多川俊映 たがわ しゅんえい

宗教

掲載時肩書興福寺貫首
掲載期間2018/11/01〜2018/11/30
出身地奈良県
生年月日1947/03/06
掲載回数
執筆時年齢71 歳
最終学歴
立命館大学
学歴その他帝塚山学園
入社興福寺
配偶者後輩の妹
主な仕事臨床心理研、薬師寺と当寺は法相宗、30歳賢義,42歳貫首、南円堂修理、写真・能・登山趣味、唯識入門、本堂中金堂(天平様式)
恩師藤本龍暁
人脈パリ金剛力士展、三好耕三、金春欣三、畠中光享、阿修羅展、
備考父も貫首
論評

宗教関係者でこの「履歴書」に登場したのは、鈴木大拙(宗教学者)、橋本凝胤(薬師寺管主)、池田大作(創価学会会長)、御木徳近(PL教団教主)、庭野日敬(立正佼正会会長)、立花大亀(臨済宗大徳寺派顧問)、葉上照澄(比叡山長老)、山田恵諦(天台座主)、有馬頼底(臨済宗家復興)、森本公誠(東大寺長老)に次いで多川の11人目である。
氏は興福寺の本堂中金堂の落慶法要を構想着手20年で今年10月7日に成し遂げた。興福寺の造営は天平時代の710年(和銅3年)、平城京遷都とほぼ同時期に始まった。発願したのは時の権力者で公卿の藤原不比等。この中金堂は戦火や落雷などの大火で7度も焼失して今回が8度目の再建だと書いていた。総工費は約60億円。資金捻出のため、①パリに寺宝・木造金剛力士立像の阿形と吽形の運慶作2体(国宝)の出展を図る。鑑賞者は33万人。②国宝・阿修羅展を東京で95万人、九州で71万人、無事に帰山したことを記念に「お寺で見る阿修羅展」で26万人、合計は延べ191万人だった。③仏教美術展として「国宝・興福寺の仏頭展」では、飛鳥の山田寺から奪取した薬師寺如来像の頭部で、白鳳仏の代表作を、また運慶展に出した無著菩薩像、世親菩薩像は運慶晩年の円熟した技量を示す鎌倉彫刻の名作だった。これらの寺宝展開催が興福寺再興の気運を大いに盛り上げたことにもなった。
氏は多趣味の人でもあった。学生時代には写真家を目指したこともあり、フイルム現像も自分で手掛けるなど、プロのカメラマンとの親交も多い。能も30歳ごろ、金春欣三師の教えを請い7,8年習った。興福寺は「薪御能」の発祥地でもあったからだ。そして金剛流、観世流の宗家の人たちの人脈も広がっていった。中年になってからは夏山登山にも興味を持つようになる。常念岳、北穂高、立山などを踏破している。また読書家であり、藤沢周平、永井荷風、森鴎外などの著作集をほとんど読んでいる。そして大学時代に「唯識心理学」に出会っていたが、唯識仏教の平易な入門書はなかった。そこで一念発起して2001年8月に「唯識仏教の教えを学ぶ入門書」を、高い評価を得たので13年8月に「唯識入門」と再改題して発刊している。興福寺再興は、氏の高い教養と広い人脈をもつ人徳が備わっていたから可能だったと思われる。
奈良を代表する興福寺と薬師寺は同じ法相宗の総本山だと書いているが、この宗派の教え特徴は「あらゆる事象は原因と結果で成り立っており、心の世界以外には何もないと考える唯識思想にもとづく」とある。また、東大寺は華厳宗であり、教えの特徴は「現実の世界も心理の世界も、すべては無限縁起であるとする「華厳経」にもとづく」とする。そして唐招提寺は律宗であり、特徴は「戒律の研究を教義の中心とし、戒律を実践することによって成仏しようとする」である。

多川 俊映(夛川、たがわ しゅんえい、1947年3月6日 - )は、日本法相宗僧侶で、現在、法相宗大本山興福寺寺務老院(責任役員)、同寺菩提院住職、帝塚山大学特別客員教授

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