掲載時肩書 | 中外製薬名誉会長 |
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掲載期間 | 2021/08/01〜2021/08/31 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1947/04/21 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 74 歳 |
最終学歴 | 慶應大学 |
学歴その他 | 高校卒業後英国留学 |
入社 | 長期信用銀行 |
配偶者 | 上野公夫娘 |
主な仕事 | 高校卒業時英国留学、英国駐在、中外製薬、バイオ強化、EPO敗訴、社長45歳、国際化、ロシュ提携・傘下(自主経営)、 |
恩師・恩人 | 白洲次郎(父の通産省上司)、バリ-・コーエン |
人脈 | 小林湖人先生、マーチン・ゴードン、フランツ・フーマーCEO 、浅野茂隆先生、岸本忠三先生、嶋緑倫先生、小林陽太郎、 |
備考 | 上野十蔵の入婿が公夫(義父) |
医薬品業界から「私の履歴書」に登場するのは武田薬品の武田國男氏に次いで二人目である。日本の医薬品業界は自己資本比率(60%以上)が高く、外国との資本提携で自主経営が脅かさるのに消極的だったからだ。しかし、現在は世界的な新薬を開発・販売できなければ国際企業として生き残れないため、業界最大手の武田薬品でもTOPにウェバ-社長を迎え、アイルランドのシャイヤー社をM&Aで買収し新薬の品揃えと世界販路の拡大を目指している。かって業界の中堅企業だった中外製薬を永山氏は、2020年の時価総額で01年の30倍にし、業界トップ(中外615、武田531、第一三共383、アステラス295、エーザイ243億ドル)まで企業価値を引き揚げたのだった。海外売上比率は46.8%になるという。これを成し遂げることができたのは、実業家で吉田茂首相の懐刀として活躍した白洲次郎氏と通産官僚であった父親の時雄氏が、懇意であった関係から英国留学を勧められたり、外国生活での外人との日ごろからの付き合い、信頼できる人脈を築いていたのが成果に結びついたのだった。印象に残った記述は下記のとおり。
1.大学研究室の日米比
1980年代だったと思うが、米テキサス大学に行くと、びっくりしたことに学長、医学部長、教授ら10数人が会議室で待ち構えていて「何でも聞いてください」と言う。大学にとって製薬会社は臨床試験をやってもらう「お客さん」でもある。医学、生命科学の研究内容は1冊の本に纏められ、誰がどんな研究をしているかすべて書いてあった。各項目ごとにチエック欄があり、チエック済みのものは既に他社と組んでいるという。それ以外ならどれでも共同研究をしましょうと持ちかけてきた。このスタイルは最近でも同じだ。
日本はどうか。当時は有名大学でも、隣の研究室が何をしているかほとんど知らなかったのではないか。医学部の研究者に面会を申し込むと興味のあるテーマなら会ってくれるが、せいぜい一対一だ。米国の方が、産学共同研究が非常にシステマチックだった。
2.産学連携で研究側と企業側の意識の違い
大阪大学の岸本忠三先生のグループが免疫機能で重要な役割を持つたんぱく質「IL-6」(インターロイキン6)を発見したのは1986年。岸本先生とともに90年ごろまで基礎研究に取り組み、IL-6受容体に対する抗体を薬として使えるかもしれないところまできた。97年に臨床試験を始めることになったが、その前に国の基準を満たした施設や設備、ものづくりの体制を整える必要があり多くの時間と設備投資を要する。大学の先生は直ぐに薬をつくれると考えがちだ。この意識の違いが産学連携の難しいところだ。
大学から「中外は仕事が遅い」と言われ、私も観念して「では、先生方が希望していることは全部やりましょう」と応じた。臨床開発要員を増やす。工場もつくる。工場の設計、建設、評価には4~5年かかる。そのため、上市後を見据え、売上のピーク時を想定して抗体を大量生産できるようにする必要がある。
会社に戻り担当専務に話すと「ご英断ですが、いくらかかると思いますか」と。私は300億円ぐらいで済むと思っていたが、700億円くらいかかるという。社運を賭けるような話だった。
3.スイス・ロシュとの資本提携「エンド・ゲーム・ペーパー」(お互い譲れない骨子内容)
この交渉と成功は永山氏と永年に培ったフランツ・フーマーCEOとの信頼関係に基づくものであった。2002年に始まった中外モデルの戦略的提携内容は、①中外製薬の経営の独立性の保証、②日本における上場維持、③日本ロシュの中外製薬による買収を条件として、ロシュは中外製薬の株式の50.1%以上を取得して連結子会社とすることを骨子としている。これにより、中外製薬は新薬候補の早期臨床試験までを担う。後期の大規模試験と海外販売はロシュに任せる。ロシュは有望な薬が中外から手に入るし、日本においては中外の販売力でロシュ品を市場展開できる。つまり双方に利点があるのだった。
日本では、内なる国際化である対日の受け入れには及び腰だ。対日投資があれば、日本の成長は加速したのではないかと思っている。
ながやま おさむ 永山 治 | |
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生誕 | 1947年4月21日(77歳) 日本・東京都 |
出身校 | 慶應義塾大学商学部 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1971年 - |
団体 | ロシュグループ |
肩書き | 株式会社東芝取締役会議長 |
任期 | 2020年 - 2021年 |
配偶者 | 既婚 |
親 | 永山時雄(父) |
親戚 | 上野十蔵(妻の祖父) 上野公夫(妻の父) 上野幹夫(妻の弟) 石井良助(母の姉の夫) |
永山 治(ながやま おさむ、1947年〈昭和22年〉4月21日 - )は、日本の実業家。中外製薬株式会社創業者上野十蔵の孫の夫で、同社代表取締役社長を経て、株式会社東芝取締役会議長を務めたが、株主総会で再任が否決され解任された[1]。