所でも一流を求め、育てないとチームは強くならない。名古屋支店長の教えを受けて以来、教え子が師匠より優れた人物になる「出藍の誉れ」を意識し、部下と接しようと考えたし、アサヒビール、NHKで経営者になる心得を教わった気がする。

2.変わった読書指導法
81年から京都支店長を命ぜられた。厳しい時代だったが、取引先から多くのことを教わった。その一つが「餃子の王将」を運営する王将フードサービスだ。創業者で当時の社長だった加藤朝雄さんは最初挨拶に行っても目も合わせてくれなかった。しかし親しくなると、加藤さんは飲むとき、ちょっと変わった「儀式」があった。飲む前に必ず本屋に行き、そこで加藤さんは「30分で3冊好きな本を選んで」と言うのだ。加藤さんがお金を出し、私の選んだ本をチエックする。持って帰って読むのは私だ。その後、飲みながら、買った本の話をするわけでもない。私の時代感覚を試していたのかどうか。(私・吉田には、これが氏の年200冊の読書習慣に繋がったと思われる)

*日本経済新聞2月6日付に福地氏への評伝がつぎのように掲載されていた。
役員になってからも経営書など年200冊以上の本を読みあさる。「僕は樋口さんのようなカリスマ力はないから」。福地氏はその代わり、自分の得意は「猛勉強」と言わんばかりに仕事、読書に明け暮れた。こうした姿がアサヒビール社長の村井勉氏や「スーパードライ」の成功を導いた樋口廣太郎氏の目に留まり、1999年にアサヒの社長に就任する。87年に発売したスーパードライのおかげで経営危機を脱したアサヒだが、福地氏は自らの足跡より組織の永続性のための「裏方経営」を優先する。1年目にガバナンス改革に動き、40人いた取締役を一気に10人にまで削減。2年目には保有していた株式の含み損を処理するために初の最終赤字を計上した。実は先送りも可能だったが、「来年からは21世紀。20世紀の問題は20世紀に片を付けよう」という名言を残し、経営危機の時代でもなかった赤字を決断した。
アサヒでの役割を終えた後、福地氏に舞い込んだのは制作費の不正流用問題などで揺れたNHKの立て直しだ。放送事業のことなど皆目見当も付かず、当初は要請を断っていたが、4回目の説得で根負け。引き受けたのはいいが、就任直前に局員のインサイダー事件が起き、想定以上の重荷を背負う。それでも「NHKもアサヒビールも不特定多数を相手にする仕事」と割り切り、人事や制作体制にメスを入れた。在任中にはNHKが放映する大相撲で力士らの野球賭博事件も起きた。生中継の中止を決断する一方、ダイジェスト版を流した。実は深夜に放映する予定だったが、「それだと相撲が好きな年配の方が見られないだろう」と顧客目線を貫き、朝方に変更したという。振り返ると火中の栗を拾う経営者人生だった。しかしそこは努力をいとわず、他人に嫌われない福地氏だからこそ、託された運命だったように見える。(編集委員 中村直文)

2009年10月27日、(左から)江田五月参議院議長松野頼久官房副長官原口一博総務大臣と福地

福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 2024年1月29日)は、日本経営者。位階は正四位旭日重光章受章。

アサヒビール(旧朝日麦酒)社長・会長・相談役、第19代日本放送協会(NHK)会長を歴任したほか、日本相撲協会横綱審議委員会委員も務めた。2011年、財団法人新国立劇場運営財団理事長に就任。2014年2月、一般財団法人防災検定協会顧問に就任。

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