掲載時肩書 | 囲碁棋士、名誉棋聖 |
---|---|
掲載期間 | 2020/06/01〜2020/06/30 |
出身地 | 北海道 |
生年月日 | 1952/09/10 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 67 歳 |
最終学歴 | 高等学校 |
学歴その他 | |
入社 | 木谷實道場に内弟子 |
配偶者 | 木谷先生三女(禮子) |
主な仕事 | タイトル60個:歴代3位、名誉称号(棋聖、名人、碁聖)、土曜木谷会、鳳雛戦 |
恩師・恩人 | 早勢勝美、木谷實 |
人脈 | 大竹英雄、加藤正夫、石田芳夫、武宮正樹、趙治勲、酒井猛、与謝野馨、 |
備考 | 仲人:梶原武雄 |
この「履歴書」に登場した棋士は橋本宇太郎(囲碁9段、王座:57年5月掲載)、瀬越憲作(名誉9段:58年12月)、高川格(名誉9段、本因坊:61年5月)、坂田栄男(名人、王座、本因坊:64年10月)、藤沢秀行(王座:93年2月)、林海峰(名誉天元:03年7月)、大竹英雄(名誉棋聖:13年7月)の7名でしたので彼を入れると8名になる。(木谷道場の門下生は大竹と小林)
ライバル:小林が12歳で木谷實九段の内弟子になった最初の日に、腰におもちゃのピストルをぶら下げた子供が部屋や廊下あたりを走り回っていた。彼は近所の子が紛れ込んだと思っていたが、これが当時8歳でのちにタイトル戦でライバルとなる趙治勲(後の二十五世本因坊治勲)だった。この子とすぐに対局すると碁石は黒を持たされ、完敗で悔しい思いとプロの実力の違いにショックを受けた。そして、来る日も来る日も棋譜を並べ続け、碁石を挟む人差し指の爪がすり減って、それ以降、40年以上、爪を切らなくて済んだ。入門して半年で治勲さんを抜けたときは気持ちよかったと書いている。
年間対局数:棋士人生で最も忙しかったのが40歳の92年だった。3つの防衛戦(棋聖戦、碁聖戦、名人戦)に加え、3つのタイトル挑戦(十段戦、本因坊戦、王座戦)の上に、棋聖戦ではシドニー、名人戦ではアムステルダムと海外対局もあり、大変なハードスケジュールだった。年間の対局数は66局。タイトル戦は2日制21局を含む34局。延べ54日のタイトル戦を戦っていた。「7番勝負を一つ戦っただけでボロボロになる」と坂田名誉本因坊の言葉どおりだったという。計算すると1週間に1回は対局していたことになる。そのため、体力づくりにジョギングを2日に1回、月に80キロを6年間、その後はテニス、そして今はゴルフ。ゴルフハンディもシングルになったそうで、こちらの素養もある。
囲碁AI:世界囲碁大会で日本は中国や韓国に負け続けているが、2016年3月に世界トップ級の韓国棋士がアルファ碁というAIに敗れ、立場が逆転した。その後は中国、日本でも強いAIが次々と登場している。強いAIで驚かされるのは全体的な急所を見極める力だ。人間だと手の流れを重視しがちだが、AIは場面ごとに一番の急所を突いてくる。値打ちの高い手を打ち続けることで、自然に優勢を確立するのだと書く。そして、AIの棋譜を並べていて思い出すのが江戸時代の本因坊秀策の棋譜だ。難しい戦いは避けながら、いつの間にか優勢を築いているというすごい碁で、トップクラスのAIの打ち方に似ている。それにしても素晴らしい棋譜は何度並べても興奮するという。
木谷道場門下生:プロ棋士は50人を超えるが、7大タイトル通算獲得数トップの趙治勲(64歳)75回、4位の小林光一(67歳)60回、5位の大竹英雄(78歳)48回、6位の加藤正夫(故人)47回、7位の張栩(40歳)40回など俊秀が揃っている。他に三羽ガラスの本因坊5連覇の記録を持つ石田芳夫、宇宙流で一世を風靡する武宮正樹といったそうそうたる面々がいる。この木谷一門の弟子たちの合計段位が100段のとき祝賀会(1962)、そして200段祝賀会(1970)を行ったと大竹英雄が2013年に書いてあるから、すさまじい人材輩出ぶりである。ライバルの趙は三大棋戦(棋聖、名人、本因坊:7番勝負:高額賞金)を井山裕太棋聖と共に獲得しているが、小林は本因坊に届かなかった。それにしても小林は67歳、趙は64歳、井山は31歳、まだまだタイトル数を伸ばすことだろう。
小林光一 名誉三冠 | |
---|---|
名前 | 小林光一 |
生年月日 | 1952年9月10日(72歳) |
プロ入り年 | 1967年 |
出身地 | 北海道旭川市 |
所属 | 日本棋院東京本院 |
師匠 | 木谷實 |
名誉称号 | 名誉三冠 |
名誉称号 | 名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖 |
概要 | |
タイトル獲得合計 | 60(歴代4位) |
七大タイトル合計 | 35(歴代3位) |
七大タイトル | |
棋聖 | 8期 (1986-93) |
名人 | 8期 (1985・88-94) |
本因坊 | 挑戦者 (1982・90-92) |
王座 | 挑戦者 (1985・92) |
天元 | 5期 (1976・85-86・98-99) |
碁聖 | 9期 (1988-93・99・01-02) |
十段 | 5期 (1984-86・99-00) |
世界タイトル | |
富士通杯 | 優勝 (1997) |
小林 光一(こばやし こういち、1952年9月10日 - )は、囲碁のプロ棋士。名誉棋聖、名誉名人、名誉碁聖。北海道旭川市出身。東京都小金井市在住。木谷實九段門下。日本棋院東京本院所属。前妻の小林禮子(1996年逝去)との間に一男一女、後妻との間にも子どもがいる。長女小林泉美、娘婿の張栩、孫の張心澄、張心治もプロの囲碁棋士。門下に河野臨、大矢浩一、酒井真樹、大木啓司、金澤秀男、桑原陽子、穂坂繭がいる。
タイトル獲得数歴代4位。棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇など、数々のタイトル連覇記録を樹立し、3つの名誉称号を持つ。棋道賞「最優秀棋士賞」7回(歴代2位タイ記録)、秀哉賞7回。6年連続賞金ランキング1位(1988-1993)。史上3人目の通算1400勝達成。