「私の履歴書」の開始当初、連載回数は一人につき6回~14回程度でした。
読者の評判が高くなるにつれて、さらに読み応えのある内容を追究してか、連載回数を増やしていっています。
昭和62年以降は一人の連載が1カ月単位となりますが、それまでは登場者の希望に日本経済新聞社は合わせていたように思えます。
順位 | 回数 | 氏名(掲載時肩書き) |
1 | 38 | 舟橋聖一(作家)、高橋誠一郎(芸術院長) |
2 | 37 | 植村甲午郎(経団連副会長) |
3 | 35 | 田中角栄(自民党幹事長・前蔵相) |
4 | 34 | 武見太郎(日本医師会会長) |
5 | 33 | 永野重雄(富士製鉄社長)、木下又三郎(本州製紙社長)、土光敏夫(経団連名誉会長) |
6 | 32 | 星島二郎(衆議院議長)、井伏鱒二(作家)、池田大作(創価学会会長)、中川一政(画家) |
※昭和62年(1987)以後は月単位の執筆期間となるので、31回以下は除外します。
回数の多い人は、ごらんの通り各界の「超大物」ばかりです。後世に伝えたい出来事が多くあり、本人も新聞社も割愛するには忍びないエピソードに溢れていたためでしょう。
または、連載中に「面白い」と評判が立ったので、登場者も担当記者も気が乗り、「それならば」とサービス精神を発揮した結果ではないかと思われます。
経営者では、やはり創業者のものが面白い。
松下幸之助、早川徳次、江崎利一などの創意工夫に溢れ、家族の不幸や事業の失敗など幾多の困難にもへこたれず、たゆまないチャレンジ精神を発揮してきた人生行路を描いた記述には、魂を揺さぶられるような感動の連続でした。
また、芸術家やアスリートの生き方には、個々人の能力でその世界のトップに登りつめるため、ジョージ川口、古橋広之進、蜷川幸雄、小澤征爾などは死と隣り合わせのようなの決断と努力が描かれています。私は驚きをもってその生き方を見守る感じでした。