掲載時肩書 | 前米GE会長 |
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掲載期間 | 2001/10/01〜2001/10/31 |
出身地 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1935/11/19 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 66 歳 |
最終学歴 | 米国イリノイ大学 |
学歴その他 | マサチュセッツ アマースト |
入社 | GE |
配偶者 | 大学級友 |
主な仕事 | 昇給異議、部下直接指導、CTスキャン、 クレジットC、研修センター |
恩師・恩人 | |
人脈 | 母の躾、幹部教育、後継者選出 |
備考 | 父車掌 |
10月の日経「私の履歴書」はGEの前CEOジャック・ウエルチさんでした。
20世紀の最高の経営者と言われてきた氏の自伝は、非常に読みやすく、エキサイティングな内容でした。著者の驚くべき率直さと曇のない論理、それをストレートに実行に移す行動力には深い畏敬の念を憶えました。
1.家庭環境と母親
一人息子だった彼はドモリのため内向的であったが、母親が「貴方は頭の回転が早いため言葉が追いつかないのよ。心配要らない」と自信を持たせたり、トランプゲームに付き合せ「勝負の面白さと闘争心」を植え付けた。
2.大胆不敵
大学生時代ガールフレンドをデートに誘い、車の中が熱気で曇っているとき見回りの警官に捕まり、パンツ姿の写真まで撮られてしまった。校紀違反で退学処分になるところ「窮鳥懐に飛び込む」心境で苦手な教授に直訴して助けてもらった。
3.評価と報酬
役職員をAランク20%、Bランク70%、Cランク10%の3ランクに分け、Aランクには昇進・昇給・ストックオプションなどの報奨を与えるが、Cランクは辞めてもらうか配置転換をしたという。そのため退職社員から「彼は奴隷のように社員をこき使い、成功しても次の戦場に追いやる」と訴訟されたという。
4.後継者選び
6年の歳月を費やし16人から3人の候補者に絞込み[GEの長所・短所」「日常業務での不満は何か」「自分が会長になった場合最初の1月で何をしたいか」「工場閉鎖・配置転換・解雇問題・M&A」などを徹底して議論し、社外取締役の意見も入れて後任にはジェフ・イメイト氏を選んだ。その際、選ばれなかった二人の有力候補者をGE社内において置くのではなく、涙をのんで退職してもらう行動は、一級の経営者の凄さを見せ付けられた感じがしました。
日経新聞社から「わが経営(上・下)」として現在出版されていますが、その内容を十分の1に縮めたものだと著者は語っています。その本のダイジェスト版として十分堪能できたと私(吉田)は喜んでいます。
氏は2020年3月1日84歳で亡くなった。「私の履歴書」に登場したのは2001年10月で66歳の時でした。私はこの「私の履歴書」に登場した850人ほどの人物をすべて読みましたが、氏の「履歴書」が一番印象に残っています。氏の約20年間のGE在職中に株価を30倍にした手腕は「20世紀最高の経営者」の名声を手にしました。その氏が生い立ちから経営への異色の取り組みを具体的に記述してくれていましたから。私は「私の履歴書」関連書を3冊上梓しましたが、その中に興味深い生き方、経営手法などをその登場人物から自著に引用させてもらいました。その引用は一人では1~2例が普通です。しかし、ウエルチ氏の場合は4例もありました。それは、
1.幼児教育(母親のしつけ)で、吃音症(どもり)のコンプレックスを母親が、「あなたは頭の回転が速いから言葉が追い付かないのよ。心配いらない」と自信を持たせてくれた。
2.辞めさせたい管理職の対応:ABCの3ランクに分け、Aは2割、Bは7割、Cは1割で、Aは昇級やストックオプションを2~3倍に、Cはゼロとして退職を促す法。
3.事業選別の方法:世界で1位か2位になれない事業は売却する選択と集中方式。工場閉鎖や大量解雇をいとわない姿勢から「ニュートロン(中性子爆弾)・ジャック」と呼ばれた。
4.後継者の選択方法:6年の歳月を費やし16人から3人の候補者に絞り込むプロセスを具体的に開示。
これら事例は日本企業では当時考えられなかった経営手法で私はびっくりしたものでした。この記事を担当した記者・勝又美智雄氏(元日本経済新聞:国際教養大学名誉教授)は、IBMのルイス・ガースナー会長をも「私の履歴書」で担当されました。両者を比べて、ウエルチ氏は非常にフランクでウィットに富んだ人物でしたが、ガースナー氏は気難しく、質問時間も制限しプライバシーの質問はなかなか受け付けない人物だったと言われます。ウエルチ氏はインタビュー当時、奥様と親しく二人で歓待してくださったそうですが、この「私の履歴書」登場後の02年に大型離婚で世間を驚かせました。彼女が離婚訴訟でウエルチ氏の引退後もGE特別待遇(高級マンションの住居費、高級ゴルフ場の会員権など)を暴露することになったからです。こんなことになるとは当時思いもしなかったと述懐されました。離婚は怖いですね。
ジャック・ウェルチ Jack Welch | |
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2012年5月13日 | |
生誕 | John Francis Welch Jr. 1935年11月19日 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ピーボディ |
死没 | 2020年3月1日(84歳没) アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク |
出身校 | マサチューセッツ大学アマースト校 (理学学士) イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 (理学修士・哲学博士) |
職業 | 実業家 化学技師 作家 |
活動拠点 | アメリカ合衆国 マサチューセッツ州セイラム |
純資産 | 7億5000万ドル(2006年5月時点[1]) |
肩書き | ゼネラル・エレクトリック会長兼最高経営責任者 (1981年4月 - 2001年9月) |
政党 | 共和党 |
配偶者 | キャロリン・B・オスバーン (1959年11月 - 1987年11月[2]) ジェーン・ビーズリー (1989年4月 - 2003年7月[3]) スージー・ウェットローファー (2004年4月 - 2020年3月[4]) |
ジョン・フランシス・“ジャック”・ウェルチ・ジュニア(英語: John Francis "Jack" Welch Jr.、1935年11月19日 - 2020年3月1日[5])は、アメリカ合衆国の実業家。1981年4月から2001年9月までゼネラル・エレクトリック社のCEOを務め「伝説の経営者」とも称されたが[6]、金融サービス部門への依存や雇用面では批判もあり、近年のGEの衰退を招いた原因と分析されている[7]。