古垣鉄郎 ふるかき てつろう

行政・司法

掲載時肩書日本ユニセフ協会会長
掲載期間1976/09/19〜1976/10/15
出身地鹿児島県
生年月日1900/09/20
掲載回数26 回
執筆時年齢76 歳
最終学歴
仏国リヨン大学
学歴その他一高
入社国際連盟事務局
配偶者妻33歳死別、再婚24歳
主な仕事国際連盟7年、朝日新聞18年、NHK10年、駐仏大使5年、外務省顧問、ユニセフ
恩師・恩人佐藤尚武 ユニセフ会長
人脈木谷信胤、大屋晋三、鹿島守之助、矢代幸雄、田中耕太郎、小坂善太郎、石橋正二郎、ドゴール大統領、シラク首相
備考世界的に人脈あり
論評

1900年(明治33年)9月20日 – 1987年(昭和62年)3月8日)は鹿児島生まれ。ジャーナリスト、外交官。第一高等学校を卒業したのち、島津奨学資金の援助でフランス共和国のリヨン大学法学部へ留学し同校を卒業した。1923年(大正12年)からジュネーブに駐在し国際連盟事務局情報部に勤務した。1929年(昭和4年)に国際連盟事務局を退職し、同年に朝日新聞社に入社してロンドンとパリに在住し、論説委員としてロンドン支局長、欧米部長、ヨーロッパ支局長などを務めた。1956年(昭和31年)6月に任期満了によりNHK会長を退任するが、その後にNHK名誉顧問に就任した。駐仏大使にも5年間就任した。

1.テレビ放送開始
昭和28年(1953)2月1日、日曜午後2時、日本の空に初めてテレビの電波がNHKによって正式に発射された。その開局記念式は、内幸町放送会館からでNHK会長の私の第一声から始まり、ついで緒方竹虎副総理、高瀬郵政大臣、大野衆議院議長、佐藤(尚武)参議院議長らの祝辞が続いた後、尾上梅幸尾上松緑、阪東三津五郎による「道行初音旅」を鑑賞した。
 式が終わると真っ先に在京のNHK部課長を集めてお礼を述べた。午後4時から東京会館でささやかな祝宴が催された。徳川夢声水谷八重子らの諸氏も加わり、いずれもアドリブの名調子を聞かせてもらった。

2.駐仏大使で赴任
昭和31年(1956)1月末、私は羽田空港から南回りで任地パリ行きのフランス航空機で東京を飛び立った。国際線のロビーに詰めかけた多数の見送り客の顔が未だに鮮明に思い出される。全日空の美土路昌一氏(後の朝日新聞社長)や一高時代の同級生、川端康成君や桧垣文市君(前安田火災保険社長)、NHK時代の知友、伊東深水、久保田万太郎、金田一京助、菊田一夫、藤原義江夫妻の諸氏や村岡花子さんらの顔が走馬灯のように浮かぶ。
 いよいよ搭乗の時間が告げられる。大勢の親しい先輩や友人たちと別れを惜しみつつ、飛行機へ向かう。その瞬間、私たちは驚いて立ち止まった。見送りデッキでN響楽団員百余人が楽器持参で待機しているではないか。全く予想しない私たちへの送別演奏が開始された。私と妻はこの心優しい惜別に涙した。

3.ドゴール大統領と親交
第一次世界大戦後、7か年のジュネーブの国際連盟時代、これに続いた朝日新聞勤務の18年間、それから第二次世界大戦後のNHKの10か年を終えて、半年間の浪人生活を送った。そして駐仏の5年間。1958年(昭和33)秋、私は初めてドゴール将軍とさしで話し合った。既に翌年1月から名実ともに大統領になることが決定した上での首相在任中だった。
 ドゴール将軍はソ連の脅威が独仏の接近を切実に促したと強調したが、他方では米ソが強大無比のその軍事力を振りかざして、世界に君臨しているような現在の国際関係を強く批判していた。また、日本がその貿易の三分の一をアメリカに依存していては到底日本の真の独立も自由も保守できないのではないかとの懸念を漏らしていた。最後に、ドゴール首相は「いつでも、なんでも、お困りの時は遠慮なく申し出られたい」と温かい手を差し伸べた。それから10数年、ドゴール家と家族ぐるみの交際は、大統領時代はもとより、引退後も、そして草深いコロンベイの丘で80歳の息を引きとってから後も、連綿と続いている。

4.忘れ得ぬ人々
私のパリ駐在時代には親友天才画家ビュッフェの結婚披露、モナコのレニエ大公と船舶王オナシスのけんかの仲裁、藤田嗣治、荻須高徳画伯らの在仏日本人画家の作品を集めた「日本美術展」や邦人音楽会の開催など思い出は尽きない。中でも高松宮ご夫妻殿下のご来訪と、今は亡きウィンザー公とのパリの出会いは忘れようとて忘れ得ぬ出来事だった。

古垣鉄郎
ふるかき てつろう
1953年頃
生年月日 (1900-09-20) 1900年9月20日[1]
出生地 鹿児島県日置郡日置村大字日置(現日置市日吉町日置[1]
没年月日 (1987-03-08) 1987年3月8日(86歳没)[1]
出身校 リヨン大学[1]
前職 国際連盟事務局情報部員
朝日新聞論説委員
称号 レジオンドヌール勲章(フランス)[1]イギリスCBE勲章[1]アルメリトグランウフイチアーレ勲章(イタリア)[1]勲一等瑞宝章[2]

在任期間 1946年5月18日 - 1947年5月2日
テンプレートを表示

古垣 鉄郎(ふるかき てつろう、1900年明治33年)9月20日 - 1987年昭和62年)3月8日)は、日本のジャーナリスト外交官。筆名は中馬 藤十郎[3]

  1. ^ a b c d e f g 古垣 鉄郎 フルカキ テツロウ”. コトバンク. 日外アソシエーツ (2004年7月). 2015年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月8日閲覧。
  2. ^ 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦後の部)”. 中野文庫. 2015年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月8日閲覧。
  3. ^ 古垣 鉄郎”. 徳富蘇峰記念館. 徳富蘇峰記念塩崎財団. 2015年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月8日閲覧。
[ 前のページに戻る ]