掲載時肩書 | 有機化学者 |
---|---|
掲載期間 | 2012/10/01〜2012/10/31 |
出身地 | 満州 新京 |
生年月日 | 1935/07/14 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 77 歳 |
最終学歴 | 東京大学 |
学歴その他 | 湘南高、ペンシルベニア大博士号 |
入社 | 帝人 |
配偶者 | 鈴木次男 先生娘 |
主な仕事 | フルブライト、ペンシルベニア大博士号、パデュ‐大、クロスカップリング特許取らず、フンボルト賞、ノーベル賞、greenChemistry |
恩師・恩人 | 鈴木次男先生、H.Cブラウン教授 |
人脈 | 鈴木章北大名誉教授(共同)、玉尾皓平、村橋俊一、薗頭健吉、小杉正紀、右田俊彦、檜山為次郎、早見弘 |
備考 | 幸福4条件、発見10項目、コーラス趣味、17歳で東大入学 |
1935年(昭和10年)7月14日 – 2021年(令和3年)6月6日)は満州国の新京生まれ。化学者。2010年、ノーベル化学賞受賞。帝人グループ名誉フェロー。北海道大学触媒科学研究所及びパデュー大学の特別教授。2011年(平成23年)、母校ペンシルベニア大学から名誉博士号 (Doctor of Science) を授与された。また、岡山大学のエネルギー研究拠点のアドバイスに長年携わっていたことから同年3月23日に岡山大学名誉博士を授与された。 さらに独立行政法人(現・国立研究開発法人)科学技術振興機構の総括研究主監に就任し、同機構が日本における活動拠点となっている。2014年(平成26年)3月、母校の東京大学から名誉博士号を授与された。
1.恩師ブラウン教授(ノーベル賞受賞者)の教え方
米国パデュー大のH・ブラウン先生は1947年に教授に就任した。ホウ素化合物を用いる新しい有機合成法、ハイドロボレーションを56年に開発し、私が加わった時は極めて精力的に研究を発展させていた。
二人の研究者が同じ実験をしたのに違う結果が出たり、一人で同じ実験を繰り返して異なる結果が出たりした場合、ブラウン先生は「何が起きているかを正確に調べることが大切だ」と強調し「パラレル実験」を勧めた。これは結果が確定している実験と一つだけ条件を変えて行う実験のことだ。一見、手間がかかり遠回りしているようだが、実はこれが一番早い。ブラウン先生の系統的・網羅的な探索手法は大いに役立った。実験を始め出した頃、テーマの一つに興味が持てず、私は「この実験を続けても先生の狙う結論は出ないと思う」と率直に意見を述べた。先生から継続理由を説明され、説得される。こんなやり取りを何回か繰り返したが、先生は決して命令口調にはならず、丁寧に指導してくれた。
一対一の指導に貴重な時間を割き、試薬の注文の仕方から実験ノートの書き方まであらゆる事柄を強い熱意で教え込んだ。この訓練はその後の私の研究室運営に役だった。プロを育てるマンツーマン・コーチングの重要性を肌で感じた。
2.新手法「周期表歩き」でクロスカップリングを
ブロックを組み立てるおもちゃ「レゴゲーム」をご存知の方は多いだろう。私はこのレゴゲーム的な方法で、もろもろの有機化合物を合成できないかと考えていた。1972年にシラキュース大に移った。
ここで私は新たな研究法を加えた。周期表にある100種類以上の元素全てを考慮しようという「周期表歩き」だ。毒性や放射性のある元素を除くと、実際には約10の有機元素と約60の金属の合計70になる。これでは少ないが、70の元素の2種の組合せを考えれば、ほぼ5千の選択肢になる。化学的な問題の答えは全て元素の周期表の中にあるはずだ。
試行錯誤で苦戦は続くが、そんな時、京都大学熊田誠研究室の玉尾晧平さんがニッケルーマグネシウムの組合せでクロスカップリングに成功したと知り、ニッケルーホウ素の組合せを試みた。それでも良い結果は得られない。そこでホウ素のすぐ下にあるアルミニュウム、つまりニッケルーアルミニュウムの組合せを試みたところ「これはホームランだ」と思う結果が得られた。
3.日米大学制度の違い
米国の大学は州立であっても制度は柔軟に運用している。シラキュース大からパデュー大に戻る際、引っ越し料金が数千ドルかかり、全て個人で負担しなければいけない時があった。パデュー大の主任教授に「引っ越し代は出ないのか」と聞くと「そういう項目はないから出ない」という。臨時の出費が痛かったので、何とかならないかと相談すると「年俸を2500ドル上げよう」と連絡が返ってきた。直接引っ越し代を賄えないが、2年経てば補填できるし、その後の収入も増えてよいアイデアだ。即座に了解した。
日本だったら「規定にありません」と却下され、それでおしまいだろう。米国の大学は無理難題でなければ、私たちの希望を親身になって考えてくれる。
定年も研究者は自分で決められる。「ハーフタイム」といって授業の義務などを減らしてもらう宣言をする。その後5年以内に退職するという意思表示でもあるので、大学としてもその後の人事構想を立てやすい。米国の大学は研究と教育の水準維持の向上に多くの労力をかける。硬直的な制度と閉鎖的な組織ではたちまち競争に敗れ、舞台から去らなければいけない。日本の国立大学は2004年に独立法人化し、以前と比べ柔軟な経営ができるようになったが、米国の大学に比べるとまだまだ差は大きい。今後の改善点だ。
4.人類を救うグリーン・ケミストリー
地球規模の様々な課題を抱えた人類が21世紀も幸せに暮らしていくためには、もっと化学の力を高めなければならない。最近よく「グリーンケミストリー」という言葉をお聞きにならないだろうか。簡単に説明すれば「化学物質による環境汚染を防止し、人体や生態系への影響を最小限に抑えることを目的にした化学」となる。私どもがこれから追求したいテーマを3つ、ここで簡単に紹介しよう。
①地球温暖化で悪者にされている二酸化炭素(CO2)を、触媒を使って役立つ物質に変換する技術の開発だ。これは今、世界中の研究者が取り組んでいる。とてもホットな分野で、この研究でもぜひ貢献していきたい。
②炭素と炭素の「不斉合成」の技術だ。不斉合成のとは、野依良治さんが米国のノールズ博士、シャープレス博士と一緒にノーベル化学賞を受賞した時に対象となった有機合成方法だ。「光学異性体」のうち、必要な方だけを合成する。これをもっと発展させたい。
③カーボンナノチューブ、フラーレン、グラフェンなどに代表される電気的、光学的に優れた新物質の有機合成法の開発と応用と考えている。
化学の発展は無限だ。その取り組みは間違いなく人類を救うマジカルパワーになる。
氏は‘21年6月6日、85歳で亡くなった。この「履歴書」登場は’12年10月の77歳のときでした。氏は専門の化学技術面ばかりでなく、歌や音楽、ゴルフやスキーも楽しんだ人で、親しみやすく次世代に次のメッセージを残してくれている。
1.幸福の4条件
氏は17歳で東大に入学したが、胃腸障害で1年留年となった。卒業する時は結局、高校同級生と同じ年齢になった。その年は授業がなくなり、時間はたっぷりあった。片っ端から本を読む日が続いた。哲学書や人生訓、ハウツーもの、聖書も手にした。生きることその目的は何か真剣に考えた。これはその後の人生設計に大いに役立った。この思索から「幸福の4条件」を考え出した。
(1)健康だ。高校と大学時代を通じ、体調を崩してしまった反省から、最初の条件に採り上げた。
(2)家庭だ。基軸は夫婦で子や孫を含めた家族が円満でなければならない。
(3)プロフェッション。一言で訳せば職業だが、好きになれる仕事をし、かつ給料を上回る大きな社会貢献ができることが望ましい。
(4)ホビー(趣味)だ。私の場合、歌と音楽があり、ゴルフとスキーがある。趣味を持てば、人生はより豊かになる。
2.発見とは何か・・・発見条件の10項目を考えた。
発見はそう簡単ではない。あれこれ私なりの発見・発明の条件をまとめた。発見の大前提には、
(1) 何が欲しいかという「願望」と
(2) 何を必要とするかという「ニーズ」がある。
(3) そしてそれを目指す「作戦」、あるいは「計画」を立てなければならない。
(4) 発見に向けて最も大切な項目は、ブラウン教授に学んだ「系統だった探索」だ。
ただしこれを進めるためには、知性的な側面から3つの項目が欠かせない。
(5) 豊富な知識と
(6) 豊富なアイディア、そして
(7) 正確な判断だ。
アイディアは計画実現のために特に重要だと考えている。大学の研究でも学生や博士研究員がアイディアを持ってきた時、私は必ず「ほかにどういうアイディアを考えているのか」と聞いている。少なくとも5~10,望ましくは20~30個を持ち、最良と思われるのを検討すれば、確率は高くなる。
知性面以外にも必要な条件が2つある。
(8) 探索に向けた「意思力」あるいは「意欲」と
(9) 探索をあきらめない「不屈の行動力」だ。
私自身「エターナル・オプティズム」という姿勢を貫いてきた。「へこたれない」という意味だ。
(10)最後の項目は、「セレンディピティ」(幸福な発見)だ。スリランカの3人の王子が思いがけない発見をする昔話に基づくこの才能は、最近とても重要視されている。しかし私は最後に置いた。多くの場合にセレンディピティがなくとも発見は可能だと考えている。中心はあくまで、系統だった探索だと確信する。
根岸 英一 | |
---|---|
2010年撮影 | |
生誕 | 1935年7月14日 満洲国、新京特別市 |
死没 | 2021年6月6日(85歳没) アメリカ合衆国、インディアナ州インディアナポリス |
居住 | |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 化学 |
研究機関 | |
出身校 | |
博士課程 指導教員 | アラン・R・デイ |
主な業績 | 根岸カップリング |
主な受賞歴 | ノーベル化学賞(2010年) |
プロジェクト:人物伝 |
|
根岸 英一(ねぎし えいいち、1935年(昭和10年)7月14日[1][2] - 2021年(令和3年)6月6日[3])は、日本の化学者。位階は従三位。
ノーベル化学賞受賞者[4]。岡山大学名誉博士[5]。帝人グループ名誉フェロー。大和市名誉市民[6][7]。北海道大学触媒科学研究所及びパデュー大学の特別教授 (H.C. Brown Distinguished Professor of Chemistry)。
<ref>
タグです。「ryukyushimpo
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません<ref>
タグです。「Nikkei-2
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません