荒蒔康一郎 あらまき こういちろう

食品

掲載時肩書キリンビール元社長
掲載期間2015/09/01〜2015/09/30
出身地中国奉天
生年月日1939/11/15
掲載回数
執筆時年齢86 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他
入社キリン
配偶者親戚紹介
主な仕事研究所、多角化事業、米国Cal留学、小岩井出向、ヨーグルト開発、医薬事業社長、ビール社長、
恩師・恩人有馬啓教授
人脈アムジェンEPOと合弁、佐藤社長、人脈少ない
備考
論評

キリンビールでこの「履歴書」に登場したのは、時国益夫、佐藤安弘と荒蒔の3人である。アサヒビールも既に山本為三郎、樋口廣太郎、瀬戸雄三の3人であったから今回同格となった。ビールシエアに関してはお互いがライバル意識を丸出しにして、キリンはアサヒを、アサヒはキリンをやり玉に挙げて社員の士気を鼓舞しているのが微笑ましい。樋口廣太郎はシエアが10%近くまで落ち込んだ挽回策で、佐藤安弘はそのアサヒにシエアを奪回された後、傍流の子会社から抜擢されて社長に就き、巻き返す指揮を執った。佐藤は、ある日商品開発担当の女性社員が一人で社長室にやってきた。彼女は「アサヒに負けて本当に悔しいなら、ここで泣いてください」と訴え、自ら泣き出してしまった。営業の応援に行く彼女を見送りながら、この会社はまだ救いがあると思ったと書いている。このようなお互いを意識した赤裸々な告白が随所に出てくる。

荒蒔氏の場合も、入社してから研究所、多角化事業の検討、30歳を過ぎて米国留学、グループ会社の小岩井乳業への出向、医薬事業担当社長となり、前任の佐藤安弘社長からの抜擢人事で傍流事業から本業ビールの社長となった。氏は経営品質賞を獲ったアサヒの発表会に出席して驚いた。アサヒは工場、物流、営業、財務など様々な部署の人たちが次々に壇上に上がり仕事を説明する。誰もが自分の業務の中で顧客志向を意識している。ブランドを磨き上げて勢いを加速させることに全社一丸となっていると感じた。そして、ここから得たことはライバル企業の経営戦略に意識過剰になるのではなく、各職場の人たちがその立場から顧客志向を考えて職務に取り組めばよいという「原点に帰ろう」だった。

少子高齢化で日本が成熟市場になっている現在、市場を世界に広げなくてはならない状況だ。今後はキリン、アサヒ、サントリーが三つ巴となって世界市場を開拓することだろう。この企業競争は生き残りをかけた戦いとなる。次はサントリーの佐治信忠会長の履歴書を読みたいものだ。

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