アイデア商法

江崎が、創意工夫のオマケ商法で大阪を中心とした関西圏でグリコ事業を軌道に乗せてきたことは前述した(〓ページ)。
 東京進出にあたっては、静岡まで伸びた販路を一気に東京まで拡大せず、北陸から東北、仙台へと迂回し、東京を包囲しながら近寄っていった。
 これは大阪での発売当時、まず三越から攻撃を始めたのと、まったく対照的だった。その理由は、それまでに多くの業者が東京進出を狙ったが、単なる押しの一手でいずれも失敗していたからだった。
 そこで、わざと東京をいちばんあとまわしにし、近県の神奈川、埼玉、栃木などから一つずつ攻略する〝遠まわし法〟または〝周辺先取攻略法〟といった方法をとった。大阪市場で使ったアイデア商法にプラスするアイデアを、一つひとつ試しながら進めていったという。
 彼はいろいろな苦労の末、東京進出に成功する。その理由は、広告宣伝から販売方法まで、独特のアイデアで次々と手を打ち、他社とは違ったグリコの特色を十分に生かしきることができたからである。彼はその販売促進策を、次のように披瀝している。
「まず東京進出を機会に、オマケサービスに徹底的改良を加えて特色を強化し、さらにこのアイデアを、クーポン券の収集による賞品提供にまでに発展させた。
 クーポン券による賞品引き替えと同時に、教育当局の協賛を得て、市内小学校を教育映画で片っぱしから回ったこと、また数年間にわたって市内各所の公園で映画大会を開いたのは、地盤確立に大きな力となった。
 さらにつぎの手は、日本で最初の自動販売機百台を主要デパートに設置したり、昭和六年浅草に動くネオンを建設したりした。どちらも今ではさほど珍しくはないが、当時はたいへんな人気と話題をあつめた。後年自動販売機は十銭入れると映画が見られ、音楽が聞こえ、そして二銭のオツリまで出るという日本最初の自慢の機械になった」(『私の履歴書』経済人七巻 179p)
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クーポン券がいまはスタンプサービスになっていますが、これは商店連合会や公設市場など各業界で広く応用され、その広がりの大きさに今さらながら驚いています。
そして、自動販売機、ネオン設置の広告など、斬新なアイデアを次々と打ち出す江崎の秘密は、先述したように、アタマとマナコを働かし五感をフル活用したものにほかなりません。
 日夜、消費者の立場で神経を研ぎ澄ませて考え、喜ばれる施策を考えたに違いありません。