谷口吉郎 たにぐち よしろう

建築

掲載時肩書建築家
掲載期間1974/02/01〜1974/02/26
出身地石川県
生年月日1904/06/24
掲載回数26 回
執筆時年齢70 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他四高
入社日大講師
配偶者佐野教授友娘・松井絹子
主な仕事風圧研究、水力実験室、慶應幼稚舎設計、藤村記念堂、ホテルオークラ、山種・出光美術館、国立博物館(東洋館)、明治村設計、各地記念碑
恩師・恩人佐野教授
人脈室生犀星、徳田秋声、泉鏡花、土川元夫(級友)、小泉信三、島崎藤村、イサムノグチ、松永安左衛門、木下 杢太郎、川端康成
備考九谷焼窯元
論評

1904年(明治37年)6月24日 – 1979年(昭和54年)2月2日)は石川県生まれ。昭和期の建築家である。東宮御所、帝国劇場の設計者、庭園研究者、東京工業大学教授。子の谷口吉生も建築家である。明治建築の代表作である鹿鳴館が取り壊される様子を山手線の車中から見て残念に思ったことが、後年「博物館明治村」の構想につながったという。当時の名古屋鉄道副社長・土川元夫と意見が合い、明治村開館のために尽力した。谷口と土川は金沢・四高の同級生で親友であった。人柄から多くの有名人脈を持つ。

1.育った環境
私は九谷焼の窯元に生まれ、両親の寛容のもとに成長した。父と母は謡と茶をたしなみ、私は父母に連れられ、加賀宝生の能舞台を見に行ったこともある。小学生のころ、父は片町の職場から住まいだけを寺町に移したが、その庭に加賀藩家老の横山家にあった茶席「一種庵」を移し、父母は客を招いてよく茶会を催していた。金沢にはこのように、茶と能が家庭に普及していた。しかし、父母は私にそのけいこを強要しなかった。それにもかかわらず、茶と能は父母を通して、私の美的センスに感化を与えていると思う。

2.多くの墓碑設計にご縁があった
どうしたわけか、墓碑を設計することが多く、よくその質問をされるが、その総数は私自身もはっきりしない。名を挙げてみると、島崎藤村記念堂、原爆詩人の原民喜さん、詩人の薄田泣菫、木下杢太郎、火野葦平、新渡戸稲造、日夏耿之介、吉川英治、永井荷風、室生犀星さんのほか、正宗白鳥、尾崎士郎中山義秀、それに亀井勝一郎、佐藤春夫、志賀直哉、吉田富三、吉屋信子さんなどである。ご生前に親しくしていただいた方々であったり、ご遺族からの依頼によるものなので、心から哀悼心を込めて、取り組んだのです。
 昭和34年(1959)には東京の九段近くに「千鳥ケ渕戦没者墓苑」が落成した。これは「無名戦士の墓」である。お堀端の水面が美しく見え、樹木の茂った敷地に六角堂が建てられた。その地下に19万体の遺骨が納められている。しかし、日本の国情では国の納骨堂は宗教施設ではない。だが、参拝する人々は脱帽し、瞑目し、涙を流す。そのための私の設計は無宗教の施設であっても、哀悼心に応じなければならぬ。

3.軽井沢の長屋(絵画教室)
10軒の家族が集まって「長屋」を建てた。各家族は連続した狭い部屋に住んでいるから、文字通りの長屋である。この長屋の家族は日曜画家だったので、「画架の森」と名付けた。場所は軽井沢の鱒池近く。
 長屋の住人を紹介すると、まず画家の猪熊弦一郎夫妻、これは私たちの絵の先生で、以下の家族はその弟子である。服部良一さんはご存じの作曲家。次に森清氏、国務大臣になられた方。そして真珠王三世の御木本美隆さんらで、私は大工として加わっている。昭和30年(1955)のことであった。
 この森のお祭りには子供たちも参加して、野外パーティの飾りつけや点灯の色などにアイディアを出す。夜はたき火を囲んで、服部良一作曲の「森の歌」をうたう。こんな共同生活の楽しさと美を分かち合った。

4.明治建築の保存(旧友の友情に感謝しきり)
私は早くから明治建築の保存を望んでいた。戦争中は空襲によって破壊され、それを免れたものも戦後には、惜しげもなく取り壊された。私は「移築保存」を実行したいと考え、それを四高時代の旧友であった土川元夫氏に話して協力を求めた。彼は私の提案を了解し、重役会を説得して、犬山市の郊外に広大な土地を提供してくれた。私はそこに野外博物館を造る計画を立案し、昭和38年(1963)には財団法人、同40年には「博物館・明治村」が開設された。村の村長には徳川夢声さんに、石坂泰三さん、田村剛さん、高橋誠一郎さんにはご指導を、そのほかご意見番として木村毅さん、渋沢秀雄さんなどそうそうたる方々にご尽力いただいたのでした。旧友とご協力をいただいた方々には心から感謝しているのです。

谷口吉郎
生誕 1904年6月24日
大日本帝国の旗 日本 石川県金沢市
死没 (1979-02-02) 1979年2月2日(74歳没)
日本の旗 日本 東京都港区
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学
職業 建築家
子供 谷口吉生
受賞 日本建築学会賞作品賞
(1949年、1956年)
毎日出版文化賞(1957年)
日本芸術院賞(1961年)
文化勲章(1973年)
所属 谷口吉郎建築設計研究所
建築物 藤村記念堂
秩父セメント第2工場
東宮御所
東京国立博物館東洋館
東京国立近代美術館
名鉄バスターミナルビル
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谷口 吉郎(たにぐち よしろう、1904年明治37年)6月24日 - 1979年昭和54年)2月2日)は、昭和期の建築家である。東京工業大学名誉教授

石川県金沢市出身。東宮御所帝国劇場の設計者、庭園研究者。子の谷口吉生も建築家である。女婿に納屋嘉治(宗淡)・淡交社社長。金沢市名誉市民第1号。

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