美女と才女
ミヤコ蝶々  
女優
生年月日1920年7月06日
私の履歴書  掲載日1998年2月01日
執筆時年齢77 歳

1920年7月6日 – 2000年10月12日 東京小伝馬町生まれ。芸好きの父の影響で7歳のとき、初舞台を踏み、あらゆる芸をやった。詩、踊り、芝居、漫才などで、20歳を過ぎてからは大阪に腰を据え、漫才とテレビの司会と芝居に打ち込んだ。脚本・演出・主演と一人三役もおこなった。
1927年(昭和2年)家具屋をたたみ、父親の思いつきで芝居一座を結成し、娘を座長にさせた。九州の炭坑町の小さな劇場で安来節を唄い、初舞台を踏む。
その後もあらゆる芸(漫才、喜劇、女剣舞、バレエ、三味線など)を身に付ける。
1952年(昭和27年)に、秋田實の宝塚新芸座に参加し、大阪・道頓堀の中座を拠点に活躍した。民間ラジオ放送草創期の人気番組『漫才学校』『夫婦善哉』(いずれもABCラジオ)の司会などで知名度を高めた。 特に1955年(昭和30年)に始まった「夫婦善哉」はラジオからテレビへと20年の長きにわたって続く長寿番組となった。

1.私の尊敬する芸人
(1)長谷川一夫:歌舞伎の形から入る芝居、手足の動き、お囃子に載ってのセリフなどを教えていただいた。
(2)辰巳柳太郎:本当に芸の旨い先輩として、ぶつかって行けば行くほど、奥の深さを感じさせる人でした。
(3)浪花千栄子:私が目指す自然な芝居を、この人ほど見事に演じた人はいない。どんな芝居でも、その場その場に応じて盛り上げることができた。泣かすところは泣かせ、笑わせるところはちゃんと笑わせる。善も悪もやれる。やくざの女親分役の迫力は、息をのむほどだった。
(4)杉村春子:新劇の人らしく、怖いほど形がピシッと決まっていた。人柄もあるのだろうが、吐く息まで決まっている感じだった。
(5)渋谷天外:芝居は演出が勝負で、芝居がガラッと変わる。天外先生は演出の無駄がなかった。

2.教育の考え
私は小さいときから旅から旅への暮らしだったので、学校に行ったことがない。義務教育の小学校にさえ通わなかった。義母が芸事とともに、文字や読み方、九九などを教えてくれた。おかげで今日、曲がりなりにも女一人、芝居の脚本を書き、演出をして、舞台にも立っている。
 このごろ、学校ではいじめや不登校やらがあるという。学校はイヤ、勉強はイヤという子供を無理に学校に行かせることはない。その代わり、親がその子にあった人生を、ひざ突き合わせて考えてやり、生きていく上での常識を教えればよい。私も勉強はロクにやらなかったが、父からいつでも自分に責任を持つようしつけられた。

3.監督の思い出
(1)山田洋次監督の「男はつらいよ」には第2作で、寅さんの母親役で出た。優しい瞼の母という寅さんの夢を破る、京都のアベック旅館のやり手女将という役だった。当時から出演者とスタッフがピッタリと息が合っていて、撮影は楽しかったが、渥美さんはいつも無口で、一人ぽつんと出を待つ姿を覚えている。
(2)今村昌平監督もあまりあれこれ言わない人だった。54年に封切した「復讐するは我にあり」は、世間を騒がせた連続殺人事件の犯人をテーマにした映画で、最初、主人公の愛人の母親役を頼まれた。えらくえげつなく、いやらしい役で、私の役柄ではない。この役柄は断った。するとテレビ番組収録のため地方に出かける汽車にまで今村監督が乗り込んできた。これだけ熱心に口説かれたら、応えない訳にはいかない。結局、主人公の母親役で引き受けた。主役の緒形拳さんは、腹芸のできる、うまい役者だった。
 役というのは、自分の持ち味を、監督がどう見出してくれるかにかかっている。

4.幕切れの言葉・・・人生は舞台:心の芸、生きている限り
芸人にとっての勲章は、お金でも肩書でもない。死んだときに、どれだけたくさんの人びとが葬式に来てくれるかだ。香典は持ってきてくださらなくて結構。花輪もいらない。名残りを惜しむファンに来てほしい。その点で、石原裕次郎さん、美空ひばりさん、渥美清さんは私にとって理想の芸人である。

ミヤコ ちょうちょう
ミヤコ 蝶々
ミヤコ 蝶々
朝日放送『ABC』(1956)より南都雄二(上)とミヤコ蝶々(下)
本名 日向 鈴子
別名義 ミスワカナ (2代目)
生年月日 (1920-07-06) 1920年7月6日
没年月日 (2000-10-12) 2000年10月12日(80歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京都中央区日本橋小伝馬町
死没地 日本の旗 日本 大阪府大阪市天王寺区[1]
血液型 B型
職業 女優漫才師
ジャンル 映画テレビドラマCM
配偶者 三遊亭柳枝1942年 - 1947年
南都雄二(1947年 - 1958年
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ミヤコ 蝶々(ミヤコ ちょうちょう、女性、1920年7月6日 - 2000年10月12日)は、日本女優漫才師。本名、日向 鈴子(ひゅうが すずこ)。東京都中央区日本橋小伝馬町出身。吉本興業出身。長らく上方漫才・喜劇界をリードした関西を代表するコメディエンヌであった。

  1. ^ ““浪花の女喜劇王”ミヤコ蝶々死去 歯切れの良さでファンを魅了”. ZAKZAK. (2000年10月12日). オリジナルの2004年8月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040811141936/http://www.zakzak.co.jp/geino/n-2000_10/g2000101207.html 2019年12月20日閲覧。 
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