蜷川幸雄 にながわ ゆきお

映画演劇

掲載時肩書演出家
掲載期間2012/04/01〜2012/04/30
出身地埼玉県
生年月日1935/10/15
掲載回数
執筆時年齢77 歳
最終学歴
高等学校
学歴その他開成高
入社青俳
配偶者女優 真山知子
主な仕事舞台、映画、演出、現代人劇場、シエ ークスピア、ギリシャ劇、芸術監督
恩師岡田英二 仲人
人脈木村功、西村晃、倉橋健、阿部公房、蟹江、唐十郎、清水邦夫、石橋蓮司、幸四郎、平、栗原、
備考
追悼

氏は’16年5月12日に80歳で亡くなった。この「履歴書」に登場したのは2012年4月で77歳の時であった。この「履歴書」に登場した映画監督、舞台監督、演出家、脚本家は衣笠貞之助、木下恵介、市川崑、山田洋次、今村昌平、篠田正浩、新藤兼人、蜷川幸雄と倉本聰の9人である。

氏は開成高校卒業後、劇団青俳に入り、俳優となった。1968年、現代人劇場を結成し、翌年演出家でデビューした。74年には東宝の商業演劇に進出。美空ひばりや森進一の演歌、ロック音楽などを取り入れ、強烈な視覚効果で観客を酔わせる舞台で成功を収めた。その後、珍しかった日本語演劇の海外公演を重ね、87年にロンドンのナショナル・シアターで「NINAGAWAマクベス」が絶賛されるなど、国際的にも評価を確立した。

高校で落第、画家を志して東京芸大受験も失敗、俳優を目指しても目が出ない。太地喜和子から「テレビの水戸黄門に出ていたのを見たわよ。お願いだから、俳優をやめてちょうだい」と言われ、俳優をやめ演出家になる。挫折と孤立をかみしめ、独学で映画を研究し読書に耽った。世に受け入れない怒りを力に変え、前例のないアイデアを生み出した。桜吹雪、大階段、緋毛氈の絨毯、石の雨、赤い月などであり、「ぼくの演出する舞台は開幕からの3分を大切にする。懸命に働いた人たちが夢を見ようと足を運ぶところが劇場だ。幕が開いたとたん眠気に襲われる芝居であってはならない。そう戒めている」と書いている。

苦労雨が美しい虹に
落第 落第続きで発奮独学
にながわ ゆきお
蜷川 幸雄
蜷川 幸雄
文化勲章受章に際し文部科学省から公表された肖像写真
生年月日 (1935-10-15) 1935年10月15日
没年月日 (2016-05-12) 2016年5月12日(80歳没)
出生地 日本の旗 日本埼玉県川口市本町
死没地 日本の旗 日本東京都
血液型 A型[1]
職業 演出家映画監督俳優
ジャンル 舞台、映画、テレビドラマ
活動期間 1955年 - 2016年
活動内容 下記参照
配偶者 蜷川宏子(真山知子)
著名な家族 蜷川実花(長女)
ピカソ利光(親戚)
公式サイト ニナガワカンパニー
テンプレートを表示

蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2016年5月12日)は、日本演出家映画監督俳優位階従三位勲等文化勲章桐朋学園芸術短期大学名誉教授文化功労者

桐朋学園大学短期大学部芸術科教授彩の国シェイクスピア・シリーズ芸術監督Bunkamuraシアターコクーン芸術監督、桐朋学園大学短期大学部学長(第6代)、桐朋学園芸術短期大学学長(初代)、桐朋学園芸術短期大学芸術科特任教授などを歴任した。

  1. ^ 蜷川幸雄(にながわゆきお)の解説”. goo人名事典. 2019年11月17日閲覧。
[ 前のページに戻る ]