鈴木英夫 すずき ひでお

商業

掲載時肩書兼松名誉顧問
掲載期間1996/02/01〜1996/02/29
出身地静岡県
生年月日1922/01/04
掲載回数
執筆時年齢74 歳
最終学歴
一橋大学
学歴その他東商予
入社兼松
配偶者医師の娘
主な仕事特攻生還、名文、ニュージランド6月休養、NY(手旗信号),兼松・江商 合併、NY社長
恩師女の三張り
人脈芹沢光治良、井上靖、大賀典雄、 室伏稔(沼中)
備考絵画・詩 川柳歌舞伎
追悼

氏は’18年10月28日、96歳で亡くなった。新聞に発表されたのは11月末で、氏がこの「履歴書」に登場したのは1996年2月で74歳でした。 氏は広島の大竹海兵団所属で、特攻隊員として九死に一生を得た経験の持ち主でした。その特攻隊の出撃前夜の状況を詳しく書いています。
昭和20年(1945)4月特攻隊志願書に署名し、出撃の順番を待つ身となった。今日は自分の名前が呼ばれるか、今日はなかったから明日か?そんな運命の日を待つ毎日だった。毎夕、五時、翌朝発信の特攻隊編成表が発表される。白い巻紙が壁に張られる運命の一瞬、全員の目は釘づけとなる。異様な声が渦まき、隊内は騒然となる。指名された者の周りに人が集まるが、彼はじっとしてはおられない。残りの人生が一挙に凝縮されてしまったのだ。
やがて別れの盃が交わされる。灯火管制の暗幕がひかれた部屋の中で冷や酒を前において遺書を書き直す者、行李を開けて整理する者、伊藤はローソクに火をつけて、許婚者の写真を火にかざした。「もう一度見せろ」と言う戦友の声に答えず、写真はメラメラと燃え上がった。伊藤の目にはその炎が映っていた。 酒がまわると歌がでる。「同期の桜」がいつまでも続く、肩を組む者、手をつなぐ者、何人かの目には涙が光っている。やがて飛行場からエンジンを暖める暖機運転の音が響いてくる。夜明けが近く発進の時間が迫ったことを知らされる。
まだ世が明けきらぬ早朝、征く者、送る者全員が指揮所に集合する。冷たいアルミの湯飲みに冷や酒が注がれ乾盃をする。特攻隊整列の号令がかかる直前、ハプニングが起きた。出撃する石田がモジモジし始めた。彼は襟元から何かつまみ出した。「虱だ、つれて征くのも可哀そうだ、面倒見てくれ」。彼はそれを戦友の首筋に落とした。「じゃあ、征くぞ」。きりっとした顔から白い歯をのぞかせて敬礼すると、くるりと踵を返して去っていった。
緊張した出撃の一瞬にこのユーモアがあった。氏の鋭い観察眼と友への熱い友情と惜別の情がにじむ。それだけに戦争の非情さと残酷さが浮き彫りになった表現でした。

すずき ひでお
鈴木英夫
生年月日 (1916-05-10) 1916年5月10日
没年月日 (2002-05-02) 2002年5月2日(85歳没)
出生地 愛知県蒲郡市
職業 映画監督
配偶者 美鳩マリ
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鈴木 英夫(すずき ひでお、1916年5月10日 - 2002年5月2日)は、日本の映画監督愛知県蒲郡市出身。スリラーサスペンスの名手とされ、最晩年に再評価された。

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