掲載時肩書 | 作曲家 |
---|---|
掲載期間 | 2023/02/01〜2023/02/28 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1945/03/04 |
掲載回数 | 27 回 |
執筆時年齢 | 77 歳 |
最終学歴 | 慶應大学 |
学歴その他 | 暁星 |
入社 | レコード店開業 |
配偶者 | 大橋一枝、後妻・弥生 |
主な仕事 | ALFA MUSIC設立、エメラルドの伝説、パリ、NY進出,翼をください、虹と雪のバラード、A&M提携 |
恩師・恩人 | 山上路夫、YMO(細野晴臣・坂本龍一・高橋幸宏) |
人脈 | 幸四郎・吉右衛門(兄弟)、大野雄二、森山良子、沢田研二、加橋かつみ、安井かずみ、阿久悠、河上源一、荒井由実、勝新太郎、古垣鉄郎 |
備考 | クリスチャン |
氏は作曲家として、山田耕筰、古賀政男、服部良一、吉田正、船村徹、遠藤実、團伊玖磨、小椋佳、服部克久の諸氏に次いで10番目の「私の履歴書」登場である。私(吉田)と同世代の音楽家の活動やその舞台裏を語ってくれていたので楽しく読むことができた。
1.グループ・サウンズ(GS)の台頭で「エメラルドの伝説」
日本の音楽界には専属作家制が残っていた。レコード会社が専属の作詞、作曲家を抱える制度だ。1960年代後半、この制度が崩れてフリーの作家たちが台頭し始めた。背景にはGSのブームがあった。ビートルズの来日が追い風になり、スパイダースやタイガースといった洋楽を志向する「和製ポップス」のバンドが旋風を引き起こしたのだ。
作詞家は山上路夫、阿久悠、なかにし礼、橋本淳、安井かずみ、作曲家はすぎやまこういち、鈴木邦彦、筒美京平・・。そこに最も若い作曲家として、僕の名前も加わることになった。僕が作曲した「エメラルドの伝説」(68年6月販売)はテンプターズにとって3枚目のシングルだった。その頃の銀座ライブハウスでは、音楽ファンは若い女性客が多く、音楽に悲鳴を上げるほどの熱狂だった。それで僕は「エメラルドの伝説」のサビを少女がキャーと叫ぶようなメロディーにした。そこになかにし礼さんが「会いたい 君に会いたい」という詞をつけた。ショーケンこと萩原健一が手を差し出しながらこのフレーズを歌うと、案の定というべきか、少女たちは絶叫した。
2.山上路夫と「翼をください」
9歳年上の「ガミさん」こと、作詞家の山上路夫さんと多くの曲を書いた。トワ・エ・モアの歌でヒットした「ある日突然」や森山良子の「雨あがりのサンバ」から半世紀余りコンビを組んできたことになる。多くの人に愛され、長く歌い継がれる日本のスタンダードソングを作ろう。そんな夢を抱いて一緒にアルファミュージックを設立した。その夢を「翼をください」が叶えてくれた。
初演は1970年11月の合歓ポピュラーフェスティバル70だった。ガミさんは赤い鳥のために「希望」という詞を書いてきたが、僕が曲を付けると「これでは詞が曲に負けている」と言って新しい詞を書き始めた。本番4時間前に仕上がってきたのが「翼をください」だった。僕は楽屋で赤い鳥に楽譜を渡し、大急ぎでリハーサルしたのを覚えている。この曲は教科書に載り、もともと赤い鳥のために書いた合唱曲ということもあって合唱コンクールで歌われるようになった。98年の長野五輪で元赤い鳥の山本潤子が歌い、2021年の東京五輪ではスーザン・ボイルの歌う英語詞版が流れた。これまでカバーした歌手は国内外を合わせて数百人は下らないだろう。
3.勝新太郎さんから映画音楽に
勝さんから「実は初めて監督をやることになってね。音楽は村井さん、あなたにやってもらいたい」の要請があった。勝さんはもともと長唄三味線方、杵屋の若旦那であり、趣味がよく10年来の付合いとなった。勝さんの初監督作品「顔役」(71年)の音楽は最新設備のアオイスタジオで録音した。勝さんの付き人が3人掛かりで大型のアイスボックスを運んできたから驚いた。野外ロケで使っているものだという。水や氷だけでなくビールやウィスキーもぎっしり詰まっている。
「一杯やらないか」。30人ほどいた演奏家に勝さんが声を掛けた。最初は遠慮していた演奏家たちも録音が進むにつれて打ち解けて、4時間後には全員ができあがってしまった。僕のキャリアで空前絶後の「飲酒録音」になった。76年に始まった勝さん主演「新・座頭市」(フジテレビ)の主題歌と挿入歌は、石原裕次郎さんが歌うことになった。僕とガロのトミーこと日高富明が共作した「不思議な夢」(作詞:なかにし礼)が主題歌に、僕が「顔役」のために書いた器楽曲になかにしさんが詞をつけた「野良犬」は挿入歌に決まった。
新橋にあったテイチク会館のスタジオで歌入れをした。例のアイスボックスが再び運び込まれた。今度は裕次郎さんのと2つだからスタジオには入りきれず廊下に置いた。勝さんと裕次郎さんが調整室でいきなりウィスキーを飲み始めた。映画界を憂う二人の話は延々と続き、僕はスタジオ料金が気になったが、横で拝聴するしかなかった。
「さぁ、やるか」。2時間後に裕次郎さんが腰を上げた。僕がピアノで曲を教えると裕次郎さんは恐ろしいスピードで完璧に覚えてしまい、歌もうまいから録音はあっという間に終わった。
4.古希祝の「アルファ同窓会」
2000年には音楽出版社NEMを米国大手のBMGに売却し、売却益で経済的にも安定した。当時55歳。今後は作曲に専念しようと心に決めた。70歳(2015)を迎える年、ユーミンこと松任谷由実が「村井さんの古希祝にコンサートをやりましょう」と言った。細野晴臣、高橋幸宏らアルファの面々が集まることになった。いわば同窓会ライブだ。アルファミュージックライブと銘打って15年9月、2夜にわたって渋谷のオーチャードホールで公演した。
まずユーミンが現れて加橋かつみを紹介した。加橋はユーミンの最初の作品「愛は突然に」と69年にパリで録音した僕の曲「花の世界」を歌った。どちらもアルファの誕生のきっかけになった歌だ。僕は一気に45年前のパリへとタイムスリップしてしまった。
吉田美奈子の紹介で元赤い鳥の紙ふうせんが歌い、服部克久さんの紹介で雪村いづみさんが歌う。ユーミンは往時のようにキャラメル・ママをバックに「ひこうき雲」「中央フリーウエイ」を歌った。僕もステージに上がった。坂本龍一の代わりにYMOに入り、細野、幸宏と共演するという趣向だ。「ライディーン」をラテン調に編曲してピアノを弾いた。最後は僕が山上路夫さんと書き下ろした「音楽を信じるーWe believe in music」だった。小坂忠と娘エイジアが歌い、僕がピアノを弾いた。アンコールでは懐かしい「美しい星」を僕がピアノで弾き語りをした。まさに奇跡のような2日間で、忘れられない思い出となった。
村井 邦彦 | |
---|---|
生誕 | 1945年3月4日(79歳) |
出身地 | 日本・東京 |
学歴 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
ジャンル | ポップス グループ・サウンズ フォークソング |
職業 | プロデューサー、作曲家、編曲家 |
活動期間 | 1967年 - |
レーベル | アルファレコード |
事務所 | ソニー・ミュージックパブリッシング |
共同作業者 | トワ・エ・モワ 赤い鳥 ザ・テンプターズ ザ・モップス ハイ・ファイ・セット GARO 荒井由実 紙ふうせん ほか |
公式サイト | https://web.archive.org/web/20230224115513/https://www.kunimurai.com/ |
村井 邦彦(むらい くにひこ、1945年〈昭和20年〉3月4日 - )は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。アルファレコード(現在のソニー・ミュージックパブリッシング、およびソニー・ミュージックレーベルズ)創立者。
ザ・テンプターズ、ザ・モップス、ザ・タイガース、ピーター、赤い鳥、辺見マリ、トワ・エ・モワ、ヴィッキーらのヒット曲で知られている。代表曲には「エメラルドの伝説」[1]「夜と朝のあいだに」「廃墟の鳩」「朝まで待てない」「経験」「翼をください」「虹と雪のバラード」などがある。
アメリカ合衆国・ロサンゼルス在住[2][3]。居住するロサンゼルスの小学校の合唱団が「翼をください」を歌うのを聴いて涙が止まらなかったのは、加齢により涙もろくなった所為かも知れないと村井は書いている[3]。
息子のヒロ・ムライはアメリカで活躍する映像作家、映画監督で、2018年のグラミー賞最優秀ミュージック・ビデオを受賞した。