掲載時肩書 | 野村証券会長 |
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掲載期間 | 1960/07/22〜1960/08/11 |
出身地 | 滋賀県信楽 |
生年月日 | 1903/03/05 |
掲載回数 | 21 回 |
執筆時年齢 | 57 歳 |
最終学歴 | 京都大学 |
学歴その他 | |
入社 | 野村證券 |
配偶者 | 浜寺大地主 娘 |
主な仕事 | 2度大失敗(株、日銀)、34歳満州視察団に抜擢、京都支社長、宝映画館、社長、投資信託業、ダイヤモンド経営 |
恩師・恩人 | 野村徳七、GHQアリソン次長(投資信託) |
人脈 | 堀田庄三(3年先輩卒業同時)、松岡洋右、野田岩次郎、ウサギ会(江戸英雄、松尾静麿、法華津孝太、堀江薫雄、正田英三郎、水上達三) |
備考 | 生家:信楽焼窯元、クリスチャン、信条:自由(責任)・平等(差等)・博愛(懲罰) |
1903年(明治36年)3月5日 – 1972年(昭和47年)11月7日)は滋賀県生まれ。実業家。野村證券元社長・会長。野村證券中興の祖といわれる。戦後証券取引法に基づく証券業者として登録。1951年(昭和26年)に連合国との交渉の末、証券投資信託法を実現させ、委託会社の免許を受けることに成功し、財閥指定を受けた「野村」の社名を守った。他には東京証券取引所理事、経済団体連合会外資問題委員会委員長、ボーイスカウト日本連盟理事長なども務め、石坂経団連会長と共に資本自由化促進の旗振り役を務めた。
1.家内の助太刀で発奮・再出発
私は一人っ子で、父親は資産家でもあったので、私を自由放任主義で育ててくれた。野村証券に入って間もなく結婚したが、この女房の家が浜寺の大地主だったので、共謀で双方の実家から金を巻き上げた。
しかし野村に入って7,8年頃、私はどえらい失敗をやった。ちょうど7つになる長女玲子に死なれたりして、私の気持ちは重かった。心機一転というわけで、私は“大番”式の大相場を張ったが、それが見事に失敗して、すってんてんになってしまった。
家内の実家では親族会議を開いて、「奥村は品行もよくないし出世も人一倍遅れている。あんなのは先の見込みがないからこの際離婚させたらどうか」ということになった。私は品行の話になると弁解できない。半年ばかりして知ったがそのとき女房はこう言ったそうだ。
「私はあの人のどこかに見所があると思う。でなくとも、今あの人は相場に敗れて失意のドン底にあります。得意絶頂にあるときなら私も一応考えてもいいが、こんな時に別れて帰るなんて私にはできません。勿論、私も覚悟の上です。今後いっさい実家の援助を受けないからどうかこのままにしておいてください」。この妻の態度を知った時、私は心から嬉しく思った。この心にこたえ生活態度や様式を一変し、再出発とした。それからというものは、たとえよそで泊るようなことがあっても、女房の方に足を向けて寝ないようにしている。
2.野村徳七翁の大抜擢で発奮
昭和初期の金解禁失敗で、円の大暴落は必至だった。そこで、その際資産の保全にご心配の方は、是非当社の投資相談部へ・・の宣伝を大いに行った。ところが日銀にこれが発覚して、「国策の裏をかくとはけしからん」と片岡社長が呼び出されて詰問された。片岡さんから「野村に大きな損失を与えたんだから、潔く辞表を出せ」とどえらく叱られた。上司の勝田貞次さんらの助命嘆願のお蔭でクビだけは助かった。しかしこの外債事件で僕は一躍有名になった。これがいつしか野村徳七翁の耳にまで入っていたのだろう。
昭和12年(1937)、私が34歳だったが、新興満州国の経済開発を目的に、関西財界から視察団を派遣することになった。団長が安宅弥吉、副団長に杉道助といった錚々たるメンバーで、当時帝人の取締役岩国工場長だった大屋晋三氏なども加わった。むろん野村徳七氏にも参加勧誘があったが、そのとき野村さんは「私は行けないが、その代わり私の代理を出しましょう」と、私を団員に指名したのである。私はびっくり。
当然役員クラスから選ぶべきを、この常識を無視した人選に、血の気の多い私は、体がブルブル震えるほど感激し発奮したのだった。
3.映画館を経営
戦後取締役京都支店長になった私は、「京都では社長になったつもりでやれ」と言われ張り切った。混乱のヤミ時代には、何よりも新円(旧円と新円の引き替えで新円がオールマイティのくせに非常に不足していた時代であった)を十分に手に入れねばならぬ。新円を手に入れるためには何かいい仕事を発見しよう。てな三段論法からふと映画館の経営を思い立った。
それで早速九条に「宝館」という映画館を建てて私が社長になったが、これが大当たりに当たった。娯楽の少ない時代に映画を見せたのだから当たらないはずはない。新円は毎日ジャンジャン入って来る。この新円を元手して高かろうが安かろうが物資を集めるのだから集まらぬはずがなく、経営にプラスとなった。